「クレムリンの面々には家族、愛人、子ども、そして愛人の子どもがいる。だから彼らは「彼」がボタンを押すことは許さないだろう」――ロシアの作家グルホフスキーへのインタビュー
「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年3月26日付
カタジナ・ヴェンジク: 「ずばり言えば、征服することが問題なのだ。もっと大きくなること、ロシアにとってはそれ以外に重要なことはなにもない」と、あなたは最新の本『前哨地』Outpost で書かれました。なるべく簡潔にウクライナ侵攻の理由を述べるとこうなる、ということですか?
ドミトリー・グルホフスキー: ウクライナへの攻撃は、独裁政治が自ずと行き着くところを見事に表しています。権力の場にいる人間たちが入れ替わらない、社会からのフィードバックから切り離されている、情報にプロパガンダがとって代わる、こういう状態が生まれてしばらく経つと、権力は自分でついた嘘を自分で信じるようになるのです。すべては実利的な目的で考え出されたことだということを忘れて、このトラウマのようなイデオロギーの繭に自分で閉じこもってしまうのです。
そのさまざまな効果を、私たちはロシアで目にしているわけです。私たちの指導者は、最初は新しい時代のヨーロッパのリーダーになりたかったのですが、最後は全世界を核戦争で脅かす独裁者となってしまいました。彼は自分で作ったイデオロギー的な構築物を信じてきました。そして今では真実に手が届かない場所にいる。あるいは、真実を受け入れることを拒んでいるのです。プーチンは、包囲された要塞を自分が守っているという考えにとりつかれている。全世界を敵にした十字軍を戦っているのです。そのことに彼はまったく恐れを感じておらず、それどころか、高揚感に酔いしれているのです。
ヴェンジク: それで西側の全世界との戦争に乗り出したと?
グルホフスキー: 国家の安全に対する現実の脅威は存在しませんでした。経済的な動機も同じく存在しなかった。あったのは個人的な動機です。
第1に、ウクライナはプーチンにとって不都合な存在でした。民主主義が――たとえそれが腐敗して混乱したものであっても――ロシアときわめてよく似た社会でも可能であることを証明している、という意味においてです。ウクライナが存在している、しかもこんなに近くにある、ということ自体が、プーチンのプロジェクトの信用をおとしめるものでした。上下の秩序をもった国家の厳格な統制のもとにすべてがおかれるようなロシアを建設する、というのがプーチンのプロジェクトです。
第2に、プーチンは、歴史のなかに自分の場所を据えることに強迫的にこだわっています。70歳になって――いろいろ病気を抱えているとも言われています――彼は、スラヴ諸国を征服し統一した偉大な指導者として歴史の教科書に書き込まれることを望んだのです。これが彼の主たる動機でした――歪んだロシア史のヴァージョンをほとんど宗教的に信じているのです。
ヴェンジク: それが効果をあげていますね。ロシア人の圧倒的多数がクリミアの併合に喝采しました。ロシア人の3分の2がウクライナにおける「特別作戦」を支持しました。
グルホフスキー: 8年前には〔クリミアの併合は〕すばやく、血を流さずに成し遂げられました。だから国民は熱狂したのです。社会の多数が信じていることを人びとは語るものですし、それを信じることもあるでしょう。しかし、〔今年の〕2月以前には、つまり、わが国の基準に照らしてさえ前代未聞の見苦しいプロパガンダの波が押し寄せる以前には、戦争に賛成していたのはせいぜい10%ほどの急進的な人たちに過ぎませんでした。
プーチンは、自分の身内にさえ秘密で、攻撃の準備をしました。大統領がいちばんの側近の面々に戦争が始まると告げたときの安全保障会議の映像を見てください。彼らの全員が恐怖にとらわれているのがわかります。なぜならば、血を流すことへの責任をプーチンが彼らにも負わせようとしていることを理解したからです。私たちは知らなかった、と彼らはもはや言えません。
その後、プーチンは同じことをロシア連邦の国会でやりました。侵攻は国民の代表によって支持されているという印象を作りだすためです。最後に、第3ラウンドで、彼は全国民にも責任を負わせました。国民に、支持を表明するように、少なくとも支持しているように見えるように強制しました。あのZの文字や旗は行政側で用意したものです。
ヴェンジク: もし彼が歴史の教科書に偉大な指導者として書き込まれることに成功しなくても、へロストラテス*として、つまり、赤いボタン〔=核兵器の発射装置のボタン〕を押した人物として名前が残ることにはなりませんか?
*古代ギリシアの人物で、エフェソスのアルテミス神殿に放火したことで知られる。美しい建造物を破壊することによって自分の名前を世界中に広めたいという動機からだったと伝えられる。
グルホフスキー: クレムリンの面々には家族、愛人、子ども、そして愛人の子どもがいます。だから彼らはそういうことは許さないだろうと思います。
加えて、核戦争の問題は、全員が全員と戦うということで、そこには勝者がいません。そうなると、プーチンが歴史のなかでどういう役割を演じたのか、誰も知ることができなくなります。
ヴェンジク: つまり、彼の虚栄がわれわれのチャンスだと?
グルホフスキー: 彼の取り巻きや軍隊がどれくらい合理的なのか、私にはわかりません。兵士たちは、自分たちが戦っている相手がナチス主義者ではなくて、ウクライナ国民なのだ、ということを知っているでしょうか。というのも、家にいるときのロシア人は、もっぱらプロパガンダをあてがわれていて、それ以外のすべてをブロックされているのです。フェイスブックもインスタグラムもツイッターも使えず、ガスプロム系列の「モスクワのこだま」〔モスクワに拠点をおくラジオ局〕でさえ沈黙しているのです。
ヴェンジク: しかし同時に、ブロックを安全に回避することができるVPN接続の人気が劇的に高まっています。
グルホフスキー: そうですね。しかし、どういう人たちのあいだで使われているかが問題です。若い人たちはVPNを設定して、ツイッターやインスタグラムを使い続けています。しかし、大多数の人たち、とりわけ年齢の高い人たちは、公式の情報源以外にアクセスを持っていません。
しかし、最悪なのはまた別のことです。ソ連時代のモデルに深く根差したプロパガンダが、ナチズムと闘った偉大な国民についての魅力的な語りを作り上げている、ということなのです。
ヴェンジク: 侵攻の理由については、すでに何度か変更が加えられてきました。
グルホフスキー: そのとおりです。侵攻前には、プーチンは、ウクライナとはなによりもレーニンの歴史的誤りの産物だ*、と言っていました。諸君は脱共産化を望んでいるのか、よろしい、諸君に〔レーニンの誤りを正すことによって〕脱共産化を提供しよう、というわけです。
*ソ連邦が成立したとき、ウクライナがロシア連邦、ベラルーシなどと並んで、多民族的な連邦国家を構成する社会主義共和国の1つとされたことを指す。
ロシア軍は2月24日に侵入しました――そしてそれは電撃戦ではありませんでした。TVで言っていたのは、こうです。そのとおり、わが国はウクライナに侵攻した、それはウクライナが最初にわれわれを攻撃しようとしていたからだ、と。わが国は、計画されていた攻撃の6時間前に侵入したのです。
ロシア軍とベラルーシ軍は1週間も前から国境に集結していたのです。そんな時にどうしてウクライナ人が攻撃をしかける理由があるでしょうか。彼らはそこまで愚かではないはずでしょう? そこで、次のプロパガンダです。じつは、彼らは、ザポリージャ原発で原子爆弾を作っていたのだ、というのです。
たとえそうだとしても、爆弾ができるまでまだ何十年もかかるのではないか。そこでプロパガンダはこう答えます。なるほど、でも彼らは生物兵器を作っていたのだ、渡り鳥が運んでロシア人だけを殺害するような病原菌を作ろうとしていたのだ、と。
この段階で、あなたはこう考えるでしょう、こんちくしょう、なんて奴らなんだ。それで身内の年寄りとおしゃべりして、こんなやりとりをする。「ところで原子爆弾のこと知ってるか?」「くそったれだ」「じゃ生物兵器はどうだ?」 プロパガンダはこんなふうに話題を投げ込んでくるのです。感情をかき立て、受け手の批判的に分析する力をブロックするのです。
そしてこの効果は、ロシア人が抱えるもうひとつの問題によって強められるのです。つまり、私たちはたいへん不幸な国民であるという問題です。人びとの多くが貧困と無力のなかで暮らしています。彼らはいかなる権利ももたず、そのために苛立っています――ただし西側に対してではありません。実際のところ、オバマやバイデンがけしからんことをしているわけではないからです。自分たちが貧しいのは誰の責任なのか、彼らは知っています。しかし、そのような意識を彼らは自分のなかでおし殺しています。なぜならば、彼らは警察国家のなかで生きているからです。ただ、怒りはいつもあなたのなかでくすぶっている。そこであなたがTVを見ると、それがサイコセラピーのように作用するのです。
ヴェンジク: サイコセラピー?
グルホフスキー: TVはあなたにこう語りかけます。あなたが怒っていることをわれわれは知っています。あなたが合法的に憎むことができる相手がここにいますよ。ウクライナ人です。彼らは下等な人間ですから。西側も憎んでよろしい――西側はわれわれを潰そうとしている。彼らは根本的に悪であり、加えて金持ちで不誠実な連中なのだから、と。
ヴェンジク: つまり、われわれは多くを持ってはいないが、少なくとも誇りと、いにしえの栄光の記憶を持っている、ということですか?
グルホフスキー: ふつうの人間はだれでも誇りをもち、自分自身を尊重したいものです。しかしロシア人はそれを拒まれてきた。現体制は意識的に人びとから尊厳を奪いとってきたのです。なぜならば、もしあなたが尊厳をもっていると、あなたは使用人でなくなり、市民となり、国家から多くを要求することになるからです。そこで、あなたには怒りを残し、自分自身が尊重される必要は満たされないままにして、民族としてのレベルで自尊心が満たされるようにしているのです。あなたはこう考える。おまえたちはおれの国を尊敬するよな、おれの国を怖がっているよな。これがセラピーです。とても従属的なものですが。
人びとは魔法をかけられているので、彼らを非難することはできません。彼らを治療しなければならないのです。
ヴェンジク: しばらく前にあなたは、第2のスターリニズムがロシアを待ちうけている、と予見しました。おとなしく従うのでは十分ではなくて、権力に拍手することが必要とされる国家ですね。プーチンは以前からこのような計画をもっていたのでしょうか? それとも、ウクライナの電撃戦がうまくいかなかったので、ネジを締めることを余儀なくされたのでしょうか?
グルホフスキー: いまから振り返ると、準備は数年前から続いていたことがわかります。軍隊の近代化。外貨準備の西側から中国への移転――そのおかげで経済制裁を受けてもロシアの準備金の半分しか影響を受けず、残りはすでに金や大麻になっています。反体制派を反戦運動へとまとめあげる力をもった人物であるナワリヌイを殺害しようとしたこと――これはうまくいかず、あとで彼を拘束して獄中に送りました。ロシアが特別軍事作戦――戦争ではなく――を行なう場合、犠牲者の人数を機密にすることを認める法律を制定したこと。軍隊といっしょに移動する火葬装置を用意したこと。西側に対して、すでに12月の時点で、安全の保障を求めたこと――これはNATO軍を東欧から撤収させることを意味しうるものでした。そして、これが拒否されると、そのことを戦争の口実として使いました。こうしてみると、1つの計画が段階を追ってどのように実現されたかが見えるようです。
誰もが、プーチンは戦略家ではなく戦術家に過ぎない、と言ってきました。しかし、彼はこの数年間かけて、社会生活にも政治生活にも関与せず、経済についてさえ口を挟まず、この計画を準備してきたのです。
ヴェンジク: 彼の計画の実現に、経済制裁はどのように影響したのでしょうか? ロシアの人びとは、きわめて疑わしい栄光と引き換えに、生活水準が低下することを受け入れているのでしょうか?
グルホフスキー: じつは、経済制裁がいちばん打撃を与えている人たちは西欧化した中間階級で、彼らは旅行もたくさんして、最も開かれた階級です。その彼らがいま、こう問いかけているのです。西側は何のために自分たちを罰しているのか、結局のところ自分たちはプーチンを支持していなかったし、ときには、殴られたり逮捕されたりすることがわかったうえで、彼に反対して抗議してきたのに、と。
国外に移住した人たちも同じです。彼らはロシアの国内に自分たちにとっての未来を見いだすことができませんでした。多くの人たちが私と同じ問題を抱えています。国内では私たちは裏切り者とみなされ、ヨーロッパは私たちに対して集団的な責任を負わせている――所持するパスポートのせいで私たちは疑いの目で見られるのです。
長いあいだプーチンの乱暴を許してきた西側が、EUとNATOの東の境界で行なわれる戦争は無視することができず、経済制裁を発動しました。そのこと自体は私は理解しています。私が望んでいるのは、少し塵を払ったら、すべてのロシア人があのような人びとであるわけではないということをヨーロッパに理解してほしい、ということだけです。
ヴェンジク: つまり、街の人たちが、平和とiPhoneを求めて通りに出て声をあげることはない、ということですか?
グルホフスキー: 鉄のカーテンで西側と隔てられてしまうことを恐れた人たちは、移住してしまいました。数十万人の人びとがすでに、ジョージア、アルメニア、トルコ、アラブ首長国連邦など、まだ行けるところに出ていきました。しばしば何も持たずに、です。彼らのクレジットカードは停止されていますし、外貨の持ち出しは現金で10,000ドルまでしかできません。もちろん、彼らに同情するわけにはいきません。300万人を越えるウクライナ人が、住む家を破壊されて国外に逃れているのですから。ただ、ロシアではそういう状況になっているということです。若くて、教育を受けていて、意識的な人たち――国外で新しい生活を始めることができると考えているすべての人たち――が出国している。ですから、街頭に出て声を挙げることはありません。通信の機能を使えるように求める反乱がプーチンを倒すことはない、ということです。
ヴェンジク: では、砂糖を求める人たちはどうです?
グルホフスキー: 私たちは、すでに長いあいだ忘れていたソ連時代のような物の不足を体験しています。一部の商品、とくに食料品は大幅に値上がりしました。同時に国家はネジを締めていて、反対派のリーダーを迫害することから大衆的な抑圧へと移行しています。
それにもかかわらず、モスクワでもペテルブルクでも、数千の人びとが反戦プロテストに参加しました。しかし、数百万の人びとが街頭に出る、ということは、1991年以後はロシアでは起こっていません。あの時は、私たちは5年間にわたってグラスノシチ〔=情報公開〕を体験したあとでした。その間は権力を批判することができたし、人びとの恐怖感も小さくなっていたのです。しかし、そのときでさえ、人びとは自由がないことに反対したのではなく、貧弱な生活条件に対して抗議したのでした。
ヴェンジク: マリーナ・オフシャンニコワ*は、戦争とプロパガンダの嘘に反対して公然と抗議しました。
*ロシア第1チャンネルのテレビプロデューサー。3月14日夜のニュース番組で、ウクライナ侵攻に対する反対を訴えるプラカードを掲げて画面に登場し、その映像が世界的に報道された。
グルホフスキー: 勇気ある行動でした。でも、それは、嘘を流し続けた8年間に対する2秒間の抗議だったのです。そしてTV局の全職員が、今後は注意深く監視されることになるでしょう。
ロシアでは毎日、自分の勇気を試す必要があるのです。SNSにこの投稿を書くべきか、書かざるべきか。今日、ロシアの人びとは、テレグラムでは、政治や生涯の計画について会話しません。彼らは、シグナル(Signal)というアプリを使っています。こちらのほうが暗号化がより高度だからです。これはパラノイアでしょうか? 私にはわかりません。しかし、出国したい人たちは、とりわけ反体制運動と何らかのつながりがある場合は、空港で何時間も連邦保安局によって取り調べを受けるのです。どこに行くのか。いつ戻るのか。持っている通信機器を出して見せろ! といった具合です。
どこの国でも、主として順応主義的な人びとから成り立っているものです。とにかく平穏に暮らしたい、政治には関わりたくない、と思っている人たちです。もし国家が彼らの忠誠をヒステリックに要求すれば、彼らは忠誠をたてているふりをするでしょう。竜に立ち向かうためには、騎士にならねばなりません。英雄にならねばなりません。しかし、英雄はどれくらいいるものでしょうか? 私たちには1人の英雄がいましたが、彼はいま懲役刑で収監されています*。
*この箇所は比喩的な表現になっているが、「竜」はプーチン、「1人の英雄」は反体制活動家のアレクセイ・ナワリヌイを指すと思われる。
ヴェンジク: では、20代の若者たちがこの戦争から生きて戻らないことについては、どうですか? 死んだ兵士たちの鉛の棺はプロパガンダに亀裂を入れないでしょうか?
グルホフスキー: そのような情報はブロックされているのです。インターネットのほぼ全体が、クレムリンの統制下にあるメディアによって独占されています。当局の路線にしたがわない情報を流すと、15年以下の懲役を科される恐れがあります。
まだテレグラムとワッツアップ(WhatsAppie)の回路が残っていて、これらは国家によってコントロールされていませんが、そこからの情報を受け入れることは、自分自身のアイデンティティを揺るがされることを意味します。自分の国が戦争犯罪をおかし、自国の戦闘機が劇場を爆撃し、兵士たちが市民を銃撃しているということを、ふつうのロシア人は信じたいと思うでしょうか? 思わないですよね、自分自身への尊重の気持ちを失うことになりますから。都合のよい嘘を信じるほうが簡単なのです。
ヴェンジク: でも、あなたの同僚が戻ってこなかったら? あるいはご近所の息子さんが?
グルホフスキー: 私たちの国の損失は、まだなにか意味をもつほど深刻にはなってないのです。
今日、情報は容易に急速に拡散しますし、証人は重要です。しかし、私たちはフェイクの時代に生きてもいるのです。プロパガンダを流す側にとって、あれは産科病院などではなかった、あの傷ついた妊婦はじっさいは女優だった、と言うことは簡単です。プロパガンダはすべてのことに説明を付けることができるし、たとえあとで嘘だとわかっても、そのときには世論は作られてしまっているのです。
それに、事実はいろいろな解釈ができます。あなたが信じたいこと、あなたにとってよいと思われる側にあなたがいることを可能にするようなことだけが、あなたに届くのです。もしこのよい側の人たちが勝てば、なおさらよいでしょう。とても気持ちよく感じて、あなたは落ち着いて暮らすことができます。焼かれた都市を見て、こう考えるのです。われわれがこの戦争を始めたのではない、われわれはただこの戦争を終わらせようとしているのだ、と。
ヴェンジク: それでは何らかの変化が起こる可能性は見えませんね、ロシア人自身が変化しまいと身構えているのですから。
グルホフスキー: 人びとが考えを変えるのは、感情的なショックを受けたあとか、個人的に関わりをもってしまったあとです。そのときには学び直すことができます――第二次世界大戦後のドイツで真の非ナチ化が行なわれたように。
ですから、出口のない状況ではありません。憎悪を広めて戦争を始めた面々に責任をとらせ、まだ話し合える人たちとは話し合いをする必要があります。プーチンは、この戦争の責任を全国民にともに担わせようとしています。引き返す道はないと全員が認めるようにするためです。これに対抗するためには、ロシア語を話す者が誰でもみな敵であるわけではない、と強調する必要があるのです。
ヴェンジク: もちろんそうですね。そのようなニュアンスのあるアプローチだけが、プロパガンダの壁を打ち破ることができるということでしょうか?
グルホフスキー: もしクレムリンのプロパガンダが100パーセント効果的であるならば、最後まで残っていた独立系のメディアを閉鎖する必要はなかったはずです。長い目でみれば、嘘は真実に勝てません。
ヴェンジク: そのとおりです、でもどれくらい長くかかるでしょう?
グルホフスキー: ロシアにとっていちばんよいのは、プーチンから権力を奪い、兵士たちを撤退させて、和平の交渉をすることでしょう。しかし、そうなるとは私には思えない。ロシアはウクライナにはまり込み、孤立し、制裁によって弱まっていくでしょう。遠からず全体主義的な独裁になるでしょう。
私はまちがっているかもしれません、しかしこれが現時点では最もありそうなシナリオです。10年か20年経ってプーチンが老衰で死ぬときには、ロシアは泥沼に沈んでいて、西側との関係を正常化するためには何をする必要があるか、制服組ですら理解できる状態になっているでしょう。そのときには、おそらく連邦保安庁の長官が主導権を握って改革を導入することになるでしょう。
ヴェンジク: 『スターリンの死』*はごらんになりました? すばらしい映画で、いま観たらぴったりでは。
*アーマンド・イアヌッチ監督による2017年の英仏制作の映画。原題はThe Death of Stalin。日本では『スターリンの葬送狂騒曲』という題名で2018年に公開された。
グルホフスキー: あのベリヤでさえ――内務人民委員部(NKVD)の元トップ、当時は内務大臣で、誰もが彼のことを怖れ、急いで失脚させて処刑させた――その彼でさえ、スターリン時代の処刑の半数が彼の責任で行なわれたにもかかわらず、スターリンの死後は国を自由化する必要があると理解していました。フルシチョフも、彼自身はまったくリベラルではありませんでしたが、のちに公然と自由化を推し進めました。そしてそれが、私に見えるロシアの将来の姿です。
1990年代には、ロシアでは、誰もほんとうの意味では自由のために闘いませんでした。自由はおのずと到来したのです。そのために、私たちは自由を特別に大切なものとして扱っていません。今ようやく私たちは、自由の価値を正しく評価しようとしているように私にはみえます。人びとは、自由が奪われたときに、その価値を理解するのです。そうしたことを身にしみて味わう必要があるのです。まさしく歴史がさらなる教訓を私たちに与えているところなのです。
ヴェンジク: そうですね。ただ、歴史の教訓が多過ぎるのではありませんか。すでに私たちは学んできたように思うのですが。
グルホフスキー: 歴史というのは循環なのです。進歩があり反動がある、そしてまた進歩があって反動がある。しかしその都度、少しだけ大きく進歩するのです。最終的にはウクライナは自分を守り、国家として存続すると私は信じています。同様に、ロシアもいつかは自由な国になると私は信じています。
※ドミトリー・グルホフスキーは1979年生まれ。ロシアで最も人気のある作家の1人。SF小説『メトロ2033』(2005年刊)がベストセラーになり、日本語訳も出版されている(小学館、2011年刊)。昨年、没落するロシアをテーマとするディストピア小説『前哨地』 Outpost・『前哨地2』Outpost2が刊行された。
「生きのびるために ウクライナ・タイムライン」では、「なぜクレムリンはこの戦争を特別軍事作戦と呼ぶことを私たちに命じるのか?」(投稿日: 2022年3月11日 https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220311_1/)に続く、2度目の紹介となる。
※作家の目からみたロシアの現状が生々しく語られている。とくにプロパガンダのメカニズムについての分析は鋭い。このような内容のインタビューは、いまのロシア国内のメディアには掲載できないであろう。
※グルホフスキーがプーチンの体制とウクライナでの戦争を厳しく批判していることは言うまでもないが、他方で、公然と政権を批判したり体制を揺るがすような行動をとらないロシア社会のマジョリティに対しては、批判するよりも、理解し、説明しようとする姿勢が前面にでている。これは、ポーランドのインタビューアーの質問に答えるという、作家がここでおかれている立場にもよるのかもしれない。ただ、そのおかげで、このインタビューを読むことで、ウクライナ戦争に対するロシア社会の反応について、より内在的に理解する手がかりが得られることも確かである。
※プーチン体制が国民の抗議によって倒れる可能性については、グルホフスキーは悲観的である。ロシアの近未来については、さらに全体主義化が進むと予測し、プーチン没後に起こりうる変化についても、上からの改革がせいぜいで、民主的な変革は起こらないと考えている。インタビューの最後の最後で「ウクライナは独立を守り、ロシアもいつかは自由な国になると信じている」という言葉があらわれて少しほっとするが、全体として彼の示す展望はディストピアの方に傾斜していく印象が強い。
※ロシア国内の抵抗運動についてのグルホフスキーの発言も、読んでいて口のなかに苦い味が残る感じがする。日本でも大きく報道されたニュース番組でのマリーナ・オフシャンニコワの反戦メッセージについても、彼女の行為を「勇気ある行動」と評価しながらも、「嘘を流し続けた8年間に対する2秒間の抗議だった」とつけ加えることを彼は忘れない。
グルホフスキーは、「ロシアでは毎日、自分の勇気を試す必要がある」という。だが、これはロシアだけの問題だろうか。いずれの国においても、言論や学問や報道の自由を守るということは、ロシアの市民に比べればごくささやかなものではあっても、そこで暮らす市民の勇気がつねに試されているということなのではないか。
私たちの国の公共放送のトップが「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない。政府と懸け離れたものであってはならない」と発言したのは、ロシアによるクリミア併合と同じ8年前のことであり、選挙期間中の首相の応援演説に異議の言葉を叫んだだけで警察官に排除された事件について「表現の自由」の侵害として違法の判決が下ったのはつい昨日のことである。
【SatK】