歴史学者に聞く「ウクライナ侵攻の深層と今後」

ロシアの社会学者「ロシア人の多くがプーチンを支持している? いや、事態はもっと深刻だ」

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年5月14日
インタビューアー・執筆者:ヴィクトリア・ビェリャシン(Wiktoria Bieliaszyn)
https://wyborcza.pl/7,75399,28447387,rosyjski-socjolog-rosjanie-masowo-popieraja-putina-jest-jeszcze.html#S.tylko_na_wyborcza.pl-K.C-B.2-L.1.maly

「最近、ロシアの政権に近い人たちがポーランドについて語っていることを、私はきわめて深刻に受けとめています。プーチンのウクライナ侵攻がある程度に成功すれば、ポーランドが次の標的になるでしょう」と社会学者グリゴリー・ユージン*は指摘する。

*グリゴリー・ユージン(Grigory Yudin)はロシアの社会学者。モスクワ経済学・社会科学高等学院の教授。

* * *

ビェリャシン: 「ロシア人・イコール・プーチン」――ポーランド人からしばしばこんな意見を聞くのですが…

ユージン: それこそまさにプーチンが耳にしたいと望んでいることです。彼が必要としている状態です。しかし、真実ではありません。

ビェリャシン: 「ロシア人は戦争を支持している」――これがきわめてしばしば耳にするもう1つのフレーズです。どれくらい真実なのでしょう?

ユージン: それにお答えするには、まず、ロシアの社会と権力システムがどのように構築されているかを説明しなければなりません。
最近まで、この体制は、次のように記述することができました――国家の頂点にすべてを決定する指導者が立っていて、国民の役割はその決定を批判なしに支持すると表明することである。同時に市民は、ロシア社会が土台から非政治化されているために、皇帝のようにみなされる指導者がどのような決定を下すかには、それほど関心を払わない。ロシア人の圧倒的多数は、政治について考えるのは意味がないと思っている。なぜならば、政治はうす汚れた危険なしろもので、それに対して自分たちにはいかなる影響力もないからだ、と。

ビェリャシン: 大統領は完全に自分で自由に決められるのですか?

ユージン: 仮にウラジーミル・プーチンが2月24日にルガンスク・ドネツク両州の領域が何らかの理由でウクライナに復帰するべきだと決定したとしても、世論調査に示される彼の行動への支持率は今と同じでしょう。ですから、これを何か意識的な支持だとみなすことは難しいのです。これは単なる喝采のようなもの、ロシアで従うべきとされてきた不文律への適応なのです。そして、戦時にはこの規範はいっそう強いものになります。

ロシア人は政治とかかわり合いを持ちたくないのです。彼らが抱いているのは、宿命論と、ある種の無関心です。それ自体たいへん困ったことですが、いわば病気のようなものです。もし今、みなさんが、すべてのロシア人は血に飢えた怪物のようなものだと考えているとすれば、それは大きな誤りです。そのようなロシア人はきわめて少数です。大多数は完全に受け身で、何らかの積極性を発揮するとしてもプライヴェートな問題に限られると考える人たちです。

ビェリャシン: では、世論調査はロシア社会の意見を探る情報源にはならないと?

ユージン: 「あなたは特別軍事作戦を支持しますか?」というアンケートの質問に否定的に答えれば、深刻な結果に直面する危険がありますからね。人びとにはそのことがわかっているのです。それでもなお危険を冒す用意のある人たちはたくさんいますが、みな、誠実に答えることは権力に歯向かうことだと自覚しているのです。なので、相当数の市民たち、より勇気のある人たちは、質問に答えることを拒否しています。世論調査の回答率はたった15%ほどに過ぎないということを知っておく必要があります!

しかし、国外では、これらの世論調査が参照されます。そこにいかなる意味もなく、そこで測られているのはロシア人の恐怖のレベルであって、政権への支持ではないのですが。
ロシア人は常にこの種の質問には「はい」と答えるものなのです。今日の時点では特別軍事作戦を支持すると言い、明日、プーチンがウクライナをロシア連邦の領土の一部として併合すると決定すれば、その決定を支持すると言うでしょう。

ビェリャシン: そんなに恐怖が強いのですか?

ユージン: まちがいなく。しかし、それだけではありません。もし恐怖によって抑えられているのでなければ、圧倒的多数のロシア人は積極的に抗議する用意があるのか、といえば、かならずしもそうではないのです。現実には、人びとはたいていは「こういったことすべてにかかわり合いたくない」のです。

ロシアでは、世論調査は、いわゆる政権への支持をデモンストレーションするためにのみ、行なわれているのです。あたかも国民が大統領に賛成しているかのような幻影を作りだすためです。私たちは現在、このやり方が効果をあげているのを目にしているわけです。もし読者があなたに「ロシア人は戦争を支持しているじゃないですか」と言うのであれば、それは、クレムリンがこの手段をたいへん巧みに利用していることを意味しているのです。数年前であれば、ロシア人は、世論調査を、国家とコミュニケーションをとる方法として受けとめていたかもしれません。しかし、今日では、誰も国家と何らかのコンタクトをとりたいと望んでいません。

ビェリャシン: 政権は、社会に対して、この先どんなふうに「働きかける」のでしょうか?

ユージン: ロシアの文脈では、私たちは「社会」という言葉をまず忘れてみるべきですね。ロシアには社会はありません。そこには、自分の問題で手いっぱいのたくさんの人たちがいるだけです。
公的機関や国営企業で働いている人たちは、ウクライナでのロシアの行動についてどのように語るべきか、きわめて具体的な指示を受けています。自分自身、そして自分の上司や同僚に損にならないようにふるまうためです。ウクライナに親戚がいる人たちは、しばしばそのことに触れないようにしています。周囲にわかると疑いの目で見られるからです。ロシアとウクライナにまたがる多くの家族が、そのために崩壊しました。ロシア側で暮らす家族のメンバーが、ウクライナ側に残っている家族と完全に接触を断つことも珍しくありません。コンタクトをとると危険だからです。

ビェリャシン: 戦争が始まったときには、私たちは、ロシア人は本当のところは何が起こっているのかを知らないに違いないと考えていました。独立したメディアの情報にアクセスする手段もなさそうでしたから。でも、すでに多くの時間が経過し、プロパガンダを流す人たちの語りはますます攻撃的になるばかりです。少しでも行間を読む力があれば、たとえ国営放送のニュースを見ていたとしても、現実は明々白々ではないかと思うのですが。

ユージン: ロシアの人たちは、だいたいすべてわかっていますよ。彼らを愚か者のように考えるべきではありません。しかし、何のために、いかなる影響力も持たないことについて何かを知る必要があるのでしょう?

圧倒的多数のロシア人は、プーチンが何かを決めたのであれば、押しとどめることはできないと考えています。もし彼が地球を粉砕すべきだと考えたとしても、ロシア人は、やれやれそれは困ったことだ、でもそれが運命だ、仕方ない、と考えるのです。
そうなるには、原因があるのです。ここ22年のあいだ、ロシア人は何度もプーチンのやり方を阻止しようとしましたが、一度も成功していません。2011年には、プーチンが大統領の地位に復帰しないように、大規模な異議申し立てをしました。ロシアがクリミアを併合した2014年にも、政権の腐敗を告発したアレクセイ・ナワリヌイが逮捕された2017年にも、政権が国家院の選挙で独立派の候補を認めなかった2019年にも、ナワリヌイが投獄された2021年にも、異議を唱えました。

そのたびに、抗議する人びとは治安警察に殴られ、投獄されました。他方でプーチンは、国外から支持をとりつけ――たとえば新たに天然ガスを輸出する巨額の契約を結んだりして――、その資金で国内の抵抗を締めあげるのです。人びとは繰り返し、身にしみてわかったのです。もしプーチンが何かを欲すれば、それをやり遂げるのだ、ということを。自分たちが何をやろうと、何を危険にさらそうと、いかに自分を犠牲にしようと、そんなことにはお構いなしに、やり遂げてしまうのだ、ということを。

ビェリャシン: つまり、現在私たちが目にしていることについては、西側にも責任があるということですか?

ユージン: 世界が、ロシア人の問題を、彼ら自身に代わって解決することはないでしょう。私たちロシア人が、起こってしまったこと、起こっていることに責任を負っているのです。ウクライナの都市を爆撃しているのは、ロシアです。しかし、プーチンはロシアだけの問題ではなかったということは意識する必要があります。

少なくともプーチンが抗議活動を鎮圧することを後押ししないことはできたはずだ、と私は思います。彼が強権的な統治する余地を金で買うことを許さないことができたはずです。実際には、彼は、西側と取り引きして、西側から容認と沈黙を買い付けたのです。西側は、ロシアの政治エリートやオリガルヒをもろ手を開いて受け入れ、そこから利益を得たのです。プーチンは、エリートが貪欲な人たちであることをよく知っていました。誰かが何かに同意しなければ、さらに金を積んで提案する必要があることもよくわかっていました。

ビェリャシン: ふつうの人たちはそのことを意識していますか?

ユージン: ロシア人は何を考えるべきだと? ロシアで人びとの追跡を可能にする巨大なシステムを構築したのは、ノキア〔フィンランドに本拠地をおく通信インフラ開発企業〕ですよ。政府は、このシステムを使って、体制に反対する人びとを追跡しているのです。別の例を挙げましょうか。ロシア政府は、ナワリヌイを逮捕しました。国内の状況を変える力をもち、この戦争を防ぐことができたかもしれない人物です。その彼が逮捕された後に、ドイツは、エネルギー資源の調達のために、数十億ユーロとも言われる新たな契約をプーチンと結んでいるのです。

クレムリンが、これらの金を、ナワリヌイのような人たちを弾圧するために役立てていることを、人びとは知っています。プーチンは、民主主義的価値のために戦っていると称している人たちとさえ交渉し、西側のエリートを買収できるとすれば、街頭に出て闘うことに何の意味があるでしょうか?

ビェリャシン: おそろしく苛立たしい状況ですね。

ユージン: ロシア人は、多くを知りすぎて、それで政治について意見を持つと、問題を抱えることになりうるということを学んできたのです。彼らにとっては、これは生きていくうえで考慮するべきことなのです。ですから、ロシア人は、ウクライナで何が起こっているかを推測はしますが、この問題についての情報に接しないようにしているのです。なぜならば、何かを変えることができるとは彼らは信じていないからです。すべてを知っているのに無力であるという状態に耐えることは困難です。考えないほうが楽なのです。

ビェリャシン: では、国家によるプロパガンダは?

ユージン: ロシアのプロパガンダが人びとに語っているのは、誰も信じるべきではない、ということです。ロシアのプロパガンダも含めてです! ロシアのプロパガンダは、20年以上にわたって、ロシア人に、誰もが嘘をついている、真実など存在しない、と教えてきました。人間の課題は、より楽に生きることができるような出来事の解釈を選ぶことだ、と。より居心地のよい嘘を選びなさい、と。

プロパガンダを行なう人たちは、ロシア人に対して、自分たちは嘘をついているが、少なくともより心地よい嘘を提供しているのだ、ということをわからせてきました。もちろん、遠方の貧しい地域の人びとは無批判にプロパガンダを信じていますが、圧倒的多数の人たちはむしろ情報を避けようと努めているのです。

ビェリャシン: そのことは、ロシアが置かれている状況についての人びとの認識にどのように影響しているのでしょう?

ユージン: 一部の人びとは、ロシアに対する制裁が導入されているのは、西側がロシアを憎んでいて、ロシアを貶めようとしているためだ、という説明を選択しています。プーチンは、このような論法で、西側による被害者だと感じることには正当な理由があるというロシア人の思いを強化しているのです。制裁によって社会を教え導こうとしても、効果はないでしょう。なぜならば、社会に対して、祖国とソーセージとどちらが好きか、という問いへと導くことになるからです。多くの人がどう答えるかはあきらかです。

西側がこれから何をするかは、重要ではありません。何をしても、また侮辱されたと受けとられるでしょうから。

ビェリャシン: 制裁はまちがいだったとお考えなのですか?

ユージン: いいえ、そうは考えていません。ただ、制裁に期待することがまちがっていたのです。制裁を科しても、ロシア人が街頭に出てプーチンを打倒するということにはなりません。しかし、もし制裁が今後も続けて導入され一貫して執行されていくならば、プーチンの戦争マシーンの動きを確実に制約することができるでしょう。

しかし、大企業は建前上はロシアから撤退しましたが、彼らの店舗の店先には、速やかに営業を再開することを約束するポスターが貼られています。ロシアで勤務するグローバル企業のマネージャーたちは、できるだけ早期に再開するための交渉を続けています。制裁は一時的なものに過ぎないという感覚を、すべての人が持っています。
自分の財布のなかにプーチンの政策の影響を感じるようになってはじめて、ロシア人は何らかの不満を表明する気持ちになるでしょう。

ビェリャシン: ロシア社会についてのあなたの描写をうかがっていると、「教え込まれた無力さ」という表現が思い浮かびます。何に対しても影響力はないし、行動しても無意味だ、なぜならば、どんなことをやろうとしても失敗に終わるのだから、という感覚ですね。

ユージン: 「教え込まれた無力さ」は、ロシアの社会の全体を覆う特徴であり、おびただしい数の人たちを無力な存在にしています。それゆえにこそ、いかなる理由があろうとも戦争に反対するだけでなく、戦争を止めてウクライナを助けようとして積極的に行動する人びとの存在に気がつくことが重要です。そのような人びとはけっして少数ではありません。彼らの多くが、そのように行動するがゆえに国を去らなければならなくなっているとしても、です。
公論の領域、つまり、音楽家、科学者、スポーツ選手、企業経営者、文化人の発言を観察していて、私は、この戦争に公然と反対している人びとのほうが、戦争の支持者よりも人数としては多いと見ています。

ビェリャシン: 戦争が始まってまもなく、ロシア人が街頭に出ていた頃、多くのポーランド人が、これではとるに足りない、ロシアの人口を考えると抗議の規模が小さ過ぎる、と言うのを耳にしました。抗議行動が減ってくると、まったく注目されなくなりました。

ユージン: ポーランド人なら、どうして1939年にドイツでポーランドへの侵攻に反対する大衆的な抗議行動がなかったのか、という問いは馬鹿げていることがわかると思います。ロシア人はどうして街頭に出て抗議しないのだ、という問いは、同じように馬鹿げているのです。そう、たしかにロシアと第三帝国は違います。でも、両者を結びつけているものがあります。いずれにおいてもファシスト的な制度が導入されているということです。今、ロシア人から期待しうることは、1939年にドイツ人から期待しえたこととまさしく同じ程度のものなのです。

ビェリャシン: 社会でどのような空気が支配しているのですか?

ユージン: 自分たちに何ができるんだと私に訊いてくる人がたくさんいます。公共の場で自殺したら、それどころか、赤の広場で焼身自殺したら、何か変わるのか、と質問するのです。やる価値があるか、それが助けになると期待できるか、と。あるいは、真実を語って戦争に反対して投獄されれば、プーチンを押しとどめるために少しでもチャンスになるのか、と。希望を失い、無力感にとらわれて、この人たちは何ができるかわからなくなっているのです。

抗議することにどういう意味があるのかという問いを、私はもう何年も前から受けています。大規模なデモが国内で起こるたびに、ふだんは政治に関心を持っていない人たちが私に質問するのです。抗議行動に参加して、何かを変えることができるということがありうるのか、と。そして、後になって、何ひとつ自分たちには変えられないのだと納得するのです。

ビェリャシン: 人びとがお互いに密告し始めたことを、どう説明しますか?

ユージン: これはたいへん危険な現象です。ロシアの体制は、厳しい権威主義からファシストの体制に変化したのです。現在では、この体制は、人びとから、従来とは異なるものを要求し、より多くのことを期待しています。このファシズムは恐怖に支えられています。

人びとはファシスト的な運動に参加し始めています。怖いからです。とりわけ以前は政治に関心のなかった人たちの場合がそうです。殴っている側にいま参加するか、さもなければ、殴られる側に身をおくか、そのどちらかしかないと彼らは信じているのです。

ロシアで最も重要な大学の1つで、2月に、治安機関の人間が指導的な立場に就きました。「ウクライナでの特別軍事作戦」をめぐる学生との集会で、彼は、もし教員が状況を政権と異なる仕方で評価した場合には、そのことを自分に告げてもらってかまわない、と言いました。女子学生の1人が立ち上がって、そういう教師がいます、誰がそうかをあきらかにすることもできます、と意思表示をしました。これにはさすがに治安機関から来たこの指導者もぞっとしたそうです。

ビェリャシン: なぜです?

ユージン: なぜならば、もしこの女子学生が教師の名前を挙げれば、自分が監督するべき場所でまずいことが起こっていることを全員が知ることになると彼は理解していたからです。結果的に全員が怖れ始めます。この大学では、一部の学生が教員を密告しています。さらに一部の学生は、密告が行なわれているので注意するように、とひそかに教員たちに知らせています。自分の仲間に密告者がいることを知っているからです。

人びとは恐怖心から密告を始めています。そうしないと誰かが自分たちを攻撃するのではないかと怖れているのです。こうして社会はファシズム化していきます。

ビェリャシン: 私はロシアの人たちと会話し、報告もたくさん読んできました。私が会話した人たちの多くは、ロシアのウクライナとの戦争は狂気の沙汰だ、こんなに近い民族なのに、と強調します。他方で、「あいつらは懲らしめてやるべきなんだ」と言う人たちもいます。一部のロシア人にみられるウクライナ人への侮蔑は、どこから来るのでしょう?

ユージン: それはデリケートな問題です。ロシアは崩壊しつつある帝国です。帝国の周辺に位置する他の諸民族や、かつては帝国の一部だった諸国民に対して、一部のロシア人は優越意識を持っているのです。ロシア・ウクライナ関係に植民地的な過去が影を落としていることは、あきらかです。しかし、私はこの現象を一般化するつもりはありません。独立したウクライナが存在する時代に育った若い世代は、総じてこうした帝国主義的な感覚はもっていませんから。

ビェリャシン: もちろんプーチンの考えは違いますね。

ユージン: プーチンはなにより、自分が致命的な危険のなかにいると考えています。彼がウクライナとの戦争を始めたのは、もしそうしなければ、自分を待ちうけているのは惨めな最期だと考えていたからです。ロシアの人びとの不満が高まっていって、ウクライナと西側に支援されれば、自分は没落すると考えているのです。

東ヨーロッパ全体が、彼にとっては危険地帯です。この地域に対して、彼は自分の権利を主張しています。彼が、ワルシャワ条約機構の時代の勢力圏の境界線まで押し返したがっていることがわかりますから。

ビェリャシン: ウクライナとの戦争を始める前に、プーチンは、ウクライナについて、いくつかの文章を書きました。そのなかで、彼は、ウクライナには国家を持つ資格はないと述べています。さらに、ポーランドについて述べた文章もあります。

ユージン: ロシアの政権の代表者たちがポーランドについて最近述べていることを、私はきわめて深刻に受けとめています。はじめてクレムリンからポーランドにとって重大な脅威となる見方が示されたと私が認識したのは、2020年のことでした。そのとき、プーチンは第二次世界大戦の勃発の原因についての分析を公表しました。この分析においては、ドイツについての記述はごく少なくて、その代わりに、ポーランドについてきわめて多くのことが書かれていたのです。プーチンは、文字どおり、ポーランドは悪であり、ポーランドが戦争の勃発に導いたのだと書いています。ウクライナについての文章でも、ポーランドについて脅威であると書いています。ウクライナへのプーチンの進軍がある程度成功すれば、次の目標はポーランドになることを私は疑いません。

ビェリャシン: 現在のようなかたちのロシアは、この戦争によって終わりを迎えるのでしょうか? 独立系の専門家の多くがそのような見方をしているのですが。

ユージン: この戦争が没落へと導くさらなるエピソードであることは疑いありません。ロシアの国境は最終的には変更され、おそらく国土が縮小するであろうことをすべてが示しています。

しかし、たいへん奇妙なことが起こっていることに注意する必要があります。ロシア軍は、ずいぶんいろいろな旗を掲げてウクライナに侵攻しています。ロシアの国旗だけでなく、ソ連の旗とか、それこそ鎌と槌のシンボルを掲げたりしています。しかし同時に、プーチンはレーニンを憎んでいて、脱共産主義化について語ったりしているのです。どういう国に私たちは暮らしているのか、答えるのがむずかしいほどです。

ヴァーツラフ・ハヴェルは、ロシアの最大の問題は、どこから始まってどこで終わるのかを知らないことだ、と言いました。まさに今、私たちはこの現象と向き合っているのです。
ロシア政府はある日、ハリコフ〔ハルキウ〕を占領した、この町は永遠にロシアのものだ、と言いました。次の日にはウクライナ軍がこの都市をとり戻しました。人びとはすでに途惑っています。ロシアはどこで終わるのか、そもそもこの国は何なのか、わからなくなっているのです。ウクライナ人が何のために戦っているかあきらかである分、ロシア人は何のために戦っているのかまったく理解できないのです。

ビェリャシン: ロシアは真の連邦になるでしょうか?

ユージン: そうなってほしいと本当に思います。それが最も適切な解決でしょう。ロシアで私たちは巨大な中央集権的な権力と向き合っています。それに加えて、モスクワのエリートに対する憎しみもあるのです。ここから抜け出すことはできるでしょうか? すべては社会にかかっています。社会が自らを育んで、政治的に行動する力を身につけ、プーチンは全能ではないと理解できるかどうかにかかっているのです。それができれば、ロシアは連邦的な共和国となり、あらゆる帝国主義的な衝動を忘れることができるでしょう。

ビェリャシン: ロシア人に求めうるのは、第三帝国のドイツ人に求めうるのと同じ程度のことだ、とあなたは言いましたね。でも、時代が違いますし、知ることはより容易になっています。

ユージン: ドイツでも人びとは知っていましたよ。そして、ロシアでも彼らは知っているのです。問題はもっぱら、どうやってそのことを自分自身に対して認めることができるのか、という点にあります。で、どうするんだ? この知識をもって何をするんだ? それを知ったうえでどうやって生きていくんだ? ということです。
最初のうち、戦争が始まってすぐの時期、ドイツ人たちは、そのような知識と向き合う準備ができていませんでした。今日のロシア人も同じです。何が起こっているかを意識したり、自分の無力さを感じたりして、かえって攻撃的になっています。人びとは知っているのです。

街頭でブチャやその他のウクライナの町の映像を見せられると、怒ったような反応をするのは、このためです。もし彼らが何も知らなければ、好奇心をかき立てられて、もっと知ろうとするでしょう。しかし、実際にはすべてがあきらかなので、彼らは攻撃的になるのです。なぜならば、そのような知識は彼らにとって耐えがたいものであり、壊れやすい彼らの内面の世界を傷つけるからです。自分自身と自分に近しい人たちのことを気づかうことこそ自分にできることのすべてだと信じて、こんなに長い時間をかけて作り上げて閉じこもってきた安全な繭を損なうものだからです。
人びとは、すべてができる限り早く終わることを望んでいます。そして、これは恐ろしい言い方に聞えるでしょうが、人びとはプーチンが勝利することを望んでいます。なぜならば、ロシア人は、この政権には負ける用意がないことを知っているからです。失敗すれば、全世界にとって――そのなかに彼らの世界も含まれています――劇的な結果となりうることを知っているからです。

「理不尽なプーチンの戦争に対して、ロシア国内にいるロシア人はなぜ反対の声をあげないのか」という日本でもしばしば聞かれる疑問に対して、「ロシア政府が思想統制と情報操作を強化しているために、ロシア国民の多くはウクライナで実際に何が起こっているかを知らないからだ」という説明がなされる。
しかし、このインタビューで語られるロシアの社会学者の分析を読むと、現実はより屈折したものであるのかもしれない。多くのロシア国民はウクライナ戦争の実態を知っているがゆえに、かえってその知識と向き合うことを拒否している、というのだ。

ロシアの世論調査の実態も、このインタビューから教えられることの1つである。ユージンによれば、「世論調査の回答率はたった15%ほどに過ぎない」。戦争に反対する人は、むしろ世論調査に答えないことを選択するのだとも言う。

ユージンは、ロシアの権威主義的体制は現状ではファシズム的体制に移行している、ととらえている。この場合に「ファシズム」という概念が適切かどうかは議論の余地があるかもしれないが、社会のすみずみまで監視と動員の力が働く体制が作られつつあることは間違いなさそうである。大学のトップに治安機関の人間が座り、政府の方針に従わない教員を密告するように学生に呼びかける――そしてたちまち学生がその呼びかけに答えて教員を密告する――という話は、読んでいて背筋が冷たくなる。
ロシア政府が国民を監視するシステムが「西側」の企業によって構築され、「西側」から流れ込んだ巨額の資金によって維持されてきたという指摘も、痛烈である。

たしかにこのインタビューはロシアの抱える問題について語っているのだが、読みながら、これは自分も身近に知っていることではないか、と感じて身につまされる箇所がある。政治的な問題について、声をあげても変わらない、という経験が積み重なっていった結果として「教え込まれた無力さ」が生まれる、というあたりなど。

【SatK】

ロシアのウクライナ侵攻について――アダム・ミフニクの『ニューヨーカー』誌上インタビュー

ロシアのウクライナ侵攻について――アダム・ミフニクの『ニューヨーカー』誌上インタビュー
「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月22日  執筆:Mikołaj Chrzan
https://wyborcza.pl/7,75968,28365353,adam-michnik-dla-new-yorkera-o-rosyjskiej-inwazji-na-ukraine.html#S.tylko_na_wyborcza.pl-K.C-B.2-L.1.maly

「この7年間、内政においても外交においても、政府はポーランドをよくない方向に導いてきた。だが、ウクライナのことでは、いまの政府は良識をふまえた、まっとうな取り組みをしていると私は考えている」――「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹アダム・ミフニクは、アメリカのリベラルな週刊誌『ニューヨーカー』のインタビューでこう語った。

* * *

「記者にして歴史家、そして冷戦期に最も有名だった知識人のひとりであるミフニクは、東欧でソ連の支配に反対した声を象徴する存在であり続けている」――『ニューヨーカー』の記者アイザック・ショティナー(Isaak Chotiner)は、インタビューの前書きでこのように書いている。

「現在75歳のミフニクは、ポーランドのリベラルな日刊紙『ガゼタ・ヴィボルチャ』の編集主幹である。彼はまた、10年以上にわたって、ポピュリスト的な右派政党「法と正義」に対して激しい批判を加えてきた人物でもある。「法と正義」は現在、ポーランドの政権を動かしており、民主主義的な法治国家の原則に反する政策をめぐってEUと戦いを繰り広げている。しかし、目下ポーランドは、ロシアのウクライナ侵攻に対しては、他のヨーロッパ諸国と歩調を合わせている。中東とアフリカからの難民受け入れには断固として反対していたポーランド政府は、国連の発表によれば、ここ数週間のうちに200万人を越えるウクライナ人を受け入れた。」

ショティナーは同じ前書きで、ミフニクの次のような発言に言及している。
「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ。」
これは、ミフニクが、ソ連とロシアの攻撃的なふるまい(それは自国内の社会や反対勢力にも向けられてきた)の歴史的文脈のなかに、ウクライナ人のたたかいを位置づけた文章の一節である。

プーチンはアメリカが歯抜けの状態だと考えていた

対談は、ウクライナへの侵攻は西側と西側的価値にとってのテストだったのではないか、という問いから始まった。
「西側が、民主主義を守るためにこのように幅広く連携したことは、私にとってはうれしい驚きでした」とミフニクは答えた。「この先どうなるか見守る必要がありますが、いまのところEUは――もちろんハンガリーを除いてですが――、そしてNATOも、この試験でよい点数をとっています。(…)ウクライナは孤立してはいません。そして、これこそまさしくプーチンが達成しようとしていたことの反対なのです。彼は、EUは仲違いしており、アメリカは〔アフガニスタンの〕カブール撤退後は歯抜けの状態にあると考えていたのです。」

西側のこうした政策には常に強力な敵がいる、とも彼は指摘する。彼によれば、強力な敵とは、ヨーロッパでも、アメリカでも、ポピュリスト的な右派民族主義運動であり、また、アメリカ自体を人類最大の脅威とみなす極左的な運動もそうである。

対談の次のテーマは、ウクライナ侵攻をめぐるポーランドの政策の評価であった。
「私は、ポーランドの現政権に強く反対しており、これは例外的にひどい政権であると考えています。そのような者として、私はこの場では公平な証人ではありません。この7年間、内政においても外交においても、政府はポーランドをよくない方向に導いてきました。しかし、ことウクライナにかんしては、いまの政府は良識的で、まっとうな取り組みをしています。多くの点で、私には現政権を支持する用意があります。とりわけウクライナからの難民に門戸を開いている点については」と、ミフニクは述べた。

一方の難民を支援し、他方の難民を追い払う

しかしその後に続けて、彼は、その同じ政権が最近まで難民への憎悪のうえに自らのアイデンティティを築きあげてきたことを指摘した。〔昨年11月に〕ポーランドとベラルーシの国境で野蛮な対応がたて続けに生じたのであり、それをベラルーシのルカシェンコ政権だけでなく、ポーランド政府側も容認していたのである。

「女性や老人や子どもたちが、氷点下まで気温が下がった森や沼地に放置され、ベラルーシ側に追いやられているという通報がありました」と「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹は語る。しかし、ウクライナからの難民の場合には、状況が異なっていることを彼は指摘した。「政府は、ポーランド人がまっとうな態度で対応することを邪魔していません。そして、これが政府の主たる功績です。」

「法と正義」政権とロシアとのそれ以前の関係について問われたミフニクは、〔ヤロスワフ・〕カチンスキ〔「法と正義」総裁〕の一連の行動はポーランドの「プーチン化」の一形態であると言う。
「ふたりの間にはグロテスクな類似がありました。プーチンがロシアは立ち上がった、と言うと、カチンスキもポーランドは立ち上がった、と返すのです。プーチン、カチンスキ、オルバンの歴史政策〔その時々の政権が、教育機関やメディアをつうじて、歴史の解釈について特定の方向に国民を誘導するような政策を指す〕はいずれも、歴史はほんとうにあったものとは違うのだ、と人びとに言う点で同じです。つまり、彼らは、過去はもっぱら崇高なものだったと言うのです。たとえば、ロシアは誰にも何も悪いことはしておらず、いつも犠牲者だったのだ、と言うわけです。そして、もしロシア軍がいつかどこかに侵攻したことがかつてあったとしても、それは攻撃したのではなく、兄弟を解放し支援するためだったのだ、と言うのです。」

ミフニクは、EUに対する「法と正義」の政策も批判した。
「ポーランドにおける統治の形態はきわめてかたくなで馬鹿げたものです。この政権は、なんらかの過ちを犯しても誠実に認める能力をもっていないのではないか、と私は心配しています。現政権の外交政策は、反EU的な勢力――マリーヌ・ルペン、オルバン、サルヴィーニといったプーチンによって支援されてきた人びと――との同盟によって支えられてきたのですが、その全体が失敗であったことがはっきりしたわけです。EUはでっちあげの共同体だとか、われわれは「ブリュッセルに占領されている」、といった類のナンセンスな語りは、まったく愚の骨頂です。」

啓蒙されたポーランドとその敵たちの永遠のたたかい

ショティナーは、しばしばヨーロッパ外の他の諸国からの難民に比べて、ウクライナからの難民に対して政府がより好意的に対応しているのは、ポーランド社会自体の態度の表れなのではないか、と問うた。

「おそらく世界中で、ポピュリスト的、外国人排斥主義的、民族主義的、反民主主義的な見解を表明する人びとがひとりも見当たらないという国民は存在しないでしょう。アメリカの大統領選後に合衆国議会議事堂に押しかける群衆を私たちが目にしたのは、そんなに昔のことではありません。その種の人びとはアメリカにもいるし、ポーランドにもいるということです」と、ミフニクは説明した。

ミフニクは、啓蒙された寛容なポーランドとその敵対者たちとのあいだで、何世紀にもわたってたたかいが続けられてきたことを強調する。
「ポーランドの初代大統領ガブリエル・ナルトヴィチ〔1865~1922〕は、民族主義的な狂信者によって暗殺されました。それは、民族的少数者を代表する議員たちの支持があって選ばれた大領領に向けられた憎悪からの襲撃でした。彼は「ユダヤ人の大統領」と呼ばれていたのです。ナルトヴィチの暗殺以降、私たちは、いろいろな場面で、さまざまなかたちをとった、これと同じような対立を数多く目撃してきました。」

対談は、ソ連の没落の評価にも及んだ。
「ソ連が崩壊したときにシャンパンを開けた人びとの集団のなかに、私もいました。それは20世紀最大の地政学的な破局だったとプーチンが語るのを聞いていると、彼は閉じたバブルのなかで暮らしているのか、防空壕に閉じこもって、あなた様は天才でございますと恥知らずに吹き込む側近、平伏する者、賛意を示す者としか話をしていないのではないか、と思います。そうやっているうちに、彼はロシアを破局へと導くことになるでしょう。」

ロシアの思想、ロシアの文化、ロシアの市民的感覚の一大覚醒期としてのペレストロイカについて、彼は次のように語る。
「当時起こったこと、表明され語られたことは、けっして消し去られることはありません。それらは人びとの意識のなかに残っています。デカブリストや、ゲルツェンの理念や、偉大なロシア文学――トルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、ゴーゴリ、チェーホフがそうであるように。あるいは、1968年にチェコスロヴァキアへの軍事介入に抗議するためにモスクワの赤の広場に赴いた8人についての記憶がそうであるように。彼らは、別のロシアが存在すること、ロシアはブレジネフやプーチンのようであることを運命づけられてはいないこと、自由で勇敢で考え深く民主主義的な人びとのロシアが可能であることを示したのです。」

歴史が必然的なものであるとは信じない、と彼は強調する。
「ロシアにとって暗い時代がいま訪れていますが、同時にこれは未来の種を撒く時でもあります。私はロシアの未来を信じています。いかなる国民も敗北を宿命づけられてはいませんし、隷属のなかで生きることを定められてもいません。」

プーチンとの会見で「ギャングが座っているのかと思った」

『ニューヨーカー』の記者は、「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹に、プーチンとの会見についても訊ねた(ミフニクはプーチンと数度にわたって直接会っている)。
「プーチンと会話したとき、スターリンはイワン雷帝とピョートル大帝のどちらにより近いと思うか、と聞いてみました。彼は、スターリンはチンギス・ハンにより近いと思う、と答えました。プーチンは誰に似ていると思うか、というあなたのおたずねには、計算能力を失ったギャングのようだと、とお答えしておきましょう。」

ミフニクによれば、ロシアの大統領は、最初に会ったときには、合理的で実際的な政治家としての印象を与える存在だった。しかし、2度目に会ったときには、すでにまったく違っていた。
「われわれには1問しか質問が許されませんでした。そこで私はミハイル・ホドルコフスキー〔ロシアの元実業家、石油会社ユコス社の元社長。新興財閥(オリガルヒ)のひとり。現在はロンドンで事実上の亡命生活を送っている〕について訊ねました。プーチンは顔を赤カブのように紅潮させて激昂しました。そのとき私は、自分の前に座っているのはギャングだ、しかしこのギャングは計算ができない、と思いました。いま私は、プーチンが計算する力を失っており、そのためにロシアを破局へと導いていると考えています。」

最後にアダム・ミフニクは、『ニューヨーカー』にはとても愛着がある、と付言した。
「獄中にいたとき、今は亡き私の親友ジョナサン・シェルが『ニューヨーカー』に私についての記事を書いてくれたのです。それは、それまで私が自分について読んだなかでは最高の文章でした。」

アダム・ミフニクAdam Michnikは、1946年生まれのポーランドのジャーナリスト、「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集主幹。
高校生の頃から知識人たちの批判的な討論グループに参加し、ワルシャワ大学歴史学部在籍中には2度にわたって停学処分となった(1度目はヤツェク・クーロンとカロル・モゼレフスキによるポーランド統一労働者党への公開状を仲間の学生たちに配布したため。2度目は哲学者レシェク・コワコフスキとの討論会を企画したため)。
1968年3月、国民劇場でミツキェヴィチ『父祖の祭り』の上演が検閲によって中止になったことに抗議する活動にかかわったため逮捕され、退学処分をうけた。釈放後は学業を禁止され、電機工場で2年間働いた。70年に学業復帰を認められ、ポズナン大学歴史学部を卒業。77年から労働者擁護委員会(KOR)の活動にかかわり、独立系の科学講座協会(TKN いわゆる「飛ぶ大学」の後継組織)の講師を務めた。1980~81年には独立自主管理労組「連帯」の指導的メンバーの1人として活動した。
1981年12月の戒厳令布告後に逮捕され、84年に釈放された。翌85年にも逮捕され、17か月間を獄中で過ごした。
1989年には「円卓会議」に参加し、反体制側から体制転換の道筋を引く役割をはたした。会議後に創刊された「ガゼタ・ヴィボルチャ」は、体制転換後の主要な日刊紙の1つとなった。ミフニクはこの新聞の創刊時に編集主幹となり、現在までその地位にある。「ガゼタ」紙上にしばしば論説を執筆するほか、著書・対談など数十点の著書が刊行されている。日本語訳としては、『民主主義の天使―ポーランド・自由の苦き味』(川原彰・水谷驍・武井摩利訳、同文舘出版、1995年)。

『ニューヨーカー』の記者ショティナーがインタビューの前書きで言及したミフニクの発言「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ」を含む文章は、ロシアのウクライナ侵攻が始まった日に「ガゼタ」紙上に発表された。本タイムラインに翻訳が掲載がされている。
「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集主幹アダム・ミフニクの論説
投稿日: 2022年2月24日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220224/

『ニューヨーカー』のインタビューで、ミフニクは、中東からの難民を拒絶し、ウクライナからの難民は受け入れるダブル・スタンダードを厳しく指摘しているようである。
「ガゼタ」に「難民の2つのカテゴリー」について批判的な視点からのルポルタージュが掲載されたのは、編集主幹にこのような視点が最初からあったためであろう。
「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」
投稿日: 2022年3月17日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220317_1/

ミフニクが、ポーランドの現政権の「プーチン化」を指摘している点も、重要である。これは、「ロシアの政治的展開を問う唯一の正当な方法は、己を知る、つまりプーチン体制の中の西側的部分を知ることだ」という認識(*)とも重なる視点である。プーチンのロシアを悪の権化と見なすあまりに、ウクライナを挟んで対峙しているロシアと欧米諸国(さらには日本)に共通する危険な徴候を見逃すべきではない。
*藤原辰史: 「ファシズムとロシア」書評 プーチン体制の本丸を見誤るな 『朝日新聞』2022年4月16日 https://book.asahi.com/article/14599419

「自由と平和のための京大有志の会」のHP上での、ロシアのウクライナ侵攻をめぐる一連の発信の出発点は、ウクライナに連帯するポーランドの知識人・文化人のアピール(「ガゼタ」2月19日付)の翻訳・紹介である。その中心にいたジャーナリストの現時点での見解を紹介する意味で、今回、本記事の全文を翻訳することにした。

(参考)ポーランドの知識人・文化人による「ウクライナとの連帯とロシアの侵攻阻止を求めるアピール」に寄せて
2022.02.23
https://www.kyotounivfreedom.com/solidarnosc_z_ukraina/apel/

【SatK】

歴史家ノーマン・デイヴィス「プーチンはスターリンの亡霊だ。ちっぽけな、ほぼ負けが決まった人間だが、絶望していて、だから危険だ」

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月16日 インタビューアー:Maciej Stasiński
https://wyborcza.pl/7,75399,28342602,putin-to-cien-stalina-to-maly-niemal-przegrany-czlowiek-ale.html

「ウクライナは国民として団結し、かつてないほどに自らのアイデンティティを強化している。20世紀にウクライナは19世紀のポーランドのような位置にあったが、いまや1920年のポーランドのようだ。火の試練をくぐり抜けようとしている新興国家だ」――「ガゼタ・ヴィボルチャ」のためのインタビューで歴史家ノーマン・デイヴィス(※1)が語った。

* * *

マチェイ・スタシンスキ:この戦争が始まったとき、私たちは対話をしました(※2)。戦争が勃発した2月24日から、何が変わりましたか?

ノーマン・デイヴィス:戦争はロシアにとって破滅的に展開しています。ロシアは、2、3日あればキーウで勝利の行進ができると考えて侵攻したのです。ウクライナ人が戦車をつかまえてみると、私が読んだところでは、乗組員は祝典用の制服を着ていたということですから。

ところが、ロシア軍はキーウの近郊で撃破され、現在、東部に兵力を集中しようとしています。彼らは大都市を1つも占領することができず、軍隊の質は粗悪で、戦いかたは下手くそで、装備は貧弱で、指揮もよくありません。ロシアは闘志もなく、苦労しながら、想像力も働かせずに戦っています。

ウクライナ全土の占領は、最初から見込みのないものでした。しかし、現状では、ロシアはすでに手にしているものを守るしかなくなっています。守りきれるかどうかはまったくわかりませんし、おそらく続く第2局面はロシアの敗北で終わるのではないでしょうか。

ウクライナ人はよく守っています。戦争では、守る方がふつうは優勢です。勝つためには、攻撃する側は3対1の比率で優勢でなければなりません。

ロシア軍はオデーサを占領することに成功しませんでした。そして、ウクライナ軍はロシア軍の最大の戦艦を破壊したところです[ロシア海軍の巡洋艦「モスクワ」沈没のことを言っている――編集部注]。

スタシンスキ:それは、もしロシアが勝利しなければ撤退する、ということですか? 撤退しないのではないかと私は恐れているのですが。長い袋小路が私たちを待ちうけているのではないかと。

デイヴィス:ロシアは弱いことがはっきりしました。私たちは、ロシアに対する恐怖のなかで育ちました。スターリンと西方への拡大に対する恐怖です。しかし、プーチンはスターリンではありません。プーチンはスターリンの亡霊です。ちっぽけな、ほぼ負けが決まった人間です。膨れあがる絶望にとらわれて振る舞う出来の悪いリーダーです。もう8年間もウクライナと戦ってたいした成果もない。彼はこの戦争で意表をつくような作戦はなにもやっていません。戦争の行方は指揮官の敵の意表をつく能力に左右されるということは、たとえばナポレオンの例からもわかりますね。

スタシンスキ:彼はウクライナが立ち上がれないように叩き潰すことを望んでいるのではないでしょうか?

デイヴィス:そのチャンスもないし手段もありません。ウクライナはドイツの2倍の面積をもっています。プーチンは100万もの人びとを殺したり、いくつかの都市を破壊したり、多くの損害を与えたりできるでしょうが、この国を征服したり、占領したり、全土を瓦礫の山にしたりする力はありません。

あるいはクレムリンでは最後のカードを切って、勝利の欠如を反転させるつもりかもしれない。彼らは5月9日に勝利のパレードを準備しています。いつものように「バンザイ、バンザイ、バンザイ!!!」とやりたいのでしょう。でもそれが不毛な祝典にならないかどうか、見とどけましょう。

ただ、プーチンは弱いとはいえ、絶望しています。核兵器をもつ絶望した弱い男というのはたしかに恐ろしい。

戦争の結果、ウクライナは国民として団結し、かつてないほどに自らのアイデンティティを強化しています。20世紀にウクライナは19世紀のポーランドのような位置にあったが、いまや1920年のポーランドのようです(※3)。火の試練をくぐり抜けようとしている新興国家です。しかも西側がウクライナの背後で一枚岩になっている。かつてのポーランドよりもよい立場にいるのです。一方、プーチンはショックを受けている。彼は、ウクライナ人がロシアのなかで生きていきたいと思っていないことにたぶん気がついている。

スタシンスキ:西側はさらにウクライナをどのように支援することができるでしょう?

デイヴィス:すでに行なわれている支援は大きなものです。アメリカの諜報機関のおかげで、ウクライナの軍司令部は軍事的な状況がよくわかっています。しかし、支援はさらに大きなものに、はるかに、はるかに大きなものでありうるでしょう。たとえば、まさしくイギリス首相ボリス・ジョンソンが約束したように、対艦ミサイル砲を提供するとか、対空砲とそれを支えるシステムを供与することです。

航空機についてはむずかしそうですが、多くの国が、戦車や装甲車からドローンやあらゆる種類の対戦車兵器にいたるまで、相当数の武器を提供すると約束しました。

現在、戦争の第2局面に入って、ウクライナは装備の修理のための設備、兵站、サイバー空間上の支援、新たな戦闘員の訓練などを必要としています。NATOはこれらすべてを提供することができます。

スタシンスキ:この戦争の結果として、ヨーロッパの一体性は強化されるでしょうか?

デイヴィス:そう思います。ヨーロッパは強化され一体となっています。ウクライナへの共感の波は巨大です。しかし、すみずみまで、というわけではありません。マリーヌ・ルペンは問題です。彼女は、戦争前からのプログラムに沿って、いまでも行動しています。彼女にとって、ロシアは潜在的によき同盟相手です。有権者に好かれようとして、自分が考えていること、父親がかつて彼女に教え込んだことをあまりにしばしば口にしています。彼女は〔フランス大統領選に〕敗れるでしょう。しかし、もし彼女が勝てば、西側は弱体化するでしょう。

スタシンスキ:ヨーロッパ連合は、ポーランドにおける法の支配とリベラルな民主主義の破壊に対処できるでしょうか? この戦争で、ポーランド政府はEUへの支払い額の軽減や免除を取り引きしようとしていますが(※3)。

デイヴィス:それはポーランドの統治者側が望んでいるのでしょうが、たいへん危険な賭けです。法の支配の問題でポーランドに対するEUの姿勢が変化するとは、私には思えません。この政府がこれまでやってきたこと、現在やっていることを、EUが忘れることはむずかしいでしょう。問題を先送りするくらいがせいぜいだと思います。これは余りに原則的な問題ですから。

ワルシャワの政府の行動は、しばしばあからさまな嘘にもとづいています。たとえば、スモレンスクについての嘘がそうです(※4)。そして、もしポーランド政府がこの嘘にしがみつくならば、ポーランドにとってよくない結果しかありえません。カチンスキがモラヴィエツキ首相といっしょにキーウに行ったのは、ゼレンシキー大統領に、あなたもクレムリンの犠牲者だ、プーチンはスモレンスクで飛行機を墜落させたのだから、と信じさせるためだったんではないか、とさえ思ってしまいます。抜け目のないやり方かもしれませんが、そんなことをしても、その先にいかなる出口もありません。

付言しておけば、国民としてのポーランド人は、ウクライナにまったく新しい態度で接しています。これはほんとうに、かつてないことです!

スタシンスキ:この戦争がどのように終わるかにかかわらず、ロシアは中国の庇護下に入ることにならないでしょうか?

デイヴィス:すでにそうなっています。まさしく物乞いです。問題は、中国がこのような弱いパートナーを欲しているか、ということです。中国はロシアの10倍は強力です。ロシアが持っていないすべてのものを持っています。これに対してロシアには広大な領域があり、人口の希薄なシベリアがあります。そこには中国が必要とする資源があります。中国はそれらの資源を購入したいか、あるいは、力づくで奪いたいと思っているでしょう。加えて、中国には、極東は歴史的に勢力範囲であるという意識があります。

中国は、いまでもロシアを止めることができるでしょう。しかし、彼らは待っているのです。プーチンは彼らに、2日間あればキーウで戦勝パレードをしてみせると約束したに違いありません。それは失敗しました。中国は彼に第2のチャンスを与えているのです。

中国には時間があります。彼らにとって最も重要なのは、アメリカに打撃を与えることです。プーチンが失望させたときに彼らがどうするか、見とどけましょう。

1 ノーマン・デイヴィスは、1939年生まれのイギリス(ウェールズ出身)の歴史家。専門のポーランド史・東中欧史にかんする著書のほか、イギリス史やヨーロッパ史全般にかかわる本を多数執筆している。日本語訳されているものとしては、『アイルズ――西の島の物語』(別宮貞徳訳)共同通信社、2006年;『ヨーロッパ』Ⅰ~Ⅳ(別宮貞徳訳)共同通信社、2000年;『ワルシャワ蜂起』上・下(染谷徹訳)白水社、2012年。

2 「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年2月26日付「ノーマン・デイヴィス教授「プーチンがウクライナを吞み込めるかどうかは疑問だ。あまりに大きな塊りにかぶりついている」
インタビューアーは、この記事と同じマチェイ・スタシンスキ。本タイムラインでは未訳。
https://wyborcza.pl/7,75399,28157331,prof-norman-davies-watpie-czy-putin-przelknie-ukraine-chapnal.html

3 ポーランド・ソヴィエト戦争(1919~21年)中のポーランドを念頭においた発言。この戦争は、パリ講和会議(1919年)で定められた東部国境を不服とするポーランドとボリシェヴィキ政府のあいだで、ウクライナ、ベラルーシ西部、ポーランド東部を舞台として戦われた。1920年、ポーランド軍は、ウクライナ民族運動の指導者シモン・ペトリューラの軍団と連携してウクライナに進軍し、キーウを一時占領したが、ソ連軍に反撃されて撤退した。その後、ソ連軍は西進してポーランドの首都ワルシャワに迫ったが、ポーランド軍がくい止め、ソ連軍は撤退した(「ヴィスワ川の奇跡」と呼ばれる)。翌21年に結ばれた講和条約(リガ条約)によってポーランドとソヴィエトの国境が確定し、リヴィウを含む西ウクライナはポーランド領となった。

4 EUの最高裁判所に当たる欧州司法裁判所は2月16日、加盟国が「法の支配」の原則を順守しない場合、資金の支払いを停止できるとの規定は合法との判決を下した。具体的に問題となっている加盟国は、ポーランドとハンガリーの2国である。
ポーランドでは、2015年から政権についている政党「法と正義」が推進する司法改革によって、立法権・執行権(政治部門)が司法権に大幅に優越する方向に制度が改変されてきた。これに対してEUは、ポーランドの司法改革が裁判官の独立を損ねていることを問題視してきた。
EU首脳は2020年12月、新型コロナウイルス対策の復興基金を含む計1兆8240億ユーロの予算案パッケージを承認。同案には法の支配順守をEU補助金分配の条件とする条項が明記され、ポーランドとハンガリーが無効化を求め提訴していた。また、昨年10月には、ポーランド憲法裁判所が、国内法よりEU法が優先される原則を否定する判断を下し、EUは強く抗議していた。

(参考)
小森田秋夫「ポーランドにおける「法の支配」の危機と欧州連合」『日本EU学会年報』第39号(2019年)、44~75頁
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eusj/2019/39/2019_44/_pdf/-char/ja
「欧州司法裁判所、資金停止は「合法」認定 東欧2カ国の法の支配巡り」『毎日新聞』2022年2月17日
https://mainichi.jp/articles/20220216/k00/00m/030/360000c

4 2010年4月10日、「カティンの森事件70周年追悼式典」に出席するポーランドの大統領レフ・カチンスキを含むポーランド政府要人を乗せたポーランド空軍の飛行機が、ロシアのスモレンスク近郊で墜落した。カチンスキ大統領夫妻を含めて、乗員乗客96人が全員死亡した。
この事故の原因をめぐって、「法と正義」所属の議員が調査団を立ち上げ、機上での爆発やロシア側による着陸妨害など、ポーランド政府の公式発表とは異なる調査結果を発表している(政府の発表は、「法と正義」と対立する「市民プラットフォーム」のトゥスク首相のもとで行なわれた調査にもとづいている)。デイヴィスのいう「スモレンスクについての嘘」とは、「法と正義」調査団の主張を指している。
現在の「法と正義」の党首ヤロスワフ・カチンスキは、スモレンスクの事故で死去したレフ・カチンスキの双子の兄である。3月15日、東欧3か国の首相とヤロスワフ・カチンスキはキーウを訪問し、ゼレンシキー大統領と会談した。

(参考)EU使節団がゼレンシキー大統領と会談するために列車でキーウに向かっている。
投稿日: 2022年3月15日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220315_5/

【SatK】

ロシアの作家グルホフスキーへのインタビュー

「クレムリンの面々には家族、愛人、子ども、そして愛人の子どもがいる。だから彼らは「彼」がボタンを押すことは許さないだろう」――ロシアの作家グルホフスキーへのインタビュー
「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年3月26日付

カタジナ・ヴェンジク: 「ずばり言えば、征服することが問題なのだ。もっと大きくなること、ロシアにとってはそれ以外に重要なことはなにもない」と、あなたは最新の本『前哨地』Outpost で書かれました。なるべく簡潔にウクライナ侵攻の理由を述べるとこうなる、ということですか?

ドミトリー・グルホフスキー: ウクライナへの攻撃は、独裁政治が自ずと行き着くところを見事に表しています。権力の場にいる人間たちが入れ替わらない、社会からのフィードバックから切り離されている、情報にプロパガンダがとって代わる、こういう状態が生まれてしばらく経つと、権力は自分でついた嘘を自分で信じるようになるのです。すべては実利的な目的で考え出されたことだということを忘れて、このトラウマのようなイデオロギーの繭に自分で閉じこもってしまうのです。

そのさまざまな効果を、私たちはロシアで目にしているわけです。私たちの指導者は、最初は新しい時代のヨーロッパのリーダーになりたかったのですが、最後は全世界を核戦争で脅かす独裁者となってしまいました。彼は自分で作ったイデオロギー的な構築物を信じてきました。そして今では真実に手が届かない場所にいる。あるいは、真実を受け入れることを拒んでいるのです。プーチンは、包囲された要塞を自分が守っているという考えにとりつかれている。全世界を敵にした十字軍を戦っているのです。そのことに彼はまったく恐れを感じておらず、それどころか、高揚感に酔いしれているのです。

ヴェンジク: それで西側の全世界との戦争に乗り出したと?

グルホフスキー: 国家の安全に対する現実の脅威は存在しませんでした。経済的な動機も同じく存在しなかった。あったのは個人的な動機です。

第1に、ウクライナはプーチンにとって不都合な存在でした。民主主義が――たとえそれが腐敗して混乱したものであっても――ロシアときわめてよく似た社会でも可能であることを証明している、という意味においてです。ウクライナが存在している、しかもこんなに近くにある、ということ自体が、プーチンのプロジェクトの信用をおとしめるものでした。上下の秩序をもった国家の厳格な統制のもとにすべてがおかれるようなロシアを建設する、というのがプーチンのプロジェクトです。

第2に、プーチンは、歴史のなかに自分の場所を据えることに強迫的にこだわっています。70歳になって――いろいろ病気を抱えているとも言われています――彼は、スラヴ諸国を征服し統一した偉大な指導者として歴史の教科書に書き込まれることを望んだのです。これが彼の主たる動機でした――歪んだロシア史のヴァージョンをほとんど宗教的に信じているのです。

ヴェンジク: それが効果をあげていますね。ロシア人の圧倒的多数がクリミアの併合に喝采しました。ロシア人の3分の2がウクライナにおける「特別作戦」を支持しました。

グルホフスキー: 8年前には〔クリミアの併合は〕すばやく、血を流さずに成し遂げられました。だから国民は熱狂したのです。社会の多数が信じていることを人びとは語るものですし、それを信じることもあるでしょう。しかし、〔今年の〕2月以前には、つまり、わが国の基準に照らしてさえ前代未聞の見苦しいプロパガンダの波が押し寄せる以前には、戦争に賛成していたのはせいぜい10%ほどの急進的な人たちに過ぎませんでした。

プーチンは、自分の身内にさえ秘密で、攻撃の準備をしました。大統領がいちばんの側近の面々に戦争が始まると告げたときの安全保障会議の映像を見てください。彼らの全員が恐怖にとらわれているのがわかります。なぜならば、血を流すことへの責任をプーチンが彼らにも負わせようとしていることを理解したからです。私たちは知らなかった、と彼らはもはや言えません。

その後、プーチンは同じことをロシア連邦の国会でやりました。侵攻は国民の代表によって支持されているという印象を作りだすためです。最後に、第3ラウンドで、彼は全国民にも責任を負わせました。国民に、支持を表明するように、少なくとも支持しているように見えるように強制しました。あのZの文字や旗は行政側で用意したものです。

ヴェンジク: もし彼が歴史の教科書に偉大な指導者として書き込まれることに成功しなくても、へロストラテス*として、つまり、赤いボタン〔=核兵器の発射装置のボタン〕を押した人物として名前が残ることにはなりませんか?

 *古代ギリシアの人物で、エフェソスのアルテミス神殿に放火したことで知られる。美しい建造物を破壊することによって自分の名前を世界中に広めたいという動機からだったと伝えられる。

グルホフスキー: クレムリンの面々には家族、愛人、子ども、そして愛人の子どもがいます。だから彼らはそういうことは許さないだろうと思います。

加えて、核戦争の問題は、全員が全員と戦うということで、そこには勝者がいません。そうなると、プーチンが歴史のなかでどういう役割を演じたのか、誰も知ることができなくなります。

ヴェンジク: つまり、彼の虚栄がわれわれのチャンスだと?

グルホフスキー: 彼の取り巻きや軍隊がどれくらい合理的なのか、私にはわかりません。兵士たちは、自分たちが戦っている相手がナチス主義者ではなくて、ウクライナ国民なのだ、ということを知っているでしょうか。というのも、家にいるときのロシア人は、もっぱらプロパガンダをあてがわれていて、それ以外のすべてをブロックされているのです。フェイスブックもインスタグラムもツイッターも使えず、ガスプロム系列の「モスクワのこだま」〔モスクワに拠点をおくラジオ局〕でさえ沈黙しているのです。

ヴェンジク: しかし同時に、ブロックを安全に回避することができるVPN接続の人気が劇的に高まっています。

グルホフスキー: そうですね。しかし、どういう人たちのあいだで使われているかが問題です。若い人たちはVPNを設定して、ツイッターやインスタグラムを使い続けています。しかし、大多数の人たち、とりわけ年齢の高い人たちは、公式の情報源以外にアクセスを持っていません。

しかし、最悪なのはまた別のことです。ソ連時代のモデルに深く根差したプロパガンダが、ナチズムと闘った偉大な国民についての魅力的な語りを作り上げている、ということなのです。

ヴェンジク: 侵攻の理由については、すでに何度か変更が加えられてきました。

グルホフスキー: そのとおりです。侵攻前には、プーチンは、ウクライナとはなによりもレーニンの歴史的誤りの産物だ*、と言っていました。諸君は脱共産化を望んでいるのか、よろしい、諸君に〔レーニンの誤りを正すことによって〕脱共産化を提供しよう、というわけです。

*ソ連邦が成立したとき、ウクライナがロシア連邦、ベラルーシなどと並んで、多民族的な連邦国家を構成する社会主義共和国の1つとされたことを指す。

ロシア軍は2月24日に侵入しました――そしてそれは電撃戦ではありませんでした。TVで言っていたのは、こうです。そのとおり、わが国はウクライナに侵攻した、それはウクライナが最初にわれわれを攻撃しようとしていたからだ、と。わが国は、計画されていた攻撃の6時間前に侵入したのです。

ロシア軍とベラルーシ軍は1週間も前から国境に集結していたのです。そんな時にどうしてウクライナ人が攻撃をしかける理由があるでしょうか。彼らはそこまで愚かではないはずでしょう? そこで、次のプロパガンダです。じつは、彼らは、ザポリージャ原発で原子爆弾を作っていたのだ、というのです。

たとえそうだとしても、爆弾ができるまでまだ何十年もかかるのではないか。そこでプロパガンダはこう答えます。なるほど、でも彼らは生物兵器を作っていたのだ、渡り鳥が運んでロシア人だけを殺害するような病原菌を作ろうとしていたのだ、と。

この段階で、あなたはこう考えるでしょう、こんちくしょう、なんて奴らなんだ。それで身内の年寄りとおしゃべりして、こんなやりとりをする。「ところで原子爆弾のこと知ってるか?」「くそったれだ」「じゃ生物兵器はどうだ?」 プロパガンダはこんなふうに話題を投げ込んでくるのです。感情をかき立て、受け手の批判的に分析する力をブロックするのです。

そしてこの効果は、ロシア人が抱えるもうひとつの問題によって強められるのです。つまり、私たちはたいへん不幸な国民であるという問題です。人びとの多くが貧困と無力のなかで暮らしています。彼らはいかなる権利ももたず、そのために苛立っています――ただし西側に対してではありません。実際のところ、オバマやバイデンがけしからんことをしているわけではないからです。自分たちが貧しいのは誰の責任なのか、彼らは知っています。しかし、そのような意識を彼らは自分のなかでおし殺しています。なぜならば、彼らは警察国家のなかで生きているからです。ただ、怒りはいつもあなたのなかでくすぶっている。そこであなたがTVを見ると、それがサイコセラピーのように作用するのです。

ヴェンジク: サイコセラピー?

グルホフスキー: TVはあなたにこう語りかけます。あなたが怒っていることをわれわれは知っています。あなたが合法的に憎むことができる相手がここにいますよ。ウクライナ人です。彼らは下等な人間ですから。西側も憎んでよろしい――西側はわれわれを潰そうとしている。彼らは根本的に悪であり、加えて金持ちで不誠実な連中なのだから、と。

ヴェンジク: つまり、われわれは多くを持ってはいないが、少なくとも誇りと、いにしえの栄光の記憶を持っている、ということですか?

グルホフスキー: ふつうの人間はだれでも誇りをもち、自分自身を尊重したいものです。しかしロシア人はそれを拒まれてきた。現体制は意識的に人びとから尊厳を奪いとってきたのです。なぜならば、もしあなたが尊厳をもっていると、あなたは使用人でなくなり、市民となり、国家から多くを要求することになるからです。そこで、あなたには怒りを残し、自分自身が尊重される必要は満たされないままにして、民族としてのレベルで自尊心が満たされるようにしているのです。あなたはこう考える。おまえたちはおれの国を尊敬するよな、おれの国を怖がっているよな。これがセラピーです。とても従属的なものですが。

人びとは魔法をかけられているので、彼らを非難することはできません。彼らを治療しなければならないのです。

ヴェンジク: しばらく前にあなたは、第2のスターリニズムがロシアを待ちうけている、と予見しました。おとなしく従うのでは十分ではなくて、権力に拍手することが必要とされる国家ですね。プーチンは以前からこのような計画をもっていたのでしょうか? それとも、ウクライナの電撃戦がうまくいかなかったので、ネジを締めることを余儀なくされたのでしょうか?

グルホフスキー: いまから振り返ると、準備は数年前から続いていたことがわかります。軍隊の近代化。外貨準備の西側から中国への移転――そのおかげで経済制裁を受けてもロシアの準備金の半分しか影響を受けず、残りはすでに金や大麻になっています。反体制派を反戦運動へとまとめあげる力をもった人物であるナワリヌイを殺害しようとしたこと――これはうまくいかず、あとで彼を拘束して獄中に送りました。ロシアが特別軍事作戦――戦争ではなく――を行なう場合、犠牲者の人数を機密にすることを認める法律を制定したこと。軍隊といっしょに移動する火葬装置を用意したこと。西側に対して、すでに12月の時点で、安全の保障を求めたこと――これはNATO軍を東欧から撤収させることを意味しうるものでした。そして、これが拒否されると、そのことを戦争の口実として使いました。こうしてみると、1つの計画が段階を追ってどのように実現されたかが見えるようです。

誰もが、プーチンは戦略家ではなく戦術家に過ぎない、と言ってきました。しかし、彼はこの数年間かけて、社会生活にも政治生活にも関与せず、経済についてさえ口を挟まず、この計画を準備してきたのです。

ヴェンジク: 彼の計画の実現に、経済制裁はどのように影響したのでしょうか? ロシアの人びとは、きわめて疑わしい栄光と引き換えに、生活水準が低下することを受け入れているのでしょうか?

グルホフスキー: じつは、経済制裁がいちばん打撃を与えている人たちは西欧化した中間階級で、彼らは旅行もたくさんして、最も開かれた階級です。その彼らがいま、こう問いかけているのです。西側は何のために自分たちを罰しているのか、結局のところ自分たちはプーチンを支持していなかったし、ときには、殴られたり逮捕されたりすることがわかったうえで、彼に反対して抗議してきたのに、と。

国外に移住した人たちも同じです。彼らはロシアの国内に自分たちにとっての未来を見いだすことができませんでした。多くの人たちが私と同じ問題を抱えています。国内では私たちは裏切り者とみなされ、ヨーロッパは私たちに対して集団的な責任を負わせている――所持するパスポートのせいで私たちは疑いの目で見られるのです。

長いあいだプーチンの乱暴を許してきた西側が、EUとNATOの東の境界で行なわれる戦争は無視することができず、経済制裁を発動しました。そのこと自体は私は理解しています。私が望んでいるのは、少し塵を払ったら、すべてのロシア人があのような人びとであるわけではないということをヨーロッパに理解してほしい、ということだけです。

ヴェンジク: つまり、街の人たちが、平和とiPhoneを求めて通りに出て声をあげることはない、ということですか?

グルホフスキー: 鉄のカーテンで西側と隔てられてしまうことを恐れた人たちは、移住してしまいました。数十万人の人びとがすでに、ジョージア、アルメニア、トルコ、アラブ首長国連邦など、まだ行けるところに出ていきました。しばしば何も持たずに、です。彼らのクレジットカードは停止されていますし、外貨の持ち出しは現金で10,000ドルまでしかできません。もちろん、彼らに同情するわけにはいきません。300万人を越えるウクライナ人が、住む家を破壊されて国外に逃れているのですから。ただ、ロシアではそういう状況になっているということです。若くて、教育を受けていて、意識的な人たち――国外で新しい生活を始めることができると考えているすべての人たち――が出国している。ですから、街頭に出て声を挙げることはありません。通信の機能を使えるように求める反乱がプーチンを倒すことはない、ということです。

ヴェンジク: では、砂糖を求める人たちはどうです?

グルホフスキー: 私たちは、すでに長いあいだ忘れていたソ連時代のような物の不足を体験しています。一部の商品、とくに食料品は大幅に値上がりしました。同時に国家はネジを締めていて、反対派のリーダーを迫害することから大衆的な抑圧へと移行しています。

それにもかかわらず、モスクワでもペテルブルクでも、数千の人びとが反戦プロテストに参加しました。しかし、数百万の人びとが街頭に出る、ということは、1991年以後はロシアでは起こっていません。あの時は、私たちは5年間にわたってグラスノシチ〔=情報公開〕を体験したあとでした。その間は権力を批判することができたし、人びとの恐怖感も小さくなっていたのです。しかし、そのときでさえ、人びとは自由がないことに反対したのではなく、貧弱な生活条件に対して抗議したのでした。

ヴェンジク: マリーナ・オフシャンニコワ*は、戦争とプロパガンダの嘘に反対して公然と抗議しました。

*ロシア第1チャンネルのテレビプロデューサー。3月14日夜のニュース番組で、ウクライナ侵攻に対する反対を訴えるプラカードを掲げて画面に登場し、その映像が世界的に報道された。

グルホフスキー: 勇気ある行動でした。でも、それは、嘘を流し続けた8年間に対する2秒間の抗議だったのです。そしてTV局の全職員が、今後は注意深く監視されることになるでしょう。

ロシアでは毎日、自分の勇気を試す必要があるのです。SNSにこの投稿を書くべきか、書かざるべきか。今日、ロシアの人びとは、テレグラムでは、政治や生涯の計画について会話しません。彼らは、シグナル(Signal)というアプリを使っています。こちらのほうが暗号化がより高度だからです。これはパラノイアでしょうか? 私にはわかりません。しかし、出国したい人たちは、とりわけ反体制運動と何らかのつながりがある場合は、空港で何時間も連邦保安局によって取り調べを受けるのです。どこに行くのか。いつ戻るのか。持っている通信機器を出して見せろ! といった具合です。

どこの国でも、主として順応主義的な人びとから成り立っているものです。とにかく平穏に暮らしたい、政治には関わりたくない、と思っている人たちです。もし国家が彼らの忠誠をヒステリックに要求すれば、彼らは忠誠をたてているふりをするでしょう。竜に立ち向かうためには、騎士にならねばなりません。英雄にならねばなりません。しかし、英雄はどれくらいいるものでしょうか? 私たちには1人の英雄がいましたが、彼はいま懲役刑で収監されています*。

*この箇所は比喩的な表現になっているが、「竜」はプーチン、「1人の英雄」は反体制活動家のアレクセイ・ナワリヌイを指すと思われる。
ヴェンジク: では、20代の若者たちがこの戦争から生きて戻らないことについては、どうですか? 死んだ兵士たちの鉛の棺はプロパガンダに亀裂を入れないでしょうか?

グルホフスキー: そのような情報はブロックされているのです。インターネットのほぼ全体が、クレムリンの統制下にあるメディアによって独占されています。当局の路線にしたがわない情報を流すと、15年以下の懲役を科される恐れがあります。

まだテレグラムとワッツアップ(WhatsAppie)の回路が残っていて、これらは国家によってコントロールされていませんが、そこからの情報を受け入れることは、自分自身のアイデンティティを揺るがされることを意味します。自分の国が戦争犯罪をおかし、自国の戦闘機が劇場を爆撃し、兵士たちが市民を銃撃しているということを、ふつうのロシア人は信じたいと思うでしょうか? 思わないですよね、自分自身への尊重の気持ちを失うことになりますから。都合のよい嘘を信じるほうが簡単なのです。

ヴェンジク: でも、あなたの同僚が戻ってこなかったら? あるいはご近所の息子さんが?

グルホフスキー: 私たちの国の損失は、まだなにか意味をもつほど深刻にはなってないのです。

今日、情報は容易に急速に拡散しますし、証人は重要です。しかし、私たちはフェイクの時代に生きてもいるのです。プロパガンダを流す側にとって、あれは産科病院などではなかった、あの傷ついた妊婦はじっさいは女優だった、と言うことは簡単です。プロパガンダはすべてのことに説明を付けることができるし、たとえあとで嘘だとわかっても、そのときには世論は作られてしまっているのです。

それに、事実はいろいろな解釈ができます。あなたが信じたいこと、あなたにとってよいと思われる側にあなたがいることを可能にするようなことだけが、あなたに届くのです。もしこのよい側の人たちが勝てば、なおさらよいでしょう。とても気持ちよく感じて、あなたは落ち着いて暮らすことができます。焼かれた都市を見て、こう考えるのです。われわれがこの戦争を始めたのではない、われわれはただこの戦争を終わらせようとしているのだ、と。

ヴェンジク: それでは何らかの変化が起こる可能性は見えませんね、ロシア人自身が変化しまいと身構えているのですから。

グルホフスキー: 人びとが考えを変えるのは、感情的なショックを受けたあとか、個人的に関わりをもってしまったあとです。そのときには学び直すことができます――第二次世界大戦後のドイツで真の非ナチ化が行なわれたように。

ですから、出口のない状況ではありません。憎悪を広めて戦争を始めた面々に責任をとらせ、まだ話し合える人たちとは話し合いをする必要があります。プーチンは、この戦争の責任を全国民にともに担わせようとしています。引き返す道はないと全員が認めるようにするためです。これに対抗するためには、ロシア語を話す者が誰でもみな敵であるわけではない、と強調する必要があるのです。

ヴェンジク: もちろんそうですね。そのようなニュアンスのあるアプローチだけが、プロパガンダの壁を打ち破ることができるということでしょうか?

グルホフスキー: もしクレムリンのプロパガンダが100パーセント効果的であるならば、最後まで残っていた独立系のメディアを閉鎖する必要はなかったはずです。長い目でみれば、嘘は真実に勝てません。

ヴェンジク: そのとおりです、でもどれくらい長くかかるでしょう?

グルホフスキー: ロシアにとっていちばんよいのは、プーチンから権力を奪い、兵士たちを撤退させて、和平の交渉をすることでしょう。しかし、そうなるとは私には思えない。ロシアはウクライナにはまり込み、孤立し、制裁によって弱まっていくでしょう。遠からず全体主義的な独裁になるでしょう。

私はまちがっているかもしれません、しかしこれが現時点では最もありそうなシナリオです。10年か20年経ってプーチンが老衰で死ぬときには、ロシアは泥沼に沈んでいて、西側との関係を正常化するためには何をする必要があるか、制服組ですら理解できる状態になっているでしょう。そのときには、おそらく連邦保安庁の長官が主導権を握って改革を導入することになるでしょう。

ヴェンジク: 『スターリンの死』*はごらんになりました? すばらしい映画で、いま観たらぴったりでは。

*アーマンド・イアヌッチ監督による2017年の英仏制作の映画。原題はThe Death of Stalin。日本では『スターリンの葬送狂騒曲』という題名で2018年に公開された。

グルホフスキー: あのベリヤでさえ――内務人民委員部(NKVD)の元トップ、当時は内務大臣で、誰もが彼のことを怖れ、急いで失脚させて処刑させた――その彼でさえ、スターリン時代の処刑の半数が彼の責任で行なわれたにもかかわらず、スターリンの死後は国を自由化する必要があると理解していました。フルシチョフも、彼自身はまったくリベラルではありませんでしたが、のちに公然と自由化を推し進めました。そしてそれが、私に見えるロシアの将来の姿です。

1990年代には、ロシアでは、誰もほんとうの意味では自由のために闘いませんでした。自由はおのずと到来したのです。そのために、私たちは自由を特別に大切なものとして扱っていません。今ようやく私たちは、自由の価値を正しく評価しようとしているように私にはみえます。人びとは、自由が奪われたときに、その価値を理解するのです。そうしたことを身にしみて味わう必要があるのです。まさしく歴史がさらなる教訓を私たちに与えているところなのです。

ヴェンジク: そうですね。ただ、歴史の教訓が多過ぎるのではありませんか。すでに私たちは学んできたように思うのですが。

グルホフスキー: 歴史というのは循環なのです。進歩があり反動がある、そしてまた進歩があって反動がある。しかしその都度、少しだけ大きく進歩するのです。最終的にはウクライナは自分を守り、国家として存続すると私は信じています。同様に、ロシアもいつかは自由な国になると私は信じています。

※ドミトリー・グルホフスキーは1979年生まれ。ロシアで最も人気のある作家の1人。SF小説『メトロ2033』(2005年刊)がベストセラーになり、日本語訳も出版されている(小学館、2011年刊)。昨年、没落するロシアをテーマとするディストピア小説『前哨地』 Outpost・『前哨地2』Outpost2が刊行された。
「生きのびるために ウクライナ・タイムライン」では、「なぜクレムリンはこの戦争を特別軍事作戦と呼ぶことを私たちに命じるのか?」(投稿日: 2022年3月11日 https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220311_1/)に続く、2度目の紹介となる。

作家の目からみたロシアの現状が生々しく語られている。とくにプロパガンダのメカニズムについての分析は鋭い。このような内容のインタビューは、いまのロシア国内のメディアには掲載できないであろう。

グルホフスキーがプーチンの体制とウクライナでの戦争を厳しく批判していることは言うまでもないが、他方で、公然と政権を批判したり体制を揺るがすような行動をとらないロシア社会のマジョリティに対しては、批判するよりも、理解し、説明しようとする姿勢が前面にでている。これは、ポーランドのインタビューアーの質問に答えるという、作家がここでおかれている立場にもよるのかもしれない。ただ、そのおかげで、このインタビューを読むことで、ウクライナ戦争に対するロシア社会の反応について、より内在的に理解する手がかりが得られることも確かである。

プーチン体制が国民の抗議によって倒れる可能性については、グルホフスキーは悲観的である。ロシアの近未来については、さらに全体主義化が進むと予測し、プーチン没後に起こりうる変化についても、上からの改革がせいぜいで、民主的な変革は起こらないと考えている。インタビューの最後の最後で「ウクライナは独立を守り、ロシアもいつかは自由な国になると信じている」という言葉があらわれて少しほっとするが、全体として彼の示す展望はディストピアの方に傾斜していく印象が強い。

ロシア国内の抵抗運動についてのグルホフスキーの発言も、読んでいて口のなかに苦い味が残る感じがする。日本でも大きく報道されたニュース番組でのマリーナ・オフシャンニコワの反戦メッセージについても、彼女の行為を「勇気ある行動」と評価しながらも、「嘘を流し続けた8年間に対する2秒間の抗議だった」とつけ加えることを彼は忘れない。
グルホフスキーは、「ロシアでは毎日、自分の勇気を試す必要がある」という。だが、これはロシアだけの問題だろうか。いずれの国においても、言論や学問や報道の自由を守るということは、ロシアの市民に比べればごくささやかなものではあっても、そこで暮らす市民の勇気がつねに試されているということなのではないか。
私たちの国の公共放送のトップが「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない。政府と懸け離れたものであってはならない」と発言したのは、ロシアによるクリミア併合と同じ8年前のことであり、選挙期間中の首相の応援演説に異議の言葉を叫んだだけで警察官に排除された事件について「表現の自由」の侵害として違法の判決が下ったのはつい昨日のことである。

【SatK】

スベトラーナ・アレクシェービッチのインタビュー

ノーベル文学賞作家で、ベラルーシとウクライナにルーツを持つ、スベトラーナ・アレクシェービッチのインタビュー(NHK)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220318/k10013534191000.html

このひとがどう考えているか知りたい、といちばん思っていたひとのインタビュー。
一言一言に重さと深さを感じますが、とくにベラルーシの視点からの発言が貴重だと思いました。

ウクライナの作家、ユーリー・アンドルホーヴィチのインタビュー

「もし必要になれば、パルチザンに参加するよ。彼らが家にやって来るまで待っているつもりはない」――ウクライナの作家、ユーリー・アンドルホーヴィチのインタビュー
「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年2月22日付
https://wyborcza.pl/7,75410,28140251,ukraina-andruchowycz-jesli-trzeba-bedzie-przystapie-do.html

ロシアのウクライナへの攻撃について、ウクライナの最有力の作家の1人、ユーリー・アンドルホーヴィチが語る。「プーチンが西側にひざまずくと思うかね? 彼にとっては制裁なんてクソくらえだよ。」

ミハウ・ノガシ:ロシア軍がドンバスに介入しています。プーチンの怒号が聞こえてきます。戦争は怖いですか?

ユーリー・アンドルホーヴィチ:もうずっと前から、なにもかもが怖ろしいことだと思って見ているよ。いま言えることは、われわれがほんとうに戦争の近くにいるということだ。ロシアがウクライナに侵攻することでそれは始まるだろう。
昨日〔2月21日〕独立を認めた地域でプーチンが部隊の進軍を止めることは、十中八九ないだろうな。彼はもっと先に行くのではないかと私は疑っている。それはつまり、ウクライナ軍と直接衝突するということだ。
そうなると、わが国の軍がロシア人を押しとどめる能力があるのか、考えてみなければならない。侵略者に抵抗し、侵攻に反撃し、クレムリンの連中の頭を冷やすことができるのだろうか?
われわれの側から見れば、昨日モスクワでドネツクとルガンスクのいわゆる人民共和国の独立が認められたことで、事態は原則的に何ひとつ変わっていない。より重要なことは、プーチンが、もっと前の段階で、演説で語っていたことだ。
歴史をめぐる彼の「講義」の意味するところは、疑問の余地のないものだ。われわれに対して、自分の言葉をよくよく真面目に受けとるように、と彼は力説していたのだ。そして、彼はウクライナを、われわれが国家をもっているということを、強迫的に憎んでいることを、あらためて示したのだ。端的に言えば、われわれの民族は存在しない、とロシアの大統領は考えているのだ。
彼自身が引き起こした危機を解決する道は2つしかない、とプーチンは考えている。われわれが屈服して、ロシア人と1つの国民であることを認めるか、それとも、彼がわれわれを滅ぼすかだ。他のいかなる選択肢も考慮されない。
昨日さらにふみ出された一歩からまだ半日ちょっとしか経っていないが、私は次のことは自信をもって言えると思う。ウクライナでわれわれは西側世界から何か大きな支援をえているとは感じていない、ということだ。もちろんポーランドやバルト諸国はこの点では例外だ。しかし、他の国々、とりわけ大国といわれる諸国はどうだ? 彼らは沈黙しているようにみえる。クレムリンで月曜〔21日〕に起こったことでショックを受けているようではあるけれどね。1か月前からわれわれは、西側諸国は事態のいかなる発展にも用意ができているし、制裁のパッケージが準備されていると聞かされていたのだが。やっと何が起こっているかが彼らのもとに届き始めたとでもいうのか? ワシントンではようやくお目覚めというわけだ。[このインタビューは2月22日午後に行なわれた。この数十分後にドイツはノルド・ストリーム2の認可を停止し、その直後にイギリスが経済制裁を発表した。――編集部による注]

ノガシ:ほったらかしにされているという感じですか?

アンドルホーヴィチ:アメリカ大使館の職員が数日前にキーウを離れてリヴィウに移っただけじゃなくて、昨日の晩には全員がポーランドに移動してしまったという事実を前にして、それ以外の感じ方があるものかね? じつに想像力に訴えかける振る舞いだよ。しかも、戦術としてよくわからないな。そもそも何か戦術について語りうるとしての話だがね。
これはウクライナにとってだけでなくて、全世界にとって、われわれが知っている秩序全体にとって悪い予兆だよ。もし民主主義的な価値を信奉しているらしき西側が、抜本的なやり方で対応しないのであれば、それは西側にとっても終わりの始まりになるだろう。
そのことはきっと誰もが感じているのではないか?

ノガシ:ウクライナのウォロディミル・ゼレンシキー大統領がとった決定については、あなたはどのように受けとめていますか?

アンドルホーヴィチ:ここ数週間、彼は平静を保ってほしいと呼びかけていたわけだが、これでは今日となってはまったく足りないな。行動するべきだ、それも直ちに。
何をなすべきか。2つの州、ルハンスクとドネツィクの2州でわが国のコントロールのもとにある地域に戒厳令を布告するべきだろう。加えて、予備役の動員をかけるべきだろう。
議会はこれらの措置を承認するべきだ。そうすれば、われわれは、権力がなんとか状況を支配しているという感覚をもつことができるだろう。これまで平穏を保って、戦争はないだろう信じ切っていた社会も、それで動きだすことができるだろう。
私は大統領の支持者ではまったくなかったけれど、現在の状況のもとで彼を厳しく批判するつもりはない。どういう状況かは理解しているし、彼がとつぜん雲隠れしたり、ウクライナから出国したりしなかったことをうれしく思うよ。そういう事態も起こりえたことだからね。ただ、いまは戦術を変えて、なにが起こったかを理解して、決断を下すべきだと思う。そうすることで、われわれがさらなる恐怖とパニックに陥ることを防ぐべきなんだ。
ウクライナ人は、国家が機能していて、困難な課題に立ち向かっていると確信するべきなんだ。

ノガシ:いま起こっていることに、あなたの知人たち、国の東部と西部のそれぞれのウクライナ人たちは、どのように反応していますか?

アンドルホーヴィチ:もちろん、われわれの誰も、ウクライナが存在しなくなること、われわれがロシアに包摂されてしまうことには同意していない。しかし他方で、西側のインテリジェンスによって確認されている情報が次々にわれわれのところに届いてもいるのだ。ロシア人は、侵攻したときには、逮捕して拷問にかけたり投獄したりその場で射殺したりするべき著名なウクライナ人のリストを用意している、という情報がね。プーチンの軍隊が地域を次々に占領していくのに応じて、それぞれの都市ごとにね。
われわれは軍事的な準備ができていないんだ。私の友人で上手に銃を撃つことができる者なんているもんか。それでもわれわれは、きわめて重大な選択のまえに立たされるだろう――生きるか死ぬかのね。それどころか、もっとはるかに劇的な選択のまえに立たされるかもしれないのだ――どういう死に方をするか、という選択のまえに! 今日のところはわれわれはショックのなかにいるが、早晩、このことについて話し合うことになるだろう。プーチンはわれわれに選択の余地を与えないだろう――この点ではウクライナの西部に住んでいようが東部に住んでいようがたいした違いはない。
紛争が広がっていくことはない、とわれわれを安心させようとする向きもある。だが、第1に、ウクライナを潰すことはプーチンの固定観念であり、それを成し遂げるためにすべてのことを彼はやるだろう。第2に、厳しい経済制裁が行なわれる、とわれわれはずっと聞かされてきた。しかし、プーチンにとって制裁なんてクソくらえだ! そういうカテゴリーで考えることを彼はやめたのだ。経済には彼は関心がない。彼は安全だと思っているし、彼にいちばん近い協力者たちも同じだ。この戦争で生命や持っているものすべてを失うのは彼らではない。没落するとしても、その前に彼らは多くの苦しみをもたらすだろう。
プーチンに断固として対応する必要があることは、昨年11月からあきらかだった。彼を押しとどめるためには、NATOのいくつかの加盟国が厳しい行動を起こして、ウクライナに軍隊を展開することしかなかったのだ。だがそのような措置がとられることはなく、彼はますますやってやろうという気になるばかりだった。経済制裁を科せばロシアの指導者は西側のまえにひざまずくだろうと信じることは、ユートピアだ。

ノガシ:軍服を着なければならなくなったら、あなたは着ますか?

アンドルホーヴィチ:もちろんだ。きっと私も戦わなければならない状況になりうると思う。ただ軍服はもう着ないだろうな、私は60歳をこえているからね。でもパルチザンのようなもの参加しなければならないことになっても驚きはしないよ。
プーチンがウクライナを占領したときに抹殺すべき人間のリストには、私の名前も載っているに違いない。彼らがやって来るまで家でじっと座って待っているつもりはない。

ユーリー・アンドルホーヴィチは、1960年生まれ。ウクライナの作家、詩人、翻訳家。歌手でもある。ウクライナ西部のイヴァーノ・フランキーウシク在住。国外にも多くの読者をもち、多くの作品がポーランド語に翻訳されている。日本語で読める作品はまだないようである。

このインタビューが行なわれたのは2月22日、つまり、プーチンがウクライナ東部2州に作られたいわゆる「ルガンスク人民共和国」と「ドネツク人民共和国」を「独立した国家」として承認した翌日であり、2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻する2日前である。この時点ですでに、アンドルホーヴィチが、ロシア軍の侵攻によって、東部2州だけでなく、ウクライナ全体が戦場になることを確信していたことがわかる。

「プーチンにとって制裁なんてクソくらえだ! そういうカテゴリーで考えることを彼はやめたのだ。経済には彼は関心がない」と、アンドルホーヴィチは戦争が始まる前に見抜いていた。
2月24日以降、ロシア軍が、東部2州だけでなく、首都キーウ(キエフ)の攻略を目論んでいることがあきらかとなったとき、国際政治や軍事の専門家から「プーチンがウクライナ全体の侵略にのりだすとは想定していなかった」というコメントが聞かれた。戦争になれば西側が厳しい経済制裁にふみきることは予告されており、計算可能な「合理性」を前提に予測をたてるかぎりでは、「プーチンの戦争」は想定外の非合理的な行動ということになるのであろう。
しかし、そのような「合理性」のみにもとづいて人間が行動するとはかぎらない、ということを今回の戦争の成り行きは示している。「生きる/死ぬ」という問題、「殺す/殺される」という関係につねに関心をもち、観念にとりつかれ妄念に突き動かされる人間の姿をつかみとって表現してきたのが文学を含む芸術であり、そのような人間のありようを研究してきたのが人文学である。そのような意味で、ウクライナの戦争は、芸術や人文学にとって重い課題を突きつけている。

「生きるか、死ぬか」という選択肢のさらにその先に、「どういう死に方をするか」という選択を迫られるときが来る、とアンドルホーヴィチは語っている。戦わずに降伏して生きて占領されても「抹殺対象者」のリストにしたがって殺される、というのは、考えられるかぎりで最も絶望的な見通しである。しかし、20世紀にウクライナを含む「流血地帯」(T. スナイダー)がくぐり抜けた歴史を知っている者は、アンドルホーヴィチの想定は根拠のないものではなく、むしろこの状況においてはリアルな認識であると感じるであろう。
60歳を越えた作家の「自分がパルチザンになっても驚きはしない」という言葉を訳しながら、同じ年代の訳者はうなだれるしかない。(3月25日に記す)

【SatK】