アダム・ミフニク「ウクライナでの戦争は、ロシア国民とウクライナ国民との戦争ではない。この戦争は、民主主義的世界で生きようと望むわれわれ全員にとっての新たな挑戦である。」

『ガゼタ・ヴィボルチャ』2023年2月23日
https://wyborcza.pl/7,82983,29482389,adam-michnik-wojna-w-ukrainie-to-nie-jest-wojna-narodu.html

今日、われわれが1周年を迎えているこの戦争は、疑いもなく、われわれの時代の最も重要な戦争である。なぜならば、これは、帝国主義的・排外主義的・全体主義的なプロジェクトと、民主主義的・ヨーロッパ的・複数主義的なプロジェクトとがたたかう戦争だからだ。

これは、ロシア国民とウクライナ国民との戦争ではない。これは、プーチンの帝国的・殺人的・犯罪的権威主義とウクライナの民主主義との戦争である。ウクライナの民主主義の根本的な目標はヨーロッパ連合の民主主義的な構造のなかに加わることであり、その意味で、これは、われわれの世界とわれわれに敵対する世界との戦争である。

だが、忘れてはならないのは、プーチンや小型のプーチンたち、あのプーチンの小人のような連中は、あらゆる国に、ある程度までは、すべての社会集団のなかに存在するということだ。この戦争の本質的な姿、その本質的な意味が疑問視されるところ、そのような場所のいたるところに、われわれは小プーチン的なものを見いだす。

われわれポーランド人は、このやり口をよく知っている。バルト諸国、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーに対する、大ロシア主義的な帝国主義、ソヴィエト的帝国主義、プーチンの偽りの帝国主義のこのやり方を。

これらのすべての帝国的な侵略を、われわれは記憶している。それは、いつも最初に大きな嘘をつくことから始まった。これは攻撃的な侵略ではなく介入にすぎない、それは社会的・民族的・人間的な権利を護るために行なうのだ、と。1939年にヒトラーの軍隊がポーランドに侵攻したときもそうだった。それは、ドイツ系少数者の権利を護るためと称されたのだ。スターリンの軍隊が侵攻したときもそうだった。それは、ベラルーシやウクライナの住民を護るためと称されたのだ。

事実は、この戦争が、民主主義的世界で生きようと望むわれわれ全員にとっての新たな挑戦である、ということだ。
これは、どちらに立つかの挑戦であり、そこには中立の場所はすでにない。両方に均等に足を置くような場所はないし、この挑戦を過少に扱うことはもちろん論外である。これは、第二次世界大戦に匹敵する挑戦である。そして、この挑戦において、ポーランドが正しい側に立っていること、自らのアイデンティティを守ろうとするウクライナの側に立っていることを、私は幸いであると思う。

ポーランドとウクライナの関係の歴史には、いろいろな局面があった。この関係はしばしば悪いものであったし、悲劇的なものになったこともしばしばあった。そして、今日、政治的な立場を問わず、ポーランドがウクライナに友愛の手を差しのべていることは、ポーランドの歴史の暗い側面に対する勝利であり、大きな成功である。この関係が続くことを私は願っている。

これは、他の国民に敵対するための友愛ではない。これは、独裁と、全体主義と、虚偽と、残虐行為と、犯罪に反対するための友愛である。集団虐殺の犯罪に反対するための、ウクライナ国民を殺害する犯罪に反対するための、友愛である。

殺されたすべての人びとは、ポーランド人の側からの、賛嘆と感謝の言葉に値する。ウクライナの地で、ポーランドの自由の運命が決められている。われわれの心は、ウクライナの人びとの側にある。ウクライナ人が彼らの自由のためにたたかう戦争は、われわれの自由のための戦争でもあるのだ。

ポーランドの日刊紙『ガゼタ・ヴィボルチャ』の編集主幹アダム・ミフニクが、ウクライナでの戦争1周年にあたる2月23日に発表したメッセージです。

1年前、同じ日刊紙『ガゼタ・ヴィボルチャ』に発表された、ポーランドの知識人・文化人による「ウクライナとの連帯とロシアの侵攻阻止を求めるアピール」の翻訳と解説を「有志の会」のホームページに掲載しました。
翻訳:https://www.kyotounivfreedom.com/solidarnosc_z_ukraina/apel/
解説:https://www.kyotounivfreedom.com/solidarnosc_z_ukraina/komentarz/
昨年2月19日付で公表されたこのアピールの中心となったのが、アダム・ミフニクでした。
ロシア軍の侵攻が始まった2月24日に発表された彼の論説「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ」も、翻訳を「生きのびるために ウクライナ・タイムライン」に掲載しました。
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220224/

1年をへて、「この戦争はヨーロッパの自由と民主主義を守るための戦いである」という、彼の見かたが変わっていないことが確認できます。ポーランドとウクライナの関係史に不幸な時代があったことを認めたうえで、ポーランド人がウクライナに友愛の手を差しのべる現状を肯定的に評価する点も変わりません。

「民主主義vs. 独裁」「自由vs. 全体主義」というとらえ方に、欧米中心主義的なイデオロギー性を感じる読者もいるかもしれません。しかし、ポーランドの近現代史をふまえると、これもまたリアルな歴史と現状の認識の表現なのです。むしろ、ロシアとの関係で多くの困難に直面してきた国を代表する日刊紙が「この戦争はロシア国民とウクライナ国民との戦争ではない」というメッセージをはっきりと掲げていることの意味を、私たちはしっかりと受けとめるべきでしょう。

【SatK】

プーチンに支援された指揮者、沈みかけた船から逃げ出す

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年8月3日 執筆者:アンナ・S・デンボフスカ*
https://wyborcza.pl/7,113768,28753228,dyrygent-finansowany-przez-putina-ratuje-swoja-kariere-i-ucieka.html

議論を呼んだザルツブルク音楽祭の幕開けから1週間、今年の音楽祭のスターであるギリシア出身のロシアの指揮者、テオドール・クルレンツィスが、新しいオーケストラを創設すると表明した。クレムリンとの関係をめぐって高まる非難の声への対応とみられる。

テオドール・クルレンツィスは、キッチュすれすれの解釈でモーツァルトやベートーヴェンを演奏して衝撃を与え、クラシック音楽界のアンファン・テリブルとして知られている。すでに10年ほど前から「生粋の挑発者」と言われてきた。

スキンヘッドで登場したかと思うと、次は長髪に編み上げ靴に変身するなど、この指揮者は人を驚かせるのが好きだが、音楽界では、彼の反抗的な姿勢――批判的な人たちに言わせれば、安上がりに喝采してもらおうとする態度――はすでにお馴染みの風景となっている。50歳となった挑発者は、目下、別の問題を抱えている。

非難の的となったテオドール・クルレンツィス

ギリシア出身のこのロシアの指揮者をめぐる論争が大きくなったのは、彼がロシア政府と間接的につながっていたためである。クルレンツィスは、西側の世論の圧力に屈せず、ウクライナでのクレムリンの軍事行動を非難しなかった。ここ数か月、彼がプーチンの機嫌を損ねないように高度の外交を駆使しなければならなかった理由は、この指揮者が率いるペルムの合唱団とオーケストラ「ムジカエテルナ」が、クレムリンによってコントロールされたVTB銀行〔モスクワのメガバンク〕によって財政的に支えられてきたことにある。

VTB銀行は、アメリカの対ロシア制裁対象のリストに入っている。この銀行は、クルレンツィスと彼の楽団にとって、気前のよいスポンサーであった。音楽家たちは、ロシアがすばらしい文化をもっていることを誇示するクレムリンのソフトなプロパガンダの道具となり、プーチンが輸出する「商品」の1つとなっていた。

ザルツブルグはプーチンのお気に入りの邪魔をせず

ザルツブルク音楽祭への招聘は、クルレンツィスの活動への高い評価のあらわれの1つである。この招聘は、この名高い音楽祭の芸術監督マルクス・ヒンターハウザーによって、すでに数年前から行なわれている。

戦争が勃発して、ロシアの体制とつながりのあるロシアの音楽家のコンサートはキャンセルするべきだという世論の圧力の高まりにもかかわらず、今年の音楽祭でも、この招聘は撤回されなかった。そのさい、ザルツブルク音楽祭の主催者は、音楽祭のオープニングに、クルレンツィスが合唱団とオーケストラ「ムジカエテルナ」を率いて登場し、ロメオ・カステルッチの演出によるベラ・バルトーク『青髭公の城』とカール・オルフ『時の終わりの劇』の2部作の初演を行なう予定である、と発表した。

最終的に、音楽祭の主催者は、オーケストラを「ムジカエテルナ」からグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団に代える、という1点についてのみ、譲歩した。

7月26日、ザルツブルク音楽祭のオープニングで、クルレンツィスの指揮のもと、2部作の初演が行なわれた。出演者には依然として「ムジカエテルナ」の合唱団が含まれていたが、オーケストラは、マーラーの名称を掲げた若者たちの管弦楽団に代わっていた。

「ニューヨーク・タイムズ」の伝えるところでは、聴衆は、議論を呼んだ指揮者の登場をスキャンダルや場違いなこととはみなさず、その反対に、上演全体をつうじて、熱烈にブラヴォーを叫び、熱狂的な拍手を送ったという。

しかし、メディアの反応は、聴衆とは異なっていた。イギリスの「ガーディアン」は、クルレンツィスの登場は、この指揮者がクレムリンからの資金で生きており、戦争を非難してこなかったというまさしくその理由ゆえに、世界で最も重要な音楽祭の1つのオープニングに影を投げかけた、と書いた。

ザルツブルク音楽祭は、今年の春以来、国際的なメディアの砲撃にさらされてきた。主催者たちは、クルレンツィスをプログラム上で売りものとして残していることを非難されたが、それだけでなく、彼ら自身が、クレムリンとつながりのある基金のおこぼれにあずかって生きていることも批判の的となった。

音楽祭側は、そのような基金からのお金は催しの予算の全体からみればほんの一滴にすぎず、主たる収入源は公的機関からの補助金とチケット収入であると弁明した。じっさい、チケットはたいへん高価で、オペラであれば、いちばん高い席で、1演目につき300から400ユーロになる。

問題を抱えているのはザルツブルクだけではない。ウズナム島の音楽祭と若者たちのオーケストラ「バルト海フィルハーモニー」が、ガスパイプライン「ノルト・ストリーム2」に関連する複数の企業によって財政的に支援されていることについては、3月に本紙で記事にした。** それらの企業の1つはフランスの「エネジー・エナジー」で、この会社はさらにもう1つの有名な音楽祭――ナントの「ラ・フォル・ジュルネ」の共同スポンサーでもある。

クルレンツィスは新しいオーケストラ「ユートピア」を思いつく

クルレンツィス自身は、慎重に振る舞おうとしている。月曜日、彼は、これから率いることになるオーケストラのためのスポンサーを確保したと発表した。新しいオーケストラの名称は「ユートピア」だ。

「ニューヨーク・タイムズ」によると、このオーケストラは、28か国から112名の演奏者によって構成される。そして、楽団とそのコンサート・ツアーの経費は、寄付とチケット販売の収入によって賄われる。指揮者は、これは「実験」になるだろうと、予告している。このオーケストラは、ようやくこれから自分自身の響きと性格を探っていくことになるのだから、と。

他方で、「ムジカエテルナ」がどうなるかは、まだわかっていない。ザルツブルクでの出演が撤回され、4月にウィーンのコンツェルトハウスでのコンサートもキャンセルになったことを考えると、この楽団の将来は、少なくとも西側では、明るくないであろう。

一方、クルレンツィスは、まさしく沈みかけた船から逃げ出すことによって、自分のキャリアを救うチャンスをつかんだ。加えて、彼は、シュトゥットガルトに本拠地をおく西南ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester)の首席指揮者の地位も保っている。

議論を呼ぶ録音

合唱団とオーケストラ「ムジカエテルナ」は、2004年に、当時ノヴォシビルスク・オペラ・バレエ劇場の総監督だったクルレンツィスの発案で、ノヴォシビルスクで創設された。2011年、クルレンツィスがウラル地方の都市ペルムのオペラ・バレエ劇場の音楽監督の地位に就くと、「ムジカエテルナ」も彼についてペルムに移動した。

彼らはいっしょに、モーツァルトの歌劇や、ベートーヴェンの交響曲、ストラヴィンスキーの『春の祭典』などを録音し、それらのディスクは解釈をめぐって議論を呼んできた。

しかし、クルレンツィスが指揮したモーツァルトのレクイエム(2011年、Alpha)は、まちがいなく、このきわめてよく知られ、競い合って演奏されてきた作品に対して、最も興味深い解釈を示した録音の1つである。

*アンナ・S・デンボフスカ(Anna S. Dębowska)は音楽ジャーナリスト。2002年から「ガゼタ・ヴィボルチャ」に執筆。「ベートーヴェン・マガジン」編集長。ワルシャワ出身。音楽と演劇論を専攻。

** 「ガゼタ・ヴィボルチャ」、2022年3月22日付の記事「ウクライナのために寄付を集めます。ただし、ノルト・ストリームが長年にわたって財政支援してきました」
https://wyborcza.pl/7,113768,28249387,finansowana-przez-nord-stream-2-ag-orkiestra-baltic-sea-philharmonic.html#S.embed_link-K.C-B.1-L.4.zw
ロシアのウクライナ侵略によって、政治と芸術の関係があらためて問われています。

ウクライナでの戦争に対するクルレンツィスの沈黙をめぐっては、すでに春の段階で問題化していたようです。
「クルレンツィス指揮ムジカエテルナのパリ公演は中止」(2022年4月22日)
https://mcsya.org/paris-cancells-musicaeterna/

5月にNHK交響楽団の定期公演で演奏したロシアのヴァイオリニスト、アリョーナ・バーエワは、胸にウクライナ・リボンを付けて舞台に登場しました。

「西側」で演奏するために自国の音楽家が踏み絵のような意思表示を迫られる事態を招いたこと自体が、ロシアが引き起こした目下の戦争の罪の1つだと思います。

【SatK】

「ルカシェンコはロシアの協力者です」―ベラルーシ反体制派の指導者スヴャトラーナ・ツィハノウスカヤ(スヴェトラーナ・チハノフスカヤ)へのインタビュー

「ジェチポスポリタ」 2022年3月24日付
https://www.rp.pl/polityka/art35939431-cichanouska-bialorus-jest-juz-czesciowo-okupowana-przez-rosjan

数日来、アレクサンデル・ルカシェンコが自分の軍隊をウクライナに派遣するのではないかという情報がしきりに流れています。彼はこのようなことをやるとお考えですか?

一方で、それはルカシェンコにとって得ではない、ということを私たちは理解しています。そんなことをすれば、彼は侵略者となり、私たちの国をどん底に引きずり込むことになるだろうからです。彼がこれまでやってきたこと自体が、すでに拭い去ることのできないものです。しかし、自国の軍隊を送れば、彼のおかれている状況をむずかしくするばかりです。クレムリンは、自分が孤立しないためにルカシェンコに軍を送れと要求しているのだと推測できます。しかし、わが国の軍隊はウクライナに派遣されていません。軍の内部に大きな抵抗があるためだと私は思います。指揮官たちは、兵士たちをウクライナに送れば死地に赴かせるようなものだと理解しているのだと思います。加えて、ベラルーシ軍は規模の大きな軍隊ではなく、戦争する準備ができておらず、状況を特別に変えるものでもありません。しかし、クレムリンは、ルカシェンコの体制を血で汚しておきたいのです。ベラルーシでは、強力なプロパガンダによって、ウクライナにはナチス主義者がいると人びとに吹き込もうとしています。しかし、ベラルーシの兵士たちはすべてをわかっていて、ウクライナ人は私たちの兄弟であると認識していると私は信じています。兄弟とどうして戦争ができるでしょうか?

ルカシェンコに忠実な治安機関の職員たちは、ためらうことなく2020年の抗議活動を鎮圧し、拷問し、自国民に発砲することさえしました。

武器を持たない人びとを殴りつけるのに、たいした勇気は必要ありません。しかし、よく準備されたウクライナ軍と対抗できますか? ましてや、ベラルーシ軍よりもチェチェンやシリアの武力紛争に参加した経験豊富なロシア軍に起こったことを見たあとですからね。ロシアは高位の指揮官さえ失っています。

それでもベラルーシの独裁者がもしそのような決定を下せば… それはベラルーシにとって何を意味することになるでしょうか。

まちがいなく経済制裁が強化されることになるでしょう。新たな、はるかに痛みをともなう制裁が導入されるでしょう。加えて、ロシアから撤退した外国企業が、ベラルーシではまだ営業しているのです。これらの企業にとって、それは撤退の合図となり、レッド・ラインになることでしょう。しかし、それ以上にそれは、国外にいるベラルーシ人にとって、さらに大きな打撃となるでしょう。というのも、戦争が起こってから、私の同胞に対する差別が押し寄せてきたのです。ポーランドやウクライナの一般の人たちは2020年にベラルーシで起こったことについてはそれなりに聴いたことがあるでしょうが、その後の経過となると誰も追いかけていないのです。しかし、私たちは闘い続け、抑圧が続き、政治犯は獄中にあります。加えて、私たちは、ウクライナの人たちがルカシェンコにどのように関わっていたかを覚えています。彼はウクライナでかなりの支持を受けていたのです(キーウの調査機関KMISが2021年2月に行なった調査では、ウクライナ人のうち36%がルカシェンコを、26,7%がバイデンを、26,2%がマクロンを信頼していた――編集部注)。ところがいまでは、ウクライナ国境でベラルーシ人のパスポートが破り捨てられているという情報が流れています。そのようなケースがどれほどの規模で生じているのかはわかりませんが。チェコ人はベラルーシ人への査証の発行を停止したので、私たちが介入しなければなりませんでした。私たちは、ベラルーシ人が存在することを思い出させなければならないので、ウクライナのメディアにも絶えず登場するようにしています。

2020年のベラルーシにおける大統領選挙の後、あなたは、アメリカの大統領を含めて、おそらくすべての西側の指導者と会談しました。しかし、キーウには招かれませんでしたね?

招かれていません。私たちはウクライナの議員たちとはコンタクトをとっていますが、キーウの政権は私に対して慎重な態度をとってきました。それは理解できることです。彼らはベラルーシと商売上の強いつながりを持っていますから、キーウではおそらく、ルカシェンコと仲よくしておくほうがよいし、ロシア軍を引き寄せるべきではないと考えられていたのです。

ポーランドはウクライナにNATOの平和維持軍を派遣することを提案しました。あなたはこの提案についてどう考えますか?

どんな手段であれ戦争を抑止することには意味があると私は思います。飛行禁止区域の導入と平和維持活動については、もちろん私たちは支持しています。包囲されて、何週間ものあいだ人びとが食料も電気も水もガスも奪われている都市から人道回廊によって避難する動きを、それが助けることになるからです。さらなる死を回避し、さらなる殺害を防ぐことが、それによって可能になるからです。モスクワは即座に、平和維持部隊の派遣はNATOとロシアの紛争に発展しうると釘を刺しましたけれども。

彼らはさらに核爆弾で世界を脅しています。怖れるべきでしょうか?

脅迫して怯えさせるのは独裁者たちの常套手段です。このやり口を私たちは知っています。これをどう扱うか、どの国もジレンマを抱えています。しかし、独裁者たちは予見できない存在でもあり、自分たちが沈んでいくときに他の人びともいっしょに引きずり込もうという前提から出発することもありえます。通常は専門家は何らかの合理的な見解をもとにして結論を導きだしますが、独裁者たちは合理性に反する決定をするのです。ですから、なにごとかを予測することは困難です。おそらく常にそういうものなのでしょう。しかし、私は、ロシアにはそういうことを止めることのできる人びとがいるという大きな希望をもっています。ロシアの侵略前に、プーチンはウクライナに侵攻するつもりだ、と世界が言い始めたとき、私たちは、ハッタリだろう、怖がらせているのだろう、と考えました。そんなことはまさかやらないだろうと考えていたのです。さらにお話しすれば、戦争が始まる数日前、私たちはアメリカの専門家たちと会談しました。彼らは口を揃えて、戦争になる、と言いました。私はそのときには、それはありえないことだ、と考えていました。

ベラルーシを支配しているのは、すでにルカシェンコではなく、プーチンだ、という見方が広まっています。これは正しいでしょうか?

ルカシェンコはロシア軍の移動をコントロールしておらず、どこから、だれに向けて撃っているのか関知していない、と私は考えています。他方で、彼は自国民を怯えさえ、抑圧を続けています。たとえ何らかの理由で彼が譲って国民と何らかの話し合いを始めたいと考えたとしても、どうやってロシア軍の兵士たちを追い出すのでしょうか? それは彼にはできない、と私は思います。

では、もし独裁者が交渉を提案した場合、たとえばヴェネズエラがノルウェーの仲介で反体制側と行なったようなやり方ですが、あなたは彼にチャンスを与えますか?

私たちは最初から話し合いに応じると言っています。そのような話し合いによってロシア軍が撤退し、政治犯が釈放され、弾圧が中止され、新たに選挙を行なうのであれば、です。そのときには私たちは体制側と話し合うでしょう。祖国を救わなければならないという条件のもとであれば、ベラルーシの社会は一致して話し合いを支持するだろうと考えています。私たちは、欧州安全保障協力機構(OSCE)を介して話し合い、私たちの条件を伝えようと試みてきましたが、なにも成果がありませんでした。ルカシェンコは、自分は全能なので譲歩はできない、と考えているのです。

元外交官で反体制派のパーヴェル・ラトゥシュコは、ベラルーシは暫定的に占領下におかれた国とみなされるべきだと世界に訴えています。実際にそうなのでしょうか?

私たちもそう言っています。部分的には、ベラルーシはすでにロシア軍に占領されています。たしかにまだロシア人が国を統治しているわけではありませんが。したがって、私たちは、国際社会が、私たちの国を事実上占領された国とみなして、ルカシェンコを完全に非合法化することを求めています。彼はすでに主権を保障する存在ではなく、現実とのつながりを失っています。世界はすでに、民主的な勢力を介してベラルーシ人と関係をもつべきなのです。たとえばベラルーシの在外公館の大使は、体制側ではなく、民主的勢力が任命するべきなのです。私は世界の指導者たちと会い、多くの国が私たちとコミュニケーションをとってきました。このこと自体がすでに承認のしるしなのです。しかし、いま必要なことは、それに各国が制度上のかたちを与えることです。なぜならば、現状では、彼らはルカシェンコを認めていないのに、彼ととり引きをする余地を残してしまっているからです。彼は自分のしっぽを追いかけてぐるぐる回っている猫のように、平和を守ると言いながら、自分の領土からウクライナに向かってミサイルを撃っています。ルカシェンコはつねに巧みに言を左右し、言い逃れようとします。こういうことを許してはなりません。いま、ルカシェンコはロシアの協力者となっています。ベラルーシの現状は、ヘルソン(ロシア軍に占領されたウクライナの都市――編集部注)の状況と比較できます。ヘルソンでは、人びとが通りに出て抗議すると、ロシア軍が彼らに発砲しています。

通常、いずれかの国が他国に占領されると、パルチザン戦争が起こります。そのようなシナリオあなたは想定していますか? すでに少なくとも500名のベラルーシ人がウクライナ側で戦っており、ベラルーシからの志願者の人数は増え続けています。カストゥーシュ・カリノーウスキ〔=19世紀のベラルーシ民族運動の指導者の1人。ロシア帝国とたたかうパルチザン集団を指揮し、逮捕されて処刑された――訳者注〕の名前を冠した大隊まで作られました。彼らはベラルーシの自由のためにも戦っているのだと語っています。

私が軍隊の指揮官として命令を発したり、防衛にとり組んだりする人間らしく見えないということは、自覚しています。しかし、そうすることが必要になれば、それをやります。いちばんよいのは、わが国の軍の組織なかに、軍にたいして権威をもつような軍人が現れることでしょう。ヴァレリー・サハシチク〔=ベラルーシ軍予備役陸軍中佐、ブレスト空中降下・突撃旅団指揮官。ウクライナでの戦争に参加しないようベラルーシ軍の兵士たちに呼びかけた――編集部注〕の発言をご覧になりましたか? 彼の姿勢もベラルーシ軍の兵士たちに影響を及ぼしたと考えています。

でも、歴史上、女性の指揮官も多くいましたね。エミリア・プラテル〔=19世紀前半、11月蜂起でポーランド軍リトアニア歩兵連隊の連隊長として戦いを指揮した――訳者注〕やジャンヌ・ダルクのように。

もしそのような役割を担う必要が生じれば、それをやります。しかし、軍人たちにとって権威をもつ人がいれば、その人を横におくほうがよいでしょう。そもそも私たちのたたかいは平和的な抗議、平和的な転換と結びついているのですから。私たちはそれができると信じてきたのですから。

18年の懲役刑を科されたシャルヘイ・ツィハノフスキー(セルゲイ・チハノフスキー)〔=2020年の大統領選に民主派の候補として立候補して逮捕された。ツィハノウスカヤの夫――訳者注〕が、あなたを今も支えてくれるでしょう。

もし夫がそばにいてくれたら、どんなに幸せなことでしょう。彼がもっている力の多くが私には欠けています。人びとをつかんだのは彼であり、彼からバトンを託されたのが私なのです。私は理想的なリーダーではありません。私はたんなるシンボルに過ぎないという人たちもいますし、私のことを政治的な死に体と呼ぶ人たちもいます。しかしまた、感謝のことばもたくさんもらっています。誰でもすべての人を満足させることはできないし、私はそのようなことは望んでいません。私には経験も確かなヴィジョンもないことはわかっています。それでも私は自分の力の及ぶかぎりのことはすべてやるつもりです。

スヴャトラーナ・ツィハノウスカヤは、2020年のベラルーシ大統領選挙に立候補した大統領候補のうちの1人である。もともとは彼女の夫シャルヘイ・ツィハノフスキーが立候補するはずだったが、逮捕されたため、夫に代わって無所属で出馬した。ルカシェンコ側からの妨害を受けながらも大きな支持を集めたが、投票の結果は、ルカシェンコが80.2%を得票し当選、ツィハノウスカヤは9.9%にとどまったと発表された。これに対して不正選挙の疑いがあるとして批判が高まり、大規模な反ルカシェンコのデモに発展し、市民と警官が衝突して多くの参加者が逮捕された。ツィハノウスカヤは隣国のリトアニアに逃れ、ベラルーシの民主派を代表するリーダーとして国外で活動を続けている。

ツィハノウスカヤは、夫が逮捕される前は教師・通訳として働いていて、立候補するまで政治活動の経験はなかった。そのような女性が民主派の指導者となり、各国の首脳と会談し、必要となれば軍の指揮をとる覚悟を語るところに、ヨーロッパ東部の同時代史のダイナミズムを感じる。

ベラルーシの反体制派のパルチザンが国内でロシア軍の活動を妨害し、ウクライナでの戦争にウクライナ側から参加しているのは、ウクライナでの戦争の行方が、ルカシェンコ体制とそれに対抗するベラルーシの民主化運動の将来を左右する問題であると認識されているためである。
参考:「ベラルーシにおけるロシア軍に対する妨害活動」 投稿日: 2022年3月21日

ルカシェンコは、ロシア軍がベラルーシ領内を通過してウクライナに侵攻することを認めたが、現時点までのところでは、ベラルーシ軍自体はウクライナ領内の戦闘に参加していない。今後、ベラルーシ軍がどのような態度をとるかは、ウクライナでの戦争の行方に影響する問題の1つである。インタビュー中でも言及されている、ウクライナ戦争に参加しないように呼びかけたヴァレリー・サハシチクのベラルーシ軍兵士たちへのメッセージ(ロシア語)は、動画で見ることができる。
https://www.wykop.pl/link/6545095/walerij-sachaszczyk-zwrocil-sie-do-bialoruskich-wojskowych/

【SatK】

Wacław Radziwinowicz による論説

「プーチンは「捕まえろ」という命令を発し、西側に気に入られようとするエリートの粛清を促すシグナルを送った。」
「身内の人びとに抑えがたい恐怖を抱いているウラジーミル・プーチンは、国外のウクライナ戦線に加えて、第二戦線を開いた。裏切り者の第五列との戦い、つまり国内の敵との戦線である。」

「ガゼタ・ヴィボルチャ」、Wacław Radziwinowicz による論説(2022年3月20日付)
https://wyborcza.pl/7,75399,28241851,putin-wydal-komende-bierz-i-dal-sygnal-do-czystki-elit-ktore.html

プーチン大統領が16日のテレビ会議で述べた「ロシア国民は、真の愛国者と人間のクズや裏切り者を、常に見分けることができる。口の中に入り込んできたハエを、道端に吐き捨てるように排除するのだ」というメッセージをめぐるポーランドの日刊紙の論説。

プーチンのこのメッセージののちに、ロシアの元副首相(2012~18年)アルカジー・ドヴォルコーヴィチが、務めていた財団の代表を辞任した。ウクライナ侵攻について「今回の戦争を含め、戦争というものは人生で直面する最悪のものだ」「私の心はウクライナ市民と共にある」と発言したために、「口の中に入りこんできたハエ」として「吐き捨てられた」ものとみられる。

ゲッベルスのようなプーチン

バルトシュ・T・ヴィェリンスキ
「ゲッベルスのようなプーチン――ルジニキでの彼の集会は1943年のベルリンの集会を想起させる」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年3月18日付

諸君は総力戦を欲するか?――1943年にナチスの宣伝全国指導者ヨゼフ・ゲッベルスは群衆にこう問いかけた。今日、ウラジーミル・プーチンはロシア人に同様の問いを投げかけた。

1943年2月8日、念入りに選ばれた聴衆がベルリンのスポーツ宮殿の観客席を埋め尽くした。2時間近くにわたって演説したヨゼフ・ゲッベルスは、何度も拍手喝采を浴びた。宣伝・公教育相であり、アドルフ・ヒトラーに最も近い協力者の1人である彼は、ドイツ人たちに、戦争は新たな局面に入ったと告げた。その2週間前、ドイツ軍はスターリングラードで壊滅的な敗北を喫していた。アフリカ軍団も敗北し、太平洋では日本軍が敗北していた。ヒトラーに対抗する連合国側は第三帝国の無条件降伏を望んでいた。ヒトラー政権の指導者たちにとって、生きるか死ぬかの戦いが始まっていた。ドイツ人たちの士気を保つために、ゲッベルスは総力戦という標語を用いた。ひとりひとりのドイツ人がこの戦いに参加するのだ。「諸君は総力戦を欲するか?」と彼は演説の最後に問いかけた。会場は熱狂して叫んだ、「もちろん!(Ja !)」

ロシアは電撃戦に失敗した

モスクワのルジニキ・スタジアムでの今日のプロパガンダ集会を見ながら、私は79年前の出来事のことを考えていた。無数の旗が翻っていた。そして、ウクライナに侵略したロシア軍が用いているZのしるし。ロシアのプロパガンダにとってこのシンボルは国家を支持する記号となったが、ロシア軍の兵士たちが犯した犯罪のために、世界にとってZは新たな鉤十字となった。ルジニキの集会の目的はスポーツ宮殿での集会と同じである。つまり、勝つことができないと思われる戦争を支持するように国民を動員することだ。

ロシアは、第三帝国と同様に、ウクライナで電撃戦を行なおうとした。ウクライナ人の抵抗、ウクライナ軍の見事な編成と指揮、社会をあげての果敢な姿勢、国の指導者たちの高い識見と能力によって、ロシアの計画は葬り去られた。ロシアはそれゆえに総力戦を行なうのだ。犯罪的なやり方で――砲撃と爆撃で――ウクライナの都市を破壊する。攻囲されたマリウポリで、ロシア軍は建造物の80%を破壊した。これは、ワルシャワ蜂起後にヒトラーがこの都市を地上から消し去れと命じたときに行われた破壊に匹敵する。ロシア軍はウクライナの工場を破壊し、森の木を切り倒し、農業に必要な設備や機器を破壊している。このような戦争は、1943年にまさしくゲッベルスが予告したものだ。2年と3か月足らず後、ソ連兵の手におちないように、まず自分の6人の子どもたちを殺したうえで、ゲッベルスは妻と自殺した。

あの群衆はロシアの空気について多くを語ってはいない

ドイツ首相オーラフ・ショルツは、ドイツ市民に対してロシアが仕掛ける攻撃を断固として非難した。彼はツイッターに、ウクライナでの戦争は、ロシアの戦争ではなく、プーチンの戦争に過ぎない、と書いた。この引用を文脈から抜き出してルジニキでの集会の熱狂的な雰囲気と並べてみると、控えめに言っても、あまり正しくはないように見える。しかし、覚えておかなければならないのは、1943年のスポーツ宮殿には念入りに選ばれた人たちの集団しか入れなかったということであり(ゲッベルスはのちに、すばらしく訓練された聴衆を前に演説したと語っている)、同様にルジニキでも、学生や、国家の官庁や諸機関の職員が、強制されて集められていたということだ。彼らの熱狂は、たとえ心からのものであったとしても、ロシアの空気について多くを語るものではない。

第三帝国では、今日のロシアと同様に、人びとは全面的なプロパガンダの影響のもとにおかれていた。ドイツ人たちは国外の情報から完全に切り離されていた(外国のラジオ放送を聴くことは刑罰の対象であった)。ロシア人たちは、西側のポータルサイトをブロックされ、世界のインターネットから切り離されれば、同じ運命をたどることになる。1940年代のドイツ人は、自分たちの総統のもとに最後までとどまる以外に選択肢をもたなかった。総統から権力を奪うことができるようないかなる力もなく、国家はテロルを用いる治安機関のコントロールのもとにおかれ、治安機関は敗北主義のあらゆる徴候を見逃さなかった。連合国側の想定に反して、戦争による損失や都市の爆撃によってドイツ人が反乱へと促されることはなく、防空壕に隠れたドイツ社会はますます無気力な大衆となっていった… 同じような運命をロシアはたどるのか?

https://wyborcza.pl/7,75399,28238566,putin-jak-goebbels-jego-wiec-na-luznikach-przypomina-ten-z.html#S.DT-K.C-B.3-L.2.maly

1943年のベルリンの集会と2022年3月18日のモスクワの集会には、たしかに共通する点がある。軍事的な不成功によって戦争全体の成り行きと体制の将来に指導者自身が不安を覚え、国民の士気を高め、国民全体を動員するためにプロパガンダ集会を開催したこと。

しかし、相違する点もある。2022年、ルジニキ・スタジアムに集まった群衆は、1943年のスポーツ宮殿の聴衆のような「念入りに選ばれた人たち」ではなかった。「選ばれた」国家機関・組織の構成員に入場券が配られたのだろうが、彼ら全員が「すばらしく訓練された聴衆」であったわけではなさそうだ。会場に最後まで残った人たちはプーチンの演説に熱狂的に拍手喝采したが、最初のほうだけ参加して会場から立ち去った人たちもいた。


後者の人たちは、プーチンが支配する現体制内で学んだり働いたりしている人びとである。上から指示されればそのとおりに従うが、おそらくはウクライナでの戦争を熱狂的に支持しているわけではない。動員されれば会場まで足を運ぶが、プロパガンダに全面的に身を委ねることはせず、家に帰る。この振る舞いは体制への従順の表現なのか、無関心のあらわれなのか、それとも密かな不服従・抵抗の兆しなのか――よくわからない。

プーチンは完全な意味でのゲッベルスではない。プロパガンダの専門家ではなく、諜報の専門家である。閉じた空間で、あらかじめウラもオモテも調べあげて弱みを握った特定の相手を威圧しながら取り引きを有利に進める能力には長けているかもしれないが、レトリックと身振りを駆使して2時間も聴衆を熱狂させる演説をぶつことは、プーチンにはできない。

ルジニキ・スタジアムでの集会を中継した国営放送は、プーチンの演説の途中で画面を切り替えるという「ミス」をおかした。ロシア当局は「技術的な理由によるもの」と事後に発表した。国営放送のスタッフによる抵抗の表現である可能性もゼロではないように感じるが、真相はわからない。

ロシアの言論弾圧と思想統制の現状は憂慮すべきものだが、ロシアの治安機関はゲシュタポではない。反戦を訴える市民は拘束されているが、社会全体が密告・拷問・処刑の恐怖に覆い尽くされているわけではなさそうだ(1943年のスポーツ宮殿の集会で途中で席をたって家に帰ったら、ただではすまなかったであろう)。

現時点で体制内にいて動員がかかれば従うが、熱狂的に戦争を支持しているわけではない人たちの今後の動向が、鍵を握っているような気がする。彼らは、「無気力な大衆」として、ヒトラーやゲッベルスに抵抗する反乱を起こさずに敗戦を迎えたドイツ国民と同じ運命をたどるのだろうか。それとも…?

【SatK】

「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」

「「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」とニューヨークタイムズ」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」、Jeffrey GettlemanとMonika Prończukの連名による記事
(2022年3月17日付)

スーダンで戦争から逃れた若い男性と、ウクライナから避難する若い女性が、同じときにポーランドの国境を越えた。彼らはきわめて異なる経験をすることになった。

ウクライナで戦争が勃発した日、スーダン難民の22歳のアルバジルは、ポーランド国境の手前で凍りついた枝葉のうえに横になりながら、ここで死んではいけないと思った。

ポーランドの国境警備隊の飛ばしたドローンが、彼を探していた。ヘリコプターも彼を探して飛んでいた。夜になって気温は氷点下に下がり、一面に雪が積もっていた。医学生のアルバジルを含むアフリカ出身の難民たちの小さなグループは、ポーランドにたどり着こうとしていた。食べるものは、乾したナツメヤシの実が数粒、ポケットに入っているだけだった。

「私たちは希望を失っていました」と彼は語る。

同じ日の夜、オデーサから近い小さな町で、21歳のカーチャ・マスローワは、スーツケースとアニメ制作の仕事で使っているタブレットだけを手に持って、家族といっしょにパープルレッドのトヨタRAV4に乗り込んだ。合わせて大人8人と子ども5人が車4台で護送船団を組んだ。戦火におおわれたウクライナから逃れようとする人びとの死にもの狂いの逃避行に、こうして加わったのだ。

「この時点では、私たちはどこに向かうことになるのか、わかっていませんでした」と彼女は語る。

同時に同じ国の国境を越えた同世代の2人の難民がその後の2週間のあいだに体験したことは、これ以上ありえないほど対照的だった。アルバジルは顔面を殴られ、人種差別的なことばでののしられ、国境警備隊の手に引き渡された。国境警備隊員は、アルバジルの語るところによれば、彼を暴力的に殴りつけ、そのことを楽しんでいるようだった。カーチャは、朝起きると食べるものも飲むものも冷蔵庫にいっぱいで、焼きたてのパンがテーブルに出てくるような毎日を過ごした。そのすべては、彼女が「聖人」と呼ぶ支援者のおかげだった。

われわれの難民と、そうでない難民

彼らの異なった体験は、ヨーロッパの難民危機にみられる不平等をきわだったかたちで浮かびあがらせている。この2人は、きわめて異なった地政学的出来事の犠牲者であるが、同じことを求めていた――すなわち、戦争の悪夢から逃れる、ということだ。ウクライナからヨーロッパへ、ここ10年間では最大規模の難民の波が押し寄せている。しかし、中近東とアフリカでは、いまだ多くの紛争が続いている。どの戦争から逃れるのかによって、あなたがどのように受け入れられるかは、大きく違ったものになりうるのだ。

ウクライナ難民は、マスローワのように、ポーランド国境を越えた瞬間からピアノの生演奏で迎えられ、バルシチ〔ポーランドのスープ〕はおかわり自由、しばしば暖かいベッドを提供される。そしてこれはまだほんの入り口なのだ。彼らはハンガリーの航空会社ヴィズ・エアーの飛行機でヨーロッパのどこへでもただで飛んで行くことができる。ドイツでは鉄道の駅でウクライナの旗をふって人びとが待ちかまえている。ヨーロッパ連合のすべての国が彼らに3年間の滞在を認めている。

こういったことのすべてを、アルバジルは、ポーランドの村の人権活動家の拠点にあるテレビの画面で見た。この拠点では、とても危ないので外へ出ることはできない。「姓は記事に出さないでほしい、非合法に国境を越えたので。テレビで見たことはショックだ」と彼は言った。

「どうして私たちはこれと同じ配慮と慈愛を与えられないのか? なぜだ? ウクライナ人は私たちより上等なのか? わからないな。なぜだ?」 

アルバジルが経験したことは、地中海から英仏海峡まで、ヨーロッパ諸国の政府がアフリカや中近東からの移民が自国に入ろうとするのを妨げるたびに、数えきれないほどの回数繰り返されてきた。彼らを押しとどめるために、ときには暴力も用いられてきた。

アルバジルの旅が多難なものになったのは、彼がベラルーシからポーランドに入国することに決めたためだった。このロシアの同盟国は、昨年、深刻な難民危機を意図的に作りだした、と西側諸国はみている。ベラルーシは、ヨーロッパにカオスを引き起こすために、スーダン、イラク、シリアといった紛争におおわれた諸国から、希望を失った何千人もの人びとを招き寄せ、ポーランド国境に向かわせた。これに対してポーランドは、その国境を完全に封鎖することでこれに応えた。

ウクライナ人は、ヨーロッパ地域で日を追うごとに近づいてくる紛争の犠牲者である。そのために、ヨーロッパの人びとの対応は同情に満ちたものになった。結果的に、もっと遠いところから逃げてきた難民は、不平等と――彼らの一部が指摘する――人種差別主義がもたらしたものを、痛みとともに感じることになったのである。

「異なる難民集団の待遇のあいだにこれほどのコントラストがあるのを、私ははじめて見ました」とブリュッセルの移民問題の専門家カミーユ・ル・コスは言う。ヨーロッパの人たちはウクライナ人を「われわれの仲間」とみなしているのだ、とも。

幸せの涙

ロシアのウクライナ侵攻から一夜明けた2月25日、マスローワは、モルドヴァを走り抜けてきた家族の車のなかに座って、ペプシコーラを飲んでいた。

窓の外では、歓迎する人びとが手を振り、親指を上に向けてサインを送ってくれるのが見えた。

彼女は泣きだした。

「悪いことじゃなくて、よいことで、心の張りが崩れてしまったのよ。世界中が自分を支えてくれるなんてこと、心の準備ができてる人はいないでしょ」

西に向かいながら、どこへ行くべきかで彼らはけんかをした。ラトヴィアがいいという者もいれば、ジョージアだ、という者もいた。だがマスローワは、ちょっと場当たり的だが、自分の計画をもっていた。

彼女はワルシャワの学校でアニメの勉強をしたことがあった。そのときの彼女の同居人の両親の知人の父親が、ポーランドの村に空き家を持っていたのだ。これがうまくいったら、アニメーションの学校に戻って、動画の制作をやる夢がかなうだろう。彼女は両親を説得した。「ポーランドに行こうよ。」

同じ日、アルバジルは相変わらず、ポーランド・ベラルーシ国境の森のなかに閉じ込められていた。戦火を逃れてから何年も経っていた。故郷ダルフールが戦争で破壊されるのを少年の目で見た、「およそ想像しうるすべてのこと」を見てしまったのだ、と彼は語った。その後、医学を学ぶためにスーダンの首都ハルツームに逃れた。しかし、じきにハルツームも混乱の巷となった。

11月、彼は、私立大学で職に就くために学生ヴィザでモスクワに行った。しかし、ロシアのウクライナ侵攻で強い経済制裁が始まると、アルバジルは、大学が閉鎖されるのではないかと怖くなった。そのために再び逃げたのだ。

彼は、ロシアからベラルーシをとおってポーランド・ドイツに抜ける旅を計画した。しかし、ベラルーシからやって来る移民の波をくい止めるためにポーランドが国境を閉鎖していることは知らなかったという。

約200キロ南では、マスローワの護送船団がついに目的地にたどり着いた――ポーランド領内にかなり入ったところにある村の農園である。

白髪混じりの髪の薄い頑丈な男性が、とつぜん暗闇から現れた。「ヤヌシュです。ようこそ。」

ヤヌシュ・ポテレクと妻のアンナは彼らを抱きしめ、全員が泣きだした。だが、涙は玄関で終わらなかった。

マスローワ一家が台所に行くと、3日分の食料が用意されていて、主人が料理してくれていた。それを見て、彼女はまた泣いた。洗面所に行けば、新しい歯ブラシ、せっけん、シャンプーが揃っている――それで彼らはまた泣いた。ベッドの上には、洗いたてのシーツ、タオル、毛布が置いてある――それを見て、さらに彼らは泣き続けた。

リンゴ園を経営するポテレクは、それ以前に難民を助けたことはなかったが、戦争が始まって「他人ごとではいられなくなった」と語った。

ポーランドか、それとも死か

数日後、マスローワと家族は、主人が子どもたちのために運んできたおもちゃの山をみて目を見張った。その頃、アルバジルと、彼と旅をともにしていた3人の男性は、逮捕された。彼らは気づかれずにポーランド国境を越えることに成功したのだが、彼らをドイツまで運ぶために雇った運転手がライトを点けるのを忘れていたために警察に停められたのだ。ポーランドの警察官は彼らのSIMカードとバッテリーを抜きとり、電話をつながらなくして(助けを呼ぶことをできなくするためだ)、彼らをもとの場所に連れ戻した。つまり、彼らが怖れていた森のなかだ。

ここ数か月のあいだに、ポーランド国境にたどり着こうとしながらポーランドの国境警備隊員に森に連れ戻されて、少なくとも19名が凍死した、と人権保護団体は指摘している。

ポーランドの官僚は、それは自分たちが悪いのではないと言う。
「悪いのはベラルーシ人です。彼らがこれらの人びとを操っているのです」と国境警備隊の広報官カタジナ・ズダノヴィチは述べる。

人権保護団体は、ポーランドの国境警備隊員も権力を濫用していると指摘する。ポーランド政府の報道官は難民の処遇についての取材を拒否した。

「行け!行け!」とアルバジルのグループにポーランドの国境警備隊員たちは叫んで、武器で脅しながら、人里離れた森のなかの有刺鉄線の囲いのほうに押しやった、とアルバジルは語る。警備隊員は1人の男性を囲いに向かって突き飛ばしたので、彼は手を切ってしまった、とも。インタビューのとき、彼は指のあいだの傷あとを見せた。

数時間後、食べものも飲みものもない状態で、自分がどこにいるかもわからずさまよううちに、ベラルーシ側の国境警備隊の詰所にたどり着いて、警備隊員に入れてくれと頼んだ。
「避難する場所が必要だったのです」とアルバジルはいう。

しかし、ベラルーシ人たちの考えは違っていた。
国境警備隊員たちは彼らを捕まえて、冷たい車庫のなかに放り込んだ。頑強なベラルーシの兵士が人種差別的なことばを叫んでののしり、怒り狂ったように攻撃したという。
「私たちを殴り、蹴り、地面に投げつけ、棒で殴ったのです。」
さらに、やはり捕まえられた肌の白いクルド人が車庫で一緒だったが、警備隊員は彼には手を触れなかったという。

その後、兵士は彼らを森のなかに連れて行ってこう言った。「ポーランドに行っちまえ。戻ってきたらぶち殺すぞ。」

人権擁護団体によれば、数万人の難民が、ポーランドとベラルーシのあいだであちらこちらへと押し戻され、罠にはまったようにどちらの国にも入れず、故国に帰ることもできずにいる、という。

3月5日、アルバジルと彼のグループは、その週で2度目のポーランドへの越境を試みた。足が動かなくなり、ほとんど凍死寸前だった。万が一のために控えていた番号に電話すると、ポーランドの活動家がひそかに彼らを自分の家に受け入れてくれて、外には出ないように注意した。こうしてようやく彼らは人間的な好意による活動に触れた。

アルバジルは、すべての難民を寛大にあつかう国として知られているドイツの避難所に移って、大学を卒業しようと計画している。彼はアラビア語、英語、そして少しだがロシア語を話し、金ぶちのメガネをかけて、手入れの行きとどいた頬ひげを生やしている。医者になって、ここまで生きて体験したことを本に書くことが夢だ。比較的豊かな国で生まれて教育を受けた人たちが、困っている者をこんな目にあわせられるなんて信じられない、と彼は言う。

アルバジルと一緒にいた男性の1人であるシェイクは、英語がわからないので、スマートフォンの自動通訳を利用している。音声をオンにしてもらった。

スマートフォンの機械的な声が語る。「全ヨーロッパが、人はだれでも自分の権利があると言っているが、私たちには、なにかそのようなものがあるとは見えなかった。」人種差別主義が、困っている人たちがどのように扱われるかに影響しているか、という問いに対して、アルバジルはためらうことなくこう答えた。「はい、まったくそのとおりです。人種差別そのものです。」

その間、マスローワ一家の待遇はよくなる一方だった。ポテレクは、マスローワの弟と妹を小学校に通わせる手続きをした。ポーランド政府はウクライナ難民には無償で教育と健康保険を保障することになっている。
診察を受けた医者が診療費を受けとらないのを知って、「国全体がウクライナ人のために原則を少し歪めているようにみえます」とマスローワは言った。

アフリカや中近東からの難民も受け入れますか、という問いに、アンナ・ポテレクはこう答えた。「ええ、でも私たちにはそういう機会がなかったのです。」

ただ、彼女はこうも言った。「ウクライナ人のほうがもてなしやすいでしょうね。彼らとポーランド人は文化的に共通ですから。」アラブやアフリカの諸国からの難民の場合は、とたずねると、「食事はなにを用意すればいいのかしら?」

木曜日、ヤヌシュ・ポテレクは友人に、マスローワに通訳のような仕事を見つけてほしいと相談した。
同じ日の午後、アルバジルと仲間たちはワルシャワの隠れ家にたどり着いた。ここでも外に出ることは禁じられた。

https://wyborcza.pl/7,75399,28234339,the-new-york-times-w-polsce-sa-uchodzcy-gorszego-sortu.html#S.DT-K.C-B.2-L.1.duzy

  • 記事のタイトルと小見出しは「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集部による。
  • 本記事のオリジナルはThe New York Timesに掲載された。
    ©2021 The New York Times Company

昨年11月に中東からベラルーシ・ポーランド国境に集められて足止めされた人たちがいて、いまウクライナ・ポーランド国境を越えて西へと逃れていく人たちがいる。
ルカシェンコのベラルーシがあのタイミングでポーランドとの国境に難民たちを集め、西側のジャーナリストに取材させて、ポーランドの国境警備隊が難民たちを追い返す映像が世界中に流れたのは、どういう意味があったのか。
他方で、2月24日にロシア軍の侵攻がはじまる前から、ポーランド東部2県では避難民受け入れの準備が始まっており、24日にただちに避難所が開設されている。なぜこんなに違うのか。
ずっと気になっている問題について具体的なケースをとりあげた記事だったので、全文を訳してみました。スーダンとウクライナの難民のコントラストが強烈です。

ニューヨークタイムズからの転載ではありますが、ポーランドの日刊紙にこうした記事が載ることは意味のあることだと思いました。

【SatK】

なぜロシア人は「ナチスのウクライナ」のトップにユダヤ人が立っているという語りに矛盾を感じないのか

ロシアの劇作家アルトゥル・ソロモーノフの「ガゼタ・ヴィボルチャ」への寄稿。

「なぜロシア人は「ナチスのウクライナ」のトップにユダヤ人が立っているという語りに矛盾を感じないのか」
2022年3月13日付

ここ数日、キーウやオデーサの友人たちに電話をかけ続けている。おそらく私の人生で最も困難な会話だ… ハルキウの知人たちは、もう家がない、通りも広場もない、子どもたちの遊び場もない、と語った… キーウの女友だちは、警報のサイレンが鳴り続けて、いつ何時でもシェルターに急いで逃げなければならない、昼夜を問わず命の危険にさらされてもう気が狂いそう、と言った… 結局、彼女はウクライナから避難した。そんなことは彼女には想像もできないことだったし、望んでもいないことだったのだが…

しかし、ウクライナ人たちは、ただ自分たちの意志で国をつくりたかっただけなのだ! ところが、テレビで私たちに繰り返し伝えられるのは、ロシアは誰かを助けようとして動いたのだ、この「軍事作戦」は、ロシア語を話すウクライナのロシア人への、われわれの愛の結果なのだ、ということだ。ああ、なんという他民族へのロシアの「愛」! そのなかで私たちの隣人も私たち自身も焼き尽くされてしまわなければよいのだが。私がこんなことを言うのは、この戦争がロシアにとって、あらゆる意味で完全に破壊的なものであると考えているからだ。道徳的にも、政治的にも、経済的にも。

「国家は死体を必要とするのだ! 死者を必要とするのだ!」

この戦争に私は、豊かでブルジョワ的なモスクワで遭遇した――もちろん、戦闘が始まったという悪夢のようなニュースを聞いても、首都の顔つきは何ひとつ変化しなかった。しかし、すでに最初の日に、恐怖というよりも、もうこれまでのような日々は二度と戻ってこないだろう、という感覚が漂いはじめた。加えて、これからは悪くなるばかりだろう、という感覚も。

偶然の成り行きで、この戦争は、私の戯曲「われわれはスターリンをどう葬ったか」が独立系のTeatr.doc.で初演を迎える日と重なっていた。その関係で、この間に私が会話をしたのは俳優たちと監督と劇場支配人に限られていて、この戦争への反応も、もっぱらいちばん近いところにいる彼らの様子からしか私には判断できない。彼らは全員ショックを受け、ふさぎこみ、混乱していた。こんなときに初演を舞台にかけるのは道徳的に正しいことなのか? でもだからと言って、上演を中止するのは降伏することになるのではないか?――この作品は、全体主義が生まれて、そこから逃れる余地がなくなってしまう状況を描いているのだから。

私たちは上演することにした。初日の夜8時、観客が集まり始めた。それは、これまでに私が目にしたなかで、最も不幸で混乱した観客だった。演劇に出かけるためにやっとのことでベッドから起き上がったんだよ、と知人が私に言った。招待した人たちの多くが、ごめん、劇場に出かける元気がないんだ、と電話してきた。ロビーでの会話ももっぱら戦争のことで、恥ずかしい、罪悪感と無力感で苦しい、と打ち明ける人が大勢いた。そして当然のことながら、なんという、ありえないような「血塗られた」偶然だろう、こんなときにスターリニズムの復活についての作品の初日を迎えるなんて、という話になった…

上演が終わったとき、観客が俳優たちのところに来て、「国家は死体を必要とするのだ! 死者を必要とするのだ! 人間なんて何の価値もない、国家がすべてなのだ!」という科白が舞台から聞こえてきたときの衝撃を語った。リハーサルを始めたときには、この科白が作品の核心であったわけではないのだが、生活の現実が力点の置きどころを変えてしまったのだ。

家に帰ってから、私はテレビをつけて国営放送にチャンネルを合わせた。番組では「ウクライナのナチス主義者たち」と「ロシア軍の勝利」について熱く語っていた。私はテレビのスイッチを切った。まるで1941年のニュースを観ているようだったし、ロシアがナチスドイツと死闘を演じているかのようだったから…

スターリンはいまなお葬られていない

総じて数年来、ロシアにいて、私は、超現実主義的な映画のなかで生きているような感じがしていた。論理と理性は不可逆的に根絶へと向かっていき、それはいまや無用なものとして完全に破棄されてしまったのだ。

だから、「テレビの視聴者たち」は、ユダヤ人が「ナチスのウクライナ」のトップに立っていることにも、わが国の権力が防衛の目的で攻撃していることにも、平和のために戦争していることにも、幸福のために破壊していることにも、まったく矛盾を感じないのである。彼らは、「戦争反対」(”no war”)という言葉が、現代ロシアではほとんど過激派のスローガンのようにみなされることにも問題を感じない。最近、雪に描かれた「戦争反対」を警察官が長靴で踏みつけている動画を見たばかりだ。しかし同時に、私たちは確かに平和を支持しているし、平和のためにあらゆることをやっているのだ。なにしろ、「軍事作戦」が始まったときに、目くらましの言葉が並べられたではないか――ナチズム、ファシズム、勝利、と。最近10年間に大衆の意識を支配してきた、あれらの言葉が。

こうしたことをロシアの外から理解することは、おそらくとてもむずかしい。現代ロシアにとってスターリニズムが現実の問題であることや、スターリンがいまなお葬られていないことが外からは理解しにくいのと同様に。いま一度、私たちの精神のなかで、犯罪的な数学が蘇えっているのだ。左辺には、何百万の無実のまま殺された人びと、何百万の自由を奪われ、搾取され、卑しめられた人びと。右辺には、大規模な建設、戦争の勝利、強力な国家。この悪魔的な論理学の創始者は、いまやますます現実化しつつある。

しかし、ここでの問題は、じつはスターリニズムでさえなく、いまロシアで、イデオロギーの問題についてはきわめて融通無碍で、それゆえに限りなく内的な矛盾を抱えた超帝国が出現しつつあることである。そこでは、過去の全体が等しく理想化される。ツァーリの過去もソ連の過去も、いにしえのルーシの時代も最近の時代も、正教のロシアも無神論のロシアも。現代ロシアは、すべての歴史的段階と過去のシンボルの集合体なのであり、そこではスターリンとニコライ2世、レーニンとエカチェリーナ2世、ツァーリとその暗殺者、「聖なるルーシ」とその破壊者が統一されなければならない。

こういうやり方は、まちがいなく、私たちの精神の健康を損なっている。共産主義については――もちろん誰一人としてそのイデオロギーを擁護する者はもはやいない。「共産党」は、いまや偉大なるフェイクの一部である。共産主義的な過去のうち必要とされるのは、国の強勢と神話的な統一の理念、そして諸民族を兄弟とみなす思想だけである。

プロパガンダを注入され操作されたロシア国民の巨大な部分が、最近20年間のあいだに、ノスタルジックに過去に憧れるようになり、過去をとり戻そうと夢見るようになった。これは喜劇的でもあり、悲劇的でもあった。若者たちさえもが、自分では生きたことのない時代に戻りたいと思い始めたからである。もちろん皆が皆ではないとしても、多くのひとがそう感じだしたのだ。そしていま、私たちは、この集団的ノスタルジーの恐るべき結果を目にしている。そして、このノスタルジーが無神論的なソヴィエト社会主義共和国連邦と聖なるルーシを同時に含んでいることに当惑しない者はいないだろう。

しかし、公式の次元でかくも多くが語られるロシアの宗教的な再生もまた、幻影である。あるいはフェイクであると言ってもよい。これもまた、現実のなかに支えをもたないもう一つの巨大な観念である。私はロシアを正教の国とは呼ぶまい。それは実態ではなく宣言に過ぎない。正教徒だと自称する人たちの多くは、主な祭日に教会に行くだけで、ロシア正教会の歴史も、それどころか聖書に書かれている物語も知らず、新約聖書を間違って引用するのがせいぜいである。「正教徒」を自称したいという欲望は、歴史と文化に自分も属していると表現したり、皆と共有する一種のコードを作ろうとしたりする姿勢のあらわれである。そして、正教会は権力がやろうとすることはすべて絶対的に支持するので、若者たちも知識人も正教会がクレムリンの支部であることを認めている。このことは、もちろん正教会の信用度に影響する。

この幻影とフェイクの海のなかで、現実としての実質を求めて権力と対等にわたり合うことができるものが、ただ一つだけある。それは芸術だ。裁判も、報道も、社会組織も、政党も、議会も、すべてフィクションだ。しかし権力は現実以上のもの、恐ろしいものであり、悪夢のように本ものだ。芸術も同じである。

だからロシアでは、人びとはいつも芸術に、とりわけ劇場に、偉大な思想や強い感情を期待する。それどころか、本当のところは国でなにが起こっているのか、どこに悪があるのか、そして善はどこにあるのかを理解するために芸術が手助けしてくれることを望んでいるのだ。だからロシアでは、芸術はじっさい特別な役割を、使命とさえ呼べる役割を果たしているのだ。芸術にたずさわることは危険だが(あなたが権力と手を結ぶのでないかぎり)、しかし同時にあなたは、あなたの仕事に意味があることを実感する。

このところ、遠くで起こっている騒ぎの反響が私の耳にも伝わってくる。どこかでロシアの劇場やオーケストラの公演が中止されたとか、チェーホフの劇の上演がとり止めになったとか、チャイコフスキーが演奏されなくなったとか、それで私たちの文化にかかわる多くの関係者が仏頂面をしているとか。いまはそんなことで気を悪くしているときではないと私は思う――チェーホフもチャイコフスキーもいなくなることはないし、時が過ぎれば演目に復帰して、劇場やコンサートホールに戻ってくるだろう。

そして、私たちもいなくなることはない。私たちは、文化をとおして自分たちの手でこの破局を防ぐことはできなかった。そしてこの破局が起こってしまったいまこそ、私たちに対する嫌がらせに気落ちしている場合ではないのだ。妄想とフェイクと偏執から、幻覚との闘いから生み出されたこの悪夢のなかで私たち全員が燃え尽きてしまうのでないとすれば、いずれ戦争が終わる時がくる。それはもちろんたいへん厳しいものになるだろうが、おそらくはロシアにとっての再生のチャンスとなる――私たちの歴史の最も醜い側面とのつながりを完全にたち切り、それらを理想化することをやめ、暴力と流血を地政学的に正当化することをせず、刑吏から英雄を生みだすことをしないために。目を覚まし、正常化し、隣り合った国や民族を自らの「愛」によって迫害することをやめるために。自らの境界のなかで自分自身を感じるようになるために――物理的な意味でも、形而上学的な意味でも。

  • ロシア語からポーランド語への翻訳者:Agnieszka Lubomira Piotrowska
  • 小見出しは「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集部による。

https://wyborcza.pl/7,112395,28214404,wojna-zastala-mnie-w-burzuazyjnej-moskwie-od-lat-mialem-wrazenie.html#S.DT-K.C-B.3-L.1.maly

【SatK】

なぜクレムリンはこの戦争を特別軍事作戦と呼ぶことを私たちに命じるのか?

ロシアの作家ドミトリー・グルホフスキーの「ガゼタ・ヴィボルチャ」への寄稿(3月11日付)。

なぜクレムリンはこの戦争を特別軍事作戦と呼ぶことを私たちに命じるのか?

それは、ロシアでは誰も戦争を望んでいないからだ。誰もが戦争を怖れているからだ。家から生きて出た人びとが鉛の棺桶に入って家に帰ってくるのが戦争だからだ。繫栄している都市が煙たち昇る廃墟と化すのが戦争だからだ。戦争とは永遠の恐怖だからだ。貧しさだからだ。飢えだからだ。集団的な狂気だからだ。

ふつうの人びとはこの戦争を望まなかった。自分の命で対価を支払うことになるからだ。自分の家族を崩壊させ、破滅させることになるからだ。ビジネス界はこの戦争を望まなかった。破産に追い込まれるからだ。わが国のいわゆるエリートたちもこの戦争を望まなかった。世界から切り離されて心地よい居場所を失うからだ。国民全体がそれを望まなかった。戦争が始まるとふつうの暮らしが終わってしまい、戦争の決まりに従った暮らしが始まるからだ。

ウラジーミル・プーチンは全員に責任をなすりつけた

プーチンがウクライナに個人的に戦争を仕掛けたのだ。彼は、まるまる1時間かけて、すべてのチャンネルを使って、なぜ戦争が必要か、国民に説明した。理由はただ1つ、ウクライナは「国家になれない存在」で根本的に存在するに値しない、ということだった。そこにあるのは個人的な憎しみだけで、それ以外に戦争をするいかなる理由もなかった。他にあったのは口実だけだ。

プーチンは自分自身のための栄光が欲しかったのだ。この戦争が彼に栄光を授けてくれるはずだった。彼は電撃戦に期待をかけた。戦争が勃発した日、テレビのプロパガンダ番組は、昼食どきにはキエフは手に入ると満面の笑みをうかべて約束した。しかし、約束の責任をとる用意はできていなかった。

だから、侵略を始めるまえに、彼はロシア連邦の安全保障会議を召集した。「私はなにも知らなかった」とあとで言いそうな面々を全員そこに集めた。そして彼らを既成事実の前に立たせた。それどころか「私は賛成する」と全員に大声で言わせた。世界と独自に平和交渉をやりそうな者全員に責任をなすりつけた。そのうえで、ロシアを実際に治めているのは私ではなくてわれわれ全員である、とプーチンは世界に言った。これで西側は折り合いをつける相手がいなくなるのだ。いつの日かハーグでウクライナとの戦争の裁判が日程にのぼっても、集団全員が被告となるようにしたのだ。そして、そうなることを、この集団のひとりひとりが頭に刻み込むようにしたのだ。

だが、彼らもそのような責任を負わされることにぞっとしたのだ。それは安全保障会議の映像をみれば、はっきりわかる。戦争を始める計画を事前に知らされていなかった様子さえわかる。彼らが怖気づかないですむように、体制全体に責任をなすりつけることに決めたのだ。

ロシア連邦議会の上下両院の議員たちも、この戦争について語ることはなかった。彼らもまた招集され、事実の前に立たされた。そして、安全保障会議の芝居がかった合意にもとづいて、両院の議員たちもまた新たな宣誓を行なうよう促されたのだ。反対の票を投じたり棄権したりすることはできなかった。習い性となった無力さと従順さによってことは運ばれた。しかし、とはいえ――彼らは、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国という傀儡国家の領域のなかでロシア軍を用いることに賛成しただけなのだ。

こうして私たちは犯罪者となった

ところが、われわれの戦車は、ドネツクではなく、ハルキウ、キーウ、ヘルソンに向かった。これは戦争である、ということがあきらかとなった。それについて人びとが問われていない戦争であることが。人びとがそれを怖れ、望んでいなかった戦争であることが。1週間後、この国を待ちうけているのは、神話めいたナチスの信奉者たちの部隊に対する電撃戦ではなく、全ウクライナ軍とウクライナ国民に対する大戦争であることがあきらかとなった。よくわからない理由から奇妙な象徴の体系のもとにおかれたロシア連邦軍は、ラテン・アルファベットのZの文字で識別されて、泥にはまって動けなくなった。わが軍の死者は数百人にのぼった。わが軍の銃砲はめくら撃ちを始め、ウクライナの街の住宅地を破壊した。戦争犯罪ではないかと言われてもしかたない成り行きであることが明白となった。

そしてそうなったとき、体制の犯罪を全国民の犯罪にすり替えることが決められた。すべての人びとを同じ色で塗りつぶすこと。この戦争については知らなかったとか望んでいなかったとか言えないように、私たちを共犯者にすることが決められたのだ。

あらゆる宣伝メディアで繰り広げられ、人びとに襲いかかってくるヒステリーは、ロシア人ひとりひとりの額にZの文字を刻みこむことを目的としているのだ。

兄弟殺しの戦争に対する責任、ヨーロッパの平和を破壊することに対する責任、悪夢のような過去へと逆行することに対する責任をプーチンと彼の体制からとり去って、ふつうの人びとの背中のうしろに彼らを隠すことが必要なのだ。血迷ったグループと戦っているのではなく、全ロシア国民と戦っていると西側に信じこませることが必要なのだ。まさしく自分たちの生き残りをかけた戦争をやっているのだと国民に示すことが必要なのだ。

人びとを戦争で塗りつぶすために、権力は、国民が支持していると見せかけた。ロシアの80の地域からZの旗をひるがえした自動車を集めて官製のデモンストレーションをやった。カザンのホスピスで終末期の医療を受けている子どもたちを白く雪の積もった中庭に集めてZの文字のかたちに並ばせ、上空から小さな患者たちを撮影した。事を起こしてしまってから、この流血の新たな説明を必死になって考えだす。曰く、ウクライナは化学兵器を持っていたのだ、生物兵器も持っていたのだ、ウクライナは核爆弾を作ろうとしていたのだ、先制攻撃しようとしていたのだ。どんな対価を払ってでも、あらゆる嘘を使って、この虐殺には意味がある、それはクレムリンにとってだけではなく、彼ら国民にとって必要なものなのだと、国民に示さなければならないのだ。

私たちはウクライナ人とわが国の兵士たちの血によって塗りつぶされている

しかし、私たちは忘れてはならない。Zを支持することで、私たちはウクライナの民間施設を爆撃し砲撃することを支持していることになるのだ。私たちは数多くの学校の破壊を支持しているのだ。私たちは兄弟の絆をたち切ることを支持しているのだ。家族のなかにある絆も、私たちの国と国のあいだにある絆も、永遠にたち切ることを。私たちはロシアが文明的な世界から聞く耳を持たずに孤立し、避けようもなく衰弱し、デジタル強制収容所の技術をもった中国のための原料供給植民地となることを支持しているのだ。

いまプロパガンダを信じている人びとは、すでに世界中でロシア人が侵略者とみなされていることを忘れてはならない。私たちが戦争犯罪者とみなされるところまで、あと一息だ。そして、それが私たちの歴史の一部となる――永遠に。私たち全員が塗りつぶされている――ウクライナの市井の人びとの血によって、そして徴兵されて「訓練のために」地獄へと送られた私たちの兵士たちの血によって。

これは私たちの戦争ではない。このことを私たちは記憶しなければならない。このことについて語り合わなければならない。私たちのうしろに隠れて彼らに語らせることを許してはならない。

  • ロシア語からポーランド語への翻訳者:Agnieszka Lubomira Piotrowska
  • 「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集部によるタイトルは「ロシアの有名作家:プーチンの目的? ロシア人全員を戦争犯罪者にすることだ」。文中の小見出しも「ガゼタ」編集部による。

https://wyborcza.pl/7,75410,28211243,slynny-rosyjski-pisarz-cel-putina-zrobic-ze-wszystkich-rosjan.html

ドミトリー・グルホフスキーは1979年生まれ。ロシアで最も人気のある作家の1人。SF小説『メトロ2033』(2005年刊、日本語訳は小学館より2011年刊)がベストセラーになり、国際的なインターネット・プロジェクト「メトロ2033の世界」を立ち上げた。ポーランドでも著書が出版されている。

文中にでてくるホスピスの病気の子どもたちによる Z 字を上空から撮った写真は「プーチンの病んだプロパガンダ」と題した次の記事で見ることができる。
https://parenting.pl/chora-propaganda-putina-do-tego-zmusili-dzieci-z-hospicjum

【SatK】

「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集主幹アダム・ミフニクの論説

アダム・ミフニク「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年2月24日付
https://wyborcza.pl/7,75968,28150460,dzis-mowimy-jasno-i-glosno-wszyscy-jestesmy-ukraincami-michnik.html

これが戦争である。ポーランドの歴史を知る者はだれでも、1939年9月を思い起こさなければならない。このとき、ヒトラーの軍隊は「迫害されているドイツ人を保護する」ためにポーランドに侵攻したのだ。2週間後、ソ連は、「迫害されているウクライナ人とベラルーシ人を保護する」ためにヒトラーに援軍を送ったのだ。

今日、プーチンの軍隊は、ドンバスで「ジェノサイド政策」を実行する「ウクライナのファシストとナショナリスト」から平和なウクライナ市民を「保護する」ことを望んでいる。まったくそのまんまだ! プーチンの強盗団の襲撃は、ヒトラーとスターリンによって示された模範を思い出させる。それに加えて、20世紀の最大の全体主義的ギャングどものレトリックにも、プーチンは手広く、なんの遠慮もなく、手を伸ばしている。

これは、1989年以来われわれが生きてきたわれわれの世界の終焉だ。このことの帰結を、われわれはまだ想像することができない。これは世界戦争の始まりなのか? ウクライナ人は、たしかにヨーロッパで最も不幸な民族だ。粘り強い、英雄的な、長年にわたる闘いにもかかわらず、より早い時期に自分の国家を創り、守ることができなかった。ロシア化と非民族化、差別と抑圧の犠牲となり、投獄され、拷問されてきた。1930年代の大飢饉とスターリンのテロルの犠牲となった。ヒトラーの占領者たちの手によって殺され、その後にはスターリンの刑吏によって殺された。

しかし、どの世代も、「ウクライナいまだ死なず」と繰り返してきた。

今日、ウクライナ人が対抗してこの同じ言葉を繰り返す相手は、プーチンの卑劣で下劣で嘘にまみれた数々の言明だ。このKGB中佐は、世界を自分の個人的な監獄のようなものとみなしている。そこにいる者は自分の所有物で、だれでも閉じ込めたり殺したりできると考えているのだ。アンナ・ポリトコフスカヤは、チェチェンで行なわれた犯罪について真実を書いたために、殺されたのだ。

ボリス・ネムツォフは、人気のある民主派の政治家であったために、殺された。ミハイル・ホドロコフスキーは、プーチン体制の腐敗をおおやけに批判したために、投獄された。現在、アレクセイ・ナワリヌイが投獄されている。プーチンの召使いの征服を着て歩くことを望まないロシアの声で語ったためだ。

世界はこれらのことを知るべきだ。勇気を奮い起こして、このような犯罪的な政治を許容する毒の力が打ち勝ってしまうことを許さないのであれば。沈黙は、この犯罪的な力にたいする臆病な賛同と屈服のしるしとなりうる。

思い起こすべきだ、1938年にミュンヘンで、1945年にヤルタで、全体主義体制の要求に民主主義世界が同意した結果がどのようなものになったかを。それらは、強権に対する譲歩のしるしだった。チェンバレンとダラジェは、ミュンヘンで何世代にもわたって続く平和を構築できると信じていたが、ヒトラーに征服の道を開いた。ルーズベルトは、合理的な論拠でスターリンを説得できると信じていたが、ヨーロッパの半分を彼の手に譲り渡した。

われわれは、同じ道を歩まないようにしよう。

今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ。ワルシャワでも、パリでも、ベルリンでも、プラハでも、ロンドンでも、ブダペストでも、声高く言わなければならないことは、1つのことだけだ。ウクライナ人は、自分たちのためにだけでなく、「われわれと君たちの自由のために」戦っているのだ、と。

同じテキストが、ロシア語、ウクライナ語、英語でも発表されています。
ウクライナ語: https://static.im-g.pl/im/6/28151/m28151436,MICHNIKUKR.pdf
ロシア語: https://static.im-g.pl/im/7/28151/m28151437,MICHNIKROS.pdf
英語: https://wyborcza.pl/7,173236,28150727,we-are-all-ukrainians-now-adam-michnik.html

文中の「ウクライナいまだ滅びず」は、ウクライナ国歌の冒頭の歌詞をふまえた表現です。ちなみにポーランド国歌も「ポーランドいまだ滅びず」という歌詞から始まります。
末尾の「われわれと君たちの自由のために」(o naszą i waszą wolność)は、1831年の11月蜂起でたたかったポーランド人が、ロシアのデカブリストへの敬意をこめて掲げたスローガンです。

訳者が重要だと思ったのは、次の2つの文章に示された認識です。
・「これは、1989年以来われわれが生きてきたわれわれの世界の終焉だ。」
・「われわれ全員がウクライナ人だ。」
ミフニクが念頭においている「われわれ」は、この文章の文脈においては、ヨーロッパ諸国民です。日本にいる私たちは「われわれ全員がウクライナ人だ」と、声高く、言えるでしょうか。基本的人権と報道・表現・学問の自由を守る立場から、訳者は、言えるし、言うべきだ、と思います。

【SatK】