「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年4月1日付*
*イタリアの日刊紙「ラ・レップブリカ」(執筆:Corrado Zunino)よりの転載記事
https://wyborcza.pl/7,179012,28289787,rosjanie-na-zajetych-terenach-od-dzis-zakazuja-jezyka-ukrainskiego.html
メリトポリで、ロシア軍は、市長を排除して、親モスクワ派の彼のライヴァルを代わりに据えた。ロシア化がすでに学校の教室で始まっている。「彼らは、私たちの歴史を教える教師と本を標的にしました。彼らは、私たちが自分たちと違うことに対して復讐しているのです。」
30歳のギェニャは、生まれて2日目の子どもに授乳していた。彼女のまなざしには暖かさがなかったが、これは子どものせいではない。「北へ、バシュタンカへ、どうにかこうにか逃げてきた。」この「北へ」はおおざっぱな方角で、ミコライウからは60 kmほどの距離である。「あっちはものすごい戦闘が続いていて、毎日毎日、ロシア軍がもう市内にいるような感じ」と彼女は言う。
「息子は今にも生まれそうで、家でも、通りでも、人道回廊を走るバスのなかでも、どこで生まれてもおかしくなかった。毎日毎日、爆撃のさなかでも。」
「息子がロシアで育つのはがまんできないから、それだけはぜったいないってわかれば、私にはそれで十分。私の町が生き残るのかどうかわからないけど、私はウクライナの外で暮らすことはない。息子も私といっしょにね。」
ギェニャの家族はみな無事だが、たくさんの友人が亡くなった。
ロシアの軍靴のもとで生きる恐怖
戦闘が行なわれていたり、侵略者が占領した地域の住民はロシア軍をよく知っており、なにが待ち受けているかもわかっている。兵士たちがどのような連中か、彼らといっしょに町に入ってくる「ロシア文化」とはいかなるものかについても。
南方の、黒海とアゾフ海という2つの海沿いの都市部ではもっと早く、2014年に、人びとはそれがどのようなものかを知ることになった。ロシア軍の軍靴のもとで生きる恐怖と、侵略者に対する憎しみと。
侵攻開始から1週間でロシア軍によって(大きな都市としては唯一)占領されたヘルソンでは、人びとが毎日デモをするために街に出ている。彼らは一貫して、自分たちの市長を返せ、街を返せ、旗を返せ、と要求している。水曜日(3月30日)の朝、地元の正教会は、聖職者セルヒー・フディノーヴィチが連れ去られたと公表した。ウクライナ政府は、この地方全体ですでに90,000人のウクライナ人がロシアに移送されたと発表している。連れ去られた人びとのなかには、ロシア人やモルドヴァ人も含まれている。
高まるロシア人のフラストレーション
ミコライウでは、移動式の火砲による銃撃が絶え間なく続いている。占領されたヘルソンとまだ自由なミコライウのあいだに位置する地域でも、人びとはすでにロシア軍とはどういうものか体験していた。1週間前、戦車の残骸を木々のあいだに残して侵略者が退却したことを人びとは喜んでいる。
「彼らは家に入ってきて、水をくれと言ったんだ。こっちに配るものなんか彼らは何も持ってなかった。彼らもこんないくさはまっぴらなんだ」とマリウコ村の老人たちは私に話してくれた。
しかし、もっとひどいことになったところもある。侵略へのウクライナ人の抵抗、予想を超えて長く続く防衛戦のなかで自分たちよりも強力な軍隊に対してウクライナ人がもたらす損失、こうしたことが原因となって――なんら正当化できるものではないが――侵略者のフラストレーションは高まり、行動は容赦ないものになった。
しかし、問題はそれ以上のものだ。メリトポリでは、ロシア軍が市長のイヴァン・フェドロウの頭に袋をかぶせて連れ去り、都市は陥落した。メリトポリの住民アンナ・ヴィノコロワはこう語る。
「どこかを占領してロシア軍が最初にやることは、学校にあるウクライナ的なものをすべて根絶することです。」
「彼らは、私たちが子どもたちに愛国心を教えたことに対して復讐しているのです。学校や幼稚園の教師を探し出して、銃撃さえしています。彼らはウクライナ語で教えることを禁止しました。ウクライナ語、ウクライナ文学、ウクライナ史のような科目を教えることを禁止したのです。新たに占領した場所ではどこでも、お隣のザポリージャでも、キーウやウガンスクでも、こうしたことが起こっています。プーチンがいちばん気にかけていることが、ここからわかります。私たちについて彼が考えているとおりに私たちに考えさせること、つまり、ウクライナ国民など存在しないと私たち自身が考えるように強制しているのです。
4月1日から学校ではロシア語しか使えない
「ロシア化」がいたるところで語られている。メリトポリの新市長ガリーナ・ダニルチェンコは、昔からの政治的ライヴァルであったフェドロウに代えてロシア軍が市長の椅子に据えた人物だが、黒い目だし帽をかぶった武装した男たちに囲まれて来客を迎え入れた。
確信をもって彼女は言う。「私たちとロシア人のあいだにいかなる違いもありません。私たちは同じ1つの民族です。近いうちに行政上の観点からも何ら違いがなくなることを望んでいます。ロシアの一部になることを望んでいるのです。」
本来の正当な市長は、ロシア軍が頭に袋をかぶせて拉致し、捕虜を交換するなかに入れられてゼレンシキー大統領に返された。このようなやり口を彼は日々非難し続けている。フェイスブックで彼はこう書いている。「彼らは教育課長イリーナ・シチェルバクを逮捕した。彼女は消息不明である。彼女が資産と金を盗んだと彼らは告発しているが、たんに協力を拒んだという理由でロシアの占領者が人びとを拘束していることはみんな知っている。学校でウクライナの子どもたちは彼らの人質になっている。4月1日からロシア語でのみ教えられることになる。」
街で喧嘩に「ここはずっとロシアだったんだ」
高齢の婦人ルドミワは、3週間隠れたのちに、メリトポリの避難場所から姿をあらわした。外国人の顔を見ると声をあげる。「パンよ、パン、パンをちょうだい!」さらに「ヨーロッパよ、パンをよこしなさい、私たちが生きのびることができるように」
そのあとで彼女は支援物資を受けとりに行く。受け渡し場所には、今日はプーチンの政党「統一ロシア」の旗が翻っている。
メリトポリ州では、今月支給されるべき年金9千万フリヴナのうち、8百万フリヴナしか支払われていない。
市庁舎前の広場で、中年の女性ナターリアはこう言う。「私はソ連で生まれたし、私の父はウラジオストク出身だけど、私はいまはウクライナ人だし、このテロリストたちがいなくなってほしい。」そう言って彼女はパトロール中のロシア軍兵士を指さした。
傍らを通り過ぎた男性が彼女をこう咎めた。「これは占領じゃなくて統一だぞ。われわれはずっとロシア人だったし、ロシア語がわれわれの言語だ。ここで起こってることはみんな、われわれが母国に戻れるようにするためなんだ。」
議論は通りがかりの人たちを巻きこんで言い争いになり、最後は武装したロシア兵が介入した。たとえ戦争が終わっても、ここでは和解はまだ遠い先のことだろう。そして、その状況をロシア人たちは利用するだろう。
ポーランド語への翻訳:Bartosz Hlebowicz
※ロシア軍は、一方で、占領地の住民を身体ごと物理的に排除したり、別人と入れ替えたり、胃袋を人質にとったりする。マリウポリの市長は拉致されてロシアに忠実な別の人物におき換えられ、住民は包囲して飢えさせたうえでパンを配ってひざまずかせる。他方で、ロシア軍は、占領地の子どもたちの頭のなかを入れ替えることにも注意を払う。学校でウクライナ語を禁じてロシア語だけを使わせ、ウクライナの文学や歴史は教えずに、君たちはロシアと一体なのだと教える。言語、文学、歴史。「人はパンのみに生きるにあらず」ということを、プーチンはよく知っているのだ。占領下の学校で学んだ子どもたちが大人になるころ、はたしてこの町に和解は訪れているのだろうか…
【SatK】