ロシア、反戦的な発言をした教師を生徒たちが密告

「ジェチポスポリタ」 2022年4月11日
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art36050911-nauczycielka-z-rosji-uczniowie-doniesli-na-mnie-za-antywojenne-komentarze

ロシア西部のスポーツ・エリート校で英語を担当する45歳の教師イリーナ・ゲンIrina Gen
は、3月末に学校内で反戦的コメントを行なった容疑で取り調べを受けた。生徒たちが彼女の発言をひそかに録音し、捜査当局に渡していた。

3月31日にテレグラムに公表された録音では、生徒が教師に、どうしてロシアはスポーツの国際大会から排除されているのか、と質問している。

「ロシアが文明的なやり方で振る舞うようにならないかぎり、永遠にこの状態が続くでしょう」と教師は答え、次のように続けた。「彼らはウクライナ西部を爆撃し始めました…キエフを占領してゼレンシキーと〔ウクライナの〕政権を倒したいのです。でも〔ウクライナは〕主権国家なのです。主権をもった政府なのです。」

「でも私たちは詳しいことを知りません」と生徒の1人が言った。

「そのとおりですね。あなたたちは何も知らないでしょう。じっさい、何も知らないのです」と教師は答えた。「私たちの国は全体主義的な体制です。どんなことでも反対すれば犯罪として扱われます。私たち全員が15年間投獄されるのです。」

授業での会話は3月18日に録音されたものだ、とゲンは認めた。彼女の考えでは、生徒の親たちが「発言を録音して、当局に渡すように子どもたちに言いきかせた」のだという。

ゲンによると、3月23日に連邦保安庁(FSB)の捜査官が学校にやってきた。ロシア軍がウクライナで民間人を標的に攻撃していることと、マリウポリが爆撃されていることについて生徒たちに話したことで「あなたは大きな過ちを犯した」と捜査官は指摘した。

「何者かが自分の教師を密告するということ、そもそもこの問題で誰についてであれ密告するということを、私は考えたこともありませんでした」と彼女はいう。4月1日付でゲンは解雇された。

現在、この45歳の教師に対して、ロシア軍の信用を貶める「虚偽情報」を拡散した件で審理が行なわれている。10年間の懲役と500万ルーブル(約6万ドル)の罰金を科される可能性がある。

上記の記事は、本タイムラインですでに紹介した記事の続報にあたる。
「君たちは失業することになる――服従しない芸術家と教員にロシア国家院議長が警告」
投稿日: 2022年4月3日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220403_1/

最初の記事を読んだときには、自分も教壇にたつことを仕事にする身として、背筋が凍る思いがした。ただ、そのときにはわからなかったことだが、密告の舞台となった学校が「スポーツ・エリート校」である点は、注意が必要かもしれない。ロシアの環境のもとでは、国際的に活躍できるスポーツ選手になるということは、国家を代表し、その威信を高める使命を担うことと不可分であろう。そのような使命感を、このような学校で学ぶ生徒たちも、彼らの親たちも、比較的強く内面化しているかもしれない。

こうした個別のケースから、どの程度まで現在のロシア社会全体の空気を推し量ることができるのか、確かなところは訳者にはわからない。しかし、この間にあきらかになってきた、ウクライナの占領地での多くのロシア軍兵士たちの非人道的な行動や、ロシア国内でのZ字の(肯定的な文脈での)使用の普及などと考え合わせると、学校で起こったこの密告事件は、かりに典型的な事例でないとしても、少なくとも徴候的な事例であるとは言えるのではないだろうか。

第二次世界大戦中のドイツでは、絶滅収容所でユダヤ人の大規模な殺戮が行なわれただけでなく、占領地で多くのユダヤ人が射殺されている(ホロコーストの犠牲者のうち、およそ20~25%は射殺によるものであった)。現場で「任務」として銃殺を実行したのは、動員された「普通の」ドイツ人男性たちである。無抵抗なユダヤ人たちに向かってひたすら銃の引き金を引き続けることが、どうして「普通の人びと」である彼らに可能になったのか、という問いに答えようとしたのが、クリストファー・R・ブラウニングの『普通の人びと――ホロコーストと第101警察予備大隊』(谷喬夫訳、ちくま学芸文庫、2019年)であった。ブラウニングは、隊員たちが最初から「抹殺主義的反ユダヤ主義者」であったわけではなく、いくつかの条件のもとで殺戮に対して徐々に無感覚になってゆき、大量殺戮の専門家に変身していった過程をあきらかにしている。このブラウニングの研究も含めて、ホロコーストの研究者のあいだでは、ヒトラーの政治的指導力とドイツ社会を構成する「普通の人びと」との関係をめぐって、さまざまな角度から議論が行なわれてきた。

現在進行中のウクライナでの戦争についても、プーチンの政治的指導力とロシア社会の「普通の人びと」との関係について、単純化に陥らない考察と議論が必要とされている。

【SatK】

洗濯機にも爆薬が

「ジェチポスポリタ」 2022年4月10日
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art36047231-szef-msw-ukrainy-rosjanie-zostawiaja-ladunki-wybuchowe-nawet-w-pralkach

ウクライナ内相デニス・モナスティルスキーは、ロシア軍が占領地から撤退するさいに、多くの住宅や自動車に爆破装置を仕掛けていたことをあきらかにした。
「占領者がいた地域では、扉や柵にトラップが仕掛けられている。ウクライナの警察官、救護活動従事者、兵士の住んでいた家で、爆発物が見つかっている。」
ロシア兵は、略奪するさいに居住者の身分をつきとめ、こうした罠を仕掛けた可能性があるという。
爆発装置は、家のなかの洗濯機でも発見されている。自動車に爆弾が仕込まれている場合もあり、トランクを開けたところ爆発して死亡した人がいる。占領されていた地域の住民に対して、爆破物処理を任務とする工兵が確認するまで帰還しないよう、内相は呼びかけている。

【SatK】

チョルノーブィリの「赤い森」で「異常に高い」放射線量

「ジェチポスポリタ」 2022年4月9日付
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art36047081-nienormalnie-wysokie-promieniowanie-w-czarnobylskim-czerwonym-lesie

ウクライナの国営原子力発電企業エネルゴアトムのCEO、ペトロ・コーチンが、専門家とともに、チョルノーブィリ(チェルノブイリ)の立ち入り禁止区域内のいわゆる「赤い森」*の一部を訪れた。この区域では通常の160倍もの放射線量が記録された。

*チョルノーブィリ原子力発電所の近隣の森で、事故で放出された放射性物質によって森のマツの木が枯れたため「赤い森」と呼ばれる。汚染除去のためこの区域の木々は伐採され、地中に埋められた。

専門家たちは、1986年のチョルノーブィリ原子力発電所の事故で最も汚染された地域である「赤い森」を調査した。

ロシア軍が発電所の領域を支配していたときに、ロシア軍の兵士たちは「赤い森」に宿営していた。ドローンで撮影された写真から、彼らがそこに塹壕を掘っていたことがわかる。

専門家たちは、ロシア軍が宿営していた地点を調査した。エネルゴアトムは、テレグラムに発表された声明で、「この区域では、以上に高い放射線量が記録された」と伝えた。

空間放射線量は通常の10~15倍であり、土壌の表面と接触した場合の内部被ばくによる放射線量は通常の160倍に及ぶ可能性がある。

専門家によると、人体にとって最も危険なアルファ波を放出する廃棄物は、地表から40~80cmの深さに埋められている。占領したロシア軍は、これより深く地面を掘っていた。「人間の体内では、アルファ波は、ガンマ波やベータ波よりも数十倍から数百倍の影響を及ぼす。」

エネルゴアトムの専門家は、この区域に宿営して塹壕掘りの作業に参加したロシア軍兵士は、約30日以内に「さまざまな程度の放射線被ばくによる病気」を発症する可能性があるとしている。

参考
ウクライナの国営原子力発電公社 Energoatom の発表
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220401_2/
「ロシア軍兵士、チョルノーブィリ(チェルノブイリ)の立ち入り禁止区域で塹壕を掘る。彼らの身体に重大な影響」
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/tweet/20220401_1/

【SatK】

ロシア軍兵士が宅配便を送るにはレシートが必要に

「ジェチポスポリタ」 2022年4月9日付
https://sukces.rp.pl/spoleczenstwo/art36046401-firma-kurierska-z-rosji-odmawia-wysylania-zolnierskich-paczek-zada-paragonow

ロシアの運送業者SDEKは、ユーラシア経済連合(EEU)――ロシア、ベラルーシ、カザフスタンなどが加盟――の領域内で荷物の発送を受け付けるさいには、レシートなど送付物の由来を証明する書類の提示を求めることを決めた。ロシアの独立系メディア「メドゥーサ」が伝えた。

4月初旬に、ベラルーシの独立系メディアが、キーウ近郊から撤退したロシア軍の兵士たちがSDEKを利用して大量の荷物を発送したことを報じた。送付物の多くは、ウクライナの民間の住宅や施設から略奪した物品ではないかと疑われている。SDEKの決定は、こうした報道への対応ではないかとみられている。

【SatK】

ロシア、ベラルーシからEUへのトラック輸送は禁止に

「ジェチポスポリタ」 2022年4月8日付
https://logistyka.rp.pl/drogowy/art36043511-koniec-jazdy-na-zachod-dla-rosyjskich-i-bialoruskich-przewoznikow

EU理事会は、第5次の対ロシア制裁を決定した。ロシアとベラルーシのトラックは、EU領域内に入ることを禁止される。ただし、薬・医療用品、食糧(小麦を含む)、人道的な理由による輸送は制裁から除外される。
もしロシアが対抗措置としてEUのトラックがロシア領内に入ることを禁止すれば、EUの東の境界を越えるトラック輸送は、ほぼ完全にストップすることになる。

【SatK】

ロシア国内のアムネスティ・インタナショナルとヒューマン・ライツ・ウォッチは閉鎖に

「ジェチポスポリタ」のタイムラインより(2022年4月8日 22:24)

ロシア法務省は、ロシア国内で活動する15の国際機関や国際NGOの支部の登録を抹消すると発表した。登録を抹消される15の機関のなかには、アムネスティ・インタナショナルとヒューマン・ライツ・ウォッチが含まれる。ロシア国内のこれらの組織の事務所は閉鎖される。登録抹消の理由として、ロシア法務省側は、ロシアの国内法に対する違反を挙げている。

【SatK】

「ブチャは、真の「偉大なるロシア文化」だ。ブルガーコフについてのおしゃべりは犯罪の共犯者になることだ」

ユーリー・アンドルホーヴィチ
「ブチャは、真の「偉大なるロシア文化」だ。ブルガーコフについてのおしゃべりは犯罪の共犯者になることだ」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月6日付
https://wyborcza.pl/7,75410,28305098,andruchowycz-bucza-to-prawdziwa-wielka-rosyjska-kultura.html

ダブリンからウラジオストクまで広がる「共通の価値観」だって? チェーホフ? そしてもちろん、トルストイだと? あなたがたはばかか? あなたがたに心がないことは、私はすでに前から知っていた――ウクライナで最も重要な作家の1人は言う。

* * *

「すばらしき才能に満ちたドイツ国民、世界文化にルターとゲーテ、ニーチェとワグナー、カントとヘーゲルをもたらした哲学者と詩人たちの民族は、ヒトラーと彼のいちばんの側近たちの蛮行には責任がない、アウシュヴィッツ、マイダネク、ブーヘンヴァルト、ダッハウその他のホロコーストの徴候にも、ワルシャワやその他のヨーロッパの数十の都市を略奪して瓦礫の山と化したことにも、責任がない。今日では、ドイツ的なもののすべてを禁止し、ドイツ人に集団責任を負わせるべきだと主張するのは、病的なドイツ嫌いにとりつかれた者か、俗悪なプロパガンダをやる者だけである。偉大なドイツ文化――そのうちの一部分ははとり除いたり封じたりすることが求められるとしても――に対する公然たる攻撃は、野蛮な後進的態度、幼稚な、白か黒かの二項対立的な世界観の表明以外のなにものでもない。ドイツ人も、世界の他の諸国民に劣らず、ヒトラー政権の行動のために苦しんだのであり、この彼らにとって悲劇的な歴史の瞬間に、われわれの支援と連帯を他の誰よりも必要としているのである…」

私には無理だ。私には、たとえば1945年にこのような文章が書かれることは想像できない。ばかげているって? まったくそのとおり。危険だって? そうだ、考えられるかぎり。

この類のばかげて危険な文章を、1945年に、あるいはもっと後になっても、誰かがあえて発表したなどということを、私は聞いたことがない。それでは、なぜいま、2022年には、至るところからこの類のアピールが聞こえてくるのだ?

ウクライナ人の悲劇は、#BuchaMassacre(#ブチャの虐殺)というハッシュタグに縮約された。このタグを使うのはかんたんだ。それによって大きな犯罪を1つの、ただ1つの町に限定することができる。ウクライナ軍が次々に領土を解放していくにつれて、わが国にこのような「ブチャ」が他にもあることが知られ、これからも知られていくだろう。これらの場所のひとつひとつについて、それぞれを語るべきなのだ。ブチャの名前はいま声高に叫ばれているが、ここだけで起こったことではないのだ。

ブチャは(そして他のたくさんの「ブチャ」もすべて)、たまたま起きた残念な出来事でも「一部の兵士の行き過ぎ」でもない。それは、自分の国が起こした戦争によって出口のない状態におかれた「素朴なロシアの若者たち」がパニックを起こした結果でさえない。

これは、前もって計画され、組織的に実行されたロシア国家の政策の一部なのである。この政策の本質は、ウクライナ人を部分的に隷属させることであり、なによりもウクライナ人を根絶することである。

われわれは存在するべきではないのだ。この4,000万人の人口をもつヨーロッパの国民は、存在してはならないのだ。われわれの言語は存在するべきではないのだ。われわれの記憶は存在してはならないのだ。われわれは「非ナチ化」される――ウクライナ人全員、最後の1人にいたるまで。われわれは「非ウクライナ化」される――われわれは生命を奪われるのだ。

1週間前、イスタンブールでの交渉で、ロシアの役人は「キーウ方面での活動を縮小する」と約束した。このとき、いかなる「活動」のことを言っているのか、世界中の誰も思いつかなかった。ありふれた軍隊の動きや、ミサイルの発射や、空からの爆撃のことだろうと考えていた。「ありふれた」という言葉を私が使ったのは、40日間の戦争で、人びとは軍隊の動きに慣れてしまい、警報のサイレンの響きにも身震いしなくなっているからである。

だが、ロシア人の活動はそんなものではなかったことが、あきらかになった。この戦争の最初の日から、そしてそれは彼らが行なってきた他のいろいろな戦争でもすべてそうだったのだが、ロシア軍は民間人に対してこそ、最も効果的に攻撃してきたのだ。言いかえれば、こういうことだ。ロシア軍とは、きわめて多方面に分化した全国民的なテロ組織である。この組織は何十万というメンバーから成り、彼らは、限界を知らない残酷さだけでなく、他に例をみないサディズムを身につけている。ロシアはテロリスト国家である。痛みと、悲劇と、死をまき散らすこと――これがその使命である。「ロシアは独自の道を行く。」

以下は、その活動の例である。

射殺すること。たまたま歩いている人たちを。すべての人びとを。

死から逃れようとしている民間人の自動車を。

その車に乗っていたすべての人を、例外なく。女性も、子どもも。命あって生きている者はすべて――炎と金属によって。

爆弾を落とすこと。クラスター爆弾、白リン弾、その他禁じられているあらゆる爆弾を――人びとの頭のうえに。
病院に、劇場に、博物館に、図書館に、幼稚園に、爆弾を落とすこと。

集団を拷問し処刑すること――後頭部に弾を撃ちこむことによって。われわれ西ウクライナの以前の世代の人びとは、1939~41年に、このやり方を知っていた。後ろ手に縛られ、ひざまずいた犠牲者の後頭部への射撃は、われわれの土地にあったロシアの、ボリシェヴィキの監獄ではどこでも、ふつうのやり方だった。おっと、申し訳ない、「ふつうのやり方」は不適切な言い方だった。より正確に言えばこうだ――「日課となった仕事」だったのだ。

集団的に暴行すること。女性たちと子どもたちを。古来の本能的な悪の集団的な爆発だ。男を殺し、その妻を犯す。そのすべてを彼らの子どもの前でやる。

(ドストエフスキーさん、あなた、どこかで子どもの涙について書いておられましたっけ? それ、少しはロシア人のためになりましたか?)

ウクライナの市民を、占領された地域からロシアの奥地へ、集団的に強制移住させること。すべてが合致し、すべてが繰り返される。テロリストと人質の関係だ。

略奪。強奪。ロシアの兵士たちは組織的にウクライナ人の住居を破壊している――集合住宅でも、一戸建てでも。いたるところで。行き当たったものはなんでも略奪する――古着、靴、酒、装身具、香水、コンピューター、スマートフォン、ナイフ、フォーク…あとに残していくのは、粉砕した世界の残骸と、自分たちの排泄物の山だ。偉大なロシア文化の思い出として。

今朝がた、私は、彼らはたんなる略奪者にすぎない、そうあってほしい、という思いにとらわれた。つまり、いろいろあっても、彼らも人間だ、ということだ。悪い奴、下劣な奴ではあるが、しかし人間だ、と。しかし、われわれが目にしていることは、彼らが人の道を外れてしまっていることを証言している。ロシアの住民は効率よく自らを非人間化しているのだ。反世界になっているのだ。自発的に反人間に転化しつつある人類の一部なのだ。

最後のロシア人が「#ブチャの虐殺」の最後の血塗られたエピソードを終えてブチャを立ち去ったその同じ日に、ヨーロッパ議会のある党派の指導部が「ロシア国民に向けて」新たに声明を発表した。チェーホフとブルガーコフについて。そしてもちろんトルストイについて――この裏表ある怪物を抜かすわけにはいかないから。ダブリンから、もちろん、ウラジオストクまで広がる「共通の価値観」について。なぜ千島列島までと言わないのだ?

存在していないものについて、どうやって声明を発することができるのだ? 尊敬すべき党指導部のみなさん、あなたがたはばかか? あなたがたに心がないことは、私は以前から知っていた。

彼らは愚か者だと私は考えていた。しかし、そう考えるのを私はやめた。彼らはこの犯罪の共犯者だ。彼らが気にかけているのはただ一つのことだけだ――いかに下手人を免罪するか。「#ブチャの虐殺」への憤りは当然表明しなければならない、ただ、自分の憤りによってロシアを憤らせないようにしなければ。そうすることで、ひそかに、彼らはウクライナの抵抗を妨げているのだ。

その抵抗は、しかし、すでに40日以上続いている。敵の無力さは、不可避的に、断末魔に転化しつつある。

春が来る。ウクライナは続くだろう。

ポーランド語への翻訳:Maciej Piotrowski
記事のタイトルとリード文は「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集部による。
ウクライナ語の原文はnovapolshcha.pl で発表された。

ユーリー・アンドルホーヴィチは、1960年生まれ。ウクライナの作家、詩人、翻訳家。歌手でもある。ウクライナ西部のイヴァーノ・フランキーウシク在住。
ロシア軍のウクライナ侵攻2日前のインタビューを、このタイムラインで以前、紹介した。
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/interview/20220222/

ブチャの虐殺があきらかになってから書かれたこの文章につけ加える言葉を、訳者はもたない。

【SatK】

ロシアでは、ソ連と第三帝国と同一視すると処罰の対象に

「ジェチポスポリタ」 2022年4月6日付
https://www.rp.pl/swiat/art36024081-w-rosji-beda-kary-za-utozsamianie-zsrr-i-iii-rzeszy

ロシア国家院(ロシア連邦議会の下院)は、第二次世界大戦中のソ連とドイツの役割を公共の場で同一視したり、「ヨーロッパ諸国の解放におけるソ連の人道的使命」を否定したりすることに対して刑罰を科す法案を採択した。

2月、国家院の立法委員会は、ソ連を第三帝国と比較することに対して最大15日間の拘束あるいは1,000~100,000ルーブルの罰金を科すような法改正を提案した。水曜日(4月6日)、ロシア連邦議会下院は、この法案を採択した。

ポーランドでは、第二次世界大戦の始まりは、1939年8月23日の独ソ不可侵条約に付随する秘密議定書にもとづいて、9月1日にドイツ軍が西から、同月17日にソ連軍が東からポーランドに侵攻した状況から説明される。ドイツ占領下でも、ソ連占領下でも、強制移住、強制収容所への移送と強制労働、思想・言論弾圧などにより、軍人・兵士だけでなく、一般市民を含む多くのポーランド人が犠牲となった。カティンの森事件(1940年4月)は、ソ連が占領・併合した地域でおきた虐殺事件である。

独ソ不可侵条約の秘密議定書では、バルト諸国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア、フィンランド)、ベッサラビア(ルーマニア東部)はソ連の勢力圏に入ることも規定されていた。この規定にもとづいてバルト三国には1939年秋からソ連軍が駐留し、40年にはソ連に併合された。フィンランドはソ連の侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながら独立を守った(ソ連・フィンランド戦争、1939年11月~40年3月、41年6月~44年9月)。

ロシアのいう「大祖国戦争」とは、1941年6月に独ソ戦が始まってから後の段階の、ドイツをはじめとするヨーロッパの枢軸国諸国軍とソ連軍との間の戦いを指すのであって、第二次世界大戦の全体を含むものではない。
今回の法改正によって、ロシア国内の公共の場で、バルト諸国やポーランドで広く共有されている第二次世界大戦観を提示すると、違法行為として罰せられる可能性がでてきた。

【SatK】

ブチャの集団暴行。「犠牲者のなかには12歳の少女もいる」と、医師は私にウクライナ語、ポーランド語、英語で繰り返した。

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月5日 執筆者:Natalia Waloch

ブチャでロシア兵は女性と子どもに暴行した。司直の捜査を妨げるために、彼らは犠牲者の身分証明書を破棄している。

ブチャとイルピンでは、大規模な集団暴行が起こった。性的な暴力にさらされたのは女性だけでなく、子どもたちも被害をうけた。こうした報道について、キーウの心臓外科医ナザール・オゼリャンスキーは、われわれにそのとおりであると認めた。彼は、ブチャとイルピンからキーウに運ばれた420人を受け入れている精神科医と直接コンタクトをとっている。「420人というのは、昨日の数字です。」私が電話したとき、彼は私に念を押した。「今日はすでにもっと増えている。ものすごく増えています。」

医師によると、すべての女性が暴行を受けている。
「犠牲者のなかには12歳の少女もいるのです」と彼は私に3回繰り返した――まずウクライナ語で、次いでポーランド語で(彼はむかしポーランドにいたことがあるので、われわれの言語を少し知っているのだ)、そして、私がよく理解するように、英語で。

現在、ブチャとイルピンのすべての犠牲者は、キーウで専門家、とりわけ心理学者の保護下におかれている。ウクライナの検察も現場で捜査している。彼らは、犯罪の証拠をできるかぎり完全なかたちで、できるかぎり迅速に、確保することを望んでいる。時間がたつと証拠の多くが消えてしまうことを彼らは知っているからだ。しかし、証拠固めは問題に直面している。「犠牲者たちのパスポートその他の身分証明書が破棄されているのです」とオゼリャンスキー医師は語った。

これはロシア人の意図的な行動だ、と彼は強調した。彼らが犠牲者から身分証明書を奪うのは、捜査機関による犠牲者の身元の特定を困難にするためだ。犠牲者から証言をとる過程で、身元の特定が不可欠だからだ。ロシア兵のこのような行動のモデルは、すべての場所で同様だった。

すべての場所で。ブチャとイルピンの犠牲者は一部にすぎない。「これで終わりではない」と心臓外科医は2度繰り返して強調した。まだまだ来るだろう、チェルニーヒウから、ボロディアンカから…、と彼は語った。

キーウの専門家と活動家のチームは、保護下にある420人について、EU諸国に避難させて、治療と心療を組み合わせたサポートが受けられる場所で受け入れてもらうことを望んでいる。現時点で、ポーランドですでに、自治体や、暴行の犠牲者の保護を専門に行なってきた非政府機関から、ブチャとイルピンの犠牲者に支援の手を差しのべたいという最初の声があがっている。

【SatK】

「焼かれた図書館、暴行されて死んだ女性たち、息絶えた子どもたち。ロシア人との平和はありえない」

マクシム・レヴァダ
「焼かれた図書館、暴行されて死んだ女性たち、息絶えた子どもたち。ロシア人との平和はありえない」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月4日付
https://wyborcza.pl/magazyn/7,124059,28297963,spalili-muzeum-starozytnosci-ukrainy-muzeum-marii-primaczenko.html#S.main_topic_ua-K.C-B.1-L.2.duzy

彼らはウクライナ古代博物館、マリア・プリマチェンコ博物館*、オフティルカ、ハルキウの博物館を焼いた。なぜだ?

*マリア・プリマチェンコ(1908~97年)は、ウクライナの素朴派(naïve art)の芸術家。パリで彼女の展覧会をみたピカソは「芸術的奇跡のまえで脱帽する」と述べた。ウクライナの切手のデザインにも彼女の絵が採用されている。(訳者注)
ウクライナの切手のデザインにも彼女の絵が採用されている。

戦争が始まって32日目、チェルニーヒウ

キーウからチェルニーヒウへは車で1時間半で行ける。朝、出発して、チェルニーヒウでまる1日過ごして、夕方には家に戻れる。いつもそうしていた。ずいぶん以前から。

はじめてチェルニーヒウに行ったのは中学生の頃だ。1978年だった。私はそのころ学校の考古学サークルに属していて、夏にチェルニーヒウ州の発掘現場に出かけた。チェルニーヒウまでバスで行って、そこで数時間待って、目的地に向かう別のバスに乗り換えた。

私を含めてサークルの数名の少年たちは学校の許可をもらって、チェルニーヒウに向かった。メンバーの1人のおばあさんがこの町に住んでいた。おばあさんの住所を彼は知らなかったが、五角形広場という不思議な名前の広場に面して家があることを覚えていた。行ってみると、そういう名前の広場がほんとうにあった。広場から数本の通りが広がっていた。

古い庭のなかに感じのよい2階建ての家が並んでいた。通りは静かだった。街中ではなく、どこかの菜園(ダーチャ)にいるような感じがした。騒々しいキーウの都心で育った私にとっては、始まったばかりの旅に楽しいおまけがついているような気分だった。

おばあさんはひとりで住んでいた。彼女の頭のうえに降りかかる雪のように、騒々しい私たちの集団はおばあさんの家に押しかけた。もうお腹がぺこぺこなんです、と挨拶もそこそこに私たちは訴えた。若者は食欲をみせるとうまくいくものなのだ。この古い家でご馳走になったすばらしい昼食を、私はいまでも覚えている。私たちはバスに乗り遅れそうになり、運転手に怒られた。

その後も、すでに始まっている発掘に参加しながら、私たちは休日になるとチェルニーヒウに遠征した。サークルの顧問が現場の考古学者や博物館の知り合いと連絡をとってくれたおかげで、この遠征は、古い時代の都市の歴史についての真の意味での授業となった。

チェルニーヒウは、とても印象的だった。キーウでは、歴史的な遺産は、もっと新しい建造物のあいだに散らばっている。チェルニーヒウの中心部はまったく違っていて、ここでは、中世の物語の世界に入っていくことができるのだ。私たちを案内してくれたのはふつうのガイドではなく、「ほんものの学者たち」だった。彼らは、私たちに、つまり子どもたちに対して、自分の研究について詳しく話をしてくれた。何年たっても、チェルニーヒウに行けば、自分たちが歩き回った場所が私にはすぐわかる。通りを歩いていると、思いがけないときにむかしの思い出がよみがえってきて、子どものときに感じた匂いまで感じるほどそれが鮮やかなので、私は思わず立ち止まってしまうのだった。

キーウからチェルニーヒウへは車で1時間半ほどである。子ども時代の友だちのおばあさんが住んでいたあたりの家はすべて、砲撃で破壊されてしまった。この2週間、市内では暖房も電気も薬もなく、食糧の蓄えもなくなりつつある。いちばん深刻なのは、市内で飲料水が手に入らなくなっていることだ。キーウから近いのに、なにも運ぶことができず、町は周囲から切り離されている。知人たちがヴォランティアで食料と必要なものを届けようと何度か試みたが、うまくいかなかった。砲撃がやまないのだ。当然、負傷者がいる。

物資を届けようとするヴォランティアは、きわめて危険な状況におかれている。彼らは兵士ではなく、武器を持っておらず、身を守る術がない。ウクライナ中で、つねに危険にさらされているのだ――オフティルカで、イルピンで、ボヤルカで、マリウポリで、そしてチェルニーヒウで。彼らは救護に向かい、人びとを捜索し、運び出す。私の知人たちは、3日間イルピンに通って認知症のおばあさんを探した。彼女がどこにいるのか、よくわからなかった。やまない砲撃のもとで通い続けたが、見つけることはできなかった。

1時間半の距離なのに、すべてがないのだ。水、暖房、食糧。どれも私たちのところにあるし、運ぶ手段もある。しかし、町が封鎖されていて届けることができない。

私の友人のチェルニーヒウの博物館の館長は、博物館の地下室で暮らしている。脱出することもできたのだが、彼はそこにとどまった。毎日、無事に生きている、と知らせてくれる。そして毎日、自分の町のためにできることをやっている。町に残った人たちの誰もがやっているように。今日の彼の書き込みはこんな具合だ。「水がないって? 雨水が私たちの水さ。ひと晩で50リットルたまったぞ!」

歴史あるチェルニーヒウとはこういう町だ。英雄たちに栄光あれ!

戦争が始まって35日目

私の両親は子ども時代に戦争を体験した。ふたりとも疎開を経験した。私は、戦争については、話を聞かされたり、本で読んだり、映画を観たりして知っているだけだ。両親は常々こう言っていた。戦争がないのは、なんてよいことだろうか、と。私は、自分が平和のなかで生きる最初の世代になるのだと思っていた。残念ながら、そうはならなかった。いま、私も自分の戦争を体験している。つまり、「戦争なき世代」になろうと努力しうるのは、ようやくこの戦争が終わったあとに生まれた人たちだということだ。

私は子ども時代をソ連で過ごした。当時よく掲げられていたスローガンの1つは、「平和のためのたたかい」だった。学校で私たちは絶え間なくこのことについて聞かされた。5月9日〔=第二次世界大戦の戦勝記念日〕になると、担任の数学の先生が勲章をつけて学校に来て驚いたのを覚えている。どうしてかって? 私たちのような子どもには、戦争は、なにかとても遠いことのように思われていたからだ。私たちのエウゲーニヤ・イワノーワ先生が前線にいたことを、とつぜん私たちは知ることになった。私たちは、彼女が志願兵として戦争に行ったことを知った。彼女の夫ヨシフ・ルヴォーヴィチも数学者で、やはり前線に赴いた。彼らが戦争中に知り合ったのか、いっしょに戦争に行ったのか、それはわからない。彼らはそのことについては語らなかった。しかし、戦勝記念日に彼らが勲章をつけて現れたとき、私たちは思わず知らずに口をつぐんで、先生の言うことにちゃんと従おうといく気持ちになった。私たちは、戦勝記念日は先生たちの個人的な祝日で、彼らの気持ちは自分たちにはよくわからないように感じた。

この人たちは、私たちに、平和を大事にするように教えた。私の祖父は、戦勝記念日に、子どもの私を「栄誉公園」に連れていった。祖父はカーネーションの小さな花束を買い、私たちは大通りを無名戦士の墓まで歩いた。祖父は花を手向けて、無言で立っていた。私はとても幼かったので、祝日なら楽しいはずだし、遊びにでかけてアイスクリームを食べるべきだと思っていた。私は退屈して祖父の手を引っぱったが、彼は黙って立ったままで、だいぶ時間が過ぎてから、私を連れて家に帰った。夕方に、祖父の友人たちがやって来た。祖父と友人たちは食卓を囲んで夕食をたべ、互いの話がいつまでも途切れることなく続いた。この日は私は食卓につくことを許されず、祖母がキッチンで私に夕食をたべさせた。彼らは子どもに戦争の話を聞かせたくなかったのだと、いまの私にはわかる。

もう大学時代のことだが、学部の事務室の横に、戦争でたたかった大学教員たちを記念するショーケースがあったのを覚えている。それを眺めるのが私は好きだった。そこには、古い写真と並んで、戦争が終わってから撮られた写真も飾ってあった。それを見ていると不思議な感じがした。私たちの高齢の教授は格好のよい志願兵で、やはり年のいった女性の教授もたくさんの勲章をつけていた。銃後にいた者には、あれらの勲章は与えられなかったはずなのに…

ソ連邦で戦争を生き抜いた人びとにとって、「全世界での平和のためのたたかい」は空虚なことばではなかったのだと、私は思う。彼らは戦争を経験し、平和がなにを意味するかを理解していたのだ。

大学で助教授をしていた私の友人は、私たちへの攻撃が始まってすぐに領土防衛隊に入隊して、ずっと任務についている。何者かに促されたのではなく、自分で入隊したのだ。歴史学部の学部長をしていたもう一人の親しい知人も軍隊に志願した。彼は歴史学の学位をもつ教授である。あらゆる規則に照らして彼は軍隊に入らないでもよかったのだが、それでも入隊した。彼らがどうしてこのように行動したのか、私にはわかるように思う。生徒や学生たちが前線にいるときに、教師であることは困難なことだ。その教え子たちもまた自分の意志で志願しているときに。

最近、私は、ロシアの多くの大学教員、学長、学部長、講座の主任たちが戦争を支持している文章を読んだ。彼らのリストにくまなく目をとおした。しかし、そこに署名している人たちの誰ひとりとして、私の知るかぎりでは、前線に赴いてはいない。そして、今後も赴くことはないと私は確信している。若者たちや、彼らと同世代の学生たち、博士課程の大学院生たちの身体がどんなふうに戦場でぐにゃぐにゃに折れ曲がり、砲弾や地雷でばらばらになっているか、戦争を支持すると署名した教師たちのなかで想像してみた者がいるとは、私は思わない。

ソ連邦には、社会的順応主義とでも呼ぶべき、もうひとつの伝統が存在した。党と政府の政策には支持をおおやけに表明するのが義務となっていた。それをしなければ、だれも指導的な地位にとどまることはできなかったであろう。ソ連時代の学長や学部長は、共産党の政策と一致した行動をすることを義務づけられていたし、それだけでなく、疑わしい者や正統な路線から外れた分子は注意深く監視する必要があった。こうした仕事を果たしていれば、どんな状況であっても彼を脅かすものはなにもなかった。たとえ戦争が勃発しても、彼は遠く離れた場所で安全な銃後に身をおいていられたはずなのだ。権力は、従順で誠実で献身的な召使いをつねに必要としていて、彼らに支えられていた。とりわけ大学の教壇にたつ召使いは大事な支えだった。彼らこそが自分たちの同類を育てるからである。

焼かれた図書館と暴行された少女

昨夜、チェルニーヒウで、コロレンコ記念州立図書館が爆撃された。屋根が破られ、窓が割れ、壁が崩れた。1917年の革命まで、近代的様式の美しいこの宮殿は、士族銀行の建物だった。この銀行は、ペテルブルクの建築家アレクサンドル・フォン・ホーヘンの設計で1910~13年に建設された。フォン・ホーヘンは、ペテルブルクでスヴォーロフ博物館、マチルダ・クシェシンスカヤ邸をはじめとして数多くの建築を設計した人物である。

3月11日、チェルニーヒウで、州立青年図書館の建物が砲撃によって破壊された。この建物も歴史的な宮殿で、かつては文化の保護者で収集家でもあったヴァシーリ・タルノウスキーの所有だった。1897年にタルノウスキーはその無二のコレクションをチェルニーヒウ県に寄贈し、それ以来、ここにウクライナ古代博物館がおかれてきた。

キーウ近郊のイヴァンキウでは、「解放者たち」は、これを好機とマリア・プリマチェンコ博物館の建物に火を放った。プリマチェンコは、ウクライナで最も知られた民衆芸術の代表者である。2009年には彼女の生誕100年が祝われ、ユネスコがこの年をプリマチェンコ年と定めた。

オフティルカの博物館、ハルキウの美術館、マリウポリの劇場、ポポウ宮廷博物館、数十の教会の建物、バビ・ヤールやドロビツキー・ヤールのホロコーストの記念碑…

これらは軍事施設ではない。そこに大砲やミサイルが隠してあったわけではない。そんなものはどこにもなかった。写真をみれば、はっきりわかる。写っているのは粉々になったショーケースや陳列棚であり、散乱した本である。

偶然でこんなことになったのか?

「解放者たち」の軍隊の指揮官たちは、まだ戦争を始める前に、兵士たちからすべての携帯電話をとりあげた。彼らはあんなに家に電話したがっているのに! だから彼らは占領した地域の住民たちから電話を奪い、それを使って電話をかけた。そのとき、ロシアにかけた電話はすべてウクライナの携帯電話サービスによって登録され記録されていることに気がついている者はほとんどいなかった。これらの記録はすでにおびただしい数にのぼり、その多くがインターネットで公開されている。そこから見えてくるのは、次のような絵柄だ。

まず、兵士による略奪行為が大規模に起こっている。文字どおり、すべてを彼らは略奪している。解放者は妻にうれしげにこう報告する。お前には毛皮のコートをおみやげにもって帰るぞ、俺は車のタイヤ、テレビ、ノートパソコン、ステレオ・コンポを手に入れた、云々。わが国では小さな店舗でも警備用のカメラがついているので、こうした行為は映像による記録が残されている。彼らは酒やお菓子やソーセージを箱ごと運び出す。しばしば途中の道でソーセージをかじり、酒をラッパ飲みする。

次に、暴行がおびただしく行われている。これも電話で語られていることだ。戦車兵が3人で16歳の少女を捕まえて、数日間代わるがわる乱暴をした。多くがこのような話だ。しかも彼らは電話でそれを話すだけでなく、自慢しているのだ! イルピンの奪還後、ウクライナ軍の兵士たちは、捕えられていた女性たちを救い出した。そのなかには、たくさんの16、17歳の少女が含まれていた。彼女たちには心理学者のサポートが必要だ。少女たちは人を怖がり、自分の両親さえ怖れている。

キーウ州で「解放者」のひとりが父親を撃ち殺して、幼い息子が見ているまえで母親を何度も暴行した。しかし、わが国の特殊部隊がこの化け物を発見した。この男はもう誰も暴行することはない。同様のことはマリウポリでも起こった。女性は死亡し、子どもはことばを失って、ほとんど何にも反応しなくなった。

これがいま見えている絵柄だ――破壊された図書館と、暴行されて死んだ女性たちだ。だから、平和は、残念ながら、期待できない。いま起こっていることに対して、平和はありえない――同じ絵柄は、遅かれ早かれ繰り返されるだろう。

ポーランド語への翻訳:prof. Magdalena Mączyńska

マクシム・レヴァダは1964年生まれの考古学者。キーウ大学卒、東欧における古代ローマと諸民族の移動の時代の専門家、ウクライナ文化相ボフダン・ストゥープカの元顧問。チェルニーヒウ文化や、ウクライナの民族移動期の遺物について数多くの論文を書いている。いわゆる「黒い考古学」(非合法の考古学)についても詳しい。劇作家オレクサンドル・レヴァダ(1909~95)の孫であり、社会学者で長年にわたってモスクワのレヴァダ・センター(独立した非政府の世論調査・社会研究機関)の所長を務めるユーリ・レヴァダの従兄弟でもある。

少年時代の懐かしい思い出から文章が始まるが、読み進むにつれて筆致は険しさを増してゆき、最後は戦慄すべき現実に対する激しい告発で終わる。この戦争が、物理的にも、生命的にも、身体的にも、心理的にも、物質文化的にも、精神文化的にも、歴史的にも、将来的にも、とり返しのつかない破壊をもたらしていることがわかり、打ちのめされる。

レヴァダの知人の学者たちは軍隊に志願したという。「生徒や学生たちが前線にいるときに、教師であることは困難なことだ。その教え子たちもまた自分の意志で志願しているときに」という箇所は、訳していて、言葉がざくざくと自分に突き刺さってくる気がした。
ソ連時代の大学人についての辛辣な指摘――「権力は、従順で誠実で献身的な召使いをつねに必要としていて、彼らに支えられていた。とりわけ大学の教壇にたつ召使いは大事な支えだった。彼らこそが自分たちの同類を育てるからである」――は、時制は過去形になっているが、もちろん過去の話ではなく、私たちが読むときには、ロシアだけの話でもないであろう。

おそらく同様のことがウクライナの各地で、いろいろな分野で、起こっているのだと思う。
チェルニーヒウのオーケストラの首席指揮者も軍に入って「指揮棒の代わりに銃を持」ってチェルニーヒウの街を守っているという記事を、さきほど日本の新聞で読んだばかりだ。
「音楽にできることは? ウクライナに20年の日本人指揮者の思い」
『毎日新聞』 2022年4月5日付 【小国綾子/オピニオングループ】
https://mainichi.jp/articles/20220403/k00/00m/040/122000c
このインタビューで、チェルニヒウ・フィルハーモニー交響楽団常任指揮者、高谷光信さんは、だいじなことをたくさん語っている。

「もしもロシア人作曲家の作品全体を忌避するような動きが起きた時は、全力であらがおうと決めている。「僕はスラブ音楽を愛する音楽家として、戦争は憎むが、ロシア人は憎まない。両国とも平和になってほしい。これからもロシア作品を指揮していく。チャイコフスキーやラフマニノフを。ウクライナで学んだスラブ音楽の魂を日本に伝えるのが僕の役割だから」」

「高谷さんにとって、「スラブ音楽の魂」とは何なのか。そう問うと、高谷さんはしばらく考えた後、こう答えた。
「自由、だと思います。音楽は自由であらねばならない。楽譜から喜びや悲しみを見いだし、楽譜に書かれたものを自由に越えていく。音楽は自由に空を飛び、滝を落ち、大地を広がる。特にウクライナの音楽にはそれを感じます。苦難の歴史の中、何度も言葉を奪われた。長く国家の独立がかなわなかった。そんな土地だから人々には『我々は自由の民である』という強い信念がある。自由を希求する思いが音楽にも息づいているんです」」

【SatK】

ロシアのフェミニストの反戦活動――5,000本の十字架をたてる

「ジェチポスポリタ」 2022年4月4日
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art36008971-rosyjskie-feministki-w-antywojennej-akcji-stanie-5-tysiecy-krzyzy

どんな Z字も、ウクライナにおける悲劇とそこでの私たちの国の役割について真実を封じるべきではない――ロシアのグループ「フェミニスト反戦運動」(FAS)のメンバーが語る。
野蛮な侵略の犠牲者に捧げられた十字架がロシアの37都市にたてられた。

FASは、ロシアがウクライナに侵攻した日以降、ロシアと他の諸国で活動している。運動の目的はウクライナの戦争にかんする「情報封鎖を破ること」と真の情報を広めることだ。

FASには、フェミニストのグループ以外に、LGBT+の代表者たちも加わっている。テレグラムにチャンネルをもち、ウクライナで同様の活動をしているグループから、現地の出来事の情報だけでなく、人身売買の危険にさらされているウクライナ難民の状況についての情報も集めて共有している。

FASに集まったフェミニストたちは、クレムリンのいう「特別軍事作戦」の現実がいかなるものかを同国人に気づかせるための活動をロシア全土で展開している。

これまでに37都市で500本の十字架をたてた。はじめはマリウポリで爆撃された犠牲者のためのものだったが、ロシア兵の野蛮な行動についての情報が入ってくるにつれて、ウクライナの他の都市の人びとを悼む十字架が増えていく。

FASの活動家たちは語る。
「私たちは、全ロシアで5,000の十字架をたてることを象徴的な目標にしました。どんな Z字も、ウクライナにおける悲劇とそこでの私たちの国の役割について真実を封じるべきではありません。私たちは500本の十字架をたてました。すでに大きな数です。これからも続けていきます。」

【SatK】

ウクライナの激戦地から逃れた大学教員 ネクタイを着け続ける理由

『朝日新聞』 リビウ=金成隆一2022年4月4日
https://www.asahi.com/articles/ASQ4276J8Q30UHBI004.html

(以下、記事からの引用です)
ロシア軍の侵攻により、ウクライナ各地から避難民が押し寄せている西部の街リビウ。退避してきた人々が暮らすシェルター施設で、ネクタイをしている男性を見かけた。着の身着のままで脱出してきた人が多い中では珍しかった。

男性は、ロシア国境に近く、激しい攻撃を受けたウクライナ北東部スムイ出身の大学教員バリリ・パナシュクさん(62)。侵攻直後に友人宅の地下に逃れた。
(…)

チェルニウツィでは、好みの柄のネクタイを探しながら街を歩いた。大学教員として、いつも身につけていたものだが、慌てて退避したため手元になかった。

街中を歩き回って、質屋で中古品のネクタイ2本をやっと買うことができた。

なぜ、ネクタイを?

記者が問うと、しばらく考えてこう答えた。

「レジスタンス(抵抗)です。私の生き方、スタイルは、ロシア軍の侵攻で妨害されることはない。そんなことを私は認めませんから」

そして、こう続けた。

「戦時下は必要不可欠なもの以外はあきらめるべきだ、と言われがちです。第2次世界大戦でも似たようなことが言われたそうですし、今も多くの人がそうしている。装いを気にしなくなる。文化も同じで、必要最低限が満たされて初めて追加するものと見られやすい。でも、それらを捨ててしまうと、人間が生きる上で大切なものを失うことになる。ロシアはウクライナの文化面にも攻撃を加えているので、抵抗する必要があるのです」

ひとりひとりの生き方やスタイルを否定し破壊するのが戦争であるとすれば、戦時下に自分の生き方やスタイルを貫くことは、戦争への根底的な抵抗となるだろう。私自身はふだんネクタイをしないが、この方のネクタイには最大限の敬意を払いたい。

【SatK】

ウクライナ外相がブチャの虐殺でロシアを非難

「ジェチポスポリタ」 2020年4月3日付
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art36004031-minister-spraw-zagranicznych-ukrainy-oskarza-rosje-o-masakre-w-buczy

ウクライナの外相ドミトロ・クレーバは声明を発表し、国際刑事裁判所に対して、ロシアの戦争犯罪の証拠を集める目的でブチャを訪れるように求めた。
「われわれは、いまなお証拠を集め、死体を探しているところだが、すでにその数は数百体に達している。死体は通りに横たわっている。ロシア軍は、占領中と、撤退するさいに、市民を殺害したのだ。」
クレーバはロシアは「ISISより悪質だ」と述べ、次のようにつけ加えた。
「私は以前、犯罪者を司法の前に立たせるためにあらゆる努力を傾けると述べたが、いまやこの問題は私の生涯をかけた問題となったと確信している。罪を犯したすべての者に責任をとらせるまで、私自身が息絶える最後の瞬間までやり抜くであろう。」

【SatK】