マリーナ・オフシャンニコワ「私はプーチンの体制に仕えてきました。そのことを恥じています」

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月15日
執筆:マリーナ・オフシャンニコワ  Die Welt紙より転載
https://wyborcza.pl/7,179012,28342935,marina-owsiannikowa-przysluzylam-sie-rezimowi-putina-jest.html#S.tylko_na_wyborcza.pl-K.C-B.5-L.1.maly

ロシアのTV番組で反戦プロテストを行なって以来、彼女は、ロシア人からも、多くのウクライナ人からも、批判されている。ロシア第1チャンネルのプロデューサーとしてクレムリンの意向を伝えてきたオフシャンニコワが、自らの過去と行動の動機についての手記を『ディ・ヴェルト』紙上に公表した。

* * *

ロシア第1チャンネルの夜のニュース番組での象徴的な抗議のあと、職場の同僚たちは私に、どこかに身を潜めて、口には鍵をかけておいたほうがよいと助言しました。そうしなければ、命に危険がおよぶかもしれないからです。しかし、私はそうしませんでした。私は、世界中からの数十人の記者のインタビューに応じました。そして、SNS上で、戦争に反対する書き込みを続けて行ないました。

最初に抗議したその日から、私は批判されました。批判する人たちにとっては、私がじっさいに何をしているかは意味をもたないのです。両方向から、ロシア人もウクライナ人も、私を攻撃しています。もうだいたい、この状況には慣れました。ロシアでは私はイギリスのスパイだと言われ、ウクライナではロシアのスパイだと言われます。そう言いたい方々はどうぞご自由に。しかし、ロシアで最も重要なニュース番組であの抗議をしたあとで、今、私が沈黙していたら、なんで引っ込んだまま発言しないのだと人びとは言うでしょう。だから私は発言し、執筆しています。まだどこかでそんなことをやっているのか、と皆さんがびっくりするくらいに。西側の多くのメディアは、私の発言を載せることを原則として拒否しています――これは私の過去の経歴によるものです。

ロシアの独立系の記者たちが私を非難するのは理解できます

批判は、しばしばロシアの独立系の記者たちからのものです。私はこれは理解できます。彼らの多くは、長年にわたって、命を危険にさらしながら体制とたたかってきました。私はほんのひと月前に決断したにすぎません。私が確かに言えることは、次のことだけです。長いあいだ、つねに私は独立系の勇敢な記者たちの記事を読んでいましたし、彼らの仕事に驚嘆していました。彼らの文章が私の世界を見る眼をつくってくれたのです。これだけの年月がたって、私があのような行動をとる勇気を自分のなかに見いだすことができたのは、彼らが書いてきた記事のおかげでした。

長年にわたって、私はロシア国営放送第1チャンネルのために働いてきました。そして、クレムリンのためにロシアの攻撃的なプロパガンダを生みだすことに関与してきました。

それは、朝から晩まで、真実から注意をそらし、あらゆる道徳的な判断を洗い流すことを目指すプロパガンダです。私はこのシステムの歯車の1つに過ぎませんでしたが、このシステムが作動するように自分の持ち場で気を配りました。

私はこのプロパガンダを書いてはいません。が、それを書く人たちを助けてきました。私はそれで給料をもらい、そのおかげでずいぶん旅行もしましたし、世界の多くの国に知り合いもできました。

課題:アメリカで暮らすのはどんなにひどいことかを語れ

私の仕事の1つは、ロイターやAFPのような国際通信社の配信から適当な写真を選ぶことでした。アメリカやその他の西側諸国の堕落を示すような写真を、文脈から外して抜き出すのです。たとえば、ロシア人の子どもを外国人が養子にすることを禁止する法律が制定されたときには、私たちは、アメリカの親たちがいかにひどいかを物語る記事を探しました。

総じて、私たちの課題の1つは、アメリカや西側全体、あるいはウクライナでの暮らしがいかにひどいかを常に語り続けることにありました。これこそがクレムリン側のメディアの活動の原則だったのです。連中はみんな汚物にまみれている、ただロシアだけが常に洗い立てのシーツみたいに白くて心地よいのだ、ということです。
国際的に影響力のある雑誌でプーチンとロシアについてよいことを書いている記事をスキャンすることも、私の仕事でした。

国営メディアの仕事のなかでは、ロシアの抱えるいろいろな問題を提示することは、まったく重視されませんでした。どういう言葉だったら自由に使えるかについては、明確な指針がありました。最もよく知られている最近の例は、「戦争」の代わりに「特別軍事作戦」と言うように、というものです。

結局、私は自分が快適に暮らすために第1チャンネルで働いていたのです

かつて、チェチェンで最初の戦争になったとき、私は家族とともにグロズヌイから逃げなければなりませんでした。私たちは家財をそこに残してきたので、新しく生活を始めなければならなかったのです。それは困難な年月でした。しかし、そのときは、未来はもっとよくなるだろうという期待を私たちは抱いていました。

そのころ、私はジャーナリストになる勉強をしようと決めました。こういうと大げさに聞こえるかもしれませんが、私はジャーナリストとして仕事をすることで、より大きな正義を実現するためにたたかいたかったのです。1990年代末のロシアのメディアの状況は、今とはまったく異なるものでした。1999年に私がクラスノダールでTVの仕事を始めたときには、メディアは比較的自由で独立していました。そしてもちろん、未来はもっとよくなるという期待を当時の私たちはもっていました。2003年に第1チャンネルに移ったとき、すでに状況は少し悪くなっていました。しかし、ロシアのメディアが、今日私たちが知っているようなシニカルで攻撃的なマシーンに変貌するとは、当時のロシアでは誰も予想していなかったのです。

私の知人たちは私のリベラルな見解について知っていましたので、年がたつにつれて、私があいかわらず第1チャンネルで働き続けていることに、ますます意外の念を感じるようになっていました。しかし私は、常勤職の地位を捨てたくありませんでした。私は困難をへて離婚しており、2人の子どもと、障害をもつ母と、ローンの支払いが終わっていない家を抱えていました。加えて、仕事の時間の組み方が理想的だったのです。1週間働くと次の週は休みがもらえて、仕事も夕方だけの7~8時間です。それで子どものための時間がとれました。私は、どこかの工場に通っているような気持ちで自分の仕事をとらえるように努めました。目を閉ざし、太鼓をドンドンと鳴らして、家に帰ったのです。

クレムリンのメディア関係者は全員、ともに作っている網の目のような嘘を知っている。私もだ。

しかし、私は、スカイニュースやCNNを見ていましたし、『ガーディアン』『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』を読んでいました。ロシアのメディアでは『コメルサント』『ニェザヴィーシマヤ・ガゼータ(独立新聞)』『メドゥーサ』〔いずれも独立系のメディア〕。それに加えてウクライナのUNIAN、Strana.ua、kanały 1+1 、Inter. といったメディアをフォローしていました。私たちが作りあげている網の目のような嘘が、私にはきわめてはっきりと見えていたのです。

ロシアが、ウクライナ上空でマレーシア航空の旅客機MN-17が撃墜されたことを否定したとき〔2014年7月17日〕、私はショックをうけました。それでも私は仕事をやめませんでした。アレクセイ・ナワリヌイ――ロシアでただ一人真実を語り続けている人です――が毒を盛られたとき、私は震撼しました。それでも私は仕事を続けました。ロシアがウクライナに侵攻したあと、もう私にはこれ以上続けることはできませんでした。

ブチャの後、ロシア人全体が集団的責任を負うべきだと私は考えている

私は、反戦のプラカードを持って、モスクワ中心部にあるマネージュ広場に行きたいと思いました。17歳になる私の息子はそのとき、私を家に閉じ込め、車のキーをとり上げ、静かにしているように私に命じました。しかし私は眠ることができず、食事も喉をとおりませんでした。最終的に、私はそのプラカードを生放送中に掲げようと決心したのです。

ロシアの人びとを恥知らずなプロパガンダで欺くことに加担したことを、私は心の底から後悔しています。ウクライナと西側について虚偽のイメージを形成することに自分が加担したことも、自覚しています。現在、私たちの国のプロパガンダは、ウクライナ人全体を民族主義者のファシストとして見せようとするところまで来ています。ウクライナ人全体を根絶すべきだとか、この戦争に同意しないロシア人は全員投獄するか国外追放にするべきだ、というショッキングな主張さえ行なわれています。平和を主張する者は、いまのロシアでは裏切り者と呼ばれています。これは狂気です。全体主義的な狂気です。

そして、私自身もまた、そのことに加担してきたのです――そのことを私は恥じています。私はウクライナで、オデーサで生まれました。ウクライナに従姉弟たちもいるのです。それにもかかわらず、私はプロパガンダに加担してきました。従姉弟の1人は、ウクライナ西部のテオフィポリで教師をしています。最近、彼女と電話で話しました。彼女は「あなたはまともな人だ、あなたを支持している」と言ってくれました。そのことに私は感謝しています。

自分が行なってきたことを、私は消し去ることはできません。私にできる唯一のことは、私の力の及ぶかぎり、あのプロパガンダのマシーンを打ち壊し、この戦争を終わらせるためにできることはなんでもやってみることです。ほんの数人でもロシアの人をクレムリンのプロパガンダのかぎ爪から解き放つことができるなら、たった1人でもウクライナの子どもの命を救うことができるなら…

ブチャの虐殺の前には、私は、制裁はプーチンとその取り巻きだけに及ぶものであるべきで、ふつうのロシア市民を苦しめるべきではない、と語っていました。ブチャの後、私の見方は変わりました。厳しい制裁を導入するべきだと私は思います。ロシア人全員が集団的な責任を負うべきです。罪はロシア人ひとりひとりが負っています。

第二次世界大戦中の犯罪に対してドイツ人が許しを乞うたように、ロシアにいる私たち全員が、私たちの行なったことに対して何十年にもわたって赦しを乞わなければならないのです。

*マリーナ・オフシャンニコワは、ウクライナ人の父とロシア人の母のあいだに生まれた。3月14日まで、ロシア国営放送第1チャンネルでプロデューサーとして働いていた。この日に、彼女は、ロシアのウクライナ侵攻に反対する言葉を記した紙を掲げて放送中の画面に写り込んだ。このために拘束され、裁判所によって予備的に罰金を科された。さらに彼女には、「虚偽の情報」にかかわる法律に違反した罪で、最大15年までの懲役刑が科される可能性がある。

ロシアの国営メディアで働いていた人物が内部の事情を語った貴重な証言であると考えて、手記の全文を翻訳した。ジャーナリズムが社会に対して負っている使命と責任について、考えさせられる文章である。

第1チャンネルを解雇されたオフシャンニコワは、ドイツの日刊紙『ディ・ヴェルト』にフリーランスの記者として採用された。ロシア国家院(連邦議会下院)議長ヴォロージンは彼女を「裏切り者」と呼び、「あの女は、いまやNATO加盟国のために働くのだ。ウクライナのネオナチのための武器提供を正当化し、わが国の兵士たちと戦う外国人傭兵を送り込み、ロシアに対する制裁を擁護するのだろう」と怒りをあらわにしている。
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220412_1/

ウクライナでの戦争に批判的なロシアの作家グルホフスキーは、生放送中のニュース番組で反戦メッセージを掲げたオフシャンニコワの行動について、「勇気ある行動でした。でも、それは、嘘を流し続けた8年間に対する2秒間の抗議だったのです。そしてTV局の全職員が、今後は注意深く監視されることになるでしょう」とインタビューで語っている。
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/interview/20220326_3/
今回の手記を読むと、オフシャンニコワ自身が「嘘を流し続けた8年間」について葛藤を抱え、ウクライナ戦争というとり返しのつかない結果をもたらしたことに責任を感じた末の行動が「2秒間の抗議」であったことがわかる。

【SatK】

「ナチスめ、お前たちをぶち殺してやる」――ロシア兵がウクライナの医師に

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月12日 執筆者:Fabio Tonacci
『ラ・レップブリカ』紙よりの転載
https://wyborcza.pl/7,179012,28317023,nazisci-powybijamy-was-mowia-ranni-rosyjscy-zolnierze-do.html

ザポリージャの病院には、南方の前線からひっきりなしに負傷した兵士たちが送られてくる。負傷者を識別するために、看護師たちはマジックペンで患者の身体に彼の名前を書き込む。そのなかにはロシア兵もいる。

* * *

あなたを殺すためにあなたの家に侵入してきた患者を手術することになっても、外科医はいささかも動じることなく、確かな腕をもってのぞまなければならない。その患者が、病院のベッドで狂ったように「お前らを殺してやる」「お前らは全員ナチスだ」「お前らの子どもも女どもも死んで当然だ」と繰り返していても、耐えなければならない。

戦争のこのような場面ではヒポクラテスが勝者であり、医師は医師であり続ける。前線のどちらの側で銃を撃つ者であるかにかかわりなく、医者はすべての患者を救うと誓いをたてている。

「このロシア人たちは慈悲とはなにかということを知らない」

ザポリージャの野戦病院では、ウクライナ兵だけでなく、ロシア軍の兵士たちも治療を受けている。2月24日から今日まで、ドニプロ川右岸のこの診療施設まで700名を越える負傷者が送られてきた。一度に20人を越える患者がやって来たときには、看護師たちは黒いマジックペンを用意して、混乱してまちがいが起こらないように、患者たちの額に名前を書き込んだ。

戦争は続いているが、彼らはなんとか工夫しながら対応して、ウクライナ人もロシア人も受け入れている(患者の約10%がロシア兵である)。今日運ばれてきたのは、南方のマリウポリ、ザポリージャの農村部、ヘルソン、ミコライウで戦っていた兵士たちだ。手榴弾、重火器、ライフル銃、その他殺傷能力のある武器によって負傷している。

ヴィクトル・ピサンコ中佐(38歳)は、携帯電話に保存されている裂けた体、切断された腕、炭化した手足の写真をひと通り眺めてから、こうコメントした。「こういう状態でここに運ばれてくる。ひどいものだ。」ピサンコは外傷学(traumatlogy)の専門医で、この病院の院長でもある。コソヴォやコンゴに派遣されたこともあり、恐ろしい場面をすでに幾度も間近で目にしてきた。そんな彼でも、縫合して包帯をしたばかりの若いロシア軍の兵士が病床で狂信的に繰り返す言葉には、身震いせずにはいられない

「彼らは良心の呵責を感じていないし、慈悲とは何かを知らないのです。理由もわからないままにモスクワが自分をウクライナ戦線に送り込んだことに居心地の悪い思いをし、後悔の気持ちをあらわしたのは、40歳の将校ただ1人でした。残りの兵士たちは、ウクライナへの見方については、かたくなで無慈悲なままです。」

プーチンの軍隊からの負傷者は全員、「ロシア人の部屋」と呼ばれる警護された場所に入れられている。窓に鉄格子ははまっていないが、警備兵が監視している。

「私たちは彼らを看護し、救命します。その後は、国防省と諜報部が彼らを引き受けるのです」とピサンコは語った。

すでに彼らは戦時捕虜の身分にある。しかし、戦場から集められて病院に入っているあいだ、まだ取り調べを受けたり刑務所に入ったりする前の段階では、彼らは感情的に完全に率直な状態にある(通常は、じきに彼らは率直さを失ってしまう)。この局面では、彼らはほんとうに考えていることを口にする。そして、彼らの考えていることは、恐ろしい。

「ナチスを殺すためにわれわれは来たのだ、子どもも同じだ」

18歳のロシア兵リパトフは、フライポレ付近から担架で運ばれてきた。彼は徴集兵で、足に重傷を負っていた。手術後の回復期に彼の世話をしたのは志願看護師のオクサナ・コルチンスカだった。志願する前は、彼女は映画会社の経営者だった。彼女はこう語る。
「彼が戦っていた場所では、逃げようとした女性と子ども数人が射殺されました。そのことを言うと、彼は「それが何だ? 何か問題あるか?」と答えるのです。私は、なぜ非武装の民間人を撃つのか説明してほしい、とこの若者に言いました。彼はこう答えました。「子どもだってナチスだ。俺たちがここに来たのは、お前たちが悪者で、お前たち全員を根こそぎにしなけりゃならないからだ。」私はそこで引き下がらずに、では、彼の考えではナチズムとは何であり、ナチスの特徴とは何か、説明してほしい、と言いました。彼は黙ってしまいました。私たちの医師が彼の足を治療しましたが、彼はゾンビのように恐ろしいうわ言を繰り返すのです。私は、彼が麻薬でも飲んでいるのかと思いました。自分の耳に聞えてくることが信じられなかったのです。」

しかし、血液検査をしても麻薬を摂取している形跡はなく、アルコールも検出されなかった。

ピサンコ中佐は、ロシア東部出身の22歳の兵士と話をした。この兵士は、ウクライナには敵のアメリカがいる、と考えていた。

「彼は私にこう説明するのです。上官が彼らに示した目的は「アメリカをやっつけること」だ、と。私はうんざりしてこうたずねました。「それで、君はウクライナでアメリカ兵を見たかね?」しかし彼はこう言うのです。「アメリカをやっつけるために俺はここにいる。」その後、彼はこうたずねたのです。「わからないな。なんでお前たちは俺のいのちを助けたんだ?」

ザポリージャの野戦病院の外科医と麻酔科医の多くは、この戦争で家族や友人を失っている。
「ロシア兵を治療することについて、私たちの誰ひとりとして疑いをもつことはありませんでした。しかし、もし躊躇する者がいたとしても、私はその気持ちを理解するでしょう」――こうピサンコ中佐は言った。

ポーランド語への翻訳:Bartosz Hlebowicz

【SatK】

ロシアは「密告社会」に戻るのか 録音された戦争批判で教師免職

『毎日新聞』 2022年4月12日
https://mainichi.jp/articles/20220412/k00/00m/030/001000c

「旧ソ連時代のような、かつての「密告社会」に戻るのか――。ロシア国内の教育現場で、ウクライナ侵攻に反対した教師や、ウクライナ支持と受け止められるような発言をした教師たちが「露軍の信頼を失墜させた」などとして裁判所に罰金を言い渡されたり、免職となったりするケースが相次いだ。教師らの発言は、生徒や学校の同僚を通じ、親や校長、そして最終的には警察など当局に伝わっていた。」

記事では、2つのケースがあがっている。

・サハリンの港町コルサコフで、女性教師が、英語の授業で、世界のさまざまな民族の子どもたちがロシア語とウクライナ語で平和について歌うビデオを見せた。授業が終わった後、生徒数人が教室で「先生はウクライナを支持するのか」と詰め寄ってきた。その時の会話を生徒が録音し、親に聞かせたという。彼女は「不道徳な罪を犯した」として免職になり、行政罰として3万ルーブル(約4万6000円)の罰金も言い渡された。

・東シベリアのブリヤート共和国オノホイでは、子どもたちにスポーツを中心に教える学校で働く64歳のトレーナーが、校舎の入り口の扉に張られた「Z」の文字のマークをはずしたところ、学校の女性守衛と口論になり、トレーナーは「自分は戦争に反対だ」などと発言した。その会話を女性守衛が録音し、校長を通じて警察の知るところとなった。4月5日に裁判所に計6万ルーブル、8日に別の裁判で3万ルーブルの計9万ルーブル(約14万円)の罰金を命じられた。

本タイムラインで一昨日、ロシア西部のスポーツ・エリート校で英語教師の反戦的な発言を生徒が録音して密告し、その教師が免職になったケースを「徴候的な事例」としてとりあげた。遠く離れた東シベリアやサハリンの学校でも同じような現象が起こっているのだとすると、いまのロシア全体で生じている「典型的な事例」の1つだったのかもしれない。

【SatK】

ロシア国家院議長「裏切り者は市民権を失うべきだ」

「ジェチポスポリタ」 2022年4月12日
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art36059001-wolodin-zdrajcy-przeciwni-ofensywie-moskwy-powinni-tracic-obywatelstwo

「わが国の国民の圧倒的多数は、ウクライナにおける特別軍事作戦を支持し、わが国とわれわれの国民の安全を保障するためにそれが必要であることを理解している。しかし、臆病者や裏切り者もいる」と、国家院(ロシア連邦議会下院)議長ヴャチェスラフ・ヴォロージンは述べた。

ヴォロージンは、裏切り者の市民権を停止して入国を禁止することを可能にする法律がロシア連邦にないことは遺憾であるとの見解を示した。

「臆病者や裏切り者」の例としてヴォロージンは、3月14日にTV番組でウクライナへのロシアの侵攻に抗議したマリーナ・オフシャンニコワの名前を挙げた。罰金を科され仕事を解雇されたオフシャンニコワはその後、ドイツの『ヴェルト』紙”Die Welt” にフリーランスの記者として採用されている。

このことに立腹したヴォロージンは次のように述べた。「あの女は、いまやNATO加盟国のために働くのだ。ウクライナのネオナチのための武器提供を正当化し、わが国の兵士たちと戦う外国人傭兵を送り込み、ロシアに対する制裁を擁護するのだろう。」

『モスクワ・タイムズ』紙によれば、市民権剥奪のような厳しい措置には大統領の同意が必要だが、ヴォロージンの発言は、ウクライナでの戦争に反対する声に対してロシア社会でますます強まる敵対的な空気を反映している。

参考
君たちは失業することになる――服従しない芸術家と教員にロシア国家院議長が警告
投稿日: 2022年4月3日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220403_1/
ロシア、反戦的な発言をした教師を生徒たちが密告
投稿日: 2022年4月11日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220411_2/

【SatK】

ロシア、反戦的な発言をした教師を生徒たちが密告

「ジェチポスポリタ」 2022年4月11日
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art36050911-nauczycielka-z-rosji-uczniowie-doniesli-na-mnie-za-antywojenne-komentarze

ロシア西部のスポーツ・エリート校で英語を担当する45歳の教師イリーナ・ゲンIrina Gen
は、3月末に学校内で反戦的コメントを行なった容疑で取り調べを受けた。生徒たちが彼女の発言をひそかに録音し、捜査当局に渡していた。

3月31日にテレグラムに公表された録音では、生徒が教師に、どうしてロシアはスポーツの国際大会から排除されているのか、と質問している。

「ロシアが文明的なやり方で振る舞うようにならないかぎり、永遠にこの状態が続くでしょう」と教師は答え、次のように続けた。「彼らはウクライナ西部を爆撃し始めました…キエフを占領してゼレンシキーと〔ウクライナの〕政権を倒したいのです。でも〔ウクライナは〕主権国家なのです。主権をもった政府なのです。」

「でも私たちは詳しいことを知りません」と生徒の1人が言った。

「そのとおりですね。あなたたちは何も知らないでしょう。じっさい、何も知らないのです」と教師は答えた。「私たちの国は全体主義的な体制です。どんなことでも反対すれば犯罪として扱われます。私たち全員が15年間投獄されるのです。」

授業での会話は3月18日に録音されたものだ、とゲンは認めた。彼女の考えでは、生徒の親たちが「発言を録音して、当局に渡すように子どもたちに言いきかせた」のだという。

ゲンによると、3月23日に連邦保安庁(FSB)の捜査官が学校にやってきた。ロシア軍がウクライナで民間人を標的に攻撃していることと、マリウポリが爆撃されていることについて生徒たちに話したことで「あなたは大きな過ちを犯した」と捜査官は指摘した。

「何者かが自分の教師を密告するということ、そもそもこの問題で誰についてであれ密告するということを、私は考えたこともありませんでした」と彼女はいう。4月1日付でゲンは解雇された。

現在、この45歳の教師に対して、ロシア軍の信用を貶める「虚偽情報」を拡散した件で審理が行なわれている。10年間の懲役と500万ルーブル(約6万ドル)の罰金を科される可能性がある。

上記の記事は、本タイムラインですでに紹介した記事の続報にあたる。
「君たちは失業することになる――服従しない芸術家と教員にロシア国家院議長が警告」
投稿日: 2022年4月3日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220403_1/

最初の記事を読んだときには、自分も教壇にたつことを仕事にする身として、背筋が凍る思いがした。ただ、そのときにはわからなかったことだが、密告の舞台となった学校が「スポーツ・エリート校」である点は、注意が必要かもしれない。ロシアの環境のもとでは、国際的に活躍できるスポーツ選手になるということは、国家を代表し、その威信を高める使命を担うことと不可分であろう。そのような使命感を、このような学校で学ぶ生徒たちも、彼らの親たちも、比較的強く内面化しているかもしれない。

こうした個別のケースから、どの程度まで現在のロシア社会全体の空気を推し量ることができるのか、確かなところは訳者にはわからない。しかし、この間にあきらかになってきた、ウクライナの占領地での多くのロシア軍兵士たちの非人道的な行動や、ロシア国内でのZ字の(肯定的な文脈での)使用の普及などと考え合わせると、学校で起こったこの密告事件は、かりに典型的な事例でないとしても、少なくとも徴候的な事例であるとは言えるのではないだろうか。

第二次世界大戦中のドイツでは、絶滅収容所でユダヤ人の大規模な殺戮が行なわれただけでなく、占領地で多くのユダヤ人が射殺されている(ホロコーストの犠牲者のうち、およそ20~25%は射殺によるものであった)。現場で「任務」として銃殺を実行したのは、動員された「普通の」ドイツ人男性たちである。無抵抗なユダヤ人たちに向かってひたすら銃の引き金を引き続けることが、どうして「普通の人びと」である彼らに可能になったのか、という問いに答えようとしたのが、クリストファー・R・ブラウニングの『普通の人びと――ホロコーストと第101警察予備大隊』(谷喬夫訳、ちくま学芸文庫、2019年)であった。ブラウニングは、隊員たちが最初から「抹殺主義的反ユダヤ主義者」であったわけではなく、いくつかの条件のもとで殺戮に対して徐々に無感覚になってゆき、大量殺戮の専門家に変身していった過程をあきらかにしている。このブラウニングの研究も含めて、ホロコーストの研究者のあいだでは、ヒトラーの政治的指導力とドイツ社会を構成する「普通の人びと」との関係をめぐって、さまざまな角度から議論が行なわれてきた。

現在進行中のウクライナでの戦争についても、プーチンの政治的指導力とロシア社会の「普通の人びと」との関係について、単純化に陥らない考察と議論が必要とされている。

【SatK】

ウクライナ、オデーサのオペラ・バレエ劇場――1941年と2022年

左の写真は1941年、独ソ戦がはじまり、西から攻めてくるドイツ軍の侵攻に備えている。
右の写真は2022年、現在のウクライナ戦争。東から攻めてくるロシア軍の侵攻に備えている。

こうして並べてみると、ロシアがこの戦争で掲げている「ウクライナを非ナチ化する」という名目のばかばかしさがよくわかる。

80年近くたっても、こういう状況になってやることは、あまり変わらないのだな、とも感じる(オデーサの人たちが、意識的・無意識的に、歴史上の先例をなぞっている可能性もある)。
戦争で用いられる武器はハイテク化しても、民間施設を敵の攻撃から守るために文民ができることは限られているのかもしれない。

【SatK】

ロシア領内に移送されたウクライナの女性・子どもの収容所

ウクライナの人権オンブズマン、リュドミーラ・デニソワは、ロシア市民からの情報として、ロシア国内のペンザ州にウクライナから移送された女性・子どもの収容所があることをFacebookで伝えた。収容所は、周囲を囲まれ警備された閉鎖施設で、400名以上のウクライナ市民(主に女性)と147名の子どもが収容されている。彼らは数週間前からここに集められている。冬着で地下室に避難していた状態でそのまま連れてこられたので、下着を含め着替えがない状態で放置されている。
この収容所には、マリウポリで学生寮の地下に避難していたトルクメニスタンからの留学生たちも閉じ込められている。
ペンザ州には、さらに3か所、同様の場所があるもよう。

ペンザ州は沿ヴォルガ連邦管区に位置しており、ウクライナ国境からは直線距離で約600 km 離れている。

【SatK】

ロシア、クルスク地方、ウクライナ戦線に向かう部隊を手を振って送り出す住民たち

ロシア南西部のクルスク州は、ウクライナと国境を接するところに位置する。戦争がなければ、ウクライナ側のハルキウやスームィなどの都市とのあいだで人の移動やモノの流通が日常的にあるはずの地域である。
動画を見ながら、人と人とを分け隔て、対立させ、殺し合いをさせる国境とはいったい何なのか、あらためて考え込んでしまう。

【SatK】

洗濯機にも爆薬が

「ジェチポスポリタ」 2022年4月10日
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art36047231-szef-msw-ukrainy-rosjanie-zostawiaja-ladunki-wybuchowe-nawet-w-pralkach

ウクライナ内相デニス・モナスティルスキーは、ロシア軍が占領地から撤退するさいに、多くの住宅や自動車に爆破装置を仕掛けていたことをあきらかにした。
「占領者がいた地域では、扉や柵にトラップが仕掛けられている。ウクライナの警察官、救護活動従事者、兵士の住んでいた家で、爆発物が見つかっている。」
ロシア兵は、略奪するさいに居住者の身分をつきとめ、こうした罠を仕掛けた可能性があるという。
爆発装置は、家のなかの洗濯機でも発見されている。自動車に爆弾が仕込まれている場合もあり、トランクを開けたところ爆発して死亡した人がいる。占領されていた地域の住民に対して、爆破物処理を任務とする工兵が確認するまで帰還しないよう、内相は呼びかけている。

【SatK】

キーウ近郊のモティジン村、ロシア軍に殺害された村長一家を悼む村人たちの葬列

村長のオルガ・スヘンコは、夫・息子とともに村人たちに食糧と薬を配るために村に残っていた。
3名ともにロシア軍によって捕らえられ、拷問のうえ殺害された。
3つの棺を乗せた車の後ろに、一家の死を悼む300人の村人たちが続く。

【SatK】

イギリス、ジョンソン首相のキーウ訪問

「街角でのふつうの市民との対話」を演出。


EU圏東部の諸国とEUの首脳に続き、西側首脳のキーウ詣でが続く。

【SatK】

チョルノーブィリの「赤い森」で「異常に高い」放射線量

「ジェチポスポリタ」 2022年4月9日付
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art36047081-nienormalnie-wysokie-promieniowanie-w-czarnobylskim-czerwonym-lesie

ウクライナの国営原子力発電企業エネルゴアトムのCEO、ペトロ・コーチンが、専門家とともに、チョルノーブィリ(チェルノブイリ)の立ち入り禁止区域内のいわゆる「赤い森」*の一部を訪れた。この区域では通常の160倍もの放射線量が記録された。

*チョルノーブィリ原子力発電所の近隣の森で、事故で放出された放射性物質によって森のマツの木が枯れたため「赤い森」と呼ばれる。汚染除去のためこの区域の木々は伐採され、地中に埋められた。

専門家たちは、1986年のチョルノーブィリ原子力発電所の事故で最も汚染された地域である「赤い森」を調査した。

ロシア軍が発電所の領域を支配していたときに、ロシア軍の兵士たちは「赤い森」に宿営していた。ドローンで撮影された写真から、彼らがそこに塹壕を掘っていたことがわかる。

専門家たちは、ロシア軍が宿営していた地点を調査した。エネルゴアトムは、テレグラムに発表された声明で、「この区域では、以上に高い放射線量が記録された」と伝えた。

空間放射線量は通常の10~15倍であり、土壌の表面と接触した場合の内部被ばくによる放射線量は通常の160倍に及ぶ可能性がある。

専門家によると、人体にとって最も危険なアルファ波を放出する廃棄物は、地表から40~80cmの深さに埋められている。占領したロシア軍は、これより深く地面を掘っていた。「人間の体内では、アルファ波は、ガンマ波やベータ波よりも数十倍から数百倍の影響を及ぼす。」

エネルゴアトムの専門家は、この区域に宿営して塹壕掘りの作業に参加したロシア軍兵士は、約30日以内に「さまざまな程度の放射線被ばくによる病気」を発症する可能性があるとしている。

参考
ウクライナの国営原子力発電公社 Energoatom の発表
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220401_2/
「ロシア軍兵士、チョルノーブィリ(チェルノブイリ)の立ち入り禁止区域で塹壕を掘る。彼らの身体に重大な影響」
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/tweet/20220401_1/

【SatK】