「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」

「「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」とニューヨークタイムズ」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」、Jeffrey GettlemanとMonika Prończukの連名による記事
(2022年3月17日付)

スーダンで戦争から逃れた若い男性と、ウクライナから避難する若い女性が、同じときにポーランドの国境を越えた。彼らはきわめて異なる経験をすることになった。

ウクライナで戦争が勃発した日、スーダン難民の22歳のアルバジルは、ポーランド国境の手前で凍りついた枝葉のうえに横になりながら、ここで死んではいけないと思った。

ポーランドの国境警備隊の飛ばしたドローンが、彼を探していた。ヘリコプターも彼を探して飛んでいた。夜になって気温は氷点下に下がり、一面に雪が積もっていた。医学生のアルバジルを含むアフリカ出身の難民たちの小さなグループは、ポーランドにたどり着こうとしていた。食べるものは、乾したナツメヤシの実が数粒、ポケットに入っているだけだった。

「私たちは希望を失っていました」と彼は語る。

同じ日の夜、オデーサから近い小さな町で、21歳のカーチャ・マスローワは、スーツケースとアニメ制作の仕事で使っているタブレットだけを手に持って、家族といっしょにパープルレッドのトヨタRAV4に乗り込んだ。合わせて大人8人と子ども5人が車4台で護送船団を組んだ。戦火におおわれたウクライナから逃れようとする人びとの死にもの狂いの逃避行に、こうして加わったのだ。

「この時点では、私たちはどこに向かうことになるのか、わかっていませんでした」と彼女は語る。

同時に同じ国の国境を越えた同世代の2人の難民がその後の2週間のあいだに体験したことは、これ以上ありえないほど対照的だった。アルバジルは顔面を殴られ、人種差別的なことばでののしられ、国境警備隊の手に引き渡された。国境警備隊員は、アルバジルの語るところによれば、彼を暴力的に殴りつけ、そのことを楽しんでいるようだった。カーチャは、朝起きると食べるものも飲むものも冷蔵庫にいっぱいで、焼きたてのパンがテーブルに出てくるような毎日を過ごした。そのすべては、彼女が「聖人」と呼ぶ支援者のおかげだった。

われわれの難民と、そうでない難民

彼らの異なった体験は、ヨーロッパの難民危機にみられる不平等をきわだったかたちで浮かびあがらせている。この2人は、きわめて異なった地政学的出来事の犠牲者であるが、同じことを求めていた――すなわち、戦争の悪夢から逃れる、ということだ。ウクライナからヨーロッパへ、ここ10年間では最大規模の難民の波が押し寄せている。しかし、中近東とアフリカでは、いまだ多くの紛争が続いている。どの戦争から逃れるのかによって、あなたがどのように受け入れられるかは、大きく違ったものになりうるのだ。

ウクライナ難民は、マスローワのように、ポーランド国境を越えた瞬間からピアノの生演奏で迎えられ、バルシチ〔ポーランドのスープ〕はおかわり自由、しばしば暖かいベッドを提供される。そしてこれはまだほんの入り口なのだ。彼らはハンガリーの航空会社ヴィズ・エアーの飛行機でヨーロッパのどこへでもただで飛んで行くことができる。ドイツでは鉄道の駅でウクライナの旗をふって人びとが待ちかまえている。ヨーロッパ連合のすべての国が彼らに3年間の滞在を認めている。

こういったことのすべてを、アルバジルは、ポーランドの村の人権活動家の拠点にあるテレビの画面で見た。この拠点では、とても危ないので外へ出ることはできない。「姓は記事に出さないでほしい、非合法に国境を越えたので。テレビで見たことはショックだ」と彼は言った。

「どうして私たちはこれと同じ配慮と慈愛を与えられないのか? なぜだ? ウクライナ人は私たちより上等なのか? わからないな。なぜだ?」 

アルバジルが経験したことは、地中海から英仏海峡まで、ヨーロッパ諸国の政府がアフリカや中近東からの移民が自国に入ろうとするのを妨げるたびに、数えきれないほどの回数繰り返されてきた。彼らを押しとどめるために、ときには暴力も用いられてきた。

アルバジルの旅が多難なものになったのは、彼がベラルーシからポーランドに入国することに決めたためだった。このロシアの同盟国は、昨年、深刻な難民危機を意図的に作りだした、と西側諸国はみている。ベラルーシは、ヨーロッパにカオスを引き起こすために、スーダン、イラク、シリアといった紛争におおわれた諸国から、希望を失った何千人もの人びとを招き寄せ、ポーランド国境に向かわせた。これに対してポーランドは、その国境を完全に封鎖することでこれに応えた。

ウクライナ人は、ヨーロッパ地域で日を追うごとに近づいてくる紛争の犠牲者である。そのために、ヨーロッパの人びとの対応は同情に満ちたものになった。結果的に、もっと遠いところから逃げてきた難民は、不平等と――彼らの一部が指摘する――人種差別主義がもたらしたものを、痛みとともに感じることになったのである。

「異なる難民集団の待遇のあいだにこれほどのコントラストがあるのを、私ははじめて見ました」とブリュッセルの移民問題の専門家カミーユ・ル・コスは言う。ヨーロッパの人たちはウクライナ人を「われわれの仲間」とみなしているのだ、とも。

幸せの涙

ロシアのウクライナ侵攻から一夜明けた2月25日、マスローワは、モルドヴァを走り抜けてきた家族の車のなかに座って、ペプシコーラを飲んでいた。

窓の外では、歓迎する人びとが手を振り、親指を上に向けてサインを送ってくれるのが見えた。

彼女は泣きだした。

「悪いことじゃなくて、よいことで、心の張りが崩れてしまったのよ。世界中が自分を支えてくれるなんてこと、心の準備ができてる人はいないでしょ」

西に向かいながら、どこへ行くべきかで彼らはけんかをした。ラトヴィアがいいという者もいれば、ジョージアだ、という者もいた。だがマスローワは、ちょっと場当たり的だが、自分の計画をもっていた。

彼女はワルシャワの学校でアニメの勉強をしたことがあった。そのときの彼女の同居人の両親の知人の父親が、ポーランドの村に空き家を持っていたのだ。これがうまくいったら、アニメーションの学校に戻って、動画の制作をやる夢がかなうだろう。彼女は両親を説得した。「ポーランドに行こうよ。」

同じ日、アルバジルは相変わらず、ポーランド・ベラルーシ国境の森のなかに閉じ込められていた。戦火を逃れてから何年も経っていた。故郷ダルフールが戦争で破壊されるのを少年の目で見た、「およそ想像しうるすべてのこと」を見てしまったのだ、と彼は語った。その後、医学を学ぶためにスーダンの首都ハルツームに逃れた。しかし、じきにハルツームも混乱の巷となった。

11月、彼は、私立大学で職に就くために学生ヴィザでモスクワに行った。しかし、ロシアのウクライナ侵攻で強い経済制裁が始まると、アルバジルは、大学が閉鎖されるのではないかと怖くなった。そのために再び逃げたのだ。

彼は、ロシアからベラルーシをとおってポーランド・ドイツに抜ける旅を計画した。しかし、ベラルーシからやって来る移民の波をくい止めるためにポーランドが国境を閉鎖していることは知らなかったという。

約200キロ南では、マスローワの護送船団がついに目的地にたどり着いた――ポーランド領内にかなり入ったところにある村の農園である。

白髪混じりの髪の薄い頑丈な男性が、とつぜん暗闇から現れた。「ヤヌシュです。ようこそ。」

ヤヌシュ・ポテレクと妻のアンナは彼らを抱きしめ、全員が泣きだした。だが、涙は玄関で終わらなかった。

マスローワ一家が台所に行くと、3日分の食料が用意されていて、主人が料理してくれていた。それを見て、彼女はまた泣いた。洗面所に行けば、新しい歯ブラシ、せっけん、シャンプーが揃っている――それで彼らはまた泣いた。ベッドの上には、洗いたてのシーツ、タオル、毛布が置いてある――それを見て、さらに彼らは泣き続けた。

リンゴ園を経営するポテレクは、それ以前に難民を助けたことはなかったが、戦争が始まって「他人ごとではいられなくなった」と語った。

ポーランドか、それとも死か

数日後、マスローワと家族は、主人が子どもたちのために運んできたおもちゃの山をみて目を見張った。その頃、アルバジルと、彼と旅をともにしていた3人の男性は、逮捕された。彼らは気づかれずにポーランド国境を越えることに成功したのだが、彼らをドイツまで運ぶために雇った運転手がライトを点けるのを忘れていたために警察に停められたのだ。ポーランドの警察官は彼らのSIMカードとバッテリーを抜きとり、電話をつながらなくして(助けを呼ぶことをできなくするためだ)、彼らをもとの場所に連れ戻した。つまり、彼らが怖れていた森のなかだ。

ここ数か月のあいだに、ポーランド国境にたどり着こうとしながらポーランドの国境警備隊員に森に連れ戻されて、少なくとも19名が凍死した、と人権保護団体は指摘している。

ポーランドの官僚は、それは自分たちが悪いのではないと言う。
「悪いのはベラルーシ人です。彼らがこれらの人びとを操っているのです」と国境警備隊の広報官カタジナ・ズダノヴィチは述べる。

人権保護団体は、ポーランドの国境警備隊員も権力を濫用していると指摘する。ポーランド政府の報道官は難民の処遇についての取材を拒否した。

「行け!行け!」とアルバジルのグループにポーランドの国境警備隊員たちは叫んで、武器で脅しながら、人里離れた森のなかの有刺鉄線の囲いのほうに押しやった、とアルバジルは語る。警備隊員は1人の男性を囲いに向かって突き飛ばしたので、彼は手を切ってしまった、とも。インタビューのとき、彼は指のあいだの傷あとを見せた。

数時間後、食べものも飲みものもない状態で、自分がどこにいるかもわからずさまよううちに、ベラルーシ側の国境警備隊の詰所にたどり着いて、警備隊員に入れてくれと頼んだ。
「避難する場所が必要だったのです」とアルバジルはいう。

しかし、ベラルーシ人たちの考えは違っていた。
国境警備隊員たちは彼らを捕まえて、冷たい車庫のなかに放り込んだ。頑強なベラルーシの兵士が人種差別的なことばを叫んでののしり、怒り狂ったように攻撃したという。
「私たちを殴り、蹴り、地面に投げつけ、棒で殴ったのです。」
さらに、やはり捕まえられた肌の白いクルド人が車庫で一緒だったが、警備隊員は彼には手を触れなかったという。

その後、兵士は彼らを森のなかに連れて行ってこう言った。「ポーランドに行っちまえ。戻ってきたらぶち殺すぞ。」

人権擁護団体によれば、数万人の難民が、ポーランドとベラルーシのあいだであちらこちらへと押し戻され、罠にはまったようにどちらの国にも入れず、故国に帰ることもできずにいる、という。

3月5日、アルバジルと彼のグループは、その週で2度目のポーランドへの越境を試みた。足が動かなくなり、ほとんど凍死寸前だった。万が一のために控えていた番号に電話すると、ポーランドの活動家がひそかに彼らを自分の家に受け入れてくれて、外には出ないように注意した。こうしてようやく彼らは人間的な好意による活動に触れた。

アルバジルは、すべての難民を寛大にあつかう国として知られているドイツの避難所に移って、大学を卒業しようと計画している。彼はアラビア語、英語、そして少しだがロシア語を話し、金ぶちのメガネをかけて、手入れの行きとどいた頬ひげを生やしている。医者になって、ここまで生きて体験したことを本に書くことが夢だ。比較的豊かな国で生まれて教育を受けた人たちが、困っている者をこんな目にあわせられるなんて信じられない、と彼は言う。

アルバジルと一緒にいた男性の1人であるシェイクは、英語がわからないので、スマートフォンの自動通訳を利用している。音声をオンにしてもらった。

スマートフォンの機械的な声が語る。「全ヨーロッパが、人はだれでも自分の権利があると言っているが、私たちには、なにかそのようなものがあるとは見えなかった。」人種差別主義が、困っている人たちがどのように扱われるかに影響しているか、という問いに対して、アルバジルはためらうことなくこう答えた。「はい、まったくそのとおりです。人種差別そのものです。」

その間、マスローワ一家の待遇はよくなる一方だった。ポテレクは、マスローワの弟と妹を小学校に通わせる手続きをした。ポーランド政府はウクライナ難民には無償で教育と健康保険を保障することになっている。
診察を受けた医者が診療費を受けとらないのを知って、「国全体がウクライナ人のために原則を少し歪めているようにみえます」とマスローワは言った。

アフリカや中近東からの難民も受け入れますか、という問いに、アンナ・ポテレクはこう答えた。「ええ、でも私たちにはそういう機会がなかったのです。」

ただ、彼女はこうも言った。「ウクライナ人のほうがもてなしやすいでしょうね。彼らとポーランド人は文化的に共通ですから。」アラブやアフリカの諸国からの難民の場合は、とたずねると、「食事はなにを用意すればいいのかしら?」

木曜日、ヤヌシュ・ポテレクは友人に、マスローワに通訳のような仕事を見つけてほしいと相談した。
同じ日の午後、アルバジルと仲間たちはワルシャワの隠れ家にたどり着いた。ここでも外に出ることは禁じられた。

https://wyborcza.pl/7,75399,28234339,the-new-york-times-w-polsce-sa-uchodzcy-gorszego-sortu.html#S.DT-K.C-B.2-L.1.duzy

  • 記事のタイトルと小見出しは「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集部による。
  • 本記事のオリジナルはThe New York Timesに掲載された。
    ©2021 The New York Times Company

昨年11月に中東からベラルーシ・ポーランド国境に集められて足止めされた人たちがいて、いまウクライナ・ポーランド国境を越えて西へと逃れていく人たちがいる。
ルカシェンコのベラルーシがあのタイミングでポーランドとの国境に難民たちを集め、西側のジャーナリストに取材させて、ポーランドの国境警備隊が難民たちを追い返す映像が世界中に流れたのは、どういう意味があったのか。
他方で、2月24日にロシア軍の侵攻がはじまる前から、ポーランド東部2県では避難民受け入れの準備が始まっており、24日にただちに避難所が開設されている。なぜこんなに違うのか。
ずっと気になっている問題について具体的なケースをとりあげた記事だったので、全文を訳してみました。スーダンとウクライナの難民のコントラストが強烈です。

ニューヨークタイムズからの転載ではありますが、ポーランドの日刊紙にこうした記事が載ることは意味のあることだと思いました。

【SatK】

徴兵の範囲

ウクライナ軍は、徴兵の範囲を成人男性のすべてのカテゴリーに拡大する。
すでに予備役の兵士はほぼ100%動員されている。
軍役登録した地域から移動している者(国内避難者)も、移動先で軍役につくことになる。
女性については、現時点では、本人の同意がなければ軍役に動員されることはない。
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art35866201-wojna-na-ukrainie-mobilizacja-poborowych-wszystkich-kategorii-rozpoczeta

ウラジミール・クリチコによる動画メッセージ

「プーチン体制と取引する者へのメッセージ。あなたもプーチンといっしょに戦争していることになるのだ。歴史があなたを見ている。人類があなたを裁くだろう。」
キーウ市長ビタリ・クリチコの弟ウラジミール・クリチコ(元WBAスーパー・IBF・WBO世界ヘビー級王者。アトランタオリンピックスーパーヘビー級金メダリスト)による動画メッセージ。

アレクセイ・ナワリヌイの次の裁判

ロシアでは、ウクライナ戦争のかげで、アレクセイ・ナワリヌイの次の裁判が進んでいる。
今回の罪名は「金融詐欺」と「法廷に対する侮辱」。
検察官は13年の懲役と120万ルーブルの罰金を求刑している。

EU使節団がゼレンシキー大統領と会談するために列車でキーウに向かっている。

ポーランドのモラヴィエツキ首相、与党「法と正義」総裁ヤロスワフ・カチンスキ、チェコ首相ペトル・フィアラ、スロヴェニア首相ヤネス・ヤンシャというメンバー。
https://wyborcza.pl/7,75398,28223129,delegacja-ue-jedzie-do-kijowa-na-spotkanie-z-zelenskim-kaczynski.html

ポーランドの2人の政治家については私自身はよいイメージがないし、このタイミングでの訪問はロシアとの停戦交渉にはむしろマイナス要因となる可能性がある。しかも、閣僚でも外交官でもない政党党首であるヤロスワフ・カチンスキが、なぜEU使節団のメンバーに加わっているのか。「カチンスキ」の名前に、少なくともロシア側はよい連想を抱かないであろう。
ヤロスワフ・カチンスキの双子の弟レフ・カチンスキは、2008年にポーランドの大統領としてグルジアを訪問したさいに、紛争中の南オセチア自治州との境界にあるロシア軍の検問所付近を通行中に銃撃を受けている。その2年後、レフ・カチンスキは、カティンの森事件追悼70周年記念式典に出席するために搭乗していた大統領専用機がロシア西部のスモレンスクで墜落した事故により死亡した。

韓国の反応

大韓航空は、少なくとも4月末まで、モスクワ便とウラジオストク便の運航を停止することを発表した。ヨーロッパと北米東部に向かう便は、ロシア上空を避けるために航路を変更する。

韓国は、約80万ドル相当の軍用ヘルメット、テント、毛布、戦闘食、応急処置用の資材と薬品をウクライナに送ることを決めた。

『毎日新聞』2022年3月14日付より

「ウクライナ危機 足元の「難民鎖国」政策の見直しを急げ」
稲葉剛・立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授
『毎日新聞』2022年3月14日付より引用。

「首相官邸のホームページなどで政府が「ウクライナから日本への避難民の受け入れの推進」と、「避難民」という用語を使い、「難民」と呼んでいないことにSNS上では疑問の声があがっている。
「難民」ではなく「避難民」という言葉を使うのはなぜだろうか。そこには、ウクライナから逃れてきた人々に日本政府が提供するのはあくまで短期的な支援のみであり、国内に安定的に滞在するための法的な地位の保障はしない、という寓意(ぐうい)があるように思われる。
与党・自民党の一部議員はTwitterなどで「避難民」の支援と「難民」の受け入れは全く違う、と強調する発信に力を入れている。
難民受け入れに否定的な保守系議員が恐れているのは、国内外の世論がウクライナ難民支援に動き、日本国内で難民を積極的に受け入れていくことを表明する企業や自治体が続出する中で、長年、国際的に批判されてきた日本の難民認定制度の見直しに議論が発展することであろう。」
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20220310/pol/00m/010/015000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20220314

ロシアのドローンがポーランド領空に侵入していた可能性

「ジェチポスポリタ」の記事によると、ドローンは、13日に爆撃されたウクライナ西部のヤヴォーリウ軍事訓練所の上空を飛行したのち、ポーランド領空内に入り、再びウクライナ領空に戻ったのち、ウクライナ軍によって撃ち落された。
以上はウクライナ軍の発表による。NATOとポーランド政府は、いまのところこの情報を確認していない。
https://www.rp.pl/konflikty-zbrojne/art35863221-ukrainska-armia-rosyjski-dron-wlecial-w-polska-przestrzen-powietrzna

ロシアの航空会社の機体について

バミューダ諸島の民間機登録機関(Bermuda Civil Aviation Authority, BCAA) は、登録されているすべてのロシアの航空会社の機体について、12日24:00以降の認証を停止することを決めた。これにより、ロシアの民間航空機の半数以上が運航できなくなる。
https://wyborcza.biz/biznes/7,177151,28216635,bermudy-uziemily-ponad-polowe-samolotow-rosji.html?&_ga=2.125586313.264149056.1645262042-1157821085.1641979726#S.main_topic_ua-K.C-B.5-L.2.maly

税制上の利点からパナマやリベリアの船籍をもつ貨物船が多くみられるように、民間航空機の登録先をバミューダ諸島やケイマン島におくことがあるようです。

なぜロシア人は「ナチスのウクライナ」のトップにユダヤ人が立っているという語りに矛盾を感じないのか

ロシアの劇作家アルトゥル・ソロモーノフの「ガゼタ・ヴィボルチャ」への寄稿。

「なぜロシア人は「ナチスのウクライナ」のトップにユダヤ人が立っているという語りに矛盾を感じないのか」
2022年3月13日付

ここ数日、キーウやオデーサの友人たちに電話をかけ続けている。おそらく私の人生で最も困難な会話だ… ハルキウの知人たちは、もう家がない、通りも広場もない、子どもたちの遊び場もない、と語った… キーウの女友だちは、警報のサイレンが鳴り続けて、いつ何時でもシェルターに急いで逃げなければならない、昼夜を問わず命の危険にさらされてもう気が狂いそう、と言った… 結局、彼女はウクライナから避難した。そんなことは彼女には想像もできないことだったし、望んでもいないことだったのだが…

しかし、ウクライナ人たちは、ただ自分たちの意志で国をつくりたかっただけなのだ! ところが、テレビで私たちに繰り返し伝えられるのは、ロシアは誰かを助けようとして動いたのだ、この「軍事作戦」は、ロシア語を話すウクライナのロシア人への、われわれの愛の結果なのだ、ということだ。ああ、なんという他民族へのロシアの「愛」! そのなかで私たちの隣人も私たち自身も焼き尽くされてしまわなければよいのだが。私がこんなことを言うのは、この戦争がロシアにとって、あらゆる意味で完全に破壊的なものであると考えているからだ。道徳的にも、政治的にも、経済的にも。

「国家は死体を必要とするのだ! 死者を必要とするのだ!」

この戦争に私は、豊かでブルジョワ的なモスクワで遭遇した――もちろん、戦闘が始まったという悪夢のようなニュースを聞いても、首都の顔つきは何ひとつ変化しなかった。しかし、すでに最初の日に、恐怖というよりも、もうこれまでのような日々は二度と戻ってこないだろう、という感覚が漂いはじめた。加えて、これからは悪くなるばかりだろう、という感覚も。

偶然の成り行きで、この戦争は、私の戯曲「われわれはスターリンをどう葬ったか」が独立系のTeatr.doc.で初演を迎える日と重なっていた。その関係で、この間に私が会話をしたのは俳優たちと監督と劇場支配人に限られていて、この戦争への反応も、もっぱらいちばん近いところにいる彼らの様子からしか私には判断できない。彼らは全員ショックを受け、ふさぎこみ、混乱していた。こんなときに初演を舞台にかけるのは道徳的に正しいことなのか? でもだからと言って、上演を中止するのは降伏することになるのではないか?――この作品は、全体主義が生まれて、そこから逃れる余地がなくなってしまう状況を描いているのだから。

私たちは上演することにした。初日の夜8時、観客が集まり始めた。それは、これまでに私が目にしたなかで、最も不幸で混乱した観客だった。演劇に出かけるためにやっとのことでベッドから起き上がったんだよ、と知人が私に言った。招待した人たちの多くが、ごめん、劇場に出かける元気がないんだ、と電話してきた。ロビーでの会話ももっぱら戦争のことで、恥ずかしい、罪悪感と無力感で苦しい、と打ち明ける人が大勢いた。そして当然のことながら、なんという、ありえないような「血塗られた」偶然だろう、こんなときにスターリニズムの復活についての作品の初日を迎えるなんて、という話になった…

上演が終わったとき、観客が俳優たちのところに来て、「国家は死体を必要とするのだ! 死者を必要とするのだ! 人間なんて何の価値もない、国家がすべてなのだ!」という科白が舞台から聞こえてきたときの衝撃を語った。リハーサルを始めたときには、この科白が作品の核心であったわけではないのだが、生活の現実が力点の置きどころを変えてしまったのだ。

家に帰ってから、私はテレビをつけて国営放送にチャンネルを合わせた。番組では「ウクライナのナチス主義者たち」と「ロシア軍の勝利」について熱く語っていた。私はテレビのスイッチを切った。まるで1941年のニュースを観ているようだったし、ロシアがナチスドイツと死闘を演じているかのようだったから…

スターリンはいまなお葬られていない

総じて数年来、ロシアにいて、私は、超現実主義的な映画のなかで生きているような感じがしていた。論理と理性は不可逆的に根絶へと向かっていき、それはいまや無用なものとして完全に破棄されてしまったのだ。

だから、「テレビの視聴者たち」は、ユダヤ人が「ナチスのウクライナ」のトップに立っていることにも、わが国の権力が防衛の目的で攻撃していることにも、平和のために戦争していることにも、幸福のために破壊していることにも、まったく矛盾を感じないのである。彼らは、「戦争反対」(”no war”)という言葉が、現代ロシアではほとんど過激派のスローガンのようにみなされることにも問題を感じない。最近、雪に描かれた「戦争反対」を警察官が長靴で踏みつけている動画を見たばかりだ。しかし同時に、私たちは確かに平和を支持しているし、平和のためにあらゆることをやっているのだ。なにしろ、「軍事作戦」が始まったときに、目くらましの言葉が並べられたではないか――ナチズム、ファシズム、勝利、と。最近10年間に大衆の意識を支配してきた、あれらの言葉が。

こうしたことをロシアの外から理解することは、おそらくとてもむずかしい。現代ロシアにとってスターリニズムが現実の問題であることや、スターリンがいまなお葬られていないことが外からは理解しにくいのと同様に。いま一度、私たちの精神のなかで、犯罪的な数学が蘇えっているのだ。左辺には、何百万の無実のまま殺された人びと、何百万の自由を奪われ、搾取され、卑しめられた人びと。右辺には、大規模な建設、戦争の勝利、強力な国家。この悪魔的な論理学の創始者は、いまやますます現実化しつつある。

しかし、ここでの問題は、じつはスターリニズムでさえなく、いまロシアで、イデオロギーの問題についてはきわめて融通無碍で、それゆえに限りなく内的な矛盾を抱えた超帝国が出現しつつあることである。そこでは、過去の全体が等しく理想化される。ツァーリの過去もソ連の過去も、いにしえのルーシの時代も最近の時代も、正教のロシアも無神論のロシアも。現代ロシアは、すべての歴史的段階と過去のシンボルの集合体なのであり、そこではスターリンとニコライ2世、レーニンとエカチェリーナ2世、ツァーリとその暗殺者、「聖なるルーシ」とその破壊者が統一されなければならない。

こういうやり方は、まちがいなく、私たちの精神の健康を損なっている。共産主義については――もちろん誰一人としてそのイデオロギーを擁護する者はもはやいない。「共産党」は、いまや偉大なるフェイクの一部である。共産主義的な過去のうち必要とされるのは、国の強勢と神話的な統一の理念、そして諸民族を兄弟とみなす思想だけである。

プロパガンダを注入され操作されたロシア国民の巨大な部分が、最近20年間のあいだに、ノスタルジックに過去に憧れるようになり、過去をとり戻そうと夢見るようになった。これは喜劇的でもあり、悲劇的でもあった。若者たちさえもが、自分では生きたことのない時代に戻りたいと思い始めたからである。もちろん皆が皆ではないとしても、多くのひとがそう感じだしたのだ。そしていま、私たちは、この集団的ノスタルジーの恐るべき結果を目にしている。そして、このノスタルジーが無神論的なソヴィエト社会主義共和国連邦と聖なるルーシを同時に含んでいることに当惑しない者はいないだろう。

しかし、公式の次元でかくも多くが語られるロシアの宗教的な再生もまた、幻影である。あるいはフェイクであると言ってもよい。これもまた、現実のなかに支えをもたないもう一つの巨大な観念である。私はロシアを正教の国とは呼ぶまい。それは実態ではなく宣言に過ぎない。正教徒だと自称する人たちの多くは、主な祭日に教会に行くだけで、ロシア正教会の歴史も、それどころか聖書に書かれている物語も知らず、新約聖書を間違って引用するのがせいぜいである。「正教徒」を自称したいという欲望は、歴史と文化に自分も属していると表現したり、皆と共有する一種のコードを作ろうとしたりする姿勢のあらわれである。そして、正教会は権力がやろうとすることはすべて絶対的に支持するので、若者たちも知識人も正教会がクレムリンの支部であることを認めている。このことは、もちろん正教会の信用度に影響する。

この幻影とフェイクの海のなかで、現実としての実質を求めて権力と対等にわたり合うことができるものが、ただ一つだけある。それは芸術だ。裁判も、報道も、社会組織も、政党も、議会も、すべてフィクションだ。しかし権力は現実以上のもの、恐ろしいものであり、悪夢のように本ものだ。芸術も同じである。

だからロシアでは、人びとはいつも芸術に、とりわけ劇場に、偉大な思想や強い感情を期待する。それどころか、本当のところは国でなにが起こっているのか、どこに悪があるのか、そして善はどこにあるのかを理解するために芸術が手助けしてくれることを望んでいるのだ。だからロシアでは、芸術はじっさい特別な役割を、使命とさえ呼べる役割を果たしているのだ。芸術にたずさわることは危険だが(あなたが権力と手を結ぶのでないかぎり)、しかし同時にあなたは、あなたの仕事に意味があることを実感する。

このところ、遠くで起こっている騒ぎの反響が私の耳にも伝わってくる。どこかでロシアの劇場やオーケストラの公演が中止されたとか、チェーホフの劇の上演がとり止めになったとか、チャイコフスキーが演奏されなくなったとか、それで私たちの文化にかかわる多くの関係者が仏頂面をしているとか。いまはそんなことで気を悪くしているときではないと私は思う――チェーホフもチャイコフスキーもいなくなることはないし、時が過ぎれば演目に復帰して、劇場やコンサートホールに戻ってくるだろう。

そして、私たちもいなくなることはない。私たちは、文化をとおして自分たちの手でこの破局を防ぐことはできなかった。そしてこの破局が起こってしまったいまこそ、私たちに対する嫌がらせに気落ちしている場合ではないのだ。妄想とフェイクと偏執から、幻覚との闘いから生み出されたこの悪夢のなかで私たち全員が燃え尽きてしまうのでないとすれば、いずれ戦争が終わる時がくる。それはもちろんたいへん厳しいものになるだろうが、おそらくはロシアにとっての再生のチャンスとなる――私たちの歴史の最も醜い側面とのつながりを完全にたち切り、それらを理想化することをやめ、暴力と流血を地政学的に正当化することをせず、刑吏から英雄を生みだすことをしないために。目を覚まし、正常化し、隣り合った国や民族を自らの「愛」によって迫害することをやめるために。自らの境界のなかで自分自身を感じるようになるために――物理的な意味でも、形而上学的な意味でも。

  • ロシア語からポーランド語への翻訳者:Agnieszka Lubomira Piotrowska
  • 小見出しは「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集部による。

https://wyborcza.pl/7,112395,28214404,wojna-zastala-mnie-w-burzuazyjnej-moskwie-od-lat-mialem-wrazenie.html#S.DT-K.C-B.3-L.1.maly

【SatK】

市長の拘束に対する激しい抗議

ロシア軍に占領されたマリウポリで、軍に拘束された市長にかえてロシア側がトップに据えたガリーナ・ダニルチャンカ
「新たな生き方を学ぶときがきました」「挑発に屈してはいけません」
市中では、市長の拘束に対する激しい抗議が続いている。