マクドナルドがロシアから撤退へ――1つの時代の終わり

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年5月16日 執筆者:Dariusz Brzostek
https://wyborcza.biz/biznes/7,177151,28458266,mcdonald-s-wychodzi-z-rosji.html

30年以上のあいだ、それはロシアにおける西側の代理店だった。ウクライナへの軍事侵略がすべてを変えた。現在、マクドナルドはこの国でのビジネスを売却しようとしている。

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ロシアでは、とりわけ若い人たちのあいだで、衝撃と疑念が広がっている。この国でアメリカ的生活様式と資本主義のアイコンだったマクドナルドは、32年を経て、ロシアでのビジネスを売却して、ヴォルガ河畔での事業から全面的に撤退しようとしている。

「これは複雑な問題です。前例はなく、深い影響が及びます」――マクドナルドのCEOクリス・ケンピンスキーは、フランチャイズ加盟者、従業員、納入業者に宛てたメッセージでこのように記した。アメリカのメディアがこれを入手した。

1つの時代が終わり、西側の代理店がなくなる

「ニューヨーク・タイムズ」紙が伝えるように、この動きは、企業にとって大きな意味をもっている。マクドナルドの展開は、世界中でグローバリズムのシンボルとなり、平和の理論の基盤でさえあったからだ。グローバリズムの支持者が目指していたものは、近年、コロナウィルスによるパンデミックと地政学的な緊張によって行き詰まっていた。ウクライナにロシアが侵攻したことで、通常の営業を続けようとしていた多くの企業が同様の決断をすることを余儀なくされたのである。

マクドナルドは地元の企業への事業の売却を計画している。しかしすでに以前から、店舗の脱ブランド化を進めようとしていた。これは、マクドナルドの名前やロゴを使わせず、世界中で知られているブランドも使用させないという意味である。

マクドナルドは次のように声明した。「優先されるのは、取引が終結するまで、ロシア国内の店舗の従業員に対する給与の支給を保障することであり、将来的に事業を買い取る事業者のもとで従業員が雇用されることである。」他方で、マクドナルドはロシアでの商標は維持することになっている。

ロシア市場からの撤退は、相応の経済的損失をともなうことになるであろう。マクドナルドは12~14億ドルの評価切り下げとなるとし、さらに「為替差損」を見込んでいると声明で発表した。

30数年前、多くの写真や映像が世界中に流れた。1990年1月にモスクワで最初のマクドナルドが開店したときのことだ。

「それは、マクドナルドの歴史のなかで、私たちが最も誇りとし、最も興奮した里程標の1つでした」とクリス・ケンピンスキーは強調する。

そして、こう付け加えた。「半世紀以上に及ぶ冷戦期の敵対関係のあとで、プーシキン広場の上に輝く金色のアーチ〔Golden Archesとも呼ばれるマクドナルドのロゴを指す〕のイメージは、多くの人にとって、鉄のカーテンの両側で新しい時代が始まろうとしている予兆でした。」

鉄のカーテンの向こう側にできたアメリカン・レストラン

その当時、ロシアの人びとは、氷点下の寒さをものともせずに、はじめてのハンバーガーを手に入れるために、とてつもなく長い行列に並んだ。その後数年でレストランのネットワークは急速にロシア市場に広がった。マクドナルドは材料調達の経路の確保とロシアの他の都市への店舗の展開に数十億ドルを投資した。

2月24日のロシアのウクライナ侵略後、すべては変化した。従業員と消費者の高まる圧力のもとで、多くの企業やチェーン方式の飲食店が部分的に、あるいは全面的に、ロシアでの活動を停止した。

3月初め、マクドナルドも同様の決定をし、店舗を閉鎖した。営業の最終日、フライドポテトとドリンク付きのセットを求めて、店の前には再び長い行列ができた。ネット上には数多くの「売ります」が登場した。ハンバーガーやドリンクだけでなく、ソースを出品する人さえ現れた。

ロシアから金色のアーチが消える

マクドナルドCEOのクリス・ケンピンスキーは、ロシア市場からの撤退の決定について、次のような見方を示した。
「食品の提供を保障し、数万人の一般の市民をこれからも雇用し続けることこそが正しい選択ではないかと考える人もいるでしょう。しかし、ウクライナで戦争によって引き起こされた人道的危機を無視することはできません。」

そして、こう付け加えた。「黄金のアーチが、32年前にロシア市場へと私たちを導いたときと同じ希望と約束をあらわしているとイメージすることはできないのです。」

体制転換後のポーランドでも、マクドナルドは自由主義経済の象徴だった。1992年、ワルシャワに、ポーランドで最初のマクドナルドの店舗がオープンした。1993年から94年にかけてワルシャワ大学の日本学科で教えていた訳者は、ときどきこの店を利用した(マックバーガーのファンではないのだが、時間がないときにはやはり便利なのだ)。先生に引率されて見学にきた子どもたちが、目を輝かせて従業員の説明を聞いていた光景を覚えている。その後、グローバルに展開するハンバーガーやピザのチェーン店が急速に増えていき、ポーランド風のメニューをリーズナブルな価格で提供していた食堂はワルシャワの街から姿を消していった。

【SatK】