ロシアでは、ソ連と第三帝国と同一視すると処罰の対象に

「ジェチポスポリタ」 2022年4月6日付
https://www.rp.pl/swiat/art36024081-w-rosji-beda-kary-za-utozsamianie-zsrr-i-iii-rzeszy

ロシア国家院(ロシア連邦議会の下院)は、第二次世界大戦中のソ連とドイツの役割を公共の場で同一視したり、「ヨーロッパ諸国の解放におけるソ連の人道的使命」を否定したりすることに対して刑罰を科す法案を採択した。

2月、国家院の立法委員会は、ソ連を第三帝国と比較することに対して最大15日間の拘束あるいは1,000~100,000ルーブルの罰金を科すような法改正を提案した。水曜日(4月6日)、ロシア連邦議会下院は、この法案を採択した。

ポーランドでは、第二次世界大戦の始まりは、1939年8月23日の独ソ不可侵条約に付随する秘密議定書にもとづいて、9月1日にドイツ軍が西から、同月17日にソ連軍が東からポーランドに侵攻した状況から説明される。ドイツ占領下でも、ソ連占領下でも、強制移住、強制収容所への移送と強制労働、思想・言論弾圧などにより、軍人・兵士だけでなく、一般市民を含む多くのポーランド人が犠牲となった。カティンの森事件(1940年4月)は、ソ連が占領・併合した地域でおきた虐殺事件である。

独ソ不可侵条約の秘密議定書では、バルト諸国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア、フィンランド)、ベッサラビア(ルーマニア東部)はソ連の勢力圏に入ることも規定されていた。この規定にもとづいてバルト三国には1939年秋からソ連軍が駐留し、40年にはソ連に併合された。フィンランドはソ連の侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながら独立を守った(ソ連・フィンランド戦争、1939年11月~40年3月、41年6月~44年9月)。

ロシアのいう「大祖国戦争」とは、1941年6月に独ソ戦が始まってから後の段階の、ドイツをはじめとするヨーロッパの枢軸国諸国軍とソ連軍との間の戦いを指すのであって、第二次世界大戦の全体を含むものではない。
今回の法改正によって、ロシア国内の公共の場で、バルト諸国やポーランドで広く共有されている第二次世界大戦観を提示すると、違法行為として罰せられる可能性がでてきた。

【SatK】