ロシア国家院(連邦議会下院)、アクーニン、グルホフスキーら戦争に反対する作家たちの本を発禁処分とすることを発議

ロンドン在住の作家ボリス・アクーニンは、ネット上にサイト「本当のロシア」を立ち上げ、国外に暮らすロシア人に呼びかけて、戦争に反対するメッセージを積極的に発信している。
NHK NEWS おはよう日本「国外のロシア人が力を合わせよう」 作家 ボリス・アクーニンさん
https://www.nhk.jp/p/ohayou/ts/QLP4RZ8ZY3/blog/bl/pzvl7wDPqn/bp/pb1R77o66W/
【報道特集】|TBS NEWS「プーチンはウクライナ人を殺し、同時にロシアも殺している」ロシア人作家が語る“本当のロシア”とは

グルホフスキーについては、本タイムラインでエッセイとインタビューを紹介した。
なぜクレムリンはこの戦争を特別軍事作戦と呼ぶことを私たちに命じるのか?
投稿日: 2022年3月11日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220311_1/
ロシアの作家グルホフスキーへのインタビュー
投稿日: 2022年3月26日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/interview/20220326_3/

【SatK】

マグダレナ・シロダ「プーチンと家父長制から世界を守ること」

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月26日
https://wyborcza.pl/7,75968,28374912,obronic-swiat-przed-putinem-i-przed-patriarchalizmem.html

たしかに、ウクライナの女性たちもまた戦っている。しかし、戦争は女の顔をしていない。

* * *

ウクライナでの戦争について、私たちはおそろしいことが起こっていることを知っている。そのすべてを認めたうえであえて言えば、この戦争もまた変わらぬ時代の乗り物である。それは、私たちを、英雄たちと悪魔どもからなる、真の男性の世界へと連れていく。この世界では、英雄たちは栄誉に値し、悪魔どもは非人間的な存在として死に値する。このような現実の見方と、それに付随するあらゆることは、戦争それ自体と同じくらい悲惨であり、うしろ向きである。なぜならば、ようやく私たちは、平等、公正、民主主義、対話、寛容、多様性といった価値を学び始めたところであったのに、再び――残念ながら――私たちの歴史と道徳に深く根づいた「英雄的・殉教的価値体系」(*1)へと戻っていきつつあるからである。

たしかに、この価値体系は、「法と正義」によってすでに入念に埃を払われていたものだ。「法と正義」は、そのキッチュだが効果的なやり方で、無意味な死を褒め称え、「呪われた兵士たち」(*2)の空虚なヒロイズムを称揚し、ある航空機事故をめぐって神話化された殉死の物語(*3)を宣伝してきた。しかし、ウクライナにおける戦争は、この言説に新しい息を吹き込み、さらに強化したのである。そして、その現われは、社会のなかで価値を語るときの言葉使いや、戦時に特有の政治的な統治手法(プロパガンダの見地からみても、実務的な見地からみても、政権与党が設定する権威主義的な政策目標にとって、戦争ほど好都合な文脈は存在しない)のなかに認められるだけでなく、メディアや大衆文化のなかにも見出される。

玩具店や土産物店の店頭に、ライフル銃やその他の「武器のおもちゃ」が戻ってきた。そのために、男の子たちは、殺し合いで遊ぶことができるようになっている。メディアは競い合うように、戦いへと駆り立てる言葉、英雄的行為を書き記す言葉を繰り返している。しかし誰も言わないのだ、そこに何ひとつ新しいものはない、ということを。戦争は家父長制の土台であり、まさしく私たちの文化にみられる男性中心主義の基盤である。あなたたちはこう言うかもしれない。女性たちも戦っているではないか、かりに彼女たちが統治していても、戦争は同じように血に濡れたものになるだろう、と。これに対して私はこう答えよう。女性たちは戦っているし、攻撃的になることもできる。なぜならば、彼女たちは、男たちによって支配された世界が彼女たちに作りあげた諸条件に適応しなければならないからだ。しかし、「戦争は女の顔をしていない」(*4)。平和の時代にも、戦争の時代にも、女性たちは性的な対象として、男性の支配を示すための手段として扱われる。強姦は、そのためにこそ使われているのだ。集団的にそれが起こっていることに、いま、私たちは憤慨している。しかし、平和な時代においても女性に対する暴力は大幅に許容されてきたし、いまでも許容されている。強姦に対する刑罰は重いものではなく、暴力を規制する法律は(ポーランドでは)成立する見通しがない。「殴りもせずに女どもをどう扱えるというのか…」というのだ。戦時と平時で強姦の規模と残虐性に違いはあっても、その本質は同じである。男性中心主義と、家父長制的な上下の序列と、伝統の名のもとに持ちあげられるライフスタイルから、生まれてくるのだ。

これはあまり指摘されていないことだが、戦争は攻撃性を解き放つだけでなく、欲望をもかき立てる――この点では資本主義と共通する。誰もが買い求めている武器は、ウクライナでの戦争が終わっても空中に蒸発することはない。そこで積みあげられた武器の集塊は、地上のどこか別の場所に流れていき、そこですぐに再び地獄の蓋を開け、死と、暴力と、軍事産業への巨大な利益をもたらすだろう。

戦争の時代に平和主義者であることが困難であるとしても、私たちの文化のなかで戦争が自明なものになってしまっている理由を頭のどこかで問い続け、そのような文化を根底から変えていく努力をするべきなのだ。

私たちが世界を守らなければならないのは、プーチンに対してだけではなく、家父長制に対してでもあるからには。

*マグダレナ・シロダ Magdalena Środa は1957年生まれの哲学者、フェミニスト。ワルシャワ大学教授、ポーランド政府の男女平等問題全権委員(2004~05年)。

1 「英雄的・殉教的価値体系」(zestaw heroiczno-martyrologiczny)とは、ここでは、18世紀後半にポーランドが分割されて国家を失って以降、19・20世紀に民族主義的な運動が展開されるなかで形成され、称揚されてきた一連の価値の体系を指す。武装蜂起や地下抵抗活動のなかで命を失った多くの犠牲者たちは、祖国の再生のために殉じた英雄として表象されてきた。

2 「呪われた兵士たち」(żołnierze wyklęci)とは、第二次世界大戦中から戦後にかけてソ連の支配と共産主義化に抵抗して戦ったポーランドの地下軍事組織の兵士たちを指す。彼らの武装地下活動は1950年代後半まで続いたが、ポーランド政府とソ連内務人民委員部によって弾圧され壊滅した。
反共武装組織の活動の歴史的意義は、彼らが反ユダヤ的な主張を掲げていたことを含めて、学術と政治の両次元にまたがる論争の対象となっている。「空虚なヒロイズムの称揚」というシロダの批判は、現政権与党「法と正義」が、その歴史政策の一環として「呪われた兵士たち」の顕彰に力を注いできたことに向けられている。

3 2010年4月10日、「カティンの森事件70周年追悼式典」に出席するポーランド政府要人(カチンスキ大統領夫妻を含む)を乗せたポーランド空軍の飛行機が、ロシアのスモレンスク近郊で墜落した事故をめぐる、政権与党側の主張を指している。「法と正義」調査団は、墜落の原因について、ロシア側による人為的な誘導・爆破の可能性を指摘した。歴史家ノーマン・ディヴィスが「法と正義」の主張を「スモレンスクをめぐる嘘」として批判的に言及していることは、本タイムラインでもすでに紹介した。
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/interview/20220417_2/

4 原文を直訳すると「戦争はそのなかに女性からのものを何も含んでいない」(wojna nie ma w sobie nic z kobiety)となる。この文言は、2015年にノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチによるノンフィクション『戦争は女の顔をしていない』(1985年。日本語訳は、三浦みどり訳、岩波現代文庫、2016年)のポーランド語訳の書名と同一である。

【SatK】

「プーチンはイエスのよう」――アフリカでロシアは情報(歪曲)戦に勝つ

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月23日 執筆:Robert Stefanicki
https://wyborcza.pl/7,75399,28366815,putin-jak-jezus-rosja-wygrywa-wojne-dezinformacyjna-w-afryce.html#S.tylko_na_wyborcza.pl-K.C-B.3-L.1.maly

ロシア人たちは、アフリカのフランス語圏で集中的なプロパガンダ戦を行なっている。そのために彼らは、フランス軍による犠牲者が埋められていると称して集合墓地を掘り返す労さえいとわない。

* * *

フランス軍は、マリにある軍事基地の近くで、遺体を埋めるロシア人傭兵をドローンから撮影した、と発表した。AFP通信によると、マリ北部のゴッシ軍事基地の付近で、遺体に砂をかける白人兵士の姿が映像から確認できる。

しばらくして、ツイッター上に、次のようなコメントを付した墓の写真が投稿された。「これこそまさに、ゴッシ基地を撤収したときに、フランス軍が残していったものだ。…われわれは沈黙していることはできない!」 書き手はユーザーネーム「ディア・ディアラ」で、プロフィールには「元兵士」で「マリの愛国者」とある。

フランス軍総司令部は、これは「情報攻撃」であると認めた。フランス軍によると、「ディアラ」は、おそらくワグネル軍団によって作られた偽アカウントであるという。

この傭兵軍団は、クレムリンによってとりわけアフリカで活用されており、戦闘員と軍事訓練の担当者を合わせて400~600名が――現地の政府の要請によって――マリに派遣されている。軍事訓練のほかに、ロシア人たちは、国の相当部分を支配している過激派に対抗する作戦を遂行している。

ワグネル軍団の黒幕は、プーチンと懇意で、特殊部隊とつうじたイェヴゲニー・プリゴジンである。彼こそは、2016年のアメリカ大統領選挙で、ドナルド・トランプを有利にするために、SNS上でトロール(荒らし)とボット(人間に代わって一定のタスクや処理を自動化するためのプログラム)を使った偽情報の拡散を組織した人物である。

「プーチン、あなたこそわれわれの時代のイエスです」

偽情報の拡散が明るみにでた後、西側はロシアの情報操作により敏感になり、対策を強化している。しかし、アフリカでは、まったく同じ手法が今でも用いられ、プーチンのファンを大量に生みだしている。

「イスマエル・サワドゴは、ロシア国旗を店で見つけることができなかったので、仕立て屋に旗を3枚作らせた。1枚はバイクではためかせ、2枚目はポンチョのように身にまとい、3枚目はコックの帽子のかたちにした」――ブルキナファソの「ワシントン・ポスト」通信員ダニエル・パケットのルポは、このような書き出しで始まる。ブルキナファソは、マリと並んで、モスクワの影響が急拡大し、パリの影響が縮小しているもうひとつの国である。

30歳の玩具店員であるサワドゴは、この服を仕立てるのに1週間分の稼ぎを費やした。「プーチン、プーチン、プーチンが好き!」と明言する。

ロシアの大統領のファンになったのは去年、フェイスブックでロシアのコマンド部隊の映像をみてからだった。この頃、イスラーム過激派が彼の故郷の村を襲撃し、弟が学んでいた学校を焼き討ちした。SNSをつうじてブルキナファソの住民に届いた情報によれば、悪いのは暴力をたきつけたフランスと西側であり、他方で、救出に向かう準備をしている英雄としてプーチンが描かれていた。

「ありがとう、プーチン。あなたは私たちの時代のイエスです」――サワドゴの携帯電話の画面に映し出された投稿の1つは、こう語っていた。プーチンの肖像は美しく、バイデン大統領とヴォロディミル・ゼレンシキーの姿は醜く、卑屈なかっこうで描かれていた。フランスが非難され、大文字で書かれたメッセージが無数に投稿されていた。「ウクライナ軍は敗北した」「これが西側とNATOの隠された計画だ… 目的はただ一つ、人間を非人間化することだ…」

西側を貶める投稿が24,000件に

アフリカにおける偽情報を追跡している組織によると、最近数か月のあいだに親ロシア的な内容の投稿がアフリカでますます増えているという。ロシアは、グローバルな影響力の拡大と稀少資源の確保を目指しており、最近では、ウクライナでの戦争をめぐる西側の語りをコントロールしようともしている。アフリカの人びとは、NATOが侵略者であり、モスクワはウクライナで人道的な使命を果たしていると告げられている。

ここ数年で、フェイスブックは、アフリカをターゲットにした数百件の「ほんものではない」アカウントを繰り返し削除してきた。これらの偽アカウントの多くが、ロシアとプリゴジンに関係していた。2019年のフェイスブックの報告によると、これらのアカウントは、次の8か国の内政に影響を及ぼそうとしていた。マダガスカル、中央アフリカ共和国、モザンビーク、コンゴ民主共和国、コートジボワール、カメルーン、スーダン、そしてリビア。

現在、とりわけクレムリンの標的となっているのは、数年にわたってフランスがイスラーム過激派に対して作戦を展開してきた――そして満足すべき成果をあげていない――諸国である。ここ数か月間にエマニュエル・マクロンは軍隊を撤退させつつあり、フランス人のいた場所をロシア人が占拠しつつある。

削除されたアカウントに代わって、新しいアカウントが次々に作られている。今週、デジタル・フォレンジック・ラボ(DFL)が、マリの偽情報についての報告書を公表した。マリへのロシアの介入を推し進め、西側、とりわけフランスの信用を貶める5つのウェブサイトのネットワークが発見された。2021年9月に、これらのサイトは、ワグネル軍団を、フランス軍に代わる軍事勢力として紹介し始めたという。

14万人のユーザーが登録するこれらのサイトには、約24,000件の記事が投稿されている。しかし、その内容はしばしば同一であった。

ウクライナ?「あれはゼレンシキーが悪い」

別の報告書では、ブルキナファソで、親ロシア的な内容の記事が、1月に起こったクーデター(*)の数か月前から流布はじめたことを研究者たちが指摘している。クーデターの直後、首都ワガドゥグーでは、暴動の参加者たちは、親ロシア的・反フランス的なスローガンを叫んでいた。

*参考:「ブルキナファソで軍がクーデター イスラム過激派抑え込めず不満募る」『朝日新聞』 2022年1月25日
 https://digital.asahi.com/articles/ASQ1T2H7MQ1TUHBI002.html

もしイスラーム過激派が彼の故郷を焼き討ちしなければ、ブルキナファソの玩具店主はロシアに関心をもたなかったかもしれない。サワドゴには、過激派を抑えるための手段をフランスが持っていないとは信じられない。

「問題は、フランスが過激派を抑えようとしていないことだ。フランス人は私たちの苦しみを利用しているのだ」と彼は言う。

サワドゴはテレビのチャンネルを「フランス24」に合わせた。画面に、爆撃されたウクライナの街の映像がうつしだされた。

「ぜんぶゼレンシキーのせいだ」と彼は言った。「人びとが死んでいくのはゼレンシキーが悪い。プーチンは悪くない。」

偽アカウントを設定しているのはロシアだけではない。2020年末、フェイスブックは、フランス軍と関係するページを削除している。そのページは、アフリカの数か国で親ロシア的なトロールに対抗するために作られたものだった。しかし、フランス側のトロールは効果を挙げているようにはみえない。地元の人たちはロシア側のキャンペーンに引き込まれており、そのことによって、ロシア側の流す情報は、さらにほんものらしく見えているのである。

黒海北岸から遠く離れたアフリカ諸国が、ロシアと西側の情報戦の舞台となっていることを伝える記事。背景として、イスラーム過激派のアフリカ社会への浸透、旧植民地宗主国であるフランスの影響力の縮小、そのあとに入り込んで影響力を拡大しようとするロシア、という三つ巴の構図が読みとれる。

今回の戦争では、サイバー空間が激しい戦いの場となっている。サイバー空間はグローバルに広がっているために、インターネットに接続できる人は、世界のどこに住んでいても、この戦いに巻き込まれる可能性がある。日本に暮らす私たちも例外ではない。

【SatK】

ロシアのウクライナ侵攻について――アダム・ミフニクの『ニューヨーカー』誌上インタビュー

ロシアのウクライナ侵攻について――アダム・ミフニクの『ニューヨーカー』誌上インタビュー
「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月22日  執筆:Mikołaj Chrzan
https://wyborcza.pl/7,75968,28365353,adam-michnik-dla-new-yorkera-o-rosyjskiej-inwazji-na-ukraine.html#S.tylko_na_wyborcza.pl-K.C-B.2-L.1.maly

「この7年間、内政においても外交においても、政府はポーランドをよくない方向に導いてきた。だが、ウクライナのことでは、いまの政府は良識をふまえた、まっとうな取り組みをしていると私は考えている」――「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹アダム・ミフニクは、アメリカのリベラルな週刊誌『ニューヨーカー』のインタビューでこう語った。

* * *

「記者にして歴史家、そして冷戦期に最も有名だった知識人のひとりであるミフニクは、東欧でソ連の支配に反対した声を象徴する存在であり続けている」――『ニューヨーカー』の記者アイザック・ショティナー(Isaak Chotiner)は、インタビューの前書きでこのように書いている。

「現在75歳のミフニクは、ポーランドのリベラルな日刊紙『ガゼタ・ヴィボルチャ』の編集主幹である。彼はまた、10年以上にわたって、ポピュリスト的な右派政党「法と正義」に対して激しい批判を加えてきた人物でもある。「法と正義」は現在、ポーランドの政権を動かしており、民主主義的な法治国家の原則に反する政策をめぐってEUと戦いを繰り広げている。しかし、目下ポーランドは、ロシアのウクライナ侵攻に対しては、他のヨーロッパ諸国と歩調を合わせている。中東とアフリカからの難民受け入れには断固として反対していたポーランド政府は、国連の発表によれば、ここ数週間のうちに200万人を越えるウクライナ人を受け入れた。」

ショティナーは同じ前書きで、ミフニクの次のような発言に言及している。
「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ。」
これは、ミフニクが、ソ連とロシアの攻撃的なふるまい(それは自国内の社会や反対勢力にも向けられてきた)の歴史的文脈のなかに、ウクライナ人のたたかいを位置づけた文章の一節である。

プーチンはアメリカが歯抜けの状態だと考えていた

対談は、ウクライナへの侵攻は西側と西側的価値にとってのテストだったのではないか、という問いから始まった。
「西側が、民主主義を守るためにこのように幅広く連携したことは、私にとってはうれしい驚きでした」とミフニクは答えた。「この先どうなるか見守る必要がありますが、いまのところEUは――もちろんハンガリーを除いてですが――、そしてNATOも、この試験でよい点数をとっています。(…)ウクライナは孤立してはいません。そして、これこそまさしくプーチンが達成しようとしていたことの反対なのです。彼は、EUは仲違いしており、アメリカは〔アフガニスタンの〕カブール撤退後は歯抜けの状態にあると考えていたのです。」

西側のこうした政策には常に強力な敵がいる、とも彼は指摘する。彼によれば、強力な敵とは、ヨーロッパでも、アメリカでも、ポピュリスト的な右派民族主義運動であり、また、アメリカ自体を人類最大の脅威とみなす極左的な運動もそうである。

対談の次のテーマは、ウクライナ侵攻をめぐるポーランドの政策の評価であった。
「私は、ポーランドの現政権に強く反対しており、これは例外的にひどい政権であると考えています。そのような者として、私はこの場では公平な証人ではありません。この7年間、内政においても外交においても、政府はポーランドをよくない方向に導いてきました。しかし、ことウクライナにかんしては、いまの政府は良識的で、まっとうな取り組みをしています。多くの点で、私には現政権を支持する用意があります。とりわけウクライナからの難民に門戸を開いている点については」と、ミフニクは述べた。

一方の難民を支援し、他方の難民を追い払う

しかしその後に続けて、彼は、その同じ政権が最近まで難民への憎悪のうえに自らのアイデンティティを築きあげてきたことを指摘した。〔昨年11月に〕ポーランドとベラルーシの国境で野蛮な対応がたて続けに生じたのであり、それをベラルーシのルカシェンコ政権だけでなく、ポーランド政府側も容認していたのである。

「女性や老人や子どもたちが、氷点下まで気温が下がった森や沼地に放置され、ベラルーシ側に追いやられているという通報がありました」と「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹は語る。しかし、ウクライナからの難民の場合には、状況が異なっていることを彼は指摘した。「政府は、ポーランド人がまっとうな態度で対応することを邪魔していません。そして、これが政府の主たる功績です。」

「法と正義」政権とロシアとのそれ以前の関係について問われたミフニクは、〔ヤロスワフ・〕カチンスキ〔「法と正義」総裁〕の一連の行動はポーランドの「プーチン化」の一形態であると言う。
「ふたりの間にはグロテスクな類似がありました。プーチンがロシアは立ち上がった、と言うと、カチンスキもポーランドは立ち上がった、と返すのです。プーチン、カチンスキ、オルバンの歴史政策〔その時々の政権が、教育機関やメディアをつうじて、歴史の解釈について特定の方向に国民を誘導するような政策を指す〕はいずれも、歴史はほんとうにあったものとは違うのだ、と人びとに言う点で同じです。つまり、彼らは、過去はもっぱら崇高なものだったと言うのです。たとえば、ロシアは誰にも何も悪いことはしておらず、いつも犠牲者だったのだ、と言うわけです。そして、もしロシア軍がいつかどこかに侵攻したことがかつてあったとしても、それは攻撃したのではなく、兄弟を解放し支援するためだったのだ、と言うのです。」

ミフニクは、EUに対する「法と正義」の政策も批判した。
「ポーランドにおける統治の形態はきわめてかたくなで馬鹿げたものです。この政権は、なんらかの過ちを犯しても誠実に認める能力をもっていないのではないか、と私は心配しています。現政権の外交政策は、反EU的な勢力――マリーヌ・ルペン、オルバン、サルヴィーニといったプーチンによって支援されてきた人びと――との同盟によって支えられてきたのですが、その全体が失敗であったことがはっきりしたわけです。EUはでっちあげの共同体だとか、われわれは「ブリュッセルに占領されている」、といった類のナンセンスな語りは、まったく愚の骨頂です。」

啓蒙されたポーランドとその敵たちの永遠のたたかい

ショティナーは、しばしばヨーロッパ外の他の諸国からの難民に比べて、ウクライナからの難民に対して政府がより好意的に対応しているのは、ポーランド社会自体の態度の表れなのではないか、と問うた。

「おそらく世界中で、ポピュリスト的、外国人排斥主義的、民族主義的、反民主主義的な見解を表明する人びとがひとりも見当たらないという国民は存在しないでしょう。アメリカの大統領選後に合衆国議会議事堂に押しかける群衆を私たちが目にしたのは、そんなに昔のことではありません。その種の人びとはアメリカにもいるし、ポーランドにもいるということです」と、ミフニクは説明した。

ミフニクは、啓蒙された寛容なポーランドとその敵対者たちとのあいだで、何世紀にもわたってたたかいが続けられてきたことを強調する。
「ポーランドの初代大統領ガブリエル・ナルトヴィチ〔1865~1922〕は、民族主義的な狂信者によって暗殺されました。それは、民族的少数者を代表する議員たちの支持があって選ばれた大領領に向けられた憎悪からの襲撃でした。彼は「ユダヤ人の大統領」と呼ばれていたのです。ナルトヴィチの暗殺以降、私たちは、いろいろな場面で、さまざまなかたちをとった、これと同じような対立を数多く目撃してきました。」

対談は、ソ連の没落の評価にも及んだ。
「ソ連が崩壊したときにシャンパンを開けた人びとの集団のなかに、私もいました。それは20世紀最大の地政学的な破局だったとプーチンが語るのを聞いていると、彼は閉じたバブルのなかで暮らしているのか、防空壕に閉じこもって、あなた様は天才でございますと恥知らずに吹き込む側近、平伏する者、賛意を示す者としか話をしていないのではないか、と思います。そうやっているうちに、彼はロシアを破局へと導くことになるでしょう。」

ロシアの思想、ロシアの文化、ロシアの市民的感覚の一大覚醒期としてのペレストロイカについて、彼は次のように語る。
「当時起こったこと、表明され語られたことは、けっして消し去られることはありません。それらは人びとの意識のなかに残っています。デカブリストや、ゲルツェンの理念や、偉大なロシア文学――トルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、ゴーゴリ、チェーホフがそうであるように。あるいは、1968年にチェコスロヴァキアへの軍事介入に抗議するためにモスクワの赤の広場に赴いた8人についての記憶がそうであるように。彼らは、別のロシアが存在すること、ロシアはブレジネフやプーチンのようであることを運命づけられてはいないこと、自由で勇敢で考え深く民主主義的な人びとのロシアが可能であることを示したのです。」

歴史が必然的なものであるとは信じない、と彼は強調する。
「ロシアにとって暗い時代がいま訪れていますが、同時にこれは未来の種を撒く時でもあります。私はロシアの未来を信じています。いかなる国民も敗北を宿命づけられてはいませんし、隷属のなかで生きることを定められてもいません。」

プーチンとの会見で「ギャングが座っているのかと思った」

『ニューヨーカー』の記者は、「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹に、プーチンとの会見についても訊ねた(ミフニクはプーチンと数度にわたって直接会っている)。
「プーチンと会話したとき、スターリンはイワン雷帝とピョートル大帝のどちらにより近いと思うか、と聞いてみました。彼は、スターリンはチンギス・ハンにより近いと思う、と答えました。プーチンは誰に似ていると思うか、というあなたのおたずねには、計算能力を失ったギャングのようだと、とお答えしておきましょう。」

ミフニクによれば、ロシアの大統領は、最初に会ったときには、合理的で実際的な政治家としての印象を与える存在だった。しかし、2度目に会ったときには、すでにまったく違っていた。
「われわれには1問しか質問が許されませんでした。そこで私はミハイル・ホドルコフスキー〔ロシアの元実業家、石油会社ユコス社の元社長。新興財閥(オリガルヒ)のひとり。現在はロンドンで事実上の亡命生活を送っている〕について訊ねました。プーチンは顔を赤カブのように紅潮させて激昂しました。そのとき私は、自分の前に座っているのはギャングだ、しかしこのギャングは計算ができない、と思いました。いま私は、プーチンが計算する力を失っており、そのためにロシアを破局へと導いていると考えています。」

最後にアダム・ミフニクは、『ニューヨーカー』にはとても愛着がある、と付言した。
「獄中にいたとき、今は亡き私の親友ジョナサン・シェルが『ニューヨーカー』に私についての記事を書いてくれたのです。それは、それまで私が自分について読んだなかでは最高の文章でした。」

アダム・ミフニクAdam Michnikは、1946年生まれのポーランドのジャーナリスト、「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集主幹。
高校生の頃から知識人たちの批判的な討論グループに参加し、ワルシャワ大学歴史学部在籍中には2度にわたって停学処分となった(1度目はヤツェク・クーロンとカロル・モゼレフスキによるポーランド統一労働者党への公開状を仲間の学生たちに配布したため。2度目は哲学者レシェク・コワコフスキとの討論会を企画したため)。
1968年3月、国民劇場でミツキェヴィチ『父祖の祭り』の上演が検閲によって中止になったことに抗議する活動にかかわったため逮捕され、退学処分をうけた。釈放後は学業を禁止され、電機工場で2年間働いた。70年に学業復帰を認められ、ポズナン大学歴史学部を卒業。77年から労働者擁護委員会(KOR)の活動にかかわり、独立系の科学講座協会(TKN いわゆる「飛ぶ大学」の後継組織)の講師を務めた。1980~81年には独立自主管理労組「連帯」の指導的メンバーの1人として活動した。
1981年12月の戒厳令布告後に逮捕され、84年に釈放された。翌85年にも逮捕され、17か月間を獄中で過ごした。
1989年には「円卓会議」に参加し、反体制側から体制転換の道筋を引く役割をはたした。会議後に創刊された「ガゼタ・ヴィボルチャ」は、体制転換後の主要な日刊紙の1つとなった。ミフニクはこの新聞の創刊時に編集主幹となり、現在までその地位にある。「ガゼタ」紙上にしばしば論説を執筆するほか、著書・対談など数十点の著書が刊行されている。日本語訳としては、『民主主義の天使―ポーランド・自由の苦き味』(川原彰・水谷驍・武井摩利訳、同文舘出版、1995年)。

『ニューヨーカー』の記者ショティナーがインタビューの前書きで言及したミフニクの発言「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ」を含む文章は、ロシアのウクライナ侵攻が始まった日に「ガゼタ」紙上に発表された。本タイムラインに翻訳が掲載がされている。
「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集主幹アダム・ミフニクの論説
投稿日: 2022年2月24日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220224/

『ニューヨーカー』のインタビューで、ミフニクは、中東からの難民を拒絶し、ウクライナからの難民は受け入れるダブル・スタンダードを厳しく指摘しているようである。
「ガゼタ」に「難民の2つのカテゴリー」について批判的な視点からのルポルタージュが掲載されたのは、編集主幹にこのような視点が最初からあったためであろう。
「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」
投稿日: 2022年3月17日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/editorial/20220317_1/

ミフニクが、ポーランドの現政権の「プーチン化」を指摘している点も、重要である。これは、「ロシアの政治的展開を問う唯一の正当な方法は、己を知る、つまりプーチン体制の中の西側的部分を知ることだ」という認識(*)とも重なる視点である。プーチンのロシアを悪の権化と見なすあまりに、ウクライナを挟んで対峙しているロシアと欧米諸国(さらには日本)に共通する危険な徴候を見逃すべきではない。
*藤原辰史: 「ファシズムとロシア」書評 プーチン体制の本丸を見誤るな 『朝日新聞』2022年4月16日 https://book.asahi.com/article/14599419

「自由と平和のための京大有志の会」のHP上での、ロシアのウクライナ侵攻をめぐる一連の発信の出発点は、ウクライナに連帯するポーランドの知識人・文化人のアピール(「ガゼタ」2月19日付)の翻訳・紹介である。その中心にいたジャーナリストの現時点での見解を紹介する意味で、今回、本記事の全文を翻訳することにした。

(参考)ポーランドの知識人・文化人による「ウクライナとの連帯とロシアの侵攻阻止を求めるアピール」に寄せて
2022.02.23
https://www.kyotounivfreedom.com/solidarnosc_z_ukraina/apel/

【SatK】

ピンクのポストイットーーキーウのカフェで


ピンクのポストイットに書かれたケーキや飲みものは、市民がお金を支払って、ウクライナ軍兵士や領土防衛隊の隊員に無料で提供するメニュー。キーウの多くのカフェで行なわれているのだという。

【SatK】

ロシアの強迫観念「青+黄色はダメ」

  • スタジアムの青い椅子を撤去(シベリア、サハ共和国にて)

  • 青と黄色のスニーカーを履いていて拘束される
    「モスクワの中心部で、青と黄色のスニーカーを履いた40歳の男性が、無許可の集会に参加した容疑で拘留された。弁護士が『インサイダー』誌に語ったところによると、警察はこのスニーカーを「アジテーションの手段」とみなしたという。」

【SatK】

ポーランドの国境警備隊によると、土曜日(4月16日)のウクライナ国境の出入国者数は、ポーランドへの入国者が19,200人、ウクライナへの出国者が22,000人で、ロシアの侵攻開始後はじめてウクライナへの出国者数が入国者数を上回った。

この数字は、首都キーウ周辺からロシア軍が撤退したことにもよるのだろうが、ウクライナの戦況が全体として落ち着いたわけではないので、難民となるよりも、むしろ国内で社会を支えながら耐えていくことを選択する人が増えてきているのかもしれない。
ロシア軍は、キーウ近郊だけでなく、18日朝(現地時間)には、ポーランド国境に近いウクライナ西部のリヴィウへの爆撃も行なったもようだ。
https://rzeszow.wyborcza.pl/rzeszow/7,34962,28348350,wojna-w-ukrainie-atak-na-lwow-wybuchly-cztery-rakiety.html

【SatK】

歴史家ノーマン・デイヴィス「プーチンはスターリンの亡霊だ。ちっぽけな、ほぼ負けが決まった人間だが、絶望していて、だから危険だ」

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月16日 インタビューアー:Maciej Stasiński
https://wyborcza.pl/7,75399,28342602,putin-to-cien-stalina-to-maly-niemal-przegrany-czlowiek-ale.html

「ウクライナは国民として団結し、かつてないほどに自らのアイデンティティを強化している。20世紀にウクライナは19世紀のポーランドのような位置にあったが、いまや1920年のポーランドのようだ。火の試練をくぐり抜けようとしている新興国家だ」――「ガゼタ・ヴィボルチャ」のためのインタビューで歴史家ノーマン・デイヴィス(※1)が語った。

* * *

マチェイ・スタシンスキ:この戦争が始まったとき、私たちは対話をしました(※2)。戦争が勃発した2月24日から、何が変わりましたか?

ノーマン・デイヴィス:戦争はロシアにとって破滅的に展開しています。ロシアは、2、3日あればキーウで勝利の行進ができると考えて侵攻したのです。ウクライナ人が戦車をつかまえてみると、私が読んだところでは、乗組員は祝典用の制服を着ていたということですから。

ところが、ロシア軍はキーウの近郊で撃破され、現在、東部に兵力を集中しようとしています。彼らは大都市を1つも占領することができず、軍隊の質は粗悪で、戦いかたは下手くそで、装備は貧弱で、指揮もよくありません。ロシアは闘志もなく、苦労しながら、想像力も働かせずに戦っています。

ウクライナ全土の占領は、最初から見込みのないものでした。しかし、現状では、ロシアはすでに手にしているものを守るしかなくなっています。守りきれるかどうかはまったくわかりませんし、おそらく続く第2局面はロシアの敗北で終わるのではないでしょうか。

ウクライナ人はよく守っています。戦争では、守る方がふつうは優勢です。勝つためには、攻撃する側は3対1の比率で優勢でなければなりません。

ロシア軍はオデーサを占領することに成功しませんでした。そして、ウクライナ軍はロシア軍の最大の戦艦を破壊したところです[ロシア海軍の巡洋艦「モスクワ」沈没のことを言っている――編集部注]。

スタシンスキ:それは、もしロシアが勝利しなければ撤退する、ということですか? 撤退しないのではないかと私は恐れているのですが。長い袋小路が私たちを待ちうけているのではないかと。

デイヴィス:ロシアは弱いことがはっきりしました。私たちは、ロシアに対する恐怖のなかで育ちました。スターリンと西方への拡大に対する恐怖です。しかし、プーチンはスターリンではありません。プーチンはスターリンの亡霊です。ちっぽけな、ほぼ負けが決まった人間です。膨れあがる絶望にとらわれて振る舞う出来の悪いリーダーです。もう8年間もウクライナと戦ってたいした成果もない。彼はこの戦争で意表をつくような作戦はなにもやっていません。戦争の行方は指揮官の敵の意表をつく能力に左右されるということは、たとえばナポレオンの例からもわかりますね。

スタシンスキ:彼はウクライナが立ち上がれないように叩き潰すことを望んでいるのではないでしょうか?

デイヴィス:そのチャンスもないし手段もありません。ウクライナはドイツの2倍の面積をもっています。プーチンは100万もの人びとを殺したり、いくつかの都市を破壊したり、多くの損害を与えたりできるでしょうが、この国を征服したり、占領したり、全土を瓦礫の山にしたりする力はありません。

あるいはクレムリンでは最後のカードを切って、勝利の欠如を反転させるつもりかもしれない。彼らは5月9日に勝利のパレードを準備しています。いつものように「バンザイ、バンザイ、バンザイ!!!」とやりたいのでしょう。でもそれが不毛な祝典にならないかどうか、見とどけましょう。

ただ、プーチンは弱いとはいえ、絶望しています。核兵器をもつ絶望した弱い男というのはたしかに恐ろしい。

戦争の結果、ウクライナは国民として団結し、かつてないほどに自らのアイデンティティを強化しています。20世紀にウクライナは19世紀のポーランドのような位置にあったが、いまや1920年のポーランドのようです(※3)。火の試練をくぐり抜けようとしている新興国家です。しかも西側がウクライナの背後で一枚岩になっている。かつてのポーランドよりもよい立場にいるのです。一方、プーチンはショックを受けている。彼は、ウクライナ人がロシアのなかで生きていきたいと思っていないことにたぶん気がついている。

スタシンスキ:西側はさらにウクライナをどのように支援することができるでしょう?

デイヴィス:すでに行なわれている支援は大きなものです。アメリカの諜報機関のおかげで、ウクライナの軍司令部は軍事的な状況がよくわかっています。しかし、支援はさらに大きなものに、はるかに、はるかに大きなものでありうるでしょう。たとえば、まさしくイギリス首相ボリス・ジョンソンが約束したように、対艦ミサイル砲を提供するとか、対空砲とそれを支えるシステムを供与することです。

航空機についてはむずかしそうですが、多くの国が、戦車や装甲車からドローンやあらゆる種類の対戦車兵器にいたるまで、相当数の武器を提供すると約束しました。

現在、戦争の第2局面に入って、ウクライナは装備の修理のための設備、兵站、サイバー空間上の支援、新たな戦闘員の訓練などを必要としています。NATOはこれらすべてを提供することができます。

スタシンスキ:この戦争の結果として、ヨーロッパの一体性は強化されるでしょうか?

デイヴィス:そう思います。ヨーロッパは強化され一体となっています。ウクライナへの共感の波は巨大です。しかし、すみずみまで、というわけではありません。マリーヌ・ルペンは問題です。彼女は、戦争前からのプログラムに沿って、いまでも行動しています。彼女にとって、ロシアは潜在的によき同盟相手です。有権者に好かれようとして、自分が考えていること、父親がかつて彼女に教え込んだことをあまりにしばしば口にしています。彼女は〔フランス大統領選に〕敗れるでしょう。しかし、もし彼女が勝てば、西側は弱体化するでしょう。

スタシンスキ:ヨーロッパ連合は、ポーランドにおける法の支配とリベラルな民主主義の破壊に対処できるでしょうか? この戦争で、ポーランド政府はEUへの支払い額の軽減や免除を取り引きしようとしていますが(※3)。

デイヴィス:それはポーランドの統治者側が望んでいるのでしょうが、たいへん危険な賭けです。法の支配の問題でポーランドに対するEUの姿勢が変化するとは、私には思えません。この政府がこれまでやってきたこと、現在やっていることを、EUが忘れることはむずかしいでしょう。問題を先送りするくらいがせいぜいだと思います。これは余りに原則的な問題ですから。

ワルシャワの政府の行動は、しばしばあからさまな嘘にもとづいています。たとえば、スモレンスクについての嘘がそうです(※4)。そして、もしポーランド政府がこの嘘にしがみつくならば、ポーランドにとってよくない結果しかありえません。カチンスキがモラヴィエツキ首相といっしょにキーウに行ったのは、ゼレンシキー大統領に、あなたもクレムリンの犠牲者だ、プーチンはスモレンスクで飛行機を墜落させたのだから、と信じさせるためだったんではないか、とさえ思ってしまいます。抜け目のないやり方かもしれませんが、そんなことをしても、その先にいかなる出口もありません。

付言しておけば、国民としてのポーランド人は、ウクライナにまったく新しい態度で接しています。これはほんとうに、かつてないことです!

スタシンスキ:この戦争がどのように終わるかにかかわらず、ロシアは中国の庇護下に入ることにならないでしょうか?

デイヴィス:すでにそうなっています。まさしく物乞いです。問題は、中国がこのような弱いパートナーを欲しているか、ということです。中国はロシアの10倍は強力です。ロシアが持っていないすべてのものを持っています。これに対してロシアには広大な領域があり、人口の希薄なシベリアがあります。そこには中国が必要とする資源があります。中国はそれらの資源を購入したいか、あるいは、力づくで奪いたいと思っているでしょう。加えて、中国には、極東は歴史的に勢力範囲であるという意識があります。

中国は、いまでもロシアを止めることができるでしょう。しかし、彼らは待っているのです。プーチンは彼らに、2日間あればキーウで戦勝パレードをしてみせると約束したに違いありません。それは失敗しました。中国は彼に第2のチャンスを与えているのです。

中国には時間があります。彼らにとって最も重要なのは、アメリカに打撃を与えることです。プーチンが失望させたときに彼らがどうするか、見とどけましょう。

1 ノーマン・デイヴィスは、1939年生まれのイギリス(ウェールズ出身)の歴史家。専門のポーランド史・東中欧史にかんする著書のほか、イギリス史やヨーロッパ史全般にかかわる本を多数執筆している。日本語訳されているものとしては、『アイルズ――西の島の物語』(別宮貞徳訳)共同通信社、2006年;『ヨーロッパ』Ⅰ~Ⅳ(別宮貞徳訳)共同通信社、2000年;『ワルシャワ蜂起』上・下(染谷徹訳)白水社、2012年。

2 「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年2月26日付「ノーマン・デイヴィス教授「プーチンがウクライナを吞み込めるかどうかは疑問だ。あまりに大きな塊りにかぶりついている」
インタビューアーは、この記事と同じマチェイ・スタシンスキ。本タイムラインでは未訳。
https://wyborcza.pl/7,75399,28157331,prof-norman-davies-watpie-czy-putin-przelknie-ukraine-chapnal.html

3 ポーランド・ソヴィエト戦争(1919~21年)中のポーランドを念頭においた発言。この戦争は、パリ講和会議(1919年)で定められた東部国境を不服とするポーランドとボリシェヴィキ政府のあいだで、ウクライナ、ベラルーシ西部、ポーランド東部を舞台として戦われた。1920年、ポーランド軍は、ウクライナ民族運動の指導者シモン・ペトリューラの軍団と連携してウクライナに進軍し、キーウを一時占領したが、ソ連軍に反撃されて撤退した。その後、ソ連軍は西進してポーランドの首都ワルシャワに迫ったが、ポーランド軍がくい止め、ソ連軍は撤退した(「ヴィスワ川の奇跡」と呼ばれる)。翌21年に結ばれた講和条約(リガ条約)によってポーランドとソヴィエトの国境が確定し、リヴィウを含む西ウクライナはポーランド領となった。

4 EUの最高裁判所に当たる欧州司法裁判所は2月16日、加盟国が「法の支配」の原則を順守しない場合、資金の支払いを停止できるとの規定は合法との判決を下した。具体的に問題となっている加盟国は、ポーランドとハンガリーの2国である。
ポーランドでは、2015年から政権についている政党「法と正義」が推進する司法改革によって、立法権・執行権(政治部門)が司法権に大幅に優越する方向に制度が改変されてきた。これに対してEUは、ポーランドの司法改革が裁判官の独立を損ねていることを問題視してきた。
EU首脳は2020年12月、新型コロナウイルス対策の復興基金を含む計1兆8240億ユーロの予算案パッケージを承認。同案には法の支配順守をEU補助金分配の条件とする条項が明記され、ポーランドとハンガリーが無効化を求め提訴していた。また、昨年10月には、ポーランド憲法裁判所が、国内法よりEU法が優先される原則を否定する判断を下し、EUは強く抗議していた。

(参考)
小森田秋夫「ポーランドにおける「法の支配」の危機と欧州連合」『日本EU学会年報』第39号(2019年)、44~75頁
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eusj/2019/39/2019_44/_pdf/-char/ja
「欧州司法裁判所、資金停止は「合法」認定 東欧2カ国の法の支配巡り」『毎日新聞』2022年2月17日
https://mainichi.jp/articles/20220216/k00/00m/030/360000c

4 2010年4月10日、「カティンの森事件70周年追悼式典」に出席するポーランドの大統領レフ・カチンスキを含むポーランド政府要人を乗せたポーランド空軍の飛行機が、ロシアのスモレンスク近郊で墜落した。カチンスキ大統領夫妻を含めて、乗員乗客96人が全員死亡した。
この事故の原因をめぐって、「法と正義」所属の議員が調査団を立ち上げ、機上での爆発やロシア側による着陸妨害など、ポーランド政府の公式発表とは異なる調査結果を発表している(政府の発表は、「法と正義」と対立する「市民プラットフォーム」のトゥスク首相のもとで行なわれた調査にもとづいている)。デイヴィスのいう「スモレンスクについての嘘」とは、「法と正義」調査団の主張を指している。
現在の「法と正義」の党首ヤロスワフ・カチンスキは、スモレンスクの事故で死去したレフ・カチンスキの双子の兄である。3月15日、東欧3か国の首相とヤロスワフ・カチンスキはキーウを訪問し、ゼレンシキー大統領と会談した。

(参考)EU使節団がゼレンシキー大統領と会談するために列車でキーウに向かっている。
投稿日: 2022年3月15日
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220315_5/

【SatK】

【Reuters】マリウポリの現状

注意:動画には見るとつらい映像が含まれています。ご覧になる方はご注意ください。

【SatK】

「赤いカリーナ」――ウクライナの愛国歌

「カリーナ」はガマズミの仲間のセイヨウカンボク(学名: Viburnum opulus)。初夏に白い花を、秋から冬にかけて赤い実をつける。ウクライナやロシアでは、実で果実酒やジャムをつくる。

「赤いカリーナ」は、第一次世界大戦時にウクライナ・シーチ銃兵隊で歌われた。「シーチ」とは、近世のウクライナ・コサック(ザポリージャ・コサック)の本拠地のことである。
ウクライナ・シーチ銃兵隊は、1914年にオーストリア軍内に設立され、東ガリツィアでロシア軍と戦った。1918年11月に西ウクライナ人民共和国が独立を宣言すると、この共和国の軍隊組織であるウクライナ・ハリチナ軍のなかに組み込まれてポーランド軍と戦った。その後、東進してウクライナ人民共和国軍に合流し、ボリシェヴィキ軍と戦った。

今年2月、ロシア軍のウクライナ侵攻後に、ウクライナの歌手アンドリー・フリヴニュクがinstagram上で歌った動画によってリバイバルした。

ウクライナ国歌と並んで、この戦争をたたかうウクライナ国民の想いを象徴する歌となっている。

「ピンク・フロイド」がフリヴニュクのヴォーカルに合わせた動画を発表して『ガーディアン』などでもニュースになった。


(このアレンジはあまり投稿者の趣味ではない、申し訳ないけど。)

【SatK】

マリーナ・オフシャンニコワ「私はプーチンの体制に仕えてきました。そのことを恥じています」

「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年4月15日
執筆:マリーナ・オフシャンニコワ  Die Welt紙より転載
https://wyborcza.pl/7,179012,28342935,marina-owsiannikowa-przysluzylam-sie-rezimowi-putina-jest.html#S.tylko_na_wyborcza.pl-K.C-B.5-L.1.maly

ロシアのTV番組で反戦プロテストを行なって以来、彼女は、ロシア人からも、多くのウクライナ人からも、批判されている。ロシア第1チャンネルのプロデューサーとしてクレムリンの意向を伝えてきたオフシャンニコワが、自らの過去と行動の動機についての手記を『ディ・ヴェルト』紙上に公表した。

* * *

ロシア第1チャンネルの夜のニュース番組での象徴的な抗議のあと、職場の同僚たちは私に、どこかに身を潜めて、口には鍵をかけておいたほうがよいと助言しました。そうしなければ、命に危険がおよぶかもしれないからです。しかし、私はそうしませんでした。私は、世界中からの数十人の記者のインタビューに応じました。そして、SNS上で、戦争に反対する書き込みを続けて行ないました。

最初に抗議したその日から、私は批判されました。批判する人たちにとっては、私がじっさいに何をしているかは意味をもたないのです。両方向から、ロシア人もウクライナ人も、私を攻撃しています。もうだいたい、この状況には慣れました。ロシアでは私はイギリスのスパイだと言われ、ウクライナではロシアのスパイだと言われます。そう言いたい方々はどうぞご自由に。しかし、ロシアで最も重要なニュース番組であの抗議をしたあとで、今、私が沈黙していたら、なんで引っ込んだまま発言しないのだと人びとは言うでしょう。だから私は発言し、執筆しています。まだどこかでそんなことをやっているのか、と皆さんがびっくりするくらいに。西側の多くのメディアは、私の発言を載せることを原則として拒否しています――これは私の過去の経歴によるものです。

ロシアの独立系の記者たちが私を非難するのは理解できます

批判は、しばしばロシアの独立系の記者たちからのものです。私はこれは理解できます。彼らの多くは、長年にわたって、命を危険にさらしながら体制とたたかってきました。私はほんのひと月前に決断したにすぎません。私が確かに言えることは、次のことだけです。長いあいだ、つねに私は独立系の勇敢な記者たちの記事を読んでいましたし、彼らの仕事に驚嘆していました。彼らの文章が私の世界を見る眼をつくってくれたのです。これだけの年月がたって、私があのような行動をとる勇気を自分のなかに見いだすことができたのは、彼らが書いてきた記事のおかげでした。

長年にわたって、私はロシア国営放送第1チャンネルのために働いてきました。そして、クレムリンのためにロシアの攻撃的なプロパガンダを生みだすことに関与してきました。

それは、朝から晩まで、真実から注意をそらし、あらゆる道徳的な判断を洗い流すことを目指すプロパガンダです。私はこのシステムの歯車の1つに過ぎませんでしたが、このシステムが作動するように自分の持ち場で気を配りました。

私はこのプロパガンダを書いてはいません。が、それを書く人たちを助けてきました。私はそれで給料をもらい、そのおかげでずいぶん旅行もしましたし、世界の多くの国に知り合いもできました。

課題:アメリカで暮らすのはどんなにひどいことかを語れ

私の仕事の1つは、ロイターやAFPのような国際通信社の配信から適当な写真を選ぶことでした。アメリカやその他の西側諸国の堕落を示すような写真を、文脈から外して抜き出すのです。たとえば、ロシア人の子どもを外国人が養子にすることを禁止する法律が制定されたときには、私たちは、アメリカの親たちがいかにひどいかを物語る記事を探しました。

総じて、私たちの課題の1つは、アメリカや西側全体、あるいはウクライナでの暮らしがいかにひどいかを常に語り続けることにありました。これこそがクレムリン側のメディアの活動の原則だったのです。連中はみんな汚物にまみれている、ただロシアだけが常に洗い立てのシーツみたいに白くて心地よいのだ、ということです。
国際的に影響力のある雑誌でプーチンとロシアについてよいことを書いている記事をスキャンすることも、私の仕事でした。

国営メディアの仕事のなかでは、ロシアの抱えるいろいろな問題を提示することは、まったく重視されませんでした。どういう言葉だったら自由に使えるかについては、明確な指針がありました。最もよく知られている最近の例は、「戦争」の代わりに「特別軍事作戦」と言うように、というものです。

結局、私は自分が快適に暮らすために第1チャンネルで働いていたのです

かつて、チェチェンで最初の戦争になったとき、私は家族とともにグロズヌイから逃げなければなりませんでした。私たちは家財をそこに残してきたので、新しく生活を始めなければならなかったのです。それは困難な年月でした。しかし、そのときは、未来はもっとよくなるだろうという期待を私たちは抱いていました。

そのころ、私はジャーナリストになる勉強をしようと決めました。こういうと大げさに聞こえるかもしれませんが、私はジャーナリストとして仕事をすることで、より大きな正義を実現するためにたたかいたかったのです。1990年代末のロシアのメディアの状況は、今とはまったく異なるものでした。1999年に私がクラスノダールでTVの仕事を始めたときには、メディアは比較的自由で独立していました。そしてもちろん、未来はもっとよくなるという期待を当時の私たちはもっていました。2003年に第1チャンネルに移ったとき、すでに状況は少し悪くなっていました。しかし、ロシアのメディアが、今日私たちが知っているようなシニカルで攻撃的なマシーンに変貌するとは、当時のロシアでは誰も予想していなかったのです。

私の知人たちは私のリベラルな見解について知っていましたので、年がたつにつれて、私があいかわらず第1チャンネルで働き続けていることに、ますます意外の念を感じるようになっていました。しかし私は、常勤職の地位を捨てたくありませんでした。私は困難をへて離婚しており、2人の子どもと、障害をもつ母と、ローンの支払いが終わっていない家を抱えていました。加えて、仕事の時間の組み方が理想的だったのです。1週間働くと次の週は休みがもらえて、仕事も夕方だけの7~8時間です。それで子どものための時間がとれました。私は、どこかの工場に通っているような気持ちで自分の仕事をとらえるように努めました。目を閉ざし、太鼓をドンドンと鳴らして、家に帰ったのです。

クレムリンのメディア関係者は全員、ともに作っている網の目のような嘘を知っている。私もだ。

しかし、私は、スカイニュースやCNNを見ていましたし、『ガーディアン』『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』を読んでいました。ロシアのメディアでは『コメルサント』『ニェザヴィーシマヤ・ガゼータ(独立新聞)』『メドゥーサ』〔いずれも独立系のメディア〕。それに加えてウクライナのUNIAN、Strana.ua、kanały 1+1 、Inter. といったメディアをフォローしていました。私たちが作りあげている網の目のような嘘が、私にはきわめてはっきりと見えていたのです。

ロシアが、ウクライナ上空でマレーシア航空の旅客機MN-17が撃墜されたことを否定したとき〔2014年7月17日〕、私はショックをうけました。それでも私は仕事をやめませんでした。アレクセイ・ナワリヌイ――ロシアでただ一人真実を語り続けている人です――が毒を盛られたとき、私は震撼しました。それでも私は仕事を続けました。ロシアがウクライナに侵攻したあと、もう私にはこれ以上続けることはできませんでした。

ブチャの後、ロシア人全体が集団的責任を負うべきだと私は考えている

私は、反戦のプラカードを持って、モスクワ中心部にあるマネージュ広場に行きたいと思いました。17歳になる私の息子はそのとき、私を家に閉じ込め、車のキーをとり上げ、静かにしているように私に命じました。しかし私は眠ることができず、食事も喉をとおりませんでした。最終的に、私はそのプラカードを生放送中に掲げようと決心したのです。

ロシアの人びとを恥知らずなプロパガンダで欺くことに加担したことを、私は心の底から後悔しています。ウクライナと西側について虚偽のイメージを形成することに自分が加担したことも、自覚しています。現在、私たちの国のプロパガンダは、ウクライナ人全体を民族主義者のファシストとして見せようとするところまで来ています。ウクライナ人全体を根絶すべきだとか、この戦争に同意しないロシア人は全員投獄するか国外追放にするべきだ、というショッキングな主張さえ行なわれています。平和を主張する者は、いまのロシアでは裏切り者と呼ばれています。これは狂気です。全体主義的な狂気です。

そして、私自身もまた、そのことに加担してきたのです――そのことを私は恥じています。私はウクライナで、オデーサで生まれました。ウクライナに従姉弟たちもいるのです。それにもかかわらず、私はプロパガンダに加担してきました。従姉弟の1人は、ウクライナ西部のテオフィポリで教師をしています。最近、彼女と電話で話しました。彼女は「あなたはまともな人だ、あなたを支持している」と言ってくれました。そのことに私は感謝しています。

自分が行なってきたことを、私は消し去ることはできません。私にできる唯一のことは、私の力の及ぶかぎり、あのプロパガンダのマシーンを打ち壊し、この戦争を終わらせるためにできることはなんでもやってみることです。ほんの数人でもロシアの人をクレムリンのプロパガンダのかぎ爪から解き放つことができるなら、たった1人でもウクライナの子どもの命を救うことができるなら…

ブチャの虐殺の前には、私は、制裁はプーチンとその取り巻きだけに及ぶものであるべきで、ふつうのロシア市民を苦しめるべきではない、と語っていました。ブチャの後、私の見方は変わりました。厳しい制裁を導入するべきだと私は思います。ロシア人全員が集団的な責任を負うべきです。罪はロシア人ひとりひとりが負っています。

第二次世界大戦中の犯罪に対してドイツ人が許しを乞うたように、ロシアにいる私たち全員が、私たちの行なったことに対して何十年にもわたって赦しを乞わなければならないのです。

*マリーナ・オフシャンニコワは、ウクライナ人の父とロシア人の母のあいだに生まれた。3月14日まで、ロシア国営放送第1チャンネルでプロデューサーとして働いていた。この日に、彼女は、ロシアのウクライナ侵攻に反対する言葉を記した紙を掲げて放送中の画面に写り込んだ。このために拘束され、裁判所によって予備的に罰金を科された。さらに彼女には、「虚偽の情報」にかかわる法律に違反した罪で、最大15年までの懲役刑が科される可能性がある。

ロシアの国営メディアで働いていた人物が内部の事情を語った貴重な証言であると考えて、手記の全文を翻訳した。ジャーナリズムが社会に対して負っている使命と責任について、考えさせられる文章である。

第1チャンネルを解雇されたオフシャンニコワは、ドイツの日刊紙『ディ・ヴェルト』にフリーランスの記者として採用された。ロシア国家院(連邦議会下院)議長ヴォロージンは彼女を「裏切り者」と呼び、「あの女は、いまやNATO加盟国のために働くのだ。ウクライナのネオナチのための武器提供を正当化し、わが国の兵士たちと戦う外国人傭兵を送り込み、ロシアに対する制裁を擁護するのだろう」と怒りをあらわにしている。
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/article/20220412_1/

ウクライナでの戦争に批判的なロシアの作家グルホフスキーは、生放送中のニュース番組で反戦メッセージを掲げたオフシャンニコワの行動について、「勇気ある行動でした。でも、それは、嘘を流し続けた8年間に対する2秒間の抗議だったのです。そしてTV局の全職員が、今後は注意深く監視されることになるでしょう」とインタビューで語っている。
https://www.kyotounivfreedom.com/ukraine_timeline/interview/20220326_3/
今回の手記を読むと、オフシャンニコワ自身が「嘘を流し続けた8年間」について葛藤を抱え、ウクライナ戦争というとり返しのつかない結果をもたらしたことに責任を感じた末の行動が「2秒間の抗議」であったことがわかる。

【SatK】