「「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」とニューヨークタイムズ」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」、Jeffrey GettlemanとMonika Prończukの連名による記事
(2022年3月17日付)
スーダンで戦争から逃れた若い男性と、ウクライナから避難する若い女性が、同じときにポーランドの国境を越えた。彼らはきわめて異なる経験をすることになった。
ウクライナで戦争が勃発した日、スーダン難民の22歳のアルバジルは、ポーランド国境の手前で凍りついた枝葉のうえに横になりながら、ここで死んではいけないと思った。
ポーランドの国境警備隊の飛ばしたドローンが、彼を探していた。ヘリコプターも彼を探して飛んでいた。夜になって気温は氷点下に下がり、一面に雪が積もっていた。医学生のアルバジルを含むアフリカ出身の難民たちの小さなグループは、ポーランドにたどり着こうとしていた。食べるものは、乾したナツメヤシの実が数粒、ポケットに入っているだけだった。
「私たちは希望を失っていました」と彼は語る。
同じ日の夜、オデーサから近い小さな町で、21歳のカーチャ・マスローワは、スーツケースとアニメ制作の仕事で使っているタブレットだけを手に持って、家族といっしょにパープルレッドのトヨタRAV4に乗り込んだ。合わせて大人8人と子ども5人が車4台で護送船団を組んだ。戦火におおわれたウクライナから逃れようとする人びとの死にもの狂いの逃避行に、こうして加わったのだ。
「この時点では、私たちはどこに向かうことになるのか、わかっていませんでした」と彼女は語る。
同時に同じ国の国境を越えた同世代の2人の難民がその後の2週間のあいだに体験したことは、これ以上ありえないほど対照的だった。アルバジルは顔面を殴られ、人種差別的なことばでののしられ、国境警備隊の手に引き渡された。国境警備隊員は、アルバジルの語るところによれば、彼を暴力的に殴りつけ、そのことを楽しんでいるようだった。カーチャは、朝起きると食べるものも飲むものも冷蔵庫にいっぱいで、焼きたてのパンがテーブルに出てくるような毎日を過ごした。そのすべては、彼女が「聖人」と呼ぶ支援者のおかげだった。
われわれの難民と、そうでない難民
彼らの異なった体験は、ヨーロッパの難民危機にみられる不平等をきわだったかたちで浮かびあがらせている。この2人は、きわめて異なった地政学的出来事の犠牲者であるが、同じことを求めていた――すなわち、戦争の悪夢から逃れる、ということだ。ウクライナからヨーロッパへ、ここ10年間では最大規模の難民の波が押し寄せている。しかし、中近東とアフリカでは、いまだ多くの紛争が続いている。どの戦争から逃れるのかによって、あなたがどのように受け入れられるかは、大きく違ったものになりうるのだ。
ウクライナ難民は、マスローワのように、ポーランド国境を越えた瞬間からピアノの生演奏で迎えられ、バルシチ〔ポーランドのスープ〕はおかわり自由、しばしば暖かいベッドを提供される。そしてこれはまだほんの入り口なのだ。彼らはハンガリーの航空会社ヴィズ・エアーの飛行機でヨーロッパのどこへでもただで飛んで行くことができる。ドイツでは鉄道の駅でウクライナの旗をふって人びとが待ちかまえている。ヨーロッパ連合のすべての国が彼らに3年間の滞在を認めている。
こういったことのすべてを、アルバジルは、ポーランドの村の人権活動家の拠点にあるテレビの画面で見た。この拠点では、とても危ないので外へ出ることはできない。「姓は記事に出さないでほしい、非合法に国境を越えたので。テレビで見たことはショックだ」と彼は言った。
「どうして私たちはこれと同じ配慮と慈愛を与えられないのか? なぜだ? ウクライナ人は私たちより上等なのか? わからないな。なぜだ?」
アルバジルが経験したことは、地中海から英仏海峡まで、ヨーロッパ諸国の政府がアフリカや中近東からの移民が自国に入ろうとするのを妨げるたびに、数えきれないほどの回数繰り返されてきた。彼らを押しとどめるために、ときには暴力も用いられてきた。
アルバジルの旅が多難なものになったのは、彼がベラルーシからポーランドに入国することに決めたためだった。このロシアの同盟国は、昨年、深刻な難民危機を意図的に作りだした、と西側諸国はみている。ベラルーシは、ヨーロッパにカオスを引き起こすために、スーダン、イラク、シリアといった紛争におおわれた諸国から、希望を失った何千人もの人びとを招き寄せ、ポーランド国境に向かわせた。これに対してポーランドは、その国境を完全に封鎖することでこれに応えた。
ウクライナ人は、ヨーロッパ地域で日を追うごとに近づいてくる紛争の犠牲者である。そのために、ヨーロッパの人びとの対応は同情に満ちたものになった。結果的に、もっと遠いところから逃げてきた難民は、不平等と――彼らの一部が指摘する――人種差別主義がもたらしたものを、痛みとともに感じることになったのである。
「異なる難民集団の待遇のあいだにこれほどのコントラストがあるのを、私ははじめて見ました」とブリュッセルの移民問題の専門家カミーユ・ル・コスは言う。ヨーロッパの人たちはウクライナ人を「われわれの仲間」とみなしているのだ、とも。
幸せの涙
ロシアのウクライナ侵攻から一夜明けた2月25日、マスローワは、モルドヴァを走り抜けてきた家族の車のなかに座って、ペプシコーラを飲んでいた。
窓の外では、歓迎する人びとが手を振り、親指を上に向けてサインを送ってくれるのが見えた。
彼女は泣きだした。
「悪いことじゃなくて、よいことで、心の張りが崩れてしまったのよ。世界中が自分を支えてくれるなんてこと、心の準備ができてる人はいないでしょ」
西に向かいながら、どこへ行くべきかで彼らはけんかをした。ラトヴィアがいいという者もいれば、ジョージアだ、という者もいた。だがマスローワは、ちょっと場当たり的だが、自分の計画をもっていた。
彼女はワルシャワの学校でアニメの勉強をしたことがあった。そのときの彼女の同居人の両親の知人の父親が、ポーランドの村に空き家を持っていたのだ。これがうまくいったら、アニメーションの学校に戻って、動画の制作をやる夢がかなうだろう。彼女は両親を説得した。「ポーランドに行こうよ。」
同じ日、アルバジルは相変わらず、ポーランド・ベラルーシ国境の森のなかに閉じ込められていた。戦火を逃れてから何年も経っていた。故郷ダルフールが戦争で破壊されるのを少年の目で見た、「およそ想像しうるすべてのこと」を見てしまったのだ、と彼は語った。その後、医学を学ぶためにスーダンの首都ハルツームに逃れた。しかし、じきにハルツームも混乱の巷となった。
11月、彼は、私立大学で職に就くために学生ヴィザでモスクワに行った。しかし、ロシアのウクライナ侵攻で強い経済制裁が始まると、アルバジルは、大学が閉鎖されるのではないかと怖くなった。そのために再び逃げたのだ。
彼は、ロシアからベラルーシをとおってポーランド・ドイツに抜ける旅を計画した。しかし、ベラルーシからやって来る移民の波をくい止めるためにポーランドが国境を閉鎖していることは知らなかったという。
約200キロ南では、マスローワの護送船団がついに目的地にたどり着いた――ポーランド領内にかなり入ったところにある村の農園である。
白髪混じりの髪の薄い頑丈な男性が、とつぜん暗闇から現れた。「ヤヌシュです。ようこそ。」
ヤヌシュ・ポテレクと妻のアンナは彼らを抱きしめ、全員が泣きだした。だが、涙は玄関で終わらなかった。
マスローワ一家が台所に行くと、3日分の食料が用意されていて、主人が料理してくれていた。それを見て、彼女はまた泣いた。洗面所に行けば、新しい歯ブラシ、せっけん、シャンプーが揃っている――それで彼らはまた泣いた。ベッドの上には、洗いたてのシーツ、タオル、毛布が置いてある――それを見て、さらに彼らは泣き続けた。
リンゴ園を経営するポテレクは、それ以前に難民を助けたことはなかったが、戦争が始まって「他人ごとではいられなくなった」と語った。
ポーランドか、それとも死か
数日後、マスローワと家族は、主人が子どもたちのために運んできたおもちゃの山をみて目を見張った。その頃、アルバジルと、彼と旅をともにしていた3人の男性は、逮捕された。彼らは気づかれずにポーランド国境を越えることに成功したのだが、彼らをドイツまで運ぶために雇った運転手がライトを点けるのを忘れていたために警察に停められたのだ。ポーランドの警察官は彼らのSIMカードとバッテリーを抜きとり、電話をつながらなくして(助けを呼ぶことをできなくするためだ)、彼らをもとの場所に連れ戻した。つまり、彼らが怖れていた森のなかだ。
ここ数か月のあいだに、ポーランド国境にたどり着こうとしながらポーランドの国境警備隊員に森に連れ戻されて、少なくとも19名が凍死した、と人権保護団体は指摘している。
ポーランドの官僚は、それは自分たちが悪いのではないと言う。
「悪いのはベラルーシ人です。彼らがこれらの人びとを操っているのです」と国境警備隊の広報官カタジナ・ズダノヴィチは述べる。
人権保護団体は、ポーランドの国境警備隊員も権力を濫用していると指摘する。ポーランド政府の報道官は難民の処遇についての取材を拒否した。
「行け!行け!」とアルバジルのグループにポーランドの国境警備隊員たちは叫んで、武器で脅しながら、人里離れた森のなかの有刺鉄線の囲いのほうに押しやった、とアルバジルは語る。警備隊員は1人の男性を囲いに向かって突き飛ばしたので、彼は手を切ってしまった、とも。インタビューのとき、彼は指のあいだの傷あとを見せた。
数時間後、食べものも飲みものもない状態で、自分がどこにいるかもわからずさまよううちに、ベラルーシ側の国境警備隊の詰所にたどり着いて、警備隊員に入れてくれと頼んだ。
「避難する場所が必要だったのです」とアルバジルはいう。
しかし、ベラルーシ人たちの考えは違っていた。
国境警備隊員たちは彼らを捕まえて、冷たい車庫のなかに放り込んだ。頑強なベラルーシの兵士が人種差別的なことばを叫んでののしり、怒り狂ったように攻撃したという。
「私たちを殴り、蹴り、地面に投げつけ、棒で殴ったのです。」
さらに、やはり捕まえられた肌の白いクルド人が車庫で一緒だったが、警備隊員は彼には手を触れなかったという。
その後、兵士は彼らを森のなかに連れて行ってこう言った。「ポーランドに行っちまえ。戻ってきたらぶち殺すぞ。」
人権擁護団体によれば、数万人の難民が、ポーランドとベラルーシのあいだであちらこちらへと押し戻され、罠にはまったようにどちらの国にも入れず、故国に帰ることもできずにいる、という。
3月5日、アルバジルと彼のグループは、その週で2度目のポーランドへの越境を試みた。足が動かなくなり、ほとんど凍死寸前だった。万が一のために控えていた番号に電話すると、ポーランドの活動家がひそかに彼らを自分の家に受け入れてくれて、外には出ないように注意した。こうしてようやく彼らは人間的な好意による活動に触れた。
アルバジルは、すべての難民を寛大にあつかう国として知られているドイツの避難所に移って、大学を卒業しようと計画している。彼はアラビア語、英語、そして少しだがロシア語を話し、金ぶちのメガネをかけて、手入れの行きとどいた頬ひげを生やしている。医者になって、ここまで生きて体験したことを本に書くことが夢だ。比較的豊かな国で生まれて教育を受けた人たちが、困っている者をこんな目にあわせられるなんて信じられない、と彼は言う。
アルバジルと一緒にいた男性の1人であるシェイクは、英語がわからないので、スマートフォンの自動通訳を利用している。音声をオンにしてもらった。
スマートフォンの機械的な声が語る。「全ヨーロッパが、人はだれでも自分の権利があると言っているが、私たちには、なにかそのようなものがあるとは見えなかった。」人種差別主義が、困っている人たちがどのように扱われるかに影響しているか、という問いに対して、アルバジルはためらうことなくこう答えた。「はい、まったくそのとおりです。人種差別そのものです。」
その間、マスローワ一家の待遇はよくなる一方だった。ポテレクは、マスローワの弟と妹を小学校に通わせる手続きをした。ポーランド政府はウクライナ難民には無償で教育と健康保険を保障することになっている。
診察を受けた医者が診療費を受けとらないのを知って、「国全体がウクライナ人のために原則を少し歪めているようにみえます」とマスローワは言った。
アフリカや中近東からの難民も受け入れますか、という問いに、アンナ・ポテレクはこう答えた。「ええ、でも私たちにはそういう機会がなかったのです。」
ただ、彼女はこうも言った。「ウクライナ人のほうがもてなしやすいでしょうね。彼らとポーランド人は文化的に共通ですから。」アラブやアフリカの諸国からの難民の場合は、とたずねると、「食事はなにを用意すればいいのかしら?」
木曜日、ヤヌシュ・ポテレクは友人に、マスローワに通訳のような仕事を見つけてほしいと相談した。
同じ日の午後、アルバジルと仲間たちはワルシャワの隠れ家にたどり着いた。ここでも外に出ることは禁じられた。
https://wyborcza.pl/7,75399,28234339,the-new-york-times-w-polsce-sa-uchodzcy-gorszego-sortu.html#S.DT-K.C-B.2-L.1.duzy
- 記事のタイトルと小見出しは「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集部による。
- 本記事のオリジナルはThe New York Timesに掲載された。
©2021 The New York Times Company
※昨年11月に中東からベラルーシ・ポーランド国境に集められて足止めされた人たちがいて、いまウクライナ・ポーランド国境を越えて西へと逃れていく人たちがいる。
ルカシェンコのベラルーシがあのタイミングでポーランドとの国境に難民たちを集め、西側のジャーナリストに取材させて、ポーランドの国境警備隊が難民たちを追い返す映像が世界中に流れたのは、どういう意味があったのか。
他方で、2月24日にロシア軍の侵攻がはじまる前から、ポーランド東部2県では避難民受け入れの準備が始まっており、24日にただちに避難所が開設されている。なぜこんなに違うのか。
ずっと気になっている問題について具体的なケースをとりあげた記事だったので、全文を訳してみました。スーダンとウクライナの難民のコントラストが強烈です。
※ニューヨークタイムズからの転載ではありますが、ポーランドの日刊紙にこうした記事が載ることは意味のあることだと思いました。
【SatK】