サクソフォンによるウクライナ国歌

サクソフォンによるウクライナ国歌が毎日バルコニーから聞こえる。ムィコラーイウ(ウクライナ南部、黒海北岸の都市)にて。

ベラルーシとの国境に向かう車両の運行をブロックする市民たち

ベラルーシ・ロシアへの物流を止める――ポーランド東部、コロシチンのトラック・ターミナルで、ベラルーシとの国境に向かう車両の運行をブロックする市民たち。
道路はデモでふさがれ、ポーランドから東に向かうトラックの渋滞は20kmを越える長さになっている。この抗議活動は週末いっぱい続けられる見込み。

スベトラーナ・アレクシェービッチのインタビュー

ノーベル文学賞作家で、ベラルーシとウクライナにルーツを持つ、スベトラーナ・アレクシェービッチのインタビュー(NHK)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220318/k10013534191000.html

このひとがどう考えているか知りたい、といちばん思っていたひとのインタビュー。
一言一言に重さと深さを感じますが、とくにベラルーシの視点からの発言が貴重だと思いました。

モスクワ、ルジニキ・スタジアムで開催された「クリミア併合8周年記念集会」(=ウクライナ戦争に賛成する集会)の光景

参加者13万人だという。

Zの文字がついたTシャツやリボンを身につけて参加

演説するプーチン。背景の横断幕には「ナチズムなしの世界のために」「ロシアのために」

プーチンの演説に熱狂する人びと

モスクワ市内の戦争支持のデモンストレーション。ロシア内務省発表では20万人以上が参加。

これらの映像を見ると、クレムリン内の宮廷政治の次元だけでは現在のロシアの体制は説明できないように感じる。そして、この戦争はかんたんには終わらないかもしれないとも思い、さらに暗くなってしまう。

モスクワで、戦争賛成の集会がルジニキ・スタジアムで開催されることになっていたが

モスクワで、戦争賛成の集会がルジニキ・スタジアムで開催されることになっていたが、集まった人たちは集会が始まるまえに会場から立ち去り始めた。「チケットにパンチを入れてもらったから、もう帰るわ」

こういう官製集会の仕組みをよく知らないが、職場などで入場券が配られて、会場の入り口でパンチを入れてもらって「参加した」しるしが手に入れば、集会で「NATOに操られたウクライナのファシストを打倒しよう!」などと気勢を挙げなくてもかっこうがつく、ということなのかもしれない。そうなると「参加人数」も、じっさいに参加した人数ではなくて、配られた入場券の枚数なのかもしれない。

アーノルド・シュワルツェネッガーのロシア人・ロシア軍兵士へのメッセージ

シュワルツェネッガーの動画は、ロシアの人たちに向けて「あなたたちはクレムリンの権力にだまされている」と語りかける反戦メッセージです。

日本語訳されて、毎日新聞に掲載されています。
https://mainichi.jp/articles/20220318/k00/00m/030/085000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20220318

ロシアのピアニスト、ボリス・ベレゾフスキーの発言

「われわれは彼ら〔=ウクライナ人〕を優しく扱うのをやめて、完全に包囲して、送電網から切り離してしまうべきではないか?」
ロシアのピアニスト、ボリス・ベレゾフスキー(1990年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝)が、ロシア国営放送のTV番組でこのように発言した。
この主張に対して、この議論に加わっていた兵士は「われわれ自身の手で人道的破局をもたらすわけにはいかない」と応答した。
ベレゾフスキーは、以下のようにも述べた。
「西側のメディアは嘘をついている。われわれはこの戦争に勝たねばならないし、その勝利の上に善きものを築かなければならない。結局は真実が人びとに明らかになる。1年も経てば真実が勝利する。」
「〔戦争による世界の石油価格の上昇について〕西側でなにが起ころうと私には関係ない。彼らは勝手に対処するだろう。今後3年間は西側に行かないつもりだから、私はぜんぜん困らないよ。」

この発言に対して、ベレゾフスキーと親しかった音楽家たちから怒りの声があがっている。
パリ室内管弦楽団の指揮者でピアニストでもあるラルス・フォークト
「旧友のボリスがこんなことを言うなんて信じられない。だが、彼の口からそのように語られるのを私は聴いた。彼との友情はこれで終わりだ。」
ベネズエラのピアニスト、ガブリエラ・モンテラ
「大きな失望だ。…音楽的な偉大さと他人の境遇への共感は、かならずしも手に手をたずさえて歩むわけではない。」
指揮者ダリア・スタセフスカ
「これはシニシズムの限界さえ越えている。」

自らの発言をめぐるベレゾフスキーのコメントが、火曜日に発表された。
「西側も現在の劇的な状況に対する責任を負っていると説明しているアメリカや西側の政治学者たちを参照したうえで、私は自分の意見をあのように述べた。だがそれは、この戦争であれどんな戦争であれ、私が容認しているということではない。あの番組に出演したときの私のまことに素朴な意図は、このドラマができる限り早く終わるために可能な解決策を考えることだった。電力供給を停止したらどうかと私が問うたとき、私が考えていたのは、キエフを爆撃するのを回避して、それによってさらにはるかに劇的な人道的破局を防ぐことだった。しかし、私が自分の考えを最後まで述べる前に、私は発言をさえぎられた。今後は、私の芸術にかかわらない質問にはいっさい答えることはない。」

https://wyborcza.pl/7,113768,28231737,rosyjski-pianista-apeluje-o-odciecie-ukraincom-pradu-i-zarzuca.html

※ベレゾフスキーが出演したロシア国営放送の討論番組の動画

ウクライナ戦争を伝える西側の新聞の1面を並べて見せたうえで、出演者に意見を述べさせる(踏み絵をふませる)構成になっている。右側いちばん手前に立っているのがベレゾフスキー。

※ラルス・フォークトのtweet

ゲッベルスのようなプーチン

バルトシュ・T・ヴィェリンスキ
「ゲッベルスのようなプーチン――ルジニキでの彼の集会は1943年のベルリンの集会を想起させる」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年3月18日付

諸君は総力戦を欲するか?――1943年にナチスの宣伝全国指導者ヨゼフ・ゲッベルスは群衆にこう問いかけた。今日、ウラジーミル・プーチンはロシア人に同様の問いを投げかけた。

1943年2月8日、念入りに選ばれた聴衆がベルリンのスポーツ宮殿の観客席を埋め尽くした。2時間近くにわたって演説したヨゼフ・ゲッベルスは、何度も拍手喝采を浴びた。宣伝・公教育相であり、アドルフ・ヒトラーに最も近い協力者の1人である彼は、ドイツ人たちに、戦争は新たな局面に入ったと告げた。その2週間前、ドイツ軍はスターリングラードで壊滅的な敗北を喫していた。アフリカ軍団も敗北し、太平洋では日本軍が敗北していた。ヒトラーに対抗する連合国側は第三帝国の無条件降伏を望んでいた。ヒトラー政権の指導者たちにとって、生きるか死ぬかの戦いが始まっていた。ドイツ人たちの士気を保つために、ゲッベルスは総力戦という標語を用いた。ひとりひとりのドイツ人がこの戦いに参加するのだ。「諸君は総力戦を欲するか?」と彼は演説の最後に問いかけた。会場は熱狂して叫んだ、「もちろん!(Ja !)」

ロシアは電撃戦に失敗した

モスクワのルジニキ・スタジアムでの今日のプロパガンダ集会を見ながら、私は79年前の出来事のことを考えていた。無数の旗が翻っていた。そして、ウクライナに侵略したロシア軍が用いているZのしるし。ロシアのプロパガンダにとってこのシンボルは国家を支持する記号となったが、ロシア軍の兵士たちが犯した犯罪のために、世界にとってZは新たな鉤十字となった。ルジニキの集会の目的はスポーツ宮殿での集会と同じである。つまり、勝つことができないと思われる戦争を支持するように国民を動員することだ。

ロシアは、第三帝国と同様に、ウクライナで電撃戦を行なおうとした。ウクライナ人の抵抗、ウクライナ軍の見事な編成と指揮、社会をあげての果敢な姿勢、国の指導者たちの高い識見と能力によって、ロシアの計画は葬り去られた。ロシアはそれゆえに総力戦を行なうのだ。犯罪的なやり方で――砲撃と爆撃で――ウクライナの都市を破壊する。攻囲されたマリウポリで、ロシア軍は建造物の80%を破壊した。これは、ワルシャワ蜂起後にヒトラーがこの都市を地上から消し去れと命じたときに行われた破壊に匹敵する。ロシア軍はウクライナの工場を破壊し、森の木を切り倒し、農業に必要な設備や機器を破壊している。このような戦争は、1943年にまさしくゲッベルスが予告したものだ。2年と3か月足らず後、ソ連兵の手におちないように、まず自分の6人の子どもたちを殺したうえで、ゲッベルスは妻と自殺した。

あの群衆はロシアの空気について多くを語ってはいない

ドイツ首相オーラフ・ショルツは、ドイツ市民に対してロシアが仕掛ける攻撃を断固として非難した。彼はツイッターに、ウクライナでの戦争は、ロシアの戦争ではなく、プーチンの戦争に過ぎない、と書いた。この引用を文脈から抜き出してルジニキでの集会の熱狂的な雰囲気と並べてみると、控えめに言っても、あまり正しくはないように見える。しかし、覚えておかなければならないのは、1943年のスポーツ宮殿には念入りに選ばれた人たちの集団しか入れなかったということであり(ゲッベルスはのちに、すばらしく訓練された聴衆を前に演説したと語っている)、同様にルジニキでも、学生や、国家の官庁や諸機関の職員が、強制されて集められていたということだ。彼らの熱狂は、たとえ心からのものであったとしても、ロシアの空気について多くを語るものではない。

第三帝国では、今日のロシアと同様に、人びとは全面的なプロパガンダの影響のもとにおかれていた。ドイツ人たちは国外の情報から完全に切り離されていた(外国のラジオ放送を聴くことは刑罰の対象であった)。ロシア人たちは、西側のポータルサイトをブロックされ、世界のインターネットから切り離されれば、同じ運命をたどることになる。1940年代のドイツ人は、自分たちの総統のもとに最後までとどまる以外に選択肢をもたなかった。総統から権力を奪うことができるようないかなる力もなく、国家はテロルを用いる治安機関のコントロールのもとにおかれ、治安機関は敗北主義のあらゆる徴候を見逃さなかった。連合国側の想定に反して、戦争による損失や都市の爆撃によってドイツ人が反乱へと促されることはなく、防空壕に隠れたドイツ社会はますます無気力な大衆となっていった… 同じような運命をロシアはたどるのか?

https://wyborcza.pl/7,75399,28238566,putin-jak-goebbels-jego-wiec-na-luznikach-przypomina-ten-z.html#S.DT-K.C-B.3-L.2.maly

1943年のベルリンの集会と2022年3月18日のモスクワの集会には、たしかに共通する点がある。軍事的な不成功によって戦争全体の成り行きと体制の将来に指導者自身が不安を覚え、国民の士気を高め、国民全体を動員するためにプロパガンダ集会を開催したこと。

しかし、相違する点もある。2022年、ルジニキ・スタジアムに集まった群衆は、1943年のスポーツ宮殿の聴衆のような「念入りに選ばれた人たち」ではなかった。「選ばれた」国家機関・組織の構成員に入場券が配られたのだろうが、彼ら全員が「すばらしく訓練された聴衆」であったわけではなさそうだ。会場に最後まで残った人たちはプーチンの演説に熱狂的に拍手喝采したが、最初のほうだけ参加して会場から立ち去った人たちもいた。


後者の人たちは、プーチンが支配する現体制内で学んだり働いたりしている人びとである。上から指示されればそのとおりに従うが、おそらくはウクライナでの戦争を熱狂的に支持しているわけではない。動員されれば会場まで足を運ぶが、プロパガンダに全面的に身を委ねることはせず、家に帰る。この振る舞いは体制への従順の表現なのか、無関心のあらわれなのか、それとも密かな不服従・抵抗の兆しなのか――よくわからない。

プーチンは完全な意味でのゲッベルスではない。プロパガンダの専門家ではなく、諜報の専門家である。閉じた空間で、あらかじめウラもオモテも調べあげて弱みを握った特定の相手を威圧しながら取り引きを有利に進める能力には長けているかもしれないが、レトリックと身振りを駆使して2時間も聴衆を熱狂させる演説をぶつことは、プーチンにはできない。

ルジニキ・スタジアムでの集会を中継した国営放送は、プーチンの演説の途中で画面を切り替えるという「ミス」をおかした。ロシア当局は「技術的な理由によるもの」と事後に発表した。国営放送のスタッフによる抵抗の表現である可能性もゼロではないように感じるが、真相はわからない。

ロシアの言論弾圧と思想統制の現状は憂慮すべきものだが、ロシアの治安機関はゲシュタポではない。反戦を訴える市民は拘束されているが、社会全体が密告・拷問・処刑の恐怖に覆い尽くされているわけではなさそうだ(1943年のスポーツ宮殿の集会で途中で席をたって家に帰ったら、ただではすまなかったであろう)。

現時点で体制内にいて動員がかかれば従うが、熱狂的に戦争を支持しているわけではない人たちの今後の動向が、鍵を握っているような気がする。彼らは、「無気力な大衆」として、ヒトラーやゲッベルスに抵抗する反乱を起こさずに敗戦を迎えたドイツ国民と同じ運命をたどるのだろうか。それとも…?

【SatK】

「ウクライナ、日本に衛星データ要請」の記事

ウクライナは日本に対して、ロシアの攻撃を撃退するために有効な高画質の衛星写真の提供を要請した。木曜に「日経」が報道し、「ガーディアン」が引用している。

日本政府と民間企業が衛星を管理している。これらの衛星は、昼夜を問わず、また、雲やその他の大気中の障害を通過して詳細な地表の状況をとらえる性能を有している。日本政府は、このようなデータをウクライナに提供することが政治的に受け入れられるか、「現行の法の枠内」で許されるかを検討している。

木曜朝、日本の防衛省は、ウクライナとの戦争に必要な装備を運んでいる疑いがきわめて高いロシア船4隻を認識したと発表した。これらの船は本州と北海道のあいだを通過した。

Ukraina poprosiła Japonię o udostępnienie wysokiej jakości zdjęć satelitarnych, które pomogłyby jej odeprzeć rosyjski atak, podała w czwartek gazeta “Nikkei”, którą cytuje brytyjski “Guardian”.

Japoński rząd i firmy prywatne obsługują satelity, które mają zdolność przechwytywania dokładnych obrazów w dzień i w nocy, a także przez chmury i inne przeszkody atmosferyczne. Japoński rząd rozważy, czy udostępnienie takich danych Ukrainie jest politycznie akceptowalne i dozwolone w ramach ”obecnych ram prawnych”.

W czwartek rano japońskie Ministerstwo Obrony poinformowało, że zauważyło cztery rosyjskie statki wojskowe, które najprawdopodobniej dostarczają sprzęt potrzebny na wojnie z Ukrainą. Statki przepływały pomiędzy japońskimi wyspami Honsiu i Hokkaido.

日本が*軍事的に*ウクライナでの戦争に巻き込まれつつあることを実感させる「ガゼタ・ヴィボルチャ」のタイムラインの記事。
情報源として言及されている「日経」の記事は有料なので私は冒頭しか見ることができておらず、津軽海峡を通過するロシア船の情報も同じ「日経」の記事に含まれているのかがわかりません。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA16AXP0W2A310C2000000/

いわゆる「デュアルユース」(軍民両用技術)の典型ともいえるケースだと思いました。そう考えると、有志の会で以前とりあげた「大学における軍事研究」問題とも無関係ではありません。

カミカゼ・ドローン

昨日議決されたアメリカのウクライナへの軍事支援の一環として、無人飛行爆撃システム「飛び出しナイフ Switchblade」(カミカゼ・ドローン drony kamikadze)がウクライナに送られる。このドローンは兵士が携帯可能で、標的に到達後に自爆する。

「カミカゼ・ドローン」drony kamikadze というポーランド語をはじめて見ました。こういうところで日本語由来の表現に出会うのは悲しいことです。

「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」

「「ポーランドには2つのカテゴリーの難民がいる」とニューヨークタイムズ」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」、Jeffrey GettlemanとMonika Prończukの連名による記事
(2022年3月17日付)

スーダンで戦争から逃れた若い男性と、ウクライナから避難する若い女性が、同じときにポーランドの国境を越えた。彼らはきわめて異なる経験をすることになった。

ウクライナで戦争が勃発した日、スーダン難民の22歳のアルバジルは、ポーランド国境の手前で凍りついた枝葉のうえに横になりながら、ここで死んではいけないと思った。

ポーランドの国境警備隊の飛ばしたドローンが、彼を探していた。ヘリコプターも彼を探して飛んでいた。夜になって気温は氷点下に下がり、一面に雪が積もっていた。医学生のアルバジルを含むアフリカ出身の難民たちの小さなグループは、ポーランドにたどり着こうとしていた。食べるものは、乾したナツメヤシの実が数粒、ポケットに入っているだけだった。

「私たちは希望を失っていました」と彼は語る。

同じ日の夜、オデーサから近い小さな町で、21歳のカーチャ・マスローワは、スーツケースとアニメ制作の仕事で使っているタブレットだけを手に持って、家族といっしょにパープルレッドのトヨタRAV4に乗り込んだ。合わせて大人8人と子ども5人が車4台で護送船団を組んだ。戦火におおわれたウクライナから逃れようとする人びとの死にもの狂いの逃避行に、こうして加わったのだ。

「この時点では、私たちはどこに向かうことになるのか、わかっていませんでした」と彼女は語る。

同時に同じ国の国境を越えた同世代の2人の難民がその後の2週間のあいだに体験したことは、これ以上ありえないほど対照的だった。アルバジルは顔面を殴られ、人種差別的なことばでののしられ、国境警備隊の手に引き渡された。国境警備隊員は、アルバジルの語るところによれば、彼を暴力的に殴りつけ、そのことを楽しんでいるようだった。カーチャは、朝起きると食べるものも飲むものも冷蔵庫にいっぱいで、焼きたてのパンがテーブルに出てくるような毎日を過ごした。そのすべては、彼女が「聖人」と呼ぶ支援者のおかげだった。

われわれの難民と、そうでない難民

彼らの異なった体験は、ヨーロッパの難民危機にみられる不平等をきわだったかたちで浮かびあがらせている。この2人は、きわめて異なった地政学的出来事の犠牲者であるが、同じことを求めていた――すなわち、戦争の悪夢から逃れる、ということだ。ウクライナからヨーロッパへ、ここ10年間では最大規模の難民の波が押し寄せている。しかし、中近東とアフリカでは、いまだ多くの紛争が続いている。どの戦争から逃れるのかによって、あなたがどのように受け入れられるかは、大きく違ったものになりうるのだ。

ウクライナ難民は、マスローワのように、ポーランド国境を越えた瞬間からピアノの生演奏で迎えられ、バルシチ〔ポーランドのスープ〕はおかわり自由、しばしば暖かいベッドを提供される。そしてこれはまだほんの入り口なのだ。彼らはハンガリーの航空会社ヴィズ・エアーの飛行機でヨーロッパのどこへでもただで飛んで行くことができる。ドイツでは鉄道の駅でウクライナの旗をふって人びとが待ちかまえている。ヨーロッパ連合のすべての国が彼らに3年間の滞在を認めている。

こういったことのすべてを、アルバジルは、ポーランドの村の人権活動家の拠点にあるテレビの画面で見た。この拠点では、とても危ないので外へ出ることはできない。「姓は記事に出さないでほしい、非合法に国境を越えたので。テレビで見たことはショックだ」と彼は言った。

「どうして私たちはこれと同じ配慮と慈愛を与えられないのか? なぜだ? ウクライナ人は私たちより上等なのか? わからないな。なぜだ?」 

アルバジルが経験したことは、地中海から英仏海峡まで、ヨーロッパ諸国の政府がアフリカや中近東からの移民が自国に入ろうとするのを妨げるたびに、数えきれないほどの回数繰り返されてきた。彼らを押しとどめるために、ときには暴力も用いられてきた。

アルバジルの旅が多難なものになったのは、彼がベラルーシからポーランドに入国することに決めたためだった。このロシアの同盟国は、昨年、深刻な難民危機を意図的に作りだした、と西側諸国はみている。ベラルーシは、ヨーロッパにカオスを引き起こすために、スーダン、イラク、シリアといった紛争におおわれた諸国から、希望を失った何千人もの人びとを招き寄せ、ポーランド国境に向かわせた。これに対してポーランドは、その国境を完全に封鎖することでこれに応えた。

ウクライナ人は、ヨーロッパ地域で日を追うごとに近づいてくる紛争の犠牲者である。そのために、ヨーロッパの人びとの対応は同情に満ちたものになった。結果的に、もっと遠いところから逃げてきた難民は、不平等と――彼らの一部が指摘する――人種差別主義がもたらしたものを、痛みとともに感じることになったのである。

「異なる難民集団の待遇のあいだにこれほどのコントラストがあるのを、私ははじめて見ました」とブリュッセルの移民問題の専門家カミーユ・ル・コスは言う。ヨーロッパの人たちはウクライナ人を「われわれの仲間」とみなしているのだ、とも。

幸せの涙

ロシアのウクライナ侵攻から一夜明けた2月25日、マスローワは、モルドヴァを走り抜けてきた家族の車のなかに座って、ペプシコーラを飲んでいた。

窓の外では、歓迎する人びとが手を振り、親指を上に向けてサインを送ってくれるのが見えた。

彼女は泣きだした。

「悪いことじゃなくて、よいことで、心の張りが崩れてしまったのよ。世界中が自分を支えてくれるなんてこと、心の準備ができてる人はいないでしょ」

西に向かいながら、どこへ行くべきかで彼らはけんかをした。ラトヴィアがいいという者もいれば、ジョージアだ、という者もいた。だがマスローワは、ちょっと場当たり的だが、自分の計画をもっていた。

彼女はワルシャワの学校でアニメの勉強をしたことがあった。そのときの彼女の同居人の両親の知人の父親が、ポーランドの村に空き家を持っていたのだ。これがうまくいったら、アニメーションの学校に戻って、動画の制作をやる夢がかなうだろう。彼女は両親を説得した。「ポーランドに行こうよ。」

同じ日、アルバジルは相変わらず、ポーランド・ベラルーシ国境の森のなかに閉じ込められていた。戦火を逃れてから何年も経っていた。故郷ダルフールが戦争で破壊されるのを少年の目で見た、「およそ想像しうるすべてのこと」を見てしまったのだ、と彼は語った。その後、医学を学ぶためにスーダンの首都ハルツームに逃れた。しかし、じきにハルツームも混乱の巷となった。

11月、彼は、私立大学で職に就くために学生ヴィザでモスクワに行った。しかし、ロシアのウクライナ侵攻で強い経済制裁が始まると、アルバジルは、大学が閉鎖されるのではないかと怖くなった。そのために再び逃げたのだ。

彼は、ロシアからベラルーシをとおってポーランド・ドイツに抜ける旅を計画した。しかし、ベラルーシからやって来る移民の波をくい止めるためにポーランドが国境を閉鎖していることは知らなかったという。

約200キロ南では、マスローワの護送船団がついに目的地にたどり着いた――ポーランド領内にかなり入ったところにある村の農園である。

白髪混じりの髪の薄い頑丈な男性が、とつぜん暗闇から現れた。「ヤヌシュです。ようこそ。」

ヤヌシュ・ポテレクと妻のアンナは彼らを抱きしめ、全員が泣きだした。だが、涙は玄関で終わらなかった。

マスローワ一家が台所に行くと、3日分の食料が用意されていて、主人が料理してくれていた。それを見て、彼女はまた泣いた。洗面所に行けば、新しい歯ブラシ、せっけん、シャンプーが揃っている――それで彼らはまた泣いた。ベッドの上には、洗いたてのシーツ、タオル、毛布が置いてある――それを見て、さらに彼らは泣き続けた。

リンゴ園を経営するポテレクは、それ以前に難民を助けたことはなかったが、戦争が始まって「他人ごとではいられなくなった」と語った。

ポーランドか、それとも死か

数日後、マスローワと家族は、主人が子どもたちのために運んできたおもちゃの山をみて目を見張った。その頃、アルバジルと、彼と旅をともにしていた3人の男性は、逮捕された。彼らは気づかれずにポーランド国境を越えることに成功したのだが、彼らをドイツまで運ぶために雇った運転手がライトを点けるのを忘れていたために警察に停められたのだ。ポーランドの警察官は彼らのSIMカードとバッテリーを抜きとり、電話をつながらなくして(助けを呼ぶことをできなくするためだ)、彼らをもとの場所に連れ戻した。つまり、彼らが怖れていた森のなかだ。

ここ数か月のあいだに、ポーランド国境にたどり着こうとしながらポーランドの国境警備隊員に森に連れ戻されて、少なくとも19名が凍死した、と人権保護団体は指摘している。

ポーランドの官僚は、それは自分たちが悪いのではないと言う。
「悪いのはベラルーシ人です。彼らがこれらの人びとを操っているのです」と国境警備隊の広報官カタジナ・ズダノヴィチは述べる。

人権保護団体は、ポーランドの国境警備隊員も権力を濫用していると指摘する。ポーランド政府の報道官は難民の処遇についての取材を拒否した。

「行け!行け!」とアルバジルのグループにポーランドの国境警備隊員たちは叫んで、武器で脅しながら、人里離れた森のなかの有刺鉄線の囲いのほうに押しやった、とアルバジルは語る。警備隊員は1人の男性を囲いに向かって突き飛ばしたので、彼は手を切ってしまった、とも。インタビューのとき、彼は指のあいだの傷あとを見せた。

数時間後、食べものも飲みものもない状態で、自分がどこにいるかもわからずさまよううちに、ベラルーシ側の国境警備隊の詰所にたどり着いて、警備隊員に入れてくれと頼んだ。
「避難する場所が必要だったのです」とアルバジルはいう。

しかし、ベラルーシ人たちの考えは違っていた。
国境警備隊員たちは彼らを捕まえて、冷たい車庫のなかに放り込んだ。頑強なベラルーシの兵士が人種差別的なことばを叫んでののしり、怒り狂ったように攻撃したという。
「私たちを殴り、蹴り、地面に投げつけ、棒で殴ったのです。」
さらに、やはり捕まえられた肌の白いクルド人が車庫で一緒だったが、警備隊員は彼には手を触れなかったという。

その後、兵士は彼らを森のなかに連れて行ってこう言った。「ポーランドに行っちまえ。戻ってきたらぶち殺すぞ。」

人権擁護団体によれば、数万人の難民が、ポーランドとベラルーシのあいだであちらこちらへと押し戻され、罠にはまったようにどちらの国にも入れず、故国に帰ることもできずにいる、という。

3月5日、アルバジルと彼のグループは、その週で2度目のポーランドへの越境を試みた。足が動かなくなり、ほとんど凍死寸前だった。万が一のために控えていた番号に電話すると、ポーランドの活動家がひそかに彼らを自分の家に受け入れてくれて、外には出ないように注意した。こうしてようやく彼らは人間的な好意による活動に触れた。

アルバジルは、すべての難民を寛大にあつかう国として知られているドイツの避難所に移って、大学を卒業しようと計画している。彼はアラビア語、英語、そして少しだがロシア語を話し、金ぶちのメガネをかけて、手入れの行きとどいた頬ひげを生やしている。医者になって、ここまで生きて体験したことを本に書くことが夢だ。比較的豊かな国で生まれて教育を受けた人たちが、困っている者をこんな目にあわせられるなんて信じられない、と彼は言う。

アルバジルと一緒にいた男性の1人であるシェイクは、英語がわからないので、スマートフォンの自動通訳を利用している。音声をオンにしてもらった。

スマートフォンの機械的な声が語る。「全ヨーロッパが、人はだれでも自分の権利があると言っているが、私たちには、なにかそのようなものがあるとは見えなかった。」人種差別主義が、困っている人たちがどのように扱われるかに影響しているか、という問いに対して、アルバジルはためらうことなくこう答えた。「はい、まったくそのとおりです。人種差別そのものです。」

その間、マスローワ一家の待遇はよくなる一方だった。ポテレクは、マスローワの弟と妹を小学校に通わせる手続きをした。ポーランド政府はウクライナ難民には無償で教育と健康保険を保障することになっている。
診察を受けた医者が診療費を受けとらないのを知って、「国全体がウクライナ人のために原則を少し歪めているようにみえます」とマスローワは言った。

アフリカや中近東からの難民も受け入れますか、という問いに、アンナ・ポテレクはこう答えた。「ええ、でも私たちにはそういう機会がなかったのです。」

ただ、彼女はこうも言った。「ウクライナ人のほうがもてなしやすいでしょうね。彼らとポーランド人は文化的に共通ですから。」アラブやアフリカの諸国からの難民の場合は、とたずねると、「食事はなにを用意すればいいのかしら?」

木曜日、ヤヌシュ・ポテレクは友人に、マスローワに通訳のような仕事を見つけてほしいと相談した。
同じ日の午後、アルバジルと仲間たちはワルシャワの隠れ家にたどり着いた。ここでも外に出ることは禁じられた。

https://wyborcza.pl/7,75399,28234339,the-new-york-times-w-polsce-sa-uchodzcy-gorszego-sortu.html#S.DT-K.C-B.2-L.1.duzy

  • 記事のタイトルと小見出しは「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集部による。
  • 本記事のオリジナルはThe New York Timesに掲載された。
    ©2021 The New York Times Company

昨年11月に中東からベラルーシ・ポーランド国境に集められて足止めされた人たちがいて、いまウクライナ・ポーランド国境を越えて西へと逃れていく人たちがいる。
ルカシェンコのベラルーシがあのタイミングでポーランドとの国境に難民たちを集め、西側のジャーナリストに取材させて、ポーランドの国境警備隊が難民たちを追い返す映像が世界中に流れたのは、どういう意味があったのか。
他方で、2月24日にロシア軍の侵攻がはじまる前から、ポーランド東部2県では避難民受け入れの準備が始まっており、24日にただちに避難所が開設されている。なぜこんなに違うのか。
ずっと気になっている問題について具体的なケースをとりあげた記事だったので、全文を訳してみました。スーダンとウクライナの難民のコントラストが強烈です。

ニューヨークタイムズからの転載ではありますが、ポーランドの日刊紙にこうした記事が載ることは意味のあることだと思いました。

【SatK】