「ガゼタ・ヴィボルチャ」編集主幹アダム・ミフニクの論説

アダム・ミフニク「今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ」
「ガゼタ・ヴィボルチャ」 2022年2月24日付
https://wyborcza.pl/7,75968,28150460,dzis-mowimy-jasno-i-glosno-wszyscy-jestesmy-ukraincami-michnik.html

これが戦争である。ポーランドの歴史を知る者はだれでも、1939年9月を思い起こさなければならない。このとき、ヒトラーの軍隊は「迫害されているドイツ人を保護する」ためにポーランドに侵攻したのだ。2週間後、ソ連は、「迫害されているウクライナ人とベラルーシ人を保護する」ためにヒトラーに援軍を送ったのだ。

今日、プーチンの軍隊は、ドンバスで「ジェノサイド政策」を実行する「ウクライナのファシストとナショナリスト」から平和なウクライナ市民を「保護する」ことを望んでいる。まったくそのまんまだ! プーチンの強盗団の襲撃は、ヒトラーとスターリンによって示された模範を思い出させる。それに加えて、20世紀の最大の全体主義的ギャングどものレトリックにも、プーチンは手広く、なんの遠慮もなく、手を伸ばしている。

これは、1989年以来われわれが生きてきたわれわれの世界の終焉だ。このことの帰結を、われわれはまだ想像することができない。これは世界戦争の始まりなのか? ウクライナ人は、たしかにヨーロッパで最も不幸な民族だ。粘り強い、英雄的な、長年にわたる闘いにもかかわらず、より早い時期に自分の国家を創り、守ることができなかった。ロシア化と非民族化、差別と抑圧の犠牲となり、投獄され、拷問されてきた。1930年代の大飢饉とスターリンのテロルの犠牲となった。ヒトラーの占領者たちの手によって殺され、その後にはスターリンの刑吏によって殺された。

しかし、どの世代も、「ウクライナいまだ死なず」と繰り返してきた。

今日、ウクライナ人が対抗してこの同じ言葉を繰り返す相手は、プーチンの卑劣で下劣で嘘にまみれた数々の言明だ。このKGB中佐は、世界を自分の個人的な監獄のようなものとみなしている。そこにいる者は自分の所有物で、だれでも閉じ込めたり殺したりできると考えているのだ。アンナ・ポリトコフスカヤは、チェチェンで行なわれた犯罪について真実を書いたために、殺されたのだ。

ボリス・ネムツォフは、人気のある民主派の政治家であったために、殺された。ミハイル・ホドロコフスキーは、プーチン体制の腐敗をおおやけに批判したために、投獄された。現在、アレクセイ・ナワリヌイが投獄されている。プーチンの召使いの征服を着て歩くことを望まないロシアの声で語ったためだ。

世界はこれらのことを知るべきだ。勇気を奮い起こして、このような犯罪的な政治を許容する毒の力が打ち勝ってしまうことを許さないのであれば。沈黙は、この犯罪的な力にたいする臆病な賛同と屈服のしるしとなりうる。

思い起こすべきだ、1938年にミュンヘンで、1945年にヤルタで、全体主義体制の要求に民主主義世界が同意した結果がどのようなものになったかを。それらは、強権に対する譲歩のしるしだった。チェンバレンとダラジェは、ミュンヘンで何世代にもわたって続く平和を構築できると信じていたが、ヒトラーに征服の道を開いた。ルーズベルトは、合理的な論拠でスターリンを説得できると信じていたが、ヨーロッパの半分を彼の手に譲り渡した。

われわれは、同じ道を歩まないようにしよう。

今日、はっきりと、声高く、言わなければならない。われわれ全員がウクライナ人だ。ワルシャワでも、パリでも、ベルリンでも、プラハでも、ロンドンでも、ブダペストでも、声高く言わなければならないことは、1つのことだけだ。ウクライナ人は、自分たちのためにだけでなく、「われわれと君たちの自由のために」戦っているのだ、と。

同じテキストが、ロシア語、ウクライナ語、英語でも発表されています。
ウクライナ語: https://static.im-g.pl/im/6/28151/m28151436,MICHNIKUKR.pdf
ロシア語: https://static.im-g.pl/im/7/28151/m28151437,MICHNIKROS.pdf
英語: https://wyborcza.pl/7,173236,28150727,we-are-all-ukrainians-now-adam-michnik.html

文中の「ウクライナいまだ滅びず」は、ウクライナ国歌の冒頭の歌詞をふまえた表現です。ちなみにポーランド国歌も「ポーランドいまだ滅びず」という歌詞から始まります。
末尾の「われわれと君たちの自由のために」(o naszą i waszą wolność)は、1831年の11月蜂起でたたかったポーランド人が、ロシアのデカブリストへの敬意をこめて掲げたスローガンです。

訳者が重要だと思ったのは、次の2つの文章に示された認識です。
・「これは、1989年以来われわれが生きてきたわれわれの世界の終焉だ。」
・「われわれ全員がウクライナ人だ。」
ミフニクが念頭においている「われわれ」は、この文章の文脈においては、ヨーロッパ諸国民です。日本にいる私たちは「われわれ全員がウクライナ人だ」と、声高く、言えるでしょうか。基本的人権と報道・表現・学問の自由を守る立場から、訳者は、言えるし、言うべきだ、と思います。

【SatK】

ウクライナの作家、ユーリー・アンドルホーヴィチのインタビュー

「もし必要になれば、パルチザンに参加するよ。彼らが家にやって来るまで待っているつもりはない」――ウクライナの作家、ユーリー・アンドルホーヴィチのインタビュー
「ガゼタ・ヴィボルチャ」2022年2月22日付
https://wyborcza.pl/7,75410,28140251,ukraina-andruchowycz-jesli-trzeba-bedzie-przystapie-do.html

ロシアのウクライナへの攻撃について、ウクライナの最有力の作家の1人、ユーリー・アンドルホーヴィチが語る。「プーチンが西側にひざまずくと思うかね? 彼にとっては制裁なんてクソくらえだよ。」

ミハウ・ノガシ:ロシア軍がドンバスに介入しています。プーチンの怒号が聞こえてきます。戦争は怖いですか?

ユーリー・アンドルホーヴィチ:もうずっと前から、なにもかもが怖ろしいことだと思って見ているよ。いま言えることは、われわれがほんとうに戦争の近くにいるということだ。ロシアがウクライナに侵攻することでそれは始まるだろう。
昨日〔2月21日〕独立を認めた地域でプーチンが部隊の進軍を止めることは、十中八九ないだろうな。彼はもっと先に行くのではないかと私は疑っている。それはつまり、ウクライナ軍と直接衝突するということだ。
そうなると、わが国の軍がロシア人を押しとどめる能力があるのか、考えてみなければならない。侵略者に抵抗し、侵攻に反撃し、クレムリンの連中の頭を冷やすことができるのだろうか?
われわれの側から見れば、昨日モスクワでドネツクとルガンスクのいわゆる人民共和国の独立が認められたことで、事態は原則的に何ひとつ変わっていない。より重要なことは、プーチンが、もっと前の段階で、演説で語っていたことだ。
歴史をめぐる彼の「講義」の意味するところは、疑問の余地のないものだ。われわれに対して、自分の言葉をよくよく真面目に受けとるように、と彼は力説していたのだ。そして、彼はウクライナを、われわれが国家をもっているということを、強迫的に憎んでいることを、あらためて示したのだ。端的に言えば、われわれの民族は存在しない、とロシアの大統領は考えているのだ。
彼自身が引き起こした危機を解決する道は2つしかない、とプーチンは考えている。われわれが屈服して、ロシア人と1つの国民であることを認めるか、それとも、彼がわれわれを滅ぼすかだ。他のいかなる選択肢も考慮されない。
昨日さらにふみ出された一歩からまだ半日ちょっとしか経っていないが、私は次のことは自信をもって言えると思う。ウクライナでわれわれは西側世界から何か大きな支援をえているとは感じていない、ということだ。もちろんポーランドやバルト諸国はこの点では例外だ。しかし、他の国々、とりわけ大国といわれる諸国はどうだ? 彼らは沈黙しているようにみえる。クレムリンで月曜〔21日〕に起こったことでショックを受けているようではあるけれどね。1か月前からわれわれは、西側諸国は事態のいかなる発展にも用意ができているし、制裁のパッケージが準備されていると聞かされていたのだが。やっと何が起こっているかが彼らのもとに届き始めたとでもいうのか? ワシントンではようやくお目覚めというわけだ。[このインタビューは2月22日午後に行なわれた。この数十分後にドイツはノルド・ストリーム2の認可を停止し、その直後にイギリスが経済制裁を発表した。――編集部による注]

ノガシ:ほったらかしにされているという感じですか?

アンドルホーヴィチ:アメリカ大使館の職員が数日前にキーウを離れてリヴィウに移っただけじゃなくて、昨日の晩には全員がポーランドに移動してしまったという事実を前にして、それ以外の感じ方があるものかね? じつに想像力に訴えかける振る舞いだよ。しかも、戦術としてよくわからないな。そもそも何か戦術について語りうるとしての話だがね。
これはウクライナにとってだけでなくて、全世界にとって、われわれが知っている秩序全体にとって悪い予兆だよ。もし民主主義的な価値を信奉しているらしき西側が、抜本的なやり方で対応しないのであれば、それは西側にとっても終わりの始まりになるだろう。
そのことはきっと誰もが感じているのではないか?

ノガシ:ウクライナのウォロディミル・ゼレンシキー大統領がとった決定については、あなたはどのように受けとめていますか?

アンドルホーヴィチ:ここ数週間、彼は平静を保ってほしいと呼びかけていたわけだが、これでは今日となってはまったく足りないな。行動するべきだ、それも直ちに。
何をなすべきか。2つの州、ルハンスクとドネツィクの2州でわが国のコントロールのもとにある地域に戒厳令を布告するべきだろう。加えて、予備役の動員をかけるべきだろう。
議会はこれらの措置を承認するべきだ。そうすれば、われわれは、権力がなんとか状況を支配しているという感覚をもつことができるだろう。これまで平穏を保って、戦争はないだろう信じ切っていた社会も、それで動きだすことができるだろう。
私は大統領の支持者ではまったくなかったけれど、現在の状況のもとで彼を厳しく批判するつもりはない。どういう状況かは理解しているし、彼がとつぜん雲隠れしたり、ウクライナから出国したりしなかったことをうれしく思うよ。そういう事態も起こりえたことだからね。ただ、いまは戦術を変えて、なにが起こったかを理解して、決断を下すべきだと思う。そうすることで、われわれがさらなる恐怖とパニックに陥ることを防ぐべきなんだ。
ウクライナ人は、国家が機能していて、困難な課題に立ち向かっていると確信するべきなんだ。

ノガシ:いま起こっていることに、あなたの知人たち、国の東部と西部のそれぞれのウクライナ人たちは、どのように反応していますか?

アンドルホーヴィチ:もちろん、われわれの誰も、ウクライナが存在しなくなること、われわれがロシアに包摂されてしまうことには同意していない。しかし他方で、西側のインテリジェンスによって確認されている情報が次々にわれわれのところに届いてもいるのだ。ロシア人は、侵攻したときには、逮捕して拷問にかけたり投獄したりその場で射殺したりするべき著名なウクライナ人のリストを用意している、という情報がね。プーチンの軍隊が地域を次々に占領していくのに応じて、それぞれの都市ごとにね。
われわれは軍事的な準備ができていないんだ。私の友人で上手に銃を撃つことができる者なんているもんか。それでもわれわれは、きわめて重大な選択のまえに立たされるだろう――生きるか死ぬかのね。それどころか、もっとはるかに劇的な選択のまえに立たされるかもしれないのだ――どういう死に方をするか、という選択のまえに! 今日のところはわれわれはショックのなかにいるが、早晩、このことについて話し合うことになるだろう。プーチンはわれわれに選択の余地を与えないだろう――この点ではウクライナの西部に住んでいようが東部に住んでいようがたいした違いはない。
紛争が広がっていくことはない、とわれわれを安心させようとする向きもある。だが、第1に、ウクライナを潰すことはプーチンの固定観念であり、それを成し遂げるためにすべてのことを彼はやるだろう。第2に、厳しい経済制裁が行なわれる、とわれわれはずっと聞かされてきた。しかし、プーチンにとって制裁なんてクソくらえだ! そういうカテゴリーで考えることを彼はやめたのだ。経済には彼は関心がない。彼は安全だと思っているし、彼にいちばん近い協力者たちも同じだ。この戦争で生命や持っているものすべてを失うのは彼らではない。没落するとしても、その前に彼らは多くの苦しみをもたらすだろう。
プーチンに断固として対応する必要があることは、昨年11月からあきらかだった。彼を押しとどめるためには、NATOのいくつかの加盟国が厳しい行動を起こして、ウクライナに軍隊を展開することしかなかったのだ。だがそのような措置がとられることはなく、彼はますますやってやろうという気になるばかりだった。経済制裁を科せばロシアの指導者は西側のまえにひざまずくだろうと信じることは、ユートピアだ。

ノガシ:軍服を着なければならなくなったら、あなたは着ますか?

アンドルホーヴィチ:もちろんだ。きっと私も戦わなければならない状況になりうると思う。ただ軍服はもう着ないだろうな、私は60歳をこえているからね。でもパルチザンのようなもの参加しなければならないことになっても驚きはしないよ。
プーチンがウクライナを占領したときに抹殺すべき人間のリストには、私の名前も載っているに違いない。彼らがやって来るまで家でじっと座って待っているつもりはない。

ユーリー・アンドルホーヴィチは、1960年生まれ。ウクライナの作家、詩人、翻訳家。歌手でもある。ウクライナ西部のイヴァーノ・フランキーウシク在住。国外にも多くの読者をもち、多くの作品がポーランド語に翻訳されている。日本語で読める作品はまだないようである。

このインタビューが行なわれたのは2月22日、つまり、プーチンがウクライナ東部2州に作られたいわゆる「ルガンスク人民共和国」と「ドネツク人民共和国」を「独立した国家」として承認した翌日であり、2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻する2日前である。この時点ですでに、アンドルホーヴィチが、ロシア軍の侵攻によって、東部2州だけでなく、ウクライナ全体が戦場になることを確信していたことがわかる。

「プーチンにとって制裁なんてクソくらえだ! そういうカテゴリーで考えることを彼はやめたのだ。経済には彼は関心がない」と、アンドルホーヴィチは戦争が始まる前に見抜いていた。
2月24日以降、ロシア軍が、東部2州だけでなく、首都キーウ(キエフ)の攻略を目論んでいることがあきらかとなったとき、国際政治や軍事の専門家から「プーチンがウクライナ全体の侵略にのりだすとは想定していなかった」というコメントが聞かれた。戦争になれば西側が厳しい経済制裁にふみきることは予告されており、計算可能な「合理性」を前提に予測をたてるかぎりでは、「プーチンの戦争」は想定外の非合理的な行動ということになるのであろう。
しかし、そのような「合理性」のみにもとづいて人間が行動するとはかぎらない、ということを今回の戦争の成り行きは示している。「生きる/死ぬ」という問題、「殺す/殺される」という関係につねに関心をもち、観念にとりつかれ妄念に突き動かされる人間の姿をつかみとって表現してきたのが文学を含む芸術であり、そのような人間のありようを研究してきたのが人文学である。そのような意味で、ウクライナの戦争は、芸術や人文学にとって重い課題を突きつけている。

「生きるか、死ぬか」という選択肢のさらにその先に、「どういう死に方をするか」という選択を迫られるときが来る、とアンドルホーヴィチは語っている。戦わずに降伏して生きて占領されても「抹殺対象者」のリストにしたがって殺される、というのは、考えられるかぎりで最も絶望的な見通しである。しかし、20世紀にウクライナを含む「流血地帯」(T. スナイダー)がくぐり抜けた歴史を知っている者は、アンドルホーヴィチの想定は根拠のないものではなく、むしろこの状況においてはリアルな認識であると感じるであろう。
60歳を越えた作家の「自分がパルチザンになっても驚きはしない」という言葉を訳しながら、同じ年代の訳者はうなだれるしかない。(3月25日に記す)

【SatK】