第5回勉強会報告レポート

【会の概要】
10月9日(日)の10時から15時、京都大学文学部第三演習室にて「歴史と今を考える会 第五回勉強会」が行われました。今回は会員が推薦した図書の読書会としてエマニュエル・トッド著の『シャルリとは誰か』と、ニコロ・マキャベリ著の『君主論』を扱いました。

【勉強会内容】

◎シャルリ・エブドのイタリア地震風刺画について:
http://www.afpbb.com/articles/-/3099639(引用日11月3日)

〈要約〉
シャルリ・エブド社が8月24日に発生したイタリア中部地震の被災者をパスタ料理に見立てた風刺画を掲載したところ、ソーシャルメディア上で批判が相次ぎ、イタリアの法相、上院議長も当該風刺画を批判した。在イタリアフランス大使館は声明を出し、この風刺画は「フランスの立場を代表するものではない」と表明した。
⇨ 被災者を揶揄する絵は風刺画と呼べるのか?
そもそも、風刺は権力・強者に対して行うもの。弱者に対して行うのはイジメであり、暴力である。しかし、その一方で、問題提起としての弱者風刺はありうるのでは?
→ 「私はシャルリ」の文脈では、風刺の肯定は「冒涜の権利」への義務とされた。風刺画はからかいの延長線上にあって、風刺か揶揄か、どちらに転ぶのかが問題となる。イタリア地震ではフランスの立場を代表しないものとされ、「私はシャルリ」の時には代表するものとなった。

◎人類学的な論の作り方として、宗教と家族の相関関係から、家族制度の二元論ですべてを説明しようとしているが、これは妥当だろうか?

⇨ 前提として、以下の構造がある。

  • 資本主義:英米系の非平等 = 平等原則の不在
  • 不平等 = ゾンビ・カトリシズム、家父長的家族制度(ドイツ系)
  • 平等 = フランス中心部

 → 主にカトリックを信奉する中産階級内の人が、家族内の不平等に関してなんら不満を示さずに平等・自由を唱えている。= 場所によっては残っている家制度に基づく潜在的な不平等の是認となる。

 → 頁158‐159にあるように、フランスが英米系に近いのか、ドイツに近いのか明言されていない。=これは、フランスの中でも区別がつけられているから。

  • フランスに関しては、平等主義と不平等主義の対立
  • 諸各国の中では、不平等主義と非平等主義の対立

 また、平等主義から導き出される普遍主義は、相手が自分と同じ存在であることを前提とし、そこからずれたものは人間ではないとする考えに行きつきうる(頁194参照)。よって、平等の言及される範囲の限定=不平等の是認となり、平等主義の中でも不平等が発生しうる。

 ←→ 長子相続などの潜在的な社会不平等はあるのだろうが、教育を受ける中で平等性を尊重するようになってゆくのではないか:ライシテの理念として平等があり、それを学ぶはずである。
 さらには、家族制度は時として「作られたもの」であることもある。日本においては、明治時代まで家父長制/長子相続制が主流だったわけではなく(家督争い、商家の養子縁組など)、資本主義の萌芽がなかったわけでもない(先物取引なども行われていた)。権威主義や不平等主義それ自体が存在するのであれば、家族形態は関係ないといえる。

⇨ また、家族制度以外の資本主義の影響もあるだろう。

 → 平等に始まり不平等に帰着する資本主義のサイクルの中で、上手にサイクルに入った人たちがそこからこぼれた人や移民の不平等を機会の均等の結果として是認する。:少し離れてみれば不平等の現れと判る本件を平等の問題として叫ぶ者がいなかった、というのが不平等を肯定していることの現れと解しうる。みな不平等とは感じているが、「何らかの力によって改善されない」と思っていることが多い = 資本主義の結果としての不平等に落とし込まれる。(その一方で、中産階級は自らの不平等に関しては是正を求める。)

 → 平等ではなく自由を尊重する点においても、資本主義的側面があるのではないか?:筆者の考えでは、資本主義の中でも平等主義的中央部が周縁部を導いていけば平等は達成されるとするが、経済のグローバル化の方向性を考えると平等よりも経済優先の志向になるはず。

⇨ この本では、シャルリの要因が一つの原因に帰結できるわけではないとは表明されている。

 ←→ しかし、学問として一つの結論を出したいという意思があり、また読者も一つの結論を欲する。:主張のインパクト(保身に走っているフランス人に棘を指す)はある一方、指摘が単純化してしまっている。

 → 結論に記された同化主義のなかで、フランス人がムスリムへの譲歩を求めるのはいかがなものか:ライシテの原理がもともとカトリック教会の権力を奪うことにあったのに対し、現在ムスリムに対して行われていることは、弱者から宗教を奪うことになっている。

◎「ライシテ」の特殊なフランス的文脈=フランスのナショナリズムの原型:ライシテとライシズムの違い。本当にライシテは正当化されうるのか? 平等性とライシテとの関連は果たして妥当するのか?

⇨ あくまでライシテは権力を協会から奪うこと(政教分離:信教の自由の代わりに権力を奪う)であり、強者への抵抗・対立であるのに対して、ライシズムは弱者から権力ではなく信教の自由を奪う(世俗至上主義)=得ることは無く、手放すのみであり、弱者へのイジメともいえる。(『十字架と三色旗』参照)

 ←→ 一方で、ここでライシテをふるわないと、イスラム勢力に脅かされるという強迫感が多いのも事実。
 → 頁193‐194に現れる平等主義に由来する普遍思想を強調する以上、「同化」でなければならない。:e.g.異民族間結婚、多文化主義に存在する多様性の否定
 ⇔ 社会参加を基盤とする協調では、なぜダメなのか?
 個人と切り離せない文化、文化と切り離せない宗教:文化と宗教が結びついているイスラムに対して、どこまでを宗教的として切り離し、どこまでを「文化」として認めるかが問題となる。
 → 個人の行為が政治権力と結びつくポイントはどこか、ということになり、一つ一つの事例を是か非か落とし込んでいく必要がある。また、イスラム教とキリスト教の差異は文化的な物が多く、それを宗教的なものと混合しがちである。

◎9頁の「日本の外国人に対する好意性」、および「日本の宗教的空白」は存在するのか?

 → 一神教と多神教の違いなど、日本の宗教観は西洋のそれと大きく異なるとはいえ、日本にも宗教的差別はあった。(殊に戦時下、ひとのみち教団に対してなど)。また、潜在的な差別は常々存在する(外国人留学生受け入れ拒否のマンションなど)
 → 確かに宗教的空白はあるともいえるが、そもそも「宗教」としての教義がどの程度広まっていたのか? 時代とともに大きく変わっていったのが、日本の宗教である(神社神道として教義の統一、社格の構成などの宗教化がなされたのは明治時代。一方で、民衆レベルに浸透していた穢れ観は太政官布告を以て廃止された)。
 また、自然現象の合理的説明としての神道は、科学に代替可能ではないか?

◎第八章でシチリアのアガトクレスに関して「それにしても、同胞市民を殺害したり、友人を裏切ったり、信義や慈悲心、宗教心を欠いていた人物を有徳であったと呼ぶことは出来ない」(P83)と述べられているが、一方第五章ではチェーザレ・ボルジアの破壊や謀略を肯定しているのはなぜか?

⇨ 第五章は征服する場合を示しているが、第八章はそうではない。残虐な手段=悪に直結するのではなく、それをうまく使いこなせたかどうかが問題になる(チェーザレへの評価はまさにそれである)。
 有徳の有無は君主の良悪の絶対的判断基準ではない。:十七章でも問題としているが、あくまで要素要素で必要なことを使い分けてゆくことが大事。
⇨ 実用的な印象を受けるが、重要なところが抽象的(e.g.25章などに現れる「運命の変化の命ずるところに従って、自らの行動を変更する」ことなど):対応策に極悪非道な事も用いうる。→ 旧来の傾向であった慈悲深さへの全面的肯定の否定。=人格者になることではなく、君主の地位の維持と国内の安定を第一に考えるべし、ということ。

◎引用などを通じて一般化されることも多い著作だが、現代にあてはめるときにどうなの? と思った点はあったか?

⇨ 傭兵や援軍ではなく、自前の軍隊を持つべきと主張しているが、あくまで攻められた時の事を前提としており、普遍性はあるのか疑問に思った。
→ 実利の面で傭兵の研究をしたいと申し出てきた学生がいた。:背景として、現代戦争の企業活動化。兵士は志願兵、兵站は企業との関係者が担い、企業自体はどこの軍隊にも参加する。
→ 国家vs集団の戦争に変わりつつあり、企業が参加する余地が生まれた? ⇔ それに限らず、そもそも資本主義自体が「万物の商品化」によって利潤を得ることができるシステム。その商品化の波の中で軍隊だけが最後の砦であったものの、今はそこさえ資本主義化しつつある。
→ 援軍についていえば、例えば南スーダンへのPKOなども挙げられる。:モチベーションとしては、「国のため」でも「私のため」にもならず、近代国家型の軍隊の在り方とは異なる。= マキャベリの主張と実状は異なる。
⇨ 文章の一部抜き出しでは、元の文脈とは異なったかたちで利用されてしまうこともある。

◎君主論は君主の立場に立って書かれた本である。一方、マキャベリの著作『ディスコルシ ローマ史論』は、共和国について述べた本であり君主論より量が多い。この著作のなかで、マキャベリは共和制の方が君主制より長続きすると言っている。:マキャベリは何を目指し、重要な価値と見做したのか?

⇨ あくまで目的は「イタリアの統一」であった。:イタリア半島内の混乱が収まるのであれば、共和制でも君主制でもどちらでも構わず、平等をよしとするなら共和制、不平等をよしとするなら君主制となる。あくまで統治・秩序の安定性(外部からの干渉、内部の対立を防ぐこと)を踏まえて、両者のうちより好ましい方を選ぶということ。
 → 当時のイタリアの政体は都市国家ごとに異なる。マキャベリ自身は『君主論』と『ローマ史論』の構想をほぼ同時期に考えていたとみられ、発言権を得たときがちょうど君主制だったので、『君主論』を献呈したといえるのでは?
⇨ 秩序と国家の維持を至上目的とし、それ以外の要素はすべてそれに従属するという価値観。
 → マイネッケの著作『近代史における国家理性』:道徳・理性・宗教を超えて、近代国家は独自の運動規則を持つ。
 アリストテレスの「人間はポリス的動物である」という言葉に代表される、人間は生まれながらに政治的共同体を作ろうとし国家には秩序があって当然とする考え方をマキャベリは否定。あくまで国家は私的な欲望を持つ人間の集まりに過ぎず、そのなかで秩序を保つ術を君主制・共和制のそれぞれで語っている。: 近代以降はマキャベリのこの考え方(作為としての政治)に従ってゆくことになり、やがてホッブズの「万人の万人に対する闘争」や社会契約論につながる。
 → この思想は明治日本において導入されたものの、受け入れが困難なものであった。:朱子学の道義的政治観が背景にあるが、近世日本の儒学者である荻生徂徠にはマキャベリと類似の思想の萌芽(脱道義的政治観)があった。

◎近代の萌芽としてのマキャベリ:現在の立ち位置は?

⇨ あくまで作為のためのマニュアルとして君主論は機能しつつも、人間の感覚に触れるところがある。(人の上に立って差配する際、もしくは処世術として)
⇨ 私利私欲によって成り立つ社会は全世界的なものになりつつあり、国家内秩序のみならず国際的な秩序が必要になっている。⇔ 一方で、秩序を構成する基盤が現状では弱い。近代国家の崩壊に向かう可能性もあるが、内向的な傾向も近年強まってきており、むしろ政治的には回帰するとも考えられる。
 → 国際秩序の構築のためには、どんな手段を用いてもよいのか?(e.g.ユーゴ解体の時のNATOの空爆)。また、誰がその中心となるのか? :文化・価値観が異なり国内秩序とは同質でない以上、欧米など中心となる国の押し付けとならないか。→ その点では、マキャベリの論では不十分ではあるが、基本として唱えられている人民の支持の必要性は、充分におさえておく必要がある。

 徂徠は「民を安んじなければならない」という前提に立つ。また、マキャベリも民衆の支持を得なければ政権を保てないと主張。:言い換えれば、君主論は「こういう君主には逆らってもよい」ということを示す「人民のための教科書」とも取れる。

【参考文献】

☝アシスタントよりひと言

 今回のレポートは8月と10月に開催された勉強会の議論をまとめたもので、実質的には2回分の内容が含まれています。とりあげられた本は、エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?――人種差別と没落する西欧』(文春新書)ニッコロ・マキャヴェリ『君主論』(岩波文庫、講談社学術文庫、中公クラシックスなど)です。この2冊はそれぞれ異なる関心から勉強会のメンバーによって選ばれたもので、現代フランスが抱えるイスラム恐怖症を独自の視点から分析するトッドの本と、ルネサンス期のイタリアで書かれた政治論の古典を、相互に関連づけて議論したわけではありません。

 しかし、この2冊を続けて議論することをとおして、「歴史と今を考える会」のメンバーは、はからずも、ヨーロッパで成立した国家や社会の見方について、それぞれのテキストが書かれた固有の歴史的文脈を理解するように努めながら、同時に、現代の日本に生きる私たちの視点からその普遍的な意味を問い直す、という、まさしく歴史と今のあいだ、そしてヨーロッパと日本のあいだを往復する、複眼的な検証作業を実践することになりました。

 『シャルリとは誰か?』は、家族人類学者の視点から、フランスの近年の排外主義的な傾向の由来と現状について大胆な分析を提示した本です。レポートにもあるように、トッドには家族制度にすべてを還元して説明するところがあり、その点に説得力を感じる人もいれば、疑問を抱く人もいることでしょう。

 フランスのイスラム恐怖症の背景にある世俗原理(ライシテ)については、谷川稔『十字架と三色旗――近代フランスにおける政教分離』(岩波現代文庫)が、歴史学の視点から「ヴォルテール的フランス」の成立の過程として叙述しています。現状を分析した『シャルリとは誰か?』と歴史的視点から書かれた『十字架と三色旗』とを合わせて読むと、世俗原理がフランスの国民意識と歴史的に密接な関係をもっていることがわかるだけでなく、近年の排外主義的傾向についても、政治地理学的にみて興味深い(ヴォルテールを寛容論の思想家として考えれば逆説的ともいえる)つながりがあることがみてとれます。

 『十字架と三色旗』によれば、フランス革命後の100年余りの間に、パリをはじめとするフランスの中心部では「習俗の革命」(カトリック的フランスが解体されてヴォルテール的フランスへと向かう動き)が浸透したのに対し、西部・南東部・東部の周辺地域にはカトリック教権主義が根強く残りました。トッドによると、地図上のこの布置は現在でもあまり変わっていませんが、排外主義的な傾向が強いのは、伝統的なカトリック信仰が生き残っている周辺地域よりも、むしろ世俗原理が浸透した中心地域のほうであるといいます。トッドは、この現象を、「ゾンビ・カトリシズム」(カトリック教会が最終的に崩壊して宗教的空白が生じた地域で強まる人類学的・社会学的パワー)という概念を使って説明しています。

 日本については、トッドは、宗教的に徹底して空白であるにもかかわらず「イスラム恐怖症に相当するような、内実をともなったどんな外国人恐怖症の擡頭も、私はそこに見いださない」と述べていますが、これには、国家神道への回帰をめざす日本会議の台頭やヘイトスピーチ問題などをふまえて批判を加えることもできるでしょう。

 マキャヴェリの『君主論』は、いうまでもなく、ヨーロッパの古典という以上に、もはや世界の古典といってよいテキストです。もっとも、「君主の行動については、喚問できるような裁判所はないから、ただ結果だけで見ることになる」(目的のためには手段を選ばないという、いわゆるマキャヴェリズムの典拠となった箇所)とか、「君主は、たとえ愛されなくても、恐れられる存在にならなければならない」といったフレーズが一人歩きして、通俗化されたイメージが流布しているのも確かでしょう。

 マキャヴェリは、フリードリヒ・マイネッケが『近代史における国家理性の理念』(全訳はみすず書房、抄訳は中公クラシックス)で重視したように、いち早く道徳や宗教とは異なる独自の運動法則を国家権力に認めた思想家として位置づけることができます。

 他方で、レポートにもあるように、マキャヴェリは、『君主論』と重なる時期に書かれた『ローマ史論』(『ディスコルシ』というタイトルで、ちくま学芸文庫に翻訳があります)のなかで、君主政よりも共和政のほうが国家の安定的な繁栄につながる、という議論をしていることも事実です。『君主論』においても「最上の城塞があるとすれば、それは民衆の憎しみを買わないことである」と述べていて、マキャヴェリは君主政を論ずる場合でも、つねに民衆の存在を念頭におきながら国家権力のあり方を考えていました。ジャン=ジャック・ルソーが『社会契約論』のなかで「マキャヴェリは、国王たちに教えるようなふうをして、人民に重大な教訓を与えたのである。マキャヴェリの『君主論』は共和派の宝典である」と述べているのも、マキャヴェリのこのような両面性をとらえてのことであったに違いありません。

 かつて、丸山眞男は「去バ人君タル人ハ、タトヒ道理ニハハヅレ人ニ笑ハルベキ事也共、民ヲ安ンズベキ事ナラバ、イカヤウノ事ニテモ行ント思フ程ニ、心ノハマルヲ眞實ノ民ノ父母トハ云ナリ」という荻生徂徠の『太平策』の一節をマキャヴェリの『君主論』と並べて引用して、近世の日本にも道徳倫理から政治を分離する「政治の発見」の契機があったことを指摘しました(丸山眞男『日本政治思想史研究』東京大学出版会)。もともと「近世儒教の発展における徂徠学の特質並びにその国学との関連」と題されたこの論文は、太平洋戦争前夜の1940年に『国家学会雑誌』に発表されたものです。開国によって西洋の影響を受けるまえの日本に「近代的思惟」の端緒を確認することは、皇国史観に塗り込められた学界における彼なりの「抵抗」の表現であったに違いありません。マキャヴェリのテキストがこのような「抵抗」の武器として用いられたことも、私たちが記憶しておいてよいことではないでしょうか。

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