2015年に「自由と平和のための京大有志の会」が発足したとき、私たちは、会の趣旨を示した「声明書」の多言語による翻訳を、ホームページに掲載しました。日本語と英語のほかにも、世界には暮らしのなかで息づいているたくさんの言語があり、それらの言語をとおして私たちのメッセージを届けたい、という考えによるものでした。会のメンバーが訳したものもあれば、知り合いの研究者にお願いして翻訳していただいたものもあります。これらの翻訳は、現在でもこのホームページ上でお読みいただくことができます。
さまざまな言語に訳された「声明書」のなかに、ウクライナ語訳があります。他の言語と違って、ウクライナ語訳は、2つのテキストが掲載されています。2つ目のテキストは、ウクライナの17歳の高校生によるものです。
私たちの会が発足する前年の2014年、ウクライナは激動の渦中にありました。この年の2月、首都キエフで、ヤヌコヴィチ大統領の親ロシア的な政策に反対する市民たちが広場を占拠し、治安部隊との衝突によって、警察官18名を含む130人近くが犠牲となりました。この結果、大統領は失脚してロシアに亡命しました。この出来事は、舞台となった広場の名前から「マイダン革命」、あるいは「尊厳の革命」とも呼ばれています。
市民の反対運動によって親ロシア派の政権を覆されたロシアは、ウクライナの領土に直接的な介入を始めます。3月にはクリミアを併合、4月から5月にかけては、ロシアと国境を接するウクライナ東部で、ロシアに支援された勢力による「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」が「建国」され「独立」を宣言しました。7月には、紛争地域の上空を飛行中のマレーシア航空機が撃墜され、乗客283人と乗組員15人の全員が死亡しました。事故を調査した合同調査団は、親ロシア勢力の支配地域から発射されたミサイルによってマレーシア機は撃墜されたと結論づけています。
「声明書」の2つのウクライナ語訳は、祖国の領土の一体性がロシアによって侵害され、軍事的な紛争が続いていたウクライナから、私たちにもとに届けられた共感のメッセージでした。
そのウクライナは現在、隣国ロシアからさらに大きな軍事的圧力を受け、大規模な侵略の危機に直面しています。隣接する地域の人びとの目には、ウクライナの状況はどのように見えているのでしょうか?
ウクライナの西北に隣接するポーランドは、歴史的・文化的・経済的にウクライナと深い関係をもつ国です。現在でも、ポーランドの市民権をもつウクライナ系住民が約5万人居住し、それ以外に100万人を超えるウクライナ人がポーランド国内でさまざまな職業に従事しています。
ロシアの軍事的圧力が強まりつつあった今月19日、ポーランドの知識人・文化人が、「ウクライナとの連帯とロシアの侵攻阻止を求めるアピール」を、日刊紙「ガゼタ・ヴィボルチャ」に発表しました(*URLは文末参照)。
ポーランドを代表するジャーナリストやアーチスト、映画関係者、文筆家や学者が、署名者として参加しています(署名者の名前に続く[ ]内に示した職業は、訳者が付したものです)。
このアピールは、ポーランドの民主派の知識人・文化人が、現在の状況をどのようにとらえているかを端的に表現しています。彼らの立場は、「自由なウクライナを守ることは、ヨーロッパの家を守ることだ」という主張に要約されるでしょう。
アピールのなかで、ウクライナに加えてモルドヴァとジョージアへのNATO・EUの拡大を求めていることについては、異論もありうると思います。
政治アナリストであれば、現在のポーランドの政権与党に批判的な「ガゼタ・ヴィボルチャ」の編集主幹アダム・ミフニクがアピールの中心となっていること、かつてポーランドが社会主義国だった時代に「連帯」の活動家として反体制運動にかかわった経歴のある人たちが署名に参加していること、などから、このアピールの政治的性格を判断するかもしれません。
訳者も、このアピールが1つの政治的立場の表明であることは否定しません。
歴史研究者である訳者はまた、ウクライナがNATO・EUに加盟すれば、この地域の問題が解消する、とは考えておりません。ウクライナは歴史のなかで東・西・南の3方向からの圧力に不断にさらされてきましたが、同時に、西のラテン・カトリック圏、東の正教圏、南のイスラーム圏のそれぞれの文明の諸要素を組み込みながら、独自の豊かな文化を育んできました。東西の対立軸にもとづく軍事的な集団安全保障の観点だけを重視してNATOをウクライナまで拡大し、ウクライナの東部国境に仮想敵国としてのロシアに対する防御壁を築くことは、この地域が歩んできた歴史からみると無理があると思います。
むしろ訳者がみなさんに注目していただきたいのは、次の2点です。
1つは、署名者のなかに、報道や学問・文化にかかわる人たちが多く含まれているということです。これは、ポーランドの言論人たちが、現在のウクライナの状況を、地政学的・軍事的な危機としてだけでなく、報道の自由・表現の自由・学問の自由にとっての危機であり、さらにその土台である基本的人権にとっての重大な脅威であるととらえていることを示しています。
アピールが公表された翌日、ウクライナとの連帯を訴える集会で行なったスピーチで、アダム・ミフニクは、「ロシアは、ウクライナ全体を、アレクセイ・ナワリヌイのように扱おうとしている」と発言しています。ロシアの政治活動家ナワリヌイは、プーチン政権を批判する立場から活動を展開していましたが、たびたび逮捕され、2020年8月には航空機で移動中に毒物を盛られて意識不明の重体となり、ドイツで治療を受けて命はとりとめましたが、21年1月、帰国直後にモスクワの空港で拘束され、現在も拘束中です。
さらに続けて、ミフニクは、「現在のロシアの体制は、根底的に反ウクライナ的、反ヨーロッパ的、反人間的、そして反ロシア的である」(強調は訳者)と述べ、ロシア国内でウクライナ侵攻に反対する民主派の市民との連帯を呼びかけました。これは、ウクライナとの連帯アピールの精神が、反ロシア・ナショナリズムによるものではない、ということを示しています。
注目していただきたい2つ目の点は、このアピールが、現在の状況を、1938年のヨーロッパの状況と重ね合わせて認識している、ということです。
この年の5月、チェコスロヴァキア領内のズデーテン地方のドイツ人政党が自治を要求したのに呼応して、ヒトラーはチェコスロヴァキアへの軍事侵攻を計画します。英仏が介入し、イタリアのムッソリーニが仲介してミュンヘン会談が行われますが、宥和政策がとられた結果、ズデーテン地方のドイツへの併合が決まります。チェコスロヴァキアは当事国であるにもかかわらず会談に参加できず、列強のかけ引きによって自国の領土を割譲することになりました。翌39年3月、チェコスロヴァキアは解体し、9月にはドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発します。
1938年から翌年にかけてのこのような事態の成り行きは、私たちが直面している状況の現在と将来について考えるとき、不気味な先例であるように見えます。
ウクライナ、ポーランドとその周辺地域は、第二次世界大戦中に多くの人びとが人権を蹂躙され、生命を失った「流血地帯」となりました。
アピールに署名したポーランドの人たちにとって、1938年の状況への言及は、メタファーではなく、リアルな事実認識なのです。
現在起こっていることを私たち自身でより深く理解し議論するために、彼らのアピールが、考える手がかりの1つとなることを願っています。