5月13日、18日、31日、さらには6月7日早朝になされた立て看等の強制撤去は、「立看板規程」の一方的な制定にもまして、京都大学の「自由な学風」を損ねました。今回の事態を批判的に捉える声、京都大学の変質を憂慮する声が広がっていることは、新聞各紙やテレビの報道などでご存知のことと思います。撤去されたものには、規定では制限されていないものまでも含まれており、私たちは、こうした一連の立て看を含む表現手段の抑圧は、基本的人権である「表現の自由」はもちろん、本学の基本理念に反すると考え、下記の抗議声明を発表して賛同者を募りました。
5月1日に施行された「京都大学立看板規程」は、報告事項として、議論もなく「規程」が上から降りてくるだけの「ガバナンス」によって制定されました。制定に至るまでにこの規程について学生と教職員が議論する機会はなく、制定後も、再三の要請にもかかわらず執行部から学生たちに対する公開の説明の場は設けられていません。大学の「憲法」ともいうべき基本理念を、執行部がこのように率先して無視し破壊していく状況のもとで、「世界的に卓越した知」などいったいどうすれば生まれるというのでしょうか。
わたしたちが望むのは、立て看の奪い合いでも、それをめぐるもみ合いでもへし合いでもありません。そんな学内を分断させる不毛な対立ではなく、公平で開かれた議論がなされる場所作りにほかなりません。地域社会に向けて知の営みを開き、地域社会とともに知を創造してきた京都大学の基本に立ち戻るためにも、強制撤去という硬直的な手法を繰り返すのではなく、学生、市民、行政を含めた公開の対話の場を作り、立て看のあり方を共に議論しようではありませんか。
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京都大学の基本理念を実現するために
―立て看強制撤去に対する抗議声明―
1.「京都大学の基本理念」を守り、未来に伝えるのならば 、京都大学は、それを空文化するのではなく、実践しなければならない。
2.「京都大学が創立以来築いてきた自由の学風を継承し、発展させ」るのならば、京都大学は、表現の自由を奪うのではなく、自由な表現行為を支えていかなければならない。
3.「世界的に卓越した知の創造を行う」のならば、京都大学は、「創造的精神」の芽を摘むのではなく、それに水をまき、育んでいかなければならない。
4.「対話を根幹として自学自習を促」す教育を推進するのならば、京都大学は、学生との「対話」を拒絶するのではなく、それを実行しなければならない。
5.「開かれた大学として、日本および地域の社会との連携を強めるとともに、自由と調和に基づく知を社会に伝える」のならば、京都大学は、地域社会との交流の回路を閉ざすのではなく、それを開いていかなくてはならない。
6.「環境に配慮し、人権を尊重した運営を行う」のならば、京都大学は、管理が徹底される冷たい大学ではなく、どんなに弱く小さな声でも尊重される温かく風通しのいい大学にこそならなければならない。
自由と平和のための京大有志の会
参考資料