【会の概要】
七月三十日(木)の十四時~十六時、京都大学文学部校舎二階 第四演習室にて『歴史と今を考える会』第一回勉強会が行われました。テーマは「いま、わたしたちにとって、フランス革命とは?」と題し講師に小山哲先生をお招きして、テキストを読みながら参加学生との自由発言形式で会を進行しました。
テキスト:天野知恵子「「女性」からみるフランス革命―政治・ジェンダー・家族」、近藤和彦編『ヨーロッパ史講義』山川出版社、二〇一五年、一二六‐一四四頁
【勉強会内容】
第一の議題『テキストを一読してみて、気付いたことを挙げる』
① フランス革命はその目的が大きく変動している
② 女性目線からの歴史の見方がある
⇨ この二つの挙げられた観点から、議論を深めていくことにする。
①「フランス革命はその目的が大きく変動している」という観点に関して、
フランス革命のきっかけは全国三部会の開会に始まる。全国三部会とは、各身分(聖職者・貴族・平民)の代表者が結集して王国内の問題を議論する会議のことを指す。その目的は国王の政治専制の抑制であったため、国王としては議会を開きたくなかった。ゆえに、一六一四年以降三部会は開催されなくなる。
ところが、アメリカ独立戦争の影響により、再び全国三部会を招集することとなる。独立戦争時、北米におけるイギリスの影響力の低下を図っていたフランスは、大陸側として戦地に兵を送っていた。そのため、軍事費に圧迫される形で財政が悪化し、王権としては財政改革の必要に迫られた。その改革案に対し、旧来免税などの優遇措置を受けていた人々が反発し、全国三部会の開設を求めたために、議会は開催されたのである。革命は当初、三部会の開催など絶対王政以前の状態に戻るためのものであった。
⇨ そもそも、革命とは復古主義的な動機から発生するものである。(ピューリタン革命・宗教革命・ルネッサンスなど) そこで、一つ疑問が生じる。
Q『日本に於いて、革命はあったのか?』
この疑問に挙げられた意見は……
- 日本の革命は明治維新である
⇨ 武家政権から、近代的政治体制へと移行したから。 - しかし、これは革命たるのか?
⇨ 天皇制は持続しているから、これは政変にすぎない。
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の二つ。今回は意見の交換はできたが、結論を出しきれなかった。
⇨ この討論で学びえたことは以下の二つであった。
- 新しいテーマを立てた時、そのテーマに正当性はあるのか熟考すること。
- 各国の歴史を比較・対照して物事を調べること。
②「女性目線から歴史の見方がある」という点では、
- 女性史としての新鮮さがある
- 筆者が女性であるから、女性寄りの文章である
の二点の指摘が挙げられた。 - 今まで男性中心の歴史研究だったため、女性史として研究する以上、女性的視点に偏るのは仕方ない。
- 一方で、フランス革命は昔から女性に焦点が当たっている研究が多い。
⇨ 革命時には、女性が象徴的存在として扱われていたから。
⇨ しかし、ある時期からフランス革命史研究にマルクス主義的階級構造(「フランス革命は聖職者・王侯貴族に対して第三身分が戦いを挑んだ革命である」とする考え)が持ち込まれたことで、研究における女性史的特色が失われる。
⇨ 一九七〇年代になって、マルクス主義的史観が批判されたこと、女性史研究が始まったことから、再び女性に研究の焦点が当たるようになった。
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◎フランス革命における女性の政治運動
- 政治クラブの結成
- 編み物を片手に国民公会を傍聴して、議員を叱咤激励する
⇨ これらは自分の生活範囲内における政治参加であり、組織としての非生活環境における政治参加とは違う。= 革命の原動力たりえる。
⇨ しかし、この政治参加は途中で禁止される。……この権利侵害は保守的なものでなく、十八世紀の新しい考え方に基づくものとしたところに、この文章の興味深い論の転換がある。
◎グージュの『女性の権利宣言』について
- 強烈なインパクトを与える文章
- 一方的な権利の主張のみならず、義務も主張している=「男性と同じ義務を負うのだから、同じ権利を受けるべきである」という主張。
⇨ この権利宣言の強烈さは、義務を明記したこと(権利の主張のみに留まらないこと)に影響されている。 - また、同時期にイギリスでもメアリ・ウルストンクラフトが女性の権利尊重を訴えつつ、保守的なバークを批判していた。
- ポーランドにおいてはプロセイン、オーストリア、ロシアによって分割が行われている。
⇨ 旧体制の打倒という点でフランス革命と同じ。
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しかし、プロセイン、オーストリア、ロシアの各国はフランス革命に反対していた。
⇨ そのため、対抗処置としてポーランドはフランス革命支持を表明する
【このテキストの要点】
◎フランス革命において、女性の立場は……
- 政治参加の権利は剥奪される。
- 相続権や親権といった民法上の権利の平等は達せられる。
⇨ 女性は家庭という「私的領域」にその本分があるとの考えに基づく差別化。
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また、過去の世紀と対比すると……
- 絶対王政期には、女性(王妃や宮廷の女性たち)の政治介入の可能性があった。
- フランス革命後期には、女性の一切の政治介入ができなくなる。
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☝第1回勉強会のアシスタント(小山)よりひと言
「歴史と今を考える会」の第1回勉強会では、フランス革命をとりあげました。
フランス革命が国民主権と基本的人権を掲げた革命であったことは高校の世界史でも学びますが、「征服戦争の放棄」を憲法で最初に規定したのが革命期の1791年9月にフランスで制定された憲法であったことは、あまり知られていない事実かもしれません(この問題については、山室信一『憲法9条の思想水脈』、60-62頁を参照)。
憲法9条の思想水脈 (朝日選書823)
山室 信一このように日本国憲法を支える重要な理念の源流の1つといってもよいフランス革命ですが、女性の視点からみると、さらに興味深いいろいろな問題点が浮かび上がってきます。
- 当時の「人権」とは、事実上「男性の権利」でした。公的領域では、女性の政治参加の権利は認められませんでした。他方で、私的領域における女性の権利(民法上の権利)は、フランス革命をへて保障されるようになりました。
- パンの値段に敏感な女性たちのデモ行進が革命の推進力となったことや、政治的な議論の場に出向いた女性たちが編み物をしながら男たちの言動を見張っていたことに注目すると、女性たちが日常の暮らしと政治の場を結ぶ重要な役割を担う存在であったことがわかります。
こんなふうにみていくと、フランス革命は、今日のわたしたちにとってなお意味を失わない、「身近で、新しい」できごとであると言えるかもしれません。
「考える会」の勉強会は、準備期間として、さしあたり非公開で開催します。
レポートをホームページに順次掲載していく予定です。