【目次】
- はじめに―問題を考える手がかりについて
- 1.憲法政治の現状と憲法秩序のヒエラルヒー
- 2.立憲主義と民主主義の相克
- 3.憲法の体系的理解と自民党改憲の方向性
- 4.自民党改憲案と日本国憲法の前文
- 5.自民党改憲案がめざす国家と国民のあり方
- 6.自民党改憲案がめざす安全保障
- 7.基本的人権とその制限の根拠をめぐって
- 8.緊急事態条項をめぐって
- おわりに―残された幾つかの論点
おわりに―残された幾つかの論点
時間が来ましたので、駆け足で残された幾つかの論点に触れて終わりたいと思います。
9条の国防軍、98・99条の緊急事態などに通底しているのは、内閣総理大臣への権力集中というベクトルですが、自民党の改憲案では内閣における総理大臣の権限強化が72条で規定され、新たに54条では「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。」という規定が新設されました。マスコミなどでは衆議院の解散について、伝家の宝刀とか首相の専権事項と言ってきますけれども、そんな規定は現在の憲法のどこにも規定されていません。これまでは7条の天皇の国事行為に基づく解散と69条の内閣不信任決議に基づく解散とが想定されていて、多くの場合は7条解散が内閣の助言と承認によって行えることから政権が最も有利な時機に解散するという政治手法を用いてきたというのが実態でした。
自民党改憲草案
第9条の2(国防軍)
1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
自民党改憲草案
第98条(緊急事態の宣言)
1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。
第99条(緊急事態の宣言の効果)
1 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
自民党改憲草案
第72条(内閣総理大臣の職務)
1 内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う。
2 内閣総理大臣は、内閣を代表して、議案を国会に提出し、並びに一般国務及び外交関係について国会に報告する。
3 内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。
自民党改憲草案
第54条(衆議院の解散と衆議院議員の総選挙、特別国会及び参議院の緊急集会)
1 衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。
2 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行い、その選挙の日から三十日以内に、特別国会が召集されなければならない。
3 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。ただし、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
4 前項ただし書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであって、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失う。
現行憲法
第7条
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
現行憲法
第69条
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
しかし、今度の自民党改憲案においては7条の内閣による解散を残しつつ、内閣総理大臣が一人で衆議院の解散を決定できるようになります。しかし、この不意打ち解散というのは非常に政治を不安定化させるということで是正する方向にあります。イギリスでも2011年の法律改正によって、下院が内閣不信任案を出したとき以外には解散できないように運用しています。ところが、内閣総理大臣が一人で専権的に解散を決定できるとなれば、その政権の支持率が高かったり、都合の良いように争点を設定できて選挙に勝てると思ったときに解散できることになります。
こうした内閣総理大臣への権限強化は、新自由主義経済によるCOEなどの最高責任者、あるいは大学における総長のガバナンス強化などの流れの一環なのでしょう。権限を一手に集中すれば、即断もでき、成果も挙げることができるということなのでしょうが、それだけ多様な意見や創意性は減殺されていきます。多様性のないところに、可能性も生まれません。民主主義による決定は、確かにコストと時間がかかりますが、「この道しかない」といったように、両目を敢えて塞いだまま走りつづける、その先に何が待っているのかを考える余裕も必要なのではないでしょうか?
こうした行政への権限集中によって、地方自治の財政権も全てコントロールされ、地域の多様性も抹殺されつつあります。これは、最近のニュースでお聞き及びだと思いますが、沖縄の辺野古基地移設に反対する市や自治会などに対して、政府は財政的に絞り上げ、逆に賛成する自治会には補助金を与えるといった露骨なまでの金ヅルによる支配を貫徹するシステムが機能しています。
それから義務の話です。自民党の改憲案の方針が天賦人権の否定と国民義務の強化であると言いましたが、レジュメにまとめておきましたように、①国防(前文第3段落)、②日章旗・君が代尊重(第3条)、③領土・資源確保(第9条の三)、④公益および公の秩序服従(第12条)、⑤個人情報不当取得など禁止、⑥家族助け合い(第24条)、⑦環境保全(第25条の二)、⑧地方自治負担分担、⑨緊急事態指示服従(99条3項)、⑩憲法尊重(102条)といった条項で義務が規定されています。もはや義務を果たすことが自由の条件となっているかのごとくであります。特に、国民に憲法の尊重義務を課した点は、多くの方が指摘されていますように、憲法は権力者を縛るものであるという立憲主義の原義からみて、間違った方向性ということになります。
自民党改憲草案
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
自民党改憲草案
第3条(国旗及び国歌)
1 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
自民党改憲草案
第9条の3(領土等の保全等)
国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。
自民党改憲草案
第12条(国民の責務)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
自民党改憲草案
第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)
1 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
自民党改憲草案
第25条の2(環境保全の責務)
国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。
自民党改憲草案
第99条(緊急事態の宣言の効果)
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
自民党改憲草案
第102条(憲法尊重擁護義務)
1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。
また、参政権につきましても地方も中央も日本国籍を有する者だけに限られました。これまで裁判でも争われてきた問題で、永住者等の日本に在留する外国人に対して選挙権を与えるか与えないかは立法府の判断に委ねられる可能性がありましたが、自民党の改正案では15条と94条によって「日本国籍を有する者」に限定されることになっています。
自民党改憲草案
第15条(公務員の選定及び罷免に関する権利等)
1 公務員を選定し、及び罷免することは、主権の存する国民の権利である。
2 全て公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選定を選挙により行う場合は、日本国籍を有する成年者による普通選挙の方法による。
4 選挙における投票の秘密は、侵されない。選挙人は、その選択に関し、公的にも私的にも責任を問われない。
自民党改憲草案
第94条(地方自治体の議会及び公務員の直接選挙)
1 地方自治体には、法律の定めるところにより、条例その他重要事項を議決する機関として、議会を設置する。
2 地方自治体の長、議会の議員及び法律の定めるその他の公務員は、当該地方自治体の住民であって日本国籍を有する者が直接選挙する。
それから信教の自由との関連でいえば、20条で政教分離についても特例が設けられ、「ただし、社会的儀礼又はや習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない。」として国や地方自治体・その他の公共団体が「特定の宗教のための教育その他の宗教的活動」ができることになります。なぜ、この規定が新設されたかといえば、言うまでもありませんが靖国神社などの公式参拝が可能となるからです。これは社会的儀礼であり、習俗的行為だから、政教分離の原則には反しないということになります。国や公共団体などが宗教活動をする道がここに開かれ、特定宗教と政治権力との癒着が進み、宗教団体がさらなる集票マシーンとして稼働していくことになります。祭政一致こそが日本の国体の精華として再び称揚されていくことになるのでしょうか? こうした方向性は、天皇の元首化と現行憲法の99条における天皇や摂政の憲法尊重・擁護義務の撤廃とつながるものです。
自民党改憲草案
第20条(信教の自由)
1 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。
そして、このような憲法改正を推進している団体として「民間憲法臨調」や「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などが挙げられます。これらの団体の共催で今年の5月3日に開催された「公開憲法フォーラム」では「すみやかな憲法改正発議の実現を!」として「前文・天皇・9条・家族保護・改正条項などの主要改憲テーマについて検討を加える」ことが主張されています。これらの団体の推進母体となっているものとして注目されているのが、「日本会議」であることは、良く知られるようになってきました。安倍内閣の閣僚の8割が日本会議国会議員懇談会に所属していると言われていますが、どのような主張の団体であるのかは、そのホームページに明らかですから、是非御確認ください。そこで重視されているのは、「憲法改正」であり、具体的な項目としては皇室、教育基本法、夫婦別姓や男女共同参画などが主要な論点になっていますが、もちろん夫婦別姓や男女共同参画に反対し、外国人参政権も否定するものです。また、人権規定の擁護よりも国民としての義務の遵守が重視されています。こうした論調が自民党の改憲案と、同じ論調のものであることは明らかでしょう。なお、付け加えておけば、「日本会議」は「生長の家」の元信者がリーダーシップをとっていることに遺憾の意を表明した宗教法人「生長の家」は6月9日付けで「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」を発表し、「与党とその候補者を支持しない」との声明文を出しています。
さて、最後になりましたが、それではこれまで見てきたような自民党改憲草案のベクトルはいかんなるものと理解すべきでしょうか?
簡単に示せば、以下のようになるかと思われます。
1.普遍主義 → 独尊・固有主義
2.権力分立 → 権力集中
3.社会権主義 → 家族自己責任主義 = 公助→共助→家助→私助
4.自由主義 → 新自由主義 = 寡占
5.天賦人権 → 国賦人権 = 大きな人権と小さな人権=滅私奉公
6.非戦主義 → 武力介入主義
まず、第1に前文にありましたように、普遍主義への志向から独尊へ、つまり固有なものが尊いという方向にむかいます。
第2に権力分立から権力一元へと、権限の集中化へと向かいます。
第3に家族がお互いに助け合わなければならないというのは、前文にもありましたし、24条では「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は助け合わなければならない。」という条項が新設されています。これは社会権に基づく共生主義から家族を基礎とした自己責任主義への転換です。これは社会保障費がパンクしつつあるという財政的な問題もあります。確かに、これまでのように社会保障費を全て国家財政でまかなうことはできませんので、いわば公助とか共助が必要となることは否定できません。しかし、家族は助け合わなければならないと言っても、少子高齢社会を迎えて必ずしもすべての人が結婚をしたり、子どもをもつことができないような経済状況もあります。また、LGBT等々、さまざまなカップルや性の結びつきがありますし、ますます家族の形態も多様化していく趨勢にありますから、従来のように家庭の形だけに一律化することは困難です。そうした多様な家庭のありかたを、ひとつの鋳型にはめ込もうとするのではなく、様々な家庭のあり方に応じた社会保障の姿を見とおしていくことの方が必要なのではないでしょうか?
第4に経済成長だけが社会の目的としてあり続けるのかについても問い直す必要があるはずです。しかも、自由競争を謳いながらも現実にはある種の市場の独占化、寡占化による新自由主義が蔓延するなかで経済的格差は日々に拡大しています。これはグローバル経済の中で必然的な流れかもしれませんが、経済成長が齎す豊かさが格差や人間の潜性力を奪っていくなかで、それに対抗する力を社会の中にいかに育んで行くのか? 次代の人々に継承すべきなのは、そうしたケイパビリティではないでしょうか?
第5に天賦人権を否定し、国家が人権を賦与するという国家中心主義の志向が明確に示されているのが自民党改憲案の際立った特質だと言えます。その志向のなかで、小さな人権と大きな人権の区別が主張されますが、これは「公益」や「公の秩序」の重視とも関連したもので、「滅私奉公」の強要につながる危険性さえ看取されます。「私」の小さな人権を滅ぼしても、「公」の大きな人権は守る価値があるという主張が、そこからは直ぐに現れて来そうです。
第6に現行憲法の非戦主義から、国防軍による武力介入主義への転換は日々に昂進しています。もちろんこれは安倍首相からすれば「積極的平和主義」になるのでしょうが、集団的自衛権の発動は基本的に武力介入主義に他なりません。もちろん、「保護する責任」や「人道的介入」のあり方については、一概に否定するのではなく、日本に可能な方途を模索する必要がありますし、日本国憲法も「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と謳っていることを忘れることはできません。しかし、今や戦争や抑圧の形態は、軍事力だけでは解決できないことはイラクやアフガニスタンそしてシリアの状況などを踏まえれば、自明のこととなっています。今こそ、日本国憲法の非戦主義による平和構築の意義が問い直されている時はないはずです。
以上、雑ぱくな読み方で終始してしまいましたが、最後に皆さんにじっくりと味読戴きたい文章として河上肇の「日本独特の国家主義」の一部を挙げておきました。筆者名も、執筆時機も書かなければ、現時点の日本の状況を描いた文章として読んでしまうのではないかと思うほど、切迫した描写となっていますが、これが書かれたのは1911年のことでした。明治国家から大正国家へと移り変わる時期に当たりますが、それから百有余年にして、私たちの戦後社会はどのような方向に向けて漂流していこうとしているのでしょうか?
加藤弘之は天賦人権というのは蜃気楼のようなものであって、権利というのはあくまでも強者の権利である、強い者が持つのが権利であると論じました。おそらく、それも否定できない事実かもしれません。権利は決して天が与える自動的に賦与するものではありません。ドイツの法学者イェーリングが言ったように、「権利のための闘争」、戦うことによって始めて人類は人権を獲得してきたのです。だからこそ、日本国憲法の97条には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」ことをもって憲法が最高法規として貴重なものであると訴えているのです。しかし、その97条について自民党改憲案では11条と同じようなことを書いてあるからとして、全文を削除しています。それは基本的人権が「自由獲得の努力の成果で」もなく、「過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」でもないとの主張でもあるのでしょうか?
現行憲法
第97条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
自民党改憲草案
削除
皆さんは、今そのどちらを選ぶのか、という岐路に立たされています。
もちろん、今日述べてきたことを踏まえれば、いずれを選ぶべきかは明らかではないかと私自身は考えています。普通の論理に従って憲法を学び、そして日本の歴史を腐心に学び、そして人類の歴史というものを考え、どのように世界の平和のために貢献するのか、ということを自らに問い直すとき、私たちはいかなる憲法を選び取るべきなのでしょうか? ナチスの悲惨な体験をしたドイツ国民の中では、「憲法愛国主義」を唱える人がいます。憲法を守ること自体が真の愛国主義だ、というのです。その憲法は自らが制定して権力者に課したものである以上、国家もまた自らのものであり、権力者の所有物ではありえないからです。そこには立憲主義と民主主義とが対立し、ナショナリズムに攪乱させられかねない時代にあって、私たちが憲法にいかに向きあうのかを考えるためのヒントが隠されているのかもしれません。
どうぞ皆さん、お帰りになってから自民党改憲草案やそのQ&Aをよくご覧になって、自分がどういう選択をしたら良いのか、今回の参議院選挙から18歳以上が有権者となりますので、そのお子さんやお孫さん達とも語り合ってみていただきたいと思います。
すみません。あちこちに話が飛んで、時間を取ってしまいましたが、以上で終わらせて戴きます。長時間、ご静聴ありがとうございました。